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2.1

◇◇◇


 彼女と勉強する時間が私は好きだった。

 放課後の教室で、ファミレスで、図書館で。机を挟んで向かい合って教科書を広げる。初めは下らない雑談ばかりなのに、そのうちシャーペンの先がノートの上を走る音に取って代わられていく。

 もちろん私が勉強を好きなわけじゃ、全くない。もし隕石の落ちる場所を自由に決められるのなら真っ先に学校を選ぶくらい好きではないが、それでも私をこうして面白くもない数式や昔の人の金言の前に引き留めているのは、彼女がいるからだ。

 私は自分の書いた5だか6だかわからない文字を消しゴムでこする。勢いあまって弾かれたそれは転がって行き、彼女のノートの上で止まった。

 恵理は口元に少しだけ笑顔を浮かばせて、その消しゴムを私の手のひらに収めた。その時、離れていく指先が私の手のひらに線を一本だけ描く。

 枝を離れた葉のように穏やかに元のノートの上へ流れていくその手を、私はしばらく眺めていた。

 私は勉強は好きではないけれど、恵理の手は好きだ。

 彼女がペンケースに伸ばすとき、教科書をめくるとき、考えをまとめるように指を合わせるとき。彼女の向かいに座っていると、その手が時折私の目に入る。すると私はなんだかくすぐったくなるのだ。手のひらに「の」の字を何度も何度も繰り返し書かれているようなこそばゆさに襲われる。だから、私は彼女と勉強する時間が好きだ。

 恵理の手は真っ白だ。でも病気っぽい色じゃない。余計な色を全く入れていないという意味の、白。肌色と、桃色と、白の絵の具を混ぜたってきっとあの色は作れない。彼女の半分透き通っているような肌の奥には、たぶん「無垢」っていうのが隠されているんだと思う。

 私はいつも彼女の手の形を見ると鳥の羽を思い出す。なんだか幼げで、見た目は工芸品のように滑らかだけど、それって本当に使えるの、って感じる。だけど鳥が空に飛び立って、どんどん離れていくのを見ると本当に使える物だったんだ、って申し訳なくなるんだ。私は恵理の指がミニトマトを摘まむ時とか、ボールペンの頭をノックする時とか、私のことを指差す時とかにそう思うのだ。

 もし、恵理の手が私についていたら、私は色んなことができるようになる気がする。料理も、裁縫も、勉強もだ。きっと私がぼーっとしている時も、野菜を綺麗に切って、緩んだボタンを付け直して、落書きだらけのノートを教科書みたいにしてくれるんだ。

「どうしたの由羽、ぼーっとして。手が止まってるよー」

 彼女は私の視線が宙に定まっているのを見て、手を振った。そうか、あの手はそんな使い方もできるんだ。私はテストに出ないことを一つ学んでしまった。

「うん、私の手はあんまり出来がよくないみたい」

 恵理は「なぁにそれ」とくすりと笑ってから私のノートを持ち上げた。どうやらわからない問題があると思ったみたいだ。

 彼女の解説を聞きながら、私はノートの上をあちこち駆け回る手を見て、やっぱり彼女の手は恵理が持っている時が一番活躍しそうだと考えていた。

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