第50話 唐揚げ(世界一)
朝、通学路を歩いていると、トントンと肩を叩かれた。
「?」
振り返ると、そこには白石と角田が立っていた。
「おっはー」
「はよーっす」
砕けた感じの挨拶をしてくる二人。
何だか俺は、ただそれだけのことが凄く嬉しく感じられた。うまく言葉に出来ないが「仲間」って感じがする。
「おはよう!」
挨拶を交わし、世間話をしながら三人で歩いていると、前の方に猫背で歩く落合の姿があった。
「おはよう」
俺は二人の真似をして、落合の肩を叩いてみる。
落合は振り返り、目を丸くした。俺はともかく、白石と角田が居ることが意外だったのだろう。
「お、オッチーじゃん。おはよ」
「おっはー」
そして、二人は落合にも砕けた挨拶をする。
「……おはよう」
落合はむず痒そうに返事をした。しかしその表情は、決して嫌そうではない。
「オッチー、今日の一時限目なんだっけ?」
「数学だろ」
白石の質問に、落合は簡潔に答える。
「あ、俺課題やってねぇわ。落合見せてくれよー」
すると、角田は両手を合わせて落合を拝む。
「嫌だ」
即答だった。
「「えー」」」
声を揃えて残念そうな声を出す白石・角田コンビ。
「二人ともやってないのかよ……」
思わず俺が突っ込むと、少しの沈黙の後、二人が吹き出す。それにつられて、俺も笑ってしまった。
見ると、落合も笑っていた。
やっぱり鼻だけで笑っていたけれど、多分あれは、本気で楽しい時の笑いだと思う。きっと、そうだ。
実は今日、俺は小夜ちゃんにある用事があった。
出来れば朝のうちに声を掛けたいなぁ、と考えながら教室に入ると、小夜ちゃんは自分の席に座って、朝の自習をしていた。
「……うーん」
話しかけづらいな。
とはいえ、人気者の小夜ちゃんが一人で居るのなんて、朝に自習をしている時くらいだ。俺が話しかけるとしたら、今しかない。
周りに人が少ないタイミングを見計らい、俺は小夜ちゃんの席へ歩いていった。
「あ、あの、小夜ちゃん」
「!?」
俺が話しかけると、小夜ちゃんは物凄い勢いでペンを置き、こちらを向く。何だか、おばあちゃんの家で飼っているチワワが駆け寄ってくる様子を思い出した。
「えっと、ちょっと話したくて」
「あ、そうなんだ。教室で話しかけてくるの、珍しいから、ちょっとびっくりした」
ほんのりと顔を赤くして、動揺を誤魔化すようにはにかむ小夜ちゃん。
多分……俺から話しかけられたことを、嬉しいと思ってくれているのだろう。自惚れかもしれないけど。いや、自惚れだなんて言ったら、きっと彼女は怒ってしまうだろう。
俺がわざわざ朝から小夜ちゃんへ話しかけたのは、理由があった。とにかく早く、小夜ちゃんへ栗原の件を話したかったのだ。
信じて待ってくれ、とは言ったが、小夜ちゃんからすれば気にならないはずがない。だから俺は栗原や落合から許可を取って、彼らと俺との間にあった一件を小夜ちゃんへ話すことにしたのである。
「あのさ。この前の、その、女の子のことで、少し話があって。それなりに長い話になるから、時間に余裕がある時を教えて欲しい」
栗原のことを何と表現するか迷って、辿々しい口調になってしまった。誤解のないような表現を探して、勝手に想像の余地を与えるような間を作ってしまった。
「わざとか知らないけど、普通だったら滅茶苦茶疑われるから、その言い方」
小夜ちゃんはちょっと呆れたように溜息を漏らす。
「ごめん……」
「まぁ、別に気をつけなくても良いけど。……結局、私が分かってれば、それで問題ないでしょ」
さらっととんでもないことを言って、手帳を取り出す小夜ちゃん。どうやら予定を確認してくれているようだ。
「えっと、今週は特に予定は無いけど……って、どうしてそんなに顔赤いの?」
「いや、別に……」
なんかさらっと無自覚イケメンムーブをされた気がする。普通にときめいてしまった……。
そんな俺をよそに、小夜ちゃんは予定について考え込む。
「でもよく考えたら、放課後は練習でしょ?」
「あぁ……確かに」
俺は練習を初めて以来、落合の件などの例外を除けば、ほぼ間違いなく放課後は公園に直行している。小夜ちゃんと話をするということは、その練習時間を削ることに他ならないのである。
「じゃあ、お昼にする?」
すると、小夜ちゃんは手帳をパタンと閉じて、視線をこちらに向ける。
「へ?」
「一緒に食べようよ、昼」
昼休み。
俺と小夜ちゃんは、屋上へと続く扉の前で隣り合って座った。
前もって購買で買っておいた菓子パンを取り出し、包装を開ける。今日はチーズ蒸しパン。チーズのコクととろけるような甘みが素晴らしい、お気に入りの品だ。
「前から思ってたけど」
「?」
俺がパンを頬張るのを、小夜ちゃんは微妙な表情で見つめる。食べてるところをそんなに見られると、恥ずかしいんだけど……。
「毎日のようにパン買ってるけど、栄養バランスとか大丈夫なの?」
「あぁ……でも俺、基本的に食が細いからなぁ」
中学の時なんかは、体格を良くしようと無理して山盛りのご飯を食べていた時期もあったが、単に体調を崩しただけという結果に終わった記憶がある。
「食が細くても、野菜とか肉とか、バランス良く食べないと駄目だよ」
「それは確かに」
今度から購買で買うものを見直してみるかなぁ、と考えていると、小夜ちゃんが自分の弁当箱をじっと見つめる。
「……食べる?」
「え?」
意外な提案に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「いらないっていうなら、別に良いけど」
「いや、いらない訳ないって」
「つまり?」
「……ください」
見れば、小夜ちゃんの弁当箱は、一つ一つの料理が芸術品とも言うべき美しさで並べられていた。
「じゃあ……サッカーを頑張ってるちーくんには、唐揚げを贈呈します」
小夜ちゃんが得意げに唐揚げを箸で持ち上げるので、俺は両手を差し出して受け皿を作り、それを恭しく受け取ろうとする。
「ありがたき幸せ」
しかし、いつまで経っても俺の手に唐揚げが置かれることは無かった。
「え? どうして手? 汚れちゃうでしょ」
小夜ちゃんはわざとらしい棒読みでそう言って、これまたわざとらしく、あれー? と首を傾げる。
「いや、箸持ってないし、手だったらティッシュで拭けば良いだけだから……」
「はい、あーん」
俺の手ではなく、口の方へ唐揚げを近づけてくる小夜ちゃん。行動だけ見ると俺が手玉に取られているみたいだが、彼女の表情は、明らかに余裕がある人のそれではなかった。まず、耳まで真っ赤だ。よく見ると、手も震えている。
「……あ、あーん」
再び繰り返す小夜ちゃん。
この状況を喜んでいる自分と、客観視して何をやっているんだと思ってしまう自分がいる。
とはいえ、受け入れない選択肢は無かった。
覚悟を決めて、唐揚げを口に入れる。
「ど、どう……?」
小夜ちゃんは緊張した面持ちでこちらの表情を伺ってきた。
「滅茶苦茶うまい!」
俺は小夜ちゃんへすぐに感想を告げる。冷めているのにジューシーで、味付けも絶妙。特に何か変わったものが入っているとかそういうことではない、小手先では出せない美味しさだ。
料理素人の俺でも、この唐揚げは簡単に作ることが出来ないだろうことが分かった。何というか、味わいに年季が入っている。
「なら、良かった」
「いや、本当にうまい。多分、人生で食べた唐揚げで一番だと思う」
俺は言葉の限りを尽くして小夜ちゃんの唐揚げを褒め讃えた。語彙力も料理の知識も無いから、どうしても手垢に塗れた言葉になってしまうのが残念だが、取り敢えず、勢いは伝わってくれるはず。
「ほ、褒め過ぎじゃない?」
「いや、幾ら褒めても褒めすぎなんてこと無いって」
「……そ、それで? 話があったんでしょ、話!」
すると、小夜ちゃんは露骨に話を逸らしにかかる。絶対に照れ隠しだと思ったが、口にはしないでおこう。
というか、そうだ。
確かに、昼休みも有限なんだから、話をしておかないと。
「えっと、まず、練習をしてたら栗原が俺を呼び出してきて……」
「ふぅん。そういうことだったんだ」
栗原とのことを全て話し終えた頃には、小夜ちゃんは弁当を食べ終えていた。
この話を聞いてどんな反応が返ってくるだろうかと思っていたのだが、小夜ちゃんの表情は何というか……微妙な感じだ。
「えっと、何か気になることでもあった?」
それとも、大した話じゃなくて拍子抜けしたのだろうか。まぁ、小夜ちゃんからすれば落合は単なるクラスメイトでしか無いし、栗原だって他人だ。あんまり興味深い話ではなかったかもしれない。
「ううん。そうじゃなくて……落合くんが、羨ましいなって」
「羨ましい?」
「一人になろうとしても、孤独でいさせてくれない人が居るって、すっごく良いことでしょ?」
小夜ちゃんはそう言って、寂しさを紛らわすように口だけで笑った。
「……俺は、小夜ちゃんも一人にさせるつもりはないけど。そもそも、そういう約束だし」
場所も相まって、何だかあの日のことを思い出してしまうような会話だ。気恥ずかしくはあるが、でも、はっきり言うべきことだったと思う。
「なら、良かった」
小夜ちゃんがそう言って笑うので、ただでさえ恥ずかしかったのが、何だか益々照れくさくなってしまった。
「まぁ、助けてもらってばかりの俺が言っても、説得力が無いかもしれないけどさ」
ぽつりと付け足した言葉に、小夜ちゃんは「それは違うでしょ」と口を挟む。
「本当に何にもしないで助けてもらったっていうなら、あれだけど。ちーくんはちゃんと、自分で考えて動いて、その結果、助けてもらってる。それは、単純に助けてもらってばかりって言えないよ」
「……そうかな」
でも、俺は誰かに助けてもらわなければ、何も成し遂げられていないと思う。赤坂が居て、宮町が居て、落合が居て、栗原が居て、そして、小夜ちゃんが居て……それでようやく、俺は動き出せたのだ。
俺は小夜ちゃんの恩に報いることが出来ているだろうか。
……正直、あんまりそんな気はしないなぁ。
「何か、お返しみたいなことが出来たら、良いんだけど」
「お返し?」
「そう、お返し。小夜ちゃん、何か俺にして欲しいこととかある?」
特に何も考えず質問したのだが、小夜ちゃんは「うーん」と唸って、何やら真剣に考え始めた。
何かとんでもない要求とかされたらどうしよう……。
「私は、たまにこうやってお昼食べたりとか、一緒に居られればそれで良いかな」
どうやら俺の心配は杞憂だったようで、小夜ちゃんはとんでもない要求どころか、何も求めてくることが無かった。
「本当に、何も無い?」
何だかあまりにも優等生な回答で、ちょっと気が済まない感じがある。もうちょっと我儘を言ってくれても良いのに。
「えっと……うーん」
すると、小夜ちゃんはふと手元にある弁当箱へ視線を落とす。
「じゃあ、ちーくんが作ったお弁当を食べてみたいかな」
「え?」
全く予想していなかった要求に、俺は間抜けな声を出してしまった。
「駄目?」
「駄目ではないけど……俺、料理やったこと無いし、クオリティはお察しだよ?」
当たり前のことだが、とても小夜ちゃんのようなちゃんとした弁当を作れるとは思えない。
「それは分かってるよ。別に、冷食を詰めたって良いし。ただ、ちーくんが私のためにどんなお弁当を作るか興味があるだけ。用意されたおかずを詰めるだけでも、結構難しいんだからね? 栄養バランスとか彩りとか、色々考えなきゃいけないし」
そう言われると、作るのを想像しただけで難しそうだ。俺は美術も決して得意ではないから、盛り付けなんてどうしたら良いか分からないし、栄養バランスなんて殆ど考えたこともないことである。
それでも、小夜ちゃんが望むのなら、頑張ってみたいという気持ちはあった。
「ふーん……それじゃあ、作ってみるか」
「え、本当に?」
自分で頼んだ癖に意外そうな声を出す小夜ちゃん。ただ、その顔はやっぱり嬉しそうだった。
「うまく出来る気はしないけど、まぁ、やるだけやってみる」
「へぇ、楽しみ」
小夜ちゃんが何だか感慨深そうに言うので、少し緊張してしまう。
……冷静に考えると、弁当って、どうすれば良いんだ!?
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