第62話 チャンス(きっと、最後の)

 俺のゴールから五組は調子を上げていき、試合は、一進一退の攻防が続く。互いに守って攻めてを繰り返し、しかし、なかなか追加の一点をもぎ取れないような状態だった。


 段々と全員の体力が失われていき、そして、それに反比例するように、応援は熱を増していく。


 その熱にやられて、頭は段々、通常の思考を忘れ、より動物的なものになっていった。クラブチームとか、元サッカー部とか、ド素人とか、関係ない。本気と本気が、ただぶつかり合う場所。


 角田が相手のパスをカットする。そのボールを赤坂が受け取るが、女川がそれを颯爽と奪う。しかし、その進路には落合と名取が待っていて、進むことが出来ない。


 女川が色麻へパスをするのを読んでいた俺は、そのボールを奪って前へ走り出す。しかし、すぐに相手チームのカバーがやって来て、また足を止められてしまう。そのうちに二人が息を荒らげながら戻ってきて、更に攻めるのが難しくなっていく。


 長く、苦しい時間だった。


「前半終了です!」


 永遠に続くかに思われた戦いは、突然のホイッスルによって中断される。その音を聞いて、俺は時計を見る余裕さえ失っている自分に気がついた。本当は時間もちゃんとチェックしなきゃいけないのに、これは失態だ。


 とはいえ、スコアは未だ1―1。本当を言うなら最初のゴールの勢いで勝ってしまいたかったが、そもそもの実力差を考えれば、負けていないだけ大戦果である。


 グラウンドの隅に置いていたスポーツドリンクを飲む。独特の味わいが、妙に美味しく感じられた。


「あー、疲れた……」


 言いながら、名取が薄く笑う。


「疲れたよな」


「それなー」


「めっちゃ体力使ったわ」


 すると、名取に続いて皆が口々に「疲れた」と言い出した。確かに、二人を止めるのに俺たちはかなりグラウンドを駆け回った。体力が消費するのも当然だろう。果たして、後半は大丈夫だろうか。


「でも、まだいけるよな?」


 そう思っていると、赤坂がそんなことを言い出す。すると、皆が互いの顔を見ながら、ニヤリと笑った。


「「「当然!」」」


 俺が驚いていると、落合がやや遅れて、ぽつりと溢す。


「……ま、一番動いてる奴がまだいけるって顔してんのに、バテられなねぇよな」


 落合は俺の汗まみれの肩に、ぽんと手を置く。


 ……俺、そんな顔してたのかな。というか、俺が一番動いてるのか? 無我夢中すぎて、試合で自分が何をしていたのか、記憶が定かじゃない。


「あ、あのっ!」


 すると、休憩をしている俺たちのところに小夜ちゃんがやってきた。後ろには、クラスの女子たちも付いている。


 普段と違ってポニーテールにしている小夜ちゃんのチアガール姿は、本職と見間違える程に似合っていた。


「あ、三条さん! 応援ありがとう!」


 柴田が小夜ちゃんへ真っ先に声をかける。それから皆も、次々と女子たちへ感謝を述べる。


「本当に、ありがとう」


 流れの中で俺がそう言うと、女子のうちの一人がぐいっと身を乗り出してくる。……確か、シオリって娘だったはず。


「あのシュート、めっちゃ格好良かったよね! あの時、小夜と抱き合って喜んじゃったもん!」


「あはは……」


 褒められてないせいで、やっぱりどう反応したら良いか分からず、俺は微妙な笑い方をする。


 そしてそれから、一つのことに気付いた。


「……小夜?」


 俺が思わず首を傾げると、シオリさんも首を傾げる。


「え、あ、いや。なんか、三条さんって呼ばれてるイメージがあったから……」


 俺がしどろもどろになりながら言うと、シオリさんは小夜ちゃんと肩を組む。


「私チアガールなんだけどさ。ポンポンの作り方教えてーとか、衣装を借りられないか―とか、相談受けてるうちに、仲良くなっちゃった」


 シオリさんは「ねー」と小夜ちゃんへ笑いかける。それを受けて小夜ちゃんは、照れたように笑う。それは、完璧な三条小夜というよりは、俺が知っている小夜ちゃんの笑い方だった。


「小夜って、クールな優等生に見えて、結構熱いよね! 『絶対サッカーは決勝行くから、サプライズで盛大に応援しよう!』なんてさ」


「そうそう。めっちゃクラスのこと考えてくれてたよね」


「準備とか色々してもらって、本当に助かったよ」


 すると、他の女子も、ちょっとからかうような調子で小夜ちゃんのことを褒める。


「も、もー、止めてよ」


 小夜ちゃんはとうとう顔を赤らめて、女子たちがこれ以上話すのを止めさせようとする。


 俺はそんな仲の良さそうな彼女たちへ、色々な意味を込めて、言葉を贈る。


「本当に、ありがとう。皆のおかげで、シュートが決められた」


 これは、絶対にお世辞などではない、俺の本心だった。


「当然ですよね! 私がわざわざこんな横断幕まで作ったのに活躍出来なかったらおかしいですよ!」


 すると、横から宮町と栗原が横から出てくる。宮町は自信満々といった様子で、鼻息も荒い。


 昼の時におかしな様子だったのは、俺へ横断幕のことを隠す為だったらしかった。いつもの調子で笑う宮町を見て、俺は酷く安心する。


「宮町も、ありがとうな。あの絵、めちゃくちゃ格好良かった」


「それも、当然です。だってあれは、私が見た先輩の……皆さんの姿で。世界中探しても、私にしか描けない絵なんですから」


 本当に当たり前のことを言うような、淡々とした口調だった。でも、宮町のその表情には、確かな力強さがある。


 野暮だから、決して口には出さないけれど。宮町は、もう既に一歩を踏み出して、変わり始めているんだ。決して虚勢ではなく胸を張るその姿を見て、俺はそのことを強く感じた。


「選手の人、集まってください!」


 そして、短い休憩が終わる。

 俺たちはまた、グラウンドへとゆっくり歩いていく。


「頑張れ!」


 小夜ちゃんが何の心配も無いような明るい表情でそう言うので、俺は思わず笑ってしまった。


「……勝ってくる!」






 そして、後半が始まった。


 再び、一進一退の攻防が続く。明らかに実力は色麻と女川が上だったが、俺たちにはそれを補って余りある勢いのようなものが存在していた。


 球技大会という状況が生み出した、意味不明なエネルギー。疲れているはずなのに、身体は勝手に動いてくれた。


「はぁ、はぁ……!」


 息が上がって、肺が痛む。太腿の筋肉が悲鳴をあげている。


 名取がボールを奪う。そしてそれを色麻が奪い返す。落合と俺が二人がかりで何とか色麻を止めようとするが、抜かれてしまう。


 もうシュートを打たれるというところで、赤坂がスライディングをしてボールをクリアする。俺は相手のスローインを上手く奪って、ドリブルで敵を抜いていく。しかし、自陣に戻っていた女川に止められてしまった。そして、また相手がカウンターを決めようと……。


 何度も、何度も。

 繰り返して繰り返して繰り返して。

 クラスTシャツも手も土で汚れていた。額の汗を拭いながら、きっと顔すらも汚れているんだろうな、と思う。


 周りを見ると、うちのチームも相手のチームも、かなり疲弊しているようだった。……色麻と女川を除いては。


 これは、俺がかなり恐れていた事態だった。実力差を埋めるために、俺たちは相手よりかなり無理をして動いている。だから、後半になるにつれてこっちが疲れてくるのは当然だ。


 それに対し、球技大会よりもずっと大きなグラウンドや長い試合に慣れている色麻と女川は、終盤になった今でもまだ体力に余裕がありそうに見えた。


 そして、次第に試合は三組有利に傾いていった。


 体力が無くなり、なかなか相手にプレッシャーをかけられずにいる俺たちは、ゴール前でひたすら色麻と女川の攻撃を防御し続ける。

本当に気迫で持っているといった感じで、とても苦しい時間が長く続いた。


 白石が左サイドにクリアしたボールが、スローインされる。女川はそのボールを受け取り、再びゴールを目指し走ってきた。俺はクロスを警戒して色麻をマークする。


「女川!」


 色麻はそんな俺のマークを振り切ろうと、全速力で走り前線を上げる。俺はそれに追いつこうと足に力を入れた。


 つもりだった。


「うおっ……!?」


 酷使していた太腿に、力が入らなくなる。ガクンと体勢を崩して、走り出しが遅れてしまった。


 不味い。


 もう、試合時間が終わりそうだ。ここでゴールを決められたら、逆転はきっと不可能だろう。


 しかし、とてもじゃないが、転びかけた状態で、色麻へ追いつけるはずもない。


 女川が、ボールを蹴る。そのパスは美しい軌道を描いて、色麻の足元へと収まった。そして、色麻はほぼフリーでシュートを打とうとする。


「ふっ!」


 その瞬間、角田が色麻の目の前に滑り込んでくる。色麻が放ったシュートが角田のつま先に当たって、微妙にコースが変わった。


 キーパーの柴田が、ゴール前でボールへ飛び込む。コースが変わり、ボールの勢いがやや弱まったおかげか、柴田の手にボールが当たった。跳ねたボールはゴールポストにぶつかり、左サイドの方へ行ってしまう。


 誰よりも早く動き出し、そのボールを取ったのは名取だった。名取はすぐさまこちらへ視線を送ってくる。


 ……これが、ラストチャンスだ!


「カウンター!」


 俺が叫ぶと、名取と赤坂が動き出す。すると、女川が名取の方へプレッシャーを掛けてきた。それを見て名取は逆サイドに居た俺にパスをする。相手チームはかなり左に集まっていたので、俺の前にはディフェンダーが一人くらいしか人が居なかった。つまり、ほぼフリーである。


 阿吽の呼吸で赤坂が同時に上がってくる。何度も練習した、二人で攻撃をしていく形。パスをした名取は後方に居る女川を必死にマークして足止めをしてくれている。


「千尋ちゃん!」


 そして、赤坂が戻ってきつつあるディフェンダーを避けながら右手を上げる。位置取りといい、俺たち二人の動きはまさに完璧だった。


 身体が自然に動いて、俺は丁寧にゴール前へボールを蹴ろうとする。しかし、後ろから全速力で駆けてきた色麻がそのボールに反応した。こちらへ向かってきた勢いそのままに、色麻はスライディングでボールを奪おうとしてきたのだ。


 色麻のスライディングで体勢を崩しながらも、俺はボールを蹴り、ゴール前の赤坂へと目配せをする。


「シュートいける!」


「おう!」


 赤坂はそう返事をして、俺が蹴ったボールに向かっていく。体制を崩したせいでボールは俺が想定していたよりもゴールから離れてしまった。赤坂は必死に走って、そのままシュートの体勢を作る。


 キーパーは姿勢を低くして、赤坂のシュートへ飛び込む構えをした。


 瞬間、俺は世界がスローモーションに見えた。観客の声がやけに遠く聞こえる。


 俺のパスは、お世辞にも良いパスではなかった。体勢が崩れていたし、身体もガタガタだったから、当然だ。そして赤坂もまた、酷く疲弊していたのだろう。アイツが頑張ってきたのを、俺たちは知っている。


 だから、責められない。

 責められるはずもない。


 試合終了直前、最後のチャンス。


 ゴール前に転がったボールを追いかけた赤坂のシュートは。


 虚しくも、空振りに終わってしまった。

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