2.2
◆◆◆
手をつないで帰ろう
もう迷うような子供でも
引っ張ってもらうような子供でもないけれど
それでも歩幅が同じになるから
彼女と繋がっているのが伝わるから
そう言ってもらえて嬉しかった
手をつないで帰ろう
すこしだけ回り道をして
活動腐敗性細菌急感染症、通称ゾンビ病はあくまで一般の人々が付けた名前だ。だから、もしかしたら生粋のゾンビ映画ファンの方にはこの名前じゃ顰蹙を買っているかもしれない。
何故ならゾンビ病は正確にはゾンビ、『生ける屍』ではないからだ。
どちらかというとこの病は狂犬病なんかに近いのかもしれない。感染すると細菌が体内で爆発的に増え、ホルモン異常を引き起こし全身の細胞、肉や皮膚などを段階的に壊死させていく。一定度症状が進行すると細菌は脳内の神経伝達物質にも異常を与え始め、感覚異常、幻覚症状、錯乱などを引き起こす。最終的には判断力や思考能力の大半が欠如し、衝動行為に至る。
自我を失い行動する様が我々のよく知っているゾンビの描写に酷似しているのでこの名称が付いたのだ。
この病気は潜伏から感染、末期症状までの期間が他の感染症より圧倒的に短く、潜伏期間は長くて数日、早くて数時間、感染してから脳の異常に至るまでは一週間持てば良い方だ。
現在まで予防から感染後治療まで有効な手立ては一切なく、病状の最終段階まで至ってしまうと、暴れ出したり人に危害を加えるので手の付けようがなくなる。空腹衝動から何かを口にしようとすることが多いが、摂取物の判断はできず、食物とそれ以外の区別も付かないため、大抵はやがて衰弱死に至る。決して元から死体なわけでも、死なないわけでも、ない。
感染経路は主に血液、粘液感染。こちらは非常に高い感染率を持っており、重度感染者の血が粘液に触れた際はほぼ確実に感染するとみられる。また、直接的なものよりも感染率は下がるが、空気感染による被害も多い。
この病気は基本的に発症すると進行の速さに差はあれ、大抵同じ症状が出る。細菌に感染するとまず出てくる初期症状、それが……。
「……あーあ、おばあちゃんみたいになっちゃったね」
彼女が宙にかざした手。私たちは二人で、その手をずっと見つめていた。まだ十代も半ばの女子のものとは思えないそれを。
恵理の手は、今や老婆のものと言われてもおかしくない代物になっていた。
皮膚は垂れ下がり、深いしわは色濃く底も見せない。彼女が両手をすり合わせると、それはがさがさと新聞紙をすり合わせるような嫌な音をたてた。
「なんだか間違えて他の人の手を着けちゃったみたい。ね、気持ち悪くない?」
彼女はまるで他人事のようにそう言った。私はそれに頷くことなんてできない。その宙に浮かんだままの手を彼女の膝まで押し込めて、それが一時でも見えなくする。
「恵理、ねぇ、大丈夫なの? わかってるでしょ。それがどういうことか……」
「大丈夫じゃないのはわかってるよ。だから大丈夫。だって遅かれ早かれ、何か『こういうこと』が起こるのは、二人で飛び出した時からわかってたことじゃん」
ゾンビ病の初期症状。皮膚の急激な老化。
これが見られたということ。それはもう人という生き物としては終わりだということ。
それが、それらが、感染症について私たちの知っている全てだ。テレビで、ラジオで、それらの悲惨な情報が積み重ねられていく度に、それでも最後には、その一番上には希望的な報告が乗せられてそれらをまとめてくれると信じていた。けれど、私たちに与えられていく知識は自らの破滅を強固にしていくだけだった。
わかってはいた。終わりが見えているのは。その終わりの中でどう振舞うかを選んだだけだということも。これは選択の証明に過ぎない。
でも私は後悔せざるを得なかった。どの道を選んでも後悔するのはわかっていたけれど、もしかしたら……。
「私はちょっとすっきりしてるよ」
彼女は自分の手を見て、その中で一番しわのまだ少ない指で私の眉間をもみほぐした。
「だってゴールの見えないマラソンってやっぱりちょっと疲れるもん。でもこれでゴールは見えた。あとは全力で走り抜けるだけじゃん」
その底抜けの前向きさは瞳の奥から溢れて来ていた。私はそれにしがみつくように、彼女の手を包み込んだ。
「由羽、私はね、後悔してないよ。だって由羽と一緒の道だもん」
「私も。恵理の隣にずっといたい」
「本当? 本当なら、ずっといてね」
しわくちゃの小指と、少し寸胴な小指を私たちは結び合わせた。
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