第48話 似てる(だから、一緒に)
俺はもう一度、栗原からの連絡を確認する。
『落合先輩、そっちに向かってます』
そう。
これが、栗原の作戦だった。
栗原は、落合がもう一度練習をこっそり見に来るのではないかと予想をしたのだ。昨日俺と喧嘩別れしたことへの後味の悪さから、絶対に練習が気になっているはずだ、というのが、彼女の談である。
わざわざ練習を見に来たところを見つかれば、流石の落合でも、申し開きをするのは難しいだろう。追い詰めるみたいで申し訳ないが、これ以外の手段を俺は思いつかなかった。
それに、信じたかったのだ。
落合は、本当は俺とサッカーをやりたいと思ってくれていると、信じたかった。
「悪い! ちょっと用が出来たから、練習しててくれ!」
俺は不思議そうな顔をする柴田と白石に、声を掛ける。
「なんかあったのか?」
白石が聞いてくるので、俺は拳にぐっと力を入れ、自らを鼓舞する意図を持って、宣言した。
「追加のメンバーを、迎えに行ってくる!」
それだけ言って、俺は走り出した。向かうは、階段上の角。遠くから公園を見ることが出来るあそこで、落合は以前、練習の様子を観察していたらしい。
そして、丁度そこの角を曲がると、そこには大きく目を見開いてこちらを見る、落合の姿があった。
「は? なんで……」
「悪いが、付けさせてもらった」
俺がそう言ったのとほぼ同じタイミングで、物陰から栗原がその姿を表す。
「栗原……」
落合は振り向いて、酷く驚いた声音で彼女の名前を呼ぶ。
「……私のこと、覚えてくれてたんですね」
栗原は一瞬だけ、嬉しそうな笑顔を浮かべた。しかし、これからする真剣な話題を思い出したのか、すぐに笑みを引っ込める。
「……お前らが知り合いだなんて、全く知らなかったんだが」
落合は俺と栗原を交互に睨む。俺はそれに怯まず、落合の方へと一歩踏み出した。
「なぁ、落合。どうして、練習を見に来たんだ?」
「それは……」
俺の質問を聞き、落合は言葉に詰まる。
「頼むから、正直に言ってくれ。お前、本当は……」
「うるさい!」
落合は声を荒らげて、俺の言葉を遮る。感情的な落合の姿を見て、栗原が息を呑むが見えた。
「……」
言われたとおり黙っていると、落合は俯き、目を閉じる。そして、大きな溜息をついた。
「……結局俺は、お前が羨ましかったんだ」
落合は観念したように、ぽつりと呟く。しかしその一言は、俺にとって意外なものだった。
「羨ましい?」
「昨日も言っただろ? 俺はずっと、適当に、楽でいられれば、それで良いと思ってた。そして勝手に……お前も、そうなんだと思ってたんだ。勝手に共感してた。でも、俺とお前は全く違う人種だった。ちゃんと頑張って、仲間を作って、上手くやれる奴だった。だから俺は、お前に嫉妬して、そして、突き離したんだ」
落合はコンクリートの塀に寄りかかり、そのままズルズルとしゃがみ込んだ。
「落合。俺とお前は、何も違うところなんて無いよ」
俺は落合の正面に立ち、縮こまってしまった友達の姿を見る。
「そんな訳、無いだろ」
「いや、本当に、そうなんだ。俺も、ずっと思ってた。頑張ったって、辛いばかりで、何も良いことがないから、逃げて楽になろうって、そればかり考えてた。俺はそこから、変わったんだ。落合だって、変わりたいなら、変れる。一歩踏み出すだけなんだ。その一歩が本当に難しいだけで、踏み出せないなんてこと、絶対に無い」
「俺は、お前みたいには、なれねぇよ」
決して大きくないが、強い意志の籠もった声だった。
「そんなことは……」
「お前は、自分がどれだけ恵まれてるか分かってんのか? たまたまトップカーストの赤坂と仲良くなって、クソビッチの宮町は何故かお前を長いこと気に入ってて、結婚の約束をした幼馴染まで居て。そりゃあ一歩踏み出す勇気も出るだろうな!」
落合は吐き捨てるように言った。酷く皮肉っぽくて、しかも卑屈な口調だった。
「ふざけないでください!」
俺が何か反論をするよりも早く、栗原が落合に掴みかかった。しゃがんでいた落合はバランスを崩し、尻餅をつく。丁度、栗原が落合を押し倒したような体勢だ。
「自分に何もないみたいな言い方は、ずるいですよ!」
「ただ中学が同じだけの後輩に、俺の何が分かるんだよ!」
「今、この場に居ただけで、誰でも分かりますよ。……落合先輩には、川内先輩が居るじゃないですか。こんなにも心配してくれる友達が、居るじゃないですか。私にあの時無かったものを、先輩を既に、手にしてるんです」
栗原は殆ど泣きそうな声で、諭すように言った。
あの時。
落合に救われるまでの、嫌われ者としての日々。本当の孤独というものを、栗原は知っているのだ。
「それに」
呆然とする落合に向けて、栗原は更に話を続ける。
「それに、私も、居ます。ここには、落合先輩が大好きな人間が、二人居るんです。やっても意味のないサッカーに、大して戦力にならない落合先輩を必死に誘うような人間が、ここには居るんです。それでも、川内先輩だけが恵まれているなんて、そんなことが言えますか?」
「俺は……」
栗原の純粋な思いに打ちのめされて、落合は頭を抱える。
近所の中学校から、場違いなチャイム音が鳴り響く。気の抜けるような、そこはかとないノスタルジーを感じさせる音色は、夕暮れ時の大気にじわりと解けていった。
「落合先輩が、教えてくれたんです。『もっと適当に、楽に生きろよ』って。先輩は今、楽ですか? 立ち向かうだけが勇気じゃないように、逃げるだけが楽な訳じゃないでしょう?」
栗原の言葉に、落合は顔を上げる。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいて、真っ赤になっていた。俺からは見えないが、きっと栗原も、こんな目で落合を見ているのだろう。
「……楽じゃ、ない。苦しかった」
いっぱいになった心から溺れ落ちた、といった感じで、落合は呟く。
「何も出来ない自分が、逃げてばかりの自分が、嫌で。急に周りが羨ましくなって、自分だけが取り残されているような気がして……それで、苦しかったんだ。俺は。逃げても、楽になんかならなかった。強い言葉で遠ざけても、寧ろ苦しくなるばかりだった」
あぁ、落合。
やっぱり、俺とお前は、似てるよ。
「なら、やろう! 一緒に!」
落合と栗原が、俺の方を向く。俺がしゃがんで、押し倒されている落合と視線を合わせた。
「やろう。落合。俺は、お前と一緒に頑張りたいんだ。そしてお前が望むなら……お前と一緒に、変わりたいんだ」
「……」
落合は何の返事も無しに、立ち上がろうとする。
「落合先輩?」
栗原は逃すまいと袖を掴んだが、落合はそれを優しい手付きでそっと放させる。
立ち上がり、落合は改めて俺と栗原の方を向く。栗原も俺も、落合につられて立ち上がった。
「……俺は、滅茶苦茶運動が苦手だから、覚悟しとけよ」
それは、ひどくぶっきらぼうな言い方だった。落合はこちらから目を逸らしていたし、その表情は、どこか怒っているようでもあった。
「……」
「……」
俺たちがポカンとしていると、落合は唇を噛み、眉にシワを寄せる。
「そ、それと……その、ありがとな」
唇を尖らせ、たどたどしい口調で感謝を告げる落合。
俺と栗原は顔を見合わせる。自分の口角が、栗原と同じように上がっているのが分かった。もう一度落合の方を見ると、落合はこちらから背を向け、公園の方へと歩き出してしまう。
「私、やっぱり、落合先輩のこと、好きです」
単に救われたというだけでなく、栗原が落合という人間を心から好きなのだということが、よく分かる声色だった。落合の背中を愛おしそうに見つめる栗原の横顔に、俺は聖母めいたものを感じる。
それから俺も、落合の背中を見た。猫背で、頼りない背中。でも、俺は落合が仲間になってくれるという事実に、強い喜びと、安心を感じていた。
「……俺も、やっぱ好きだな。アイツ」
ぽつりと呟くと、隣の栗原が優しく微笑む。
沈んでいく日を見ながら、俺は自分の心が高揚しているのを感じた。
根拠は何も無いけど、この球技大会で、俺はきっと何か大事なものを手にすることが出来るという確信がある。
いや、或いはもう、俺はすでに色々なものを手にしているのかもしれない。
少なくとも俺はついさっき、大切な友達の存在を再確認出来たばかりだ。
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