第58話 勝つ!(カツ!)

 赤坂と宮町に、自分の思いを伝えてから、俺は益々、必死に練習をした。そして皆、俺の努力に着いてきてくれた。


 日本中探しても、たかが球技大会にここまで本気になる奴らなんて居ないだろう、というくらい、俺たちは真剣だったのだ。


「今日で、最後か」


 そして、今日。球技大会の前日に、俺たちは最後の練習に臨む。


「今日無理して怪我したら洒落になんねぇし、軽く体を動かす感じで良いよな?」


 赤坂がそう提案すると、全員が頷く。


「それじゃあ、パス練習とか、基礎の方をもう一回やるか」


 俺はそう付け足して、ボールを用意する。公園に広がっていく皆の背中を見て「あぁ、最後なんだな」と思った。


 ボールを軽く蹴る。そのボールは、緩やかに落合のもとへと届いた。


「何か……色々あったよな」


 すると、赤坂がボールを目で追いながら、殆ど無意識といった様子で呟く。


「あったなぁ」


「こんな本気でサッカーするなんて、思わなかったわ。マジで」


 白石と柴田が愉快そうに目を細める。


「それを言ったら多分、俺が一番サッカーやるなんて思ってなかった」


 落合がわざとらしく大きなため息をつく。でも、その口元は緩んでいた。


「まぁでも、ここまで来たら、優勝してぇよな」


「当然、優勝だろ!」


 名取の言葉に、角田がキメ顔で返事をする。


 こういう、皆の様子を見ているだけで、俺の胸は温かくなった。


 球技大会の種目決めをしていた、あの時。

 勇気を出して「サッカー」と言えて、本当に良かった。当然、沢山の人に助けてもらったから、今がある。でも、俺が自分から行動して、皆に「助けて」と言わなかったら、俺はそもそも人から助けてもらう機会すら失っていたのだ。


「明日……絶対、勝とう」


 俺も場の流れに乗って、自分の素直な気持ちを口にする。


 皆は俺の言葉を聞いて、優しく笑ってくれた。






 しばらく練習をして、俺たちは早めに解散した。終始、和やかな雰囲気だった。

 このチームワークがあれば、クラブチームの奴らにだって、勝てるかもしれない。そんな期待が、胸の奥からふつふつと湧いてくる。


 俺は軽い足取りで、公園から家へと向かう。


「……はは」


 この帰り道を、こんなに楽しい気持ちで歩くなんて、中学の頃の俺に言っても信じてくれないだろうな。


 ……俺は、あの頃。

 一緒に頑張る人が、欲しかった。

 一緒に居てくれる人が、欲しかった。

 応援してくれる人が、欲しかった。


 俺はずっと欲していたそれらを手にしてもなお、優勝という、大きなものを求めている。


 随分、贅沢になったものだと思う。

 でも、多分、贅沢で良いんだ。


 本当は欲しいのに要らないと言い続けて、自分で自分を苦しめるくらいなら、多少贅沢な方が、ずっと良い。


「ただいま」


 家の扉を開けると、見覚えのある靴が置いてあった。クリーム色の可愛らしい靴。何度かここに置かれているのを見たせいで、すっかり覚えてしまった。


 しかし、何故今小夜ちゃんがウチに居るのだろうか。

 時刻は六時過ぎで、もうすぐ夕飯の時間だ。前みたいに母さんに誘われたとしても、帰っているんじゃないだろうか。


「おかえりなさい」


 リビングの扉を開けると、母さんがキッチンに立っていた。どうやら今日は帰りが早かったらしく、エプロンをつけて料理をしている。


 俺は恐らく小夜ちゃんがリビングに座っているのではないかと思っていたのだが、そんなことは無かった。どういうことかと首を傾げていると、キッチンの奥からひょっこりと顔が出てくる。


「おかえり」


 そこに居たのは、母さんから借りたであろうエプロンをした小夜ちゃんだった。菜箸を持っているのを見る限り、小夜ちゃんはウチで料理をしていたらしい。

リビングに足を踏み入れると、俺の推測を裏付けるように、揚げ物の香ばしい匂いがしてくる。


「小夜ちゃんから聞いたわよ」


 取り敢えず鞄をソファに置いていると、母さんが楽しそうに声をかけてきた。


「聞いたって、何を?」


「明日、球技大会でサッカーやるんでしょ?」


「え」


 俺は思わず、小夜ちゃんの方を見る。


 サッカーをもう一度やることを、俺は母さんへ伝えていなかった。高校生にもなって親に学校行事で何をするとかいちいち伝えるのもおかしな話である。


 ……いや、それは言い訳か。

 俺は単純に、気恥ずかしかったのだ。一度諦めたサッカーを、再びやると知られるのが、むず痒かった。


 だから俺は母さんへ球技大会の存在を隠していたのだが、小夜ちゃん経由であっさりとバレてしまったらしい。


「毎日練習してるんだし、てっきり知ってるんだと思ってて……隠してたなら、ごめんね」


 俺の視線に気付き、小夜ちゃんは申し訳無さそうにこちらを見てきた。


 まぁ、別に怒るほどのことではない。というか、小夜ちゃんが言わなかったら、俺は絶対に母さんへサッカーのことを伝えていなかっただろうから、寧ろありがたいかもしれない。


 とにかく、小夜ちゃんは何も悪いことをしていないのだから、そんな態度をとられるとこちらの方が申し訳ない気持ちになってしまう。


「いや、別に隠してたって訳じゃないんだけど……。あ、それより、何で小夜ちゃんがウチで料理を?」


 俺は話を変えて、ずっと気になっていたことを問いかける。


 すると、母さんと小夜ちゃんは顔を見合わせて笑う。


「私が誘ったのよ。話をしていたら遅くなっちゃったから、良かったらって」


「そうそう。それで、急いで買い物に行ってね……」


 言いながら、小夜ちゃんは自分の手元へ視線を移す。


「あ……」


 思わず、俺は短く声を上げる。小夜ちゃんと母さんが揚げていたのが、トンカツだったからだ。


 試合の前に、ゲン担ぎのカツ。

 どうしても、中学の時の、カツサンド弁当を思い出さずにはいられなかった。


 そうだ。あの時俺は、弁当をどうしたんだっけ。


 死ぬのを止めた後、俺は、母さんに怪しまれないために弁当を消費しなければならなかった。どこかに生ゴミとして捨ててしまうということも考えたが、何の罪もない弁当にそんなことをするのは躊躇われた。


 それで俺は、たった一人、川沿いにあったベンチに座って、カツサンドを口に詰め込んだのだ。

 あのカツサンドは、ちょっとびっくりするくらい美味しくて。そして、美味しければ美味しいほど、惨めな気持ちになった。


「折角やるなら、勝つ方が良いでしょ?」


 母さんが俺に声をかけて、それでようやく、俺の意識は今に戻ってきた。母さんは、俺がもう一度サッカーをやることについて、どう思っているんだろう。


「お、大袈裟だなぁ……ただの球技大会に、そんな、ゲン担ぎなんてしてさ」


 優しげな母さんの視線から逃げるように、俺は目を逸らす。しかし、横目ではしっかりと、母さんと小夜ちゃんが並んでいる、幸せな光景を見ていた。


「でも、千尋には、ただの球技大会じゃないんでしょ? じゃなきゃ、もう一回サッカーをしようなんて、言わないわよね?」


 母さんの言葉にぽかんとしていると、小夜ちゃんがくすりと笑う。


「……お母さんには、全部お見通しみたいだけど」


「えっと、まぁ、その……ありがとう」


 何というか、やっぱり、親っていうのは思っている以上に子どものことを見ているんだなって、そう思った。


 上手に隠したつもりでも、仮に、問題を隠すことができたとしても。親っていうのは、気持ちとか態度の変化とかで、なんとなく察してしまうものなのだろう。


 それから俺たちは、トンカツを食べた。


 揚げたてのカツは衣がさっくりと軽く、噛むと肉の繊維一つ一つから旨味が滲み出てくる。

 美味しいけど、美味しいだけじゃなかった。


 小夜ちゃんと母さんが、明日の球技大会のために、作ったカツ。


 それを食べられていることが、俺はたまらなく嬉しかった。






 夕飯を食べてしばらくした後、俺は、小夜ちゃんを家の近くまで送ることにした。高校生にもなって夜道が危ないなんて思わないけれど、純粋に、もう少し小夜ちゃんと一緒に居たかったのだ。


 多分、一人で明日のことを考えるより、ずっと勇気が湧いてくる。


「とうとう、明日だね」


 小夜ちゃんが、こちらに目を向ける。街灯に照らされた彼女は、まるでスポットライトが当たっているかのように美しかった。


「うん。明日だ」


 寝て、起きて。学校に行ったら、すぐ一回戦である。

 練習期間はそう長くなかったはずなのに、球技大会まで、随分色々なことがあった気がする。


 というか、小夜ちゃんが転校してきてからまだ半年も経っていないというのが驚きだ。去年なんて、入学したかと思ったらもう大晦日が来るような心持ちだったのに。


「バレーボールの予選と被らなければ、全試合見れたのになぁ」


 小夜ちゃんは眉を八の字にして、唇を尖らせる。球技大会は一日で行われるので、同じクラスでも予選の時刻が被るのはままあることだ。


「決勝しか見れないなんて、残念」


 小夜ちゃんはそう続けて、街灯を見上げる。


「決勝を見ることは、確定なんだ」


 小夜ちゃんが当たり前のように「決勝しか」と言ったので、俺は思わず笑ってしまった。


「だって、勝つでしょ? 大丈夫。負けたって、慰めたげるから。だから『絶対勝てる』ってくらいの気持ちで、良いと思う」


 小夜ちゃんの言うことは矛盾していた。

 『勝つでしょ?』と言いながら『負けたって慰めたげる』と言う。でも、小夜ちゃんの気持ちは何となく分かった。


「ああ。絶対に勝てるように、頑張る」


 俺はきっぱりとそう宣言した。


「私も、頑張ろ」


 小夜ちゃんは前を向いて、口角を上げた。


「バレーボールも見たかったなぁ」


 俺がサッカーをやるように、小夜ちゃんもバレーボールの練習を何回かクラスの女子とやっているようだった。

 なんでも卒なくこなす小夜ちゃんだから、きっと明日も活躍するのだろう。


「それも、そうだけど。応援も頑張るよ」


 小夜ちゃんは両手でガッツポーズをして、鼻息を荒くする。そうやって彼女が俺たちを応援しようとしていくれているという事実だけで、俺は今にも駆け出してしまいそうなほど力が湧いてくる。


「ありがとう」


 素直に告げると、小夜ちゃんは「ううん」と首を横に振る。


「私がやりたくてやってるんだから。……なんかね。最近、分かってきた気がするんだ。きっと、私がずっと求めてたのは、白馬の王子様じゃなくて、ただ、隣で、同じ目線で頑張っている人なんだって」


 白馬の王子様、という言葉に俺は面食らった。


 でも、小夜ちゃんの言わんとしていることは理解できる。小夜ちゃんがずっと思い描いていた「ちーくん」は、あまりも完璧で、現実離れしている。それは正に、白馬の王子様のようなものだ。


 仮に、全部が上手くいっていたら、どうなっただろうか。完璧な「ちーくん」と完璧な「小夜ちゃん」が出会った時、俺たちは今のように、心を通わせることが出来ただろうか。


「そんな風に言われると、めちゃくちゃ嬉しいな」


 きっと、こうやって俺と小夜ちゃんが今一緒に歩いているのは、互いに何とか歩み寄った結果だ。それを思えば、俺や小夜ちゃんがずっと悩みを抱えていたことも、決して無意味では無いのだと思う。

 ……まぁ、そう思いたいだけかもしれないけれど。


 いや、違うか。


 俺は明日、今までを無駄にしないために、勝つんだ。勝って、小夜ちゃんに告白するんだ。


「……明日は、頑張るぞ!」


 ガラじゃないのを分かっていながら、俺はちょっと大きめの声で改めて決意表明をする。


「うん。頑張るぞー!」


 小夜ちゃんは拳を上げて、にこりと笑う。


 いつも通る夜道が、不思議に明るい気がした。

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