第57話 完璧(きっと、そうじゃない)

 告白を断るのは、人生で初めてだった。


 告白されて、断って。そうやって、俺は益々、赤坂や小夜ちゃんや、宮町の偉大さを思い知った。

 人の真剣な思いを断るということが、どれだけ難しくて、苦しいことなのか。断られる方は勿論のこと、断る方だって、辛いのだ。言葉にしただけでは伝わらないような、そういう種類の辛さがそこにはあった。


「まぁ、そう言われると思ってましたけどね」


 宮町はそう言って、苦笑した。その表情や口調は、いつも通りの緩い調子に戻っていて、それがかえって痛々しく感じる。


 かけてやる言葉が見つからず、というか、言葉をかけるべきなのかすら判断がつかず、俺は黙り込んだ。


「……先輩」


 震えた声で呼ばれたので、俺は顔を上げる。


「私、変われると、思いますか?」


 すると宮町は、曖昧に笑ったまま、こんなことを言い出した。


「……?」


 宮町のどこに変わるべき部分があるのか、俺には分からなかった。宮町は多彩で、コミュ力があって、美人で……ちょっと変なヤツだけど、俺のように、変わらなきゃいけないなんてこと、無いんじゃないだろうか。


「先輩にちゃんと告白できたら、何か変わるかなぁって、そう思ったんですけど。結局、ただ告白失敗ってだけで、何も、変わらないですね。あはは……」


 力の無い笑い方をして、宮町は、寂しそうな目をする。その目は明らかに俺が何かを言うのを求めていた。


 宮町は、変わりたかったんだ。


 何かを変えたくて、そして、断られることを分かっていて、俺に告白してきたんだ。変わるために、挑戦をしたんだ。


「……そもそも、一回失敗した時点で、何かに挑んでいるという点では成長してる」


 その言葉は、自分でも驚くくらいすんなりと口をついて出た。


「へ?」


「俺は、そう、教わった。だから多分、宮町はもう、一歩踏み出してて。変わってるんだ。自分が気付いてないだけで。……いや、告白断ったやつが何言ってんだって話だけど」


 話してるうちに不安になって、声が小さくなってしまった。断っておいて慰めるなんて、おかしな話だよな……。


「それ、誰の受け売りですか?」


 すると、宮町は半目でこちらを睨んでくる。ちょっと冗談っぽい表情。


「え、それは……」


「別に言わなくて良いですよ。きっと、私にとって面白くない返答でしょうから。変な話をしてすいません。それじゃあ……」


 宮町は俺の言葉を遮り、そして、踵を返してその場を去ろうとする。


「変な話じゃ、ないだろ」


 俺はその背中に、思わず、声をかけてしまった。

 変わりたいと思って頑張るその姿が、どうしても他人事とは思えなくて、どうしても口出ししたくなってしまったのだ。


「……」


 宮町は振り返らず、ただその場で足を止める。


「宮町がどうして変わりたいって思ってるのかは、分からないけど。でも、自分を変えたくて一歩踏み出す気持ちは、すごく分かる。だから……同じ悩みを持っている者として、一言だけ、言わせてくれ」


 俺は宮町の小さな背中を見ていた。いつも自信満々で明るいから気が付かなかったけれど、こうして見てみると、宮町だって普通の小柄な女の子なんだなぁ、ということが分かる。


「宮町は、変われるよ。変われないなんて、そんなことは絶対無い」


 変わりたいけれど、変われない。それは俺がずっと、考えていたことだった。自分の心に嘘をついて、諦めて。そして俺はずっと、酷い後悔に苛まれてきたのだ。

 だから俺は、この話を変な話として終わらせることは出来なかった。


「……あはっ」


 すると、突然、宮町が吹き出す。真剣な話をしていたつもりなのに、笑われてしまった。まぁ、確かに傍から見たら笑ってしまうほどクサイ台詞を言ってしまったかもしれない。


「あははははは!」


 とはいえ、そこまで爆笑しなくても……。しかも、さっきからずっと俺から背を向けたまま。

 しかし、宮町の背中をずっと見ていたら、ただ笑っているのではないということに気付いた。


 すると、宮町が振り返る。

 彼女は、笑いながら、涙を流していた。


「どうして……『気持ちは分かる』なんて、『変われる』なんて、そんなこと言っちゃうんですか。私がずっと、ずっと欲しかった言葉を、振った後に言っちゃうんですか。そんなのって……無いですよ」


 宮町が泣いているのを見て、俺は、自分の発言が軽率だったことを反省した。告白を断っておいて偉そうに説教するなんて、何様のつもりか、という話だ。


 俺の表情の陰りを見て、宮町は涙を拭いながら、口角を上げる。


「別に、良いんですよ。嬉しかったので。嬉しくて、悲しくて……だから、泣きながら笑ってるんです」


「……そう、なのか?」


「はい。……私、頑張って、変わろうって足掻いてみようと思います。完璧な人間には、きっとなれないけど、それでも、なんとか……」


 完璧。


 その言葉を聞いて、俺は、宮町の独特な理論を思い出していた。完璧はつまらない。完璧でない、駄目であるほど、面白い……。


 宮町は、完璧になりたんだろうか。俺は、完璧になりたいんだろうか。小夜ちゃんがイメージしていた『ちーくん』というのは、正に完璧な人物だった。俺はああいう風になりたくて、今頑張っているのか?


 多分、それは、違う。


「完璧な人間じゃ、ないんじゃないか? 変わるっていうのは、多分……なりたい自分になるってことだと思う」


 そうだ。

 俺は小夜ちゃんが望んでいた『ちーくん』になろうとしているんじゃない。それとはまた違った……成長した自分ってやつに、なってみたいのだ。


 宮町は潤んだ瞳を見開いて、それから、自分の髪を少しだけ弄った後、改めてこちらを向いた。


「球技大会、絶対、勝ってくださいね。それで……私に『人は変われる』って、証明してください」


「……任せろ!」






 宮町と別れた後。俺は、商店街のラーメン屋で塩辛い醤油ラーメンを啜りながら、色々なことを考えていた。


 宮町が何を考えているのか、全ては分からなかったけれど。でも、その心情は、理解できる。


 きっと誰しも、踏み出したいけど踏み出せない一歩というのが存在するのだ。

 俺が赤坂の告白するという決断を尊敬したように、俺が今変わろうとしているこの姿も、誰かに勇気を与えるものなのだろう。


「……頑張るか」


 口の中だけでそう呟いて、俺は気合を入れる。


 店の壁にかけられている日めくりカレンダーをふと見て、もう球技大会が直前に迫っているということを実感する。


 宮町には、本当に沢山助けてもらった。


 正直、絶対に勝てるとは限らない。でも、一つだけ「絶対」を言えるとしたら。

 俺は絶対、後悔のしようもないくらい精一杯試合に臨むということだ。

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