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3.1
◇◇◇
学校指定の水着なんてものはなんでこう窮屈なんだ。
恵理が一足遅れて更衣室に入ってきた時にもまだ、私はそれを体から引き剥がそうと悪戦苦闘していた。まるで水浸しのタコに吸い付かれてるみたい。
「私の分も片付け終わったよ。由羽は早いね」
「こっちのグループ人数少なかったから。道具もほとんど使ってなかったし」
普段はひどく手狭に感じる女子更衣室も今は貸し切り。備品整理当番なんてすっかり置いてけぼりでみんな次の授業に行ってしまった。
「鍵も返さないとだから、結構ギリギリだよね」
彼女も水着と格闘を始めている。恵理は私よりも若干細いはずだけど、濡れた物の脱ぎにくさの前じゃ大差ないみたい。
私は気付けば自分がすっぽんぽんのことなんか忘れて彼女の肌が露わになっていくのを目で追っていた。
「どうしたの由羽。露出癖に目覚めた?」
「いや、やっぱ恵理の体って綺麗だなぁ、って」
「……変態」
恵理はわざとらしく手で胸を隠した。そんなことしたって一緒に銭湯にも行ったし、市民プールにも行ったからお互いの体なんて何度も見ている。でも私は胸が見えなくなってしまったので代わりに彼女のヘソを眺めていた。
「ちょっと太ったかな……?」
私が見ているのに気付いて恵理はお腹を少し摘まんだ。
「ううん、ちょうどいいと思う。綺麗」
「あんまり綺麗とか言わないで。なんかエロオジサンみたい」
「酷い。そういう変な目じゃなくてさ、ほら、ミロのヴィーナスを見てるみたいな?」
「ミロのヴィーナスがどんなものかちゃんと知ってるの?」
「……おっぱい丸出しの石像」
彼女が投げたブラが私の顔に当たった。
「美術の成績2の人に美的センスを求めるのが間違いだったー」
私は恵理のブラジャーをみょんみょんと伸ばしながら、伝わらなかったことが嬉しいような、惜しいような感覚を味わった。
確かに、同じ学年だってこれよりもっと大きいブラを着けてる子も、それを自慢げに男の子の前に晒す子だっている。けれどそれは恵理とは違う「綺麗」なんだ。
それはたぶん、線の違い。スタイルが良かったり、お尻を振るような歩き方が得意な子は、油性の色マジックで描かれているような、くっきりと色鮮やかな線なんだ。私は魅力的ですよ、って蛍光色で描かれている。
でも恵理の体は鉛筆で描かれている。それも芯がうんと柔らかい、普通の黒の鉛筆。
線一本一本で紙を撫でるように描かれた体。目立ちもしないし、他に埋もれがちだけど、しっかり見ればちゃんと綺麗だとわかる体。同じ「綺麗」でもこの線の違いに気付ける男の子は、同じ学年にはまだいない。それはほっとするようでも、勿体ないようでもあった。
「うわ、こんなところにホクロできてる……」
「どこ?」
私は彼女の指差した先の脇腹に吸い付けられるように目を向けた。きめ細やかに織られたような肌に、確かに一点、小さな点が浮かんでいた。
「いいじゃん。恵理の肌不自然なくらい真っ白なんだからさ、アクセントだよ」
「こんな所にアクセントなんていらないよ。あー、やだな……」
どうして? と、私は思わず聞きそうになってしまった。そんな場所誰かに見せるわけでもないのに、何故嫌がるの? と。
彼女は無意識にいつか見せる時のことを考えたのだろうか。彼女も、いつかは誰かの前で服を脱ぐのかもしれない。どこかの男に、その体を振舞うのかもしれない。染料が色濃く染みたほんの小さなリボンでも添えて。
でもそれは違う。恵理の体の使い方じゃないと私は思っている。彼女の体は、熱を帯びた性欲を向けられるようなものじゃない。水に浮かんだ石鹸の泡を掬うように、宙に浮かんだ綿毛を爪の上に乗せるように、繊細に扱うべきなんだ。
じゃないと、彼女のバランスは、美しさは壊れてしまう。ただ崩れ落ちる肉体になってしまう。そんなの、私は嫌だ。
だから、まだしばらくは彼女のそれを知っているのは私だけでいい。たまにこっそりみるくらいなら、その美しさは綻ばないだろうから。
「由羽、行こ。次の授業始まっちゃうよ」
私は荷物をまとめながら、彼女のことを何度も窺った。そのブラウスの下にあるほんの小さなインクの染みが透けて見えないかどうかを。
女子更衣室を出て、彼女が背中で待っているのを感じながら、私はそこに鍵をかけた。何度も確認し、厳重に。
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