1.2
◇◇◇
牧田恵理に惹かれない者は、とんだ偏屈者か美的センスを排水溝に落としたやつだけだ。彼女を知る者は皆、口を揃えてそう言った。
思わず視線の先に置きたくなる、そういうモノを彼女は確かに持っている。
絶世の美人だとか、深窓の令嬢だとか、そういう一線を画した美しさでは「ない」というのが恵理の魅力の不思議なところで、彼女の持っている美しさというのは、とてもバランスが整っているものなのだ。
美人具合で言ったら、最近読モに誘われたとかいう隣のクラスの吉水さんの方が間違いなく綺麗だし、スタイルで言ったって恵理の胸はそんなに大きくない。足の長さだって私とどっこいどっこいだ。
けれど、彼女の美しさというのはサイコロの形のようにどの面も均一でバランスが良いんだ。笑うとできる小さなえくぼとか、スカートの裾から出た太ももと太ももの間隔とか、桃色の爪の丸さとか。何か一つが飛び出てるわけじゃなくて、転がせばいっつも違う面が出るような、魅力のバランスが整っている。だからみんな鼻に付くわけでもなく彼女が好きなんだ。……と、たぶんみんな考えている。
それは私だって例外ではない。こうやって遠巻きにぼんやりと、彼女の動きを目で追っている。
彼女を囲む輪の会話が落ち着くまでなんとなしに待ちわびている私はというと、これもまたある意味綺麗にバランスが整っている人間だ。自分はバランスよく、微妙。彼女が毎回違う魅力で人を驚かせるサイコロなら、私は全部の面が2だけのサイコロだ。なんの面白味もない微妙な整い方。
でも悲観しているわけじゃない。そりゃ見た目が良いに越したことはないんだろうけれど、それで何もかもが上手くいくわけでもないこともわかっている。私は、容姿に恵まれて多くの人に囲まれている恵理の、彼女なりの悩みも知っているのだから。
他のクラスのホームルームも終わったのだろうか、一人二人とまた彼女の周りに加わったのを見て、今日もまた長くなりそうだなぁと考えて本でも取り出そうとした頃合いだった。ちょうど私と目が合った彼女がしびれを切らしたように立ち上がる。
「ご、ごめん……! その、今日用事があって……先帰るねっ」
そう言って半ば逃げ出すように輪の中心から飛び出した彼女は、通りすがりに私の手首を掴んで、そのまま教室から脱出を果たした。
「いいの? 他の子達置いてっちゃって」
「いい。……かどうかはわからないけど、でもあのままだと何時間もかかりそうだったし……」
彼女はもどかし気に髪を梳いた。私はその流れを追いながら足を速める。
「そういえば用事があるとか言ってたっけ。なんかあるの?」
「由羽と帰るのが用事でしょ」
「……それって用事なの?」
「私にとっては大事な用事。……でもさすがに強引過ぎだった? 明日謝った方がいいかなぁ」
「んー、別にいいんじゃない?」
赤信号を前にそわそわと学校を振り返る恵理に、私は特に深く考えもせず答えた。どうせ彼女たちのことだから、明日も変わらず恵理の元にたかっていることだろう。
「だってさ、途中から話しかけて来たあの黄色のヘアゴムの……えっと……えっと、だれだっけ」
「いや知らないって……」
「そう! 私も知らないの! 今日初めて話すのにずっと友達でした、って感じで話してくるんだよ? 私もう怖くって怖くって……」
「あー、そりゃ……」
「由羽も助けてくれないしさー。ほんとやんなっちゃうよ」
「……普通に楽しく会話してるんだと思ったの」
「そんなわけないでしょ。私のことちゃんと知ってるクセに。きっと困ってる私を見て笑ってたんだー。由羽のイジワル」
ヘソを曲げてしまった彼女の様子は、それなりの後悔とちょっとの優越感を私の中へ注ぎ込んだ。確かに彼女の性格ならあの状態を楽しんではいなかったのだろう。
恵理は確かに外見が良く人並み以上に愛されたが、それでも彼女は内面の方で人並みに悩みを抱えていた。彼女はかなりの人見知りなのだ。
そうと知ったのは去年の春。高校に入学したての頃だった。彼女は周囲の人とうまくやっているように見えたが、それでも自分から話しに行くことは滅多になかった。初めは席が近かった縁でぽつぽつと話す程度だったのだが、たまたま好きなマイナー映画が同じだったという共通点が見つかってからはよく話すようになった。
彼女はしばらくして人見知りだということを私に打ち明けてくれた。周囲の人が良くしてくれるのは嬉しいけれど、なかなか打ち解けられないということも。
それを聞いてからというもの、どちらからというわけでもなく私たちはいつも一緒に過ごすようになっていた。休み時間も放課後も、映画を観に行く時も。お互いにお互いの隣を少しずつ過ごしやすい定位置にしていった。
それぞれのお決まりの位置が自分の部屋のように過ごしやすくなっていた頃には三学期が終わっていた。その頃には彼女も人見知りで困ることも少なくなっていたのだが、新しい学年になりクラス替えがあったことで最近また少しぶり返したようだった。
「あーあ、なんでみんな私に話しかけてくるんだろう」
「そりゃ可愛いからじゃない?」
「可愛いからっていいことなんかないよ。私鏡見て可愛いと思ったことないし」
「うわぁ、それめっちゃ敵作りそうなセリフ」
「いっそ敵対してくれた方が気が楽かも。みんなは仲良くしようって気持ちで話しかけてくれてるから適当にもできないんだし」
「そこで仲良くしない、ってきっぱり割り切れないのが恵理の優しすぎるトコだよね」
「もっときっぱり断った方がいいのかなぁ。私、由羽としか仲良くしません! って」
「それは私に槍の雨が降るからやめて……」
そんなことになったら私は、無垢な少女を誑かしてるいけ好かないやつみたいに疎まれるだけだろう。はたまたお姫様を攫う悪漢か。きっと彼女の護衛の輪が固くなるだけだ。
「どうせ守ってもらうなら私由羽がいいよ。……王子、恵理姫を守って!」
「そんなロマンチックより、ドロドログチャグチャな映画が好きなくせに」
「まぁね。私を巡って争う時は血しぶきブシャブシャでお願いね!」
「可愛い顔してこのー!」
二人して鞄をぶつけ合ってきゃあきゃあ騒ぎながら街路を駆ける。時折何事かと道行く人が目を向けた。私たちはお互いに指を唇に当てて、笑いながら声を潜めた。
「……でもさ、恵理は私とは普通に話せるんだから、他の人とも話そうと思えば普通に話せるんじゃない?」
私の言葉が予想外だったように恵理は少し薄い眉を上げて、しばし答えを躊躇った。彼女は私の顔を斜め下から覗き込んで、様子を窺うような顔を見せた。
「由羽は私とばっかり一緒にいるのはイヤだった……?」
「そんなことは全然ないし、むしろ誰にも譲りたくねぇ、って感じだけどさ、移動教室とかだと一緒になれない時もあるじゃん」
彼女はまた悩まし気に唸ると、でも、とか、だって、とかいくつか小声で呟いてから言葉にまとめた。
「うーん、なんかさ、よく私の近くに来る人は目が良くないのかな、って感じるんだよ」
私がよくわからないままに聞き返すと、彼女は自分の目を指差してわかりやすくぐるぐると目玉を回した。
「こう話してても私の顔とか、動きとか、表面だけをじーっと追ってるの。見てる本人は気付かれてないと思ってるんだろうけど、やっぱりそういうのわかっちゃうから。なんだかカメラのレンズに追っかけられてるみたいで、ちょっと、怖い。声が出なくなる」
彼女の声は冗談めいたものだったが、その中の半分は切実なものだった。なんとなく私は恵理の顔を目で追うのが怖くなって視線を下ろした。私たちの足は歩きなれた道を意識もせず進んで行く。傾きかけた太陽は革靴の皺をだんだんと柔らかい色に染めていっていた。
私が遠慮しているのを感じ取ったのか、彼女は私との距離を一歩近づけて、真横を歩いた。歩幅も歩調も同じにして。彼女の肩は私の肩よりほんの少し低い。
「でも由羽は違うでしょ? こう、私の表面じゃなくて目の奥とか、頭の中とか見ながら話してくれてる。だからちゃんと話が通じるんだなぁ、って私はたまに思うのでした」
一人で完結させた彼女は、自分の言ったことに照れくささを感じたように私の肩を何度も頭で小突いた。私は褒められているらしいことはわかったけれど、その濁りのない信頼には嬉しさよりも先に何か後ろめたい気もしていた。
「……恵理は私を買い被りすぎだよ。私だって恵理のこと、見た目で判断してるのかもよ? たまに私も恵理の顔見て可愛いなぁ、って感じるし」
気付かれないように横目で彼女の顔を見る。新品の絵の具パレットのように艶やかな恵理の頬は、肌色と、桃色と、橙色の中間の色をしていた。そこにえくぼができて、彼女も私を見ているのに気付いた。
「そうだね。たまーに私の顔ばっか見てる。でももし外見を見ていたとしたって、それは内面を見てくれてないことにはならないでしょ? 由羽は私自身も見てくれてるじゃん、でしょ? じゃなきゃ私落ち込んじゃう」
「まぁ、恵理は落ち込んだら長いもんね。気を付ける」
そうは簡単に言いながらも、私は半信半疑だった。どうだろ、私が内面もちゃんと見ているかどうかなんて自分自身だってわからないんだ。恵理はたまに考えるのが難しいようなことを言う。私たちはいつも二人でそれについて考えるのだ。人類が生まれた意味、とか、テクノロジーと人間の付き合い方、とか。
今日はその議題について話し合うのかと思ったが、彼女は全部忘れてしまったようにすっきりとした表情で夕空を見上げた。
「なーんかさ、大事件が起きて人間がみーんな絶滅しちゃわないかなぁ」
そんな大それた冗談を彼女が言うのも私といる時だけだ。力を込めて蹴りだされた石ころは、すぐに道の横の溝にはまった。理由を聞くと恵理は口をすぼませた。
「どうして? そんな今がイヤ?」
「だってまた明日も色んな人に声かけられるの面倒だもん」
「じゃあそうなったらお別れだね。私も死んじゃうじゃん」
「それは……困るか。えーと、そしたら二人で生き延びようよ。ほら、今度の映画を参考にしてさ」
彼女は俄然楽しそうに笑って鞄を肩からずり落とした。彼女の顔がまた少し近づく。今度の週末、新しく公開する映画を二人で見に行くのだ。彼女はそれにかなり期待している。
私もすぐにその話題に乗った。確かに映画自体も期待しているが、それよりも私は二人で感想を言いあうのが楽しみだった。
それから私たちは二人で、日が暮れるまで次の休みの世界滅亡について期待を膨らませていった。
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