第46話 関係(友達?)

 放課後。俺は覚悟を決め、帰宅しようとする落合に声をかける。


「なぁ、落合」


 声を掛けられて、落合は立ち止まる。しかし、振り返ることは無かった。

 俺が次に口にする言葉を待っているような態度。


 まぁ、無視されるよりは希望がある……か。


「サッカーの練習、来ないか?」


 単刀直入に、用件を話す。


 瞬間、落合は振り返り、大きく目を見開いた。そして俺の顔を見ると、嫌悪感を隠そうともせず睨んでくる。


「絶対に嫌だ」


 叩きつけるような物言いだった。一瞬腰が引けてしまうが、俺は栗原から、落合のこの態度が素直なものではないという話をされている。


「頼むよ。……俺は、お前とサッカーをやってみたい」


 俺は正直に自分の気持ちを話し、食い下がった。


「何なんだよ。今まで、そんなじゃなかっただろ、お前」


 落合は眉間にしわを寄せ、ただでさえ低い声のトーンを落とす。


「変わったんだよ。色々頑張って、色々助けてもらって、変わったんだ」


「勝手に変わってろよ。俺には関係ない!」


 頭に血が上っているようで、落合は次第に語気を強めていった。


「俺は、ずっと適当に、それなりに、楽に生きていければ良いって、そう思ってた。お前のことも、俺には関係ないって思ってたから、応援してたんだ。でも、最近のお前を見てると……何か、心の奥がむず痒くなって、今までの自分が否定されてるみたいな気分になる」


「落合……」


「頑張ってりゃ偉いのか? 友達が多ければ偉いのか? サッカーなんてやって何になるって言うんだよ、意味ないだろうが!」


 本人の内側でさえ纏まりきってないであろう感情を、落合はそのまま吐露する。


 落合がそんなことを考えていたなんて、俺は全然知らなかった。いつも気怠そうで、でも、どこか自分の生き方に芯を持っていそうな落合がこんなにも不安そうな顔を見せるのは、俺にとってかなり意外だ。


「意味とか、そういうのじゃない。俺は、そして皆は、やりたいからやってるんだ。だから……落合が本当にやりたくないんなら、それは勿論、断ってくれ」


「やりたい訳、無いだろ。……皆とか、そういう言葉を使いやがって。お前はもう、変わっちまったよ。立派な人間とか、そういう話じゃない。俺側じゃなくて、赤坂側の人間になっちまった」


 吐き捨てるように言って、落合は教室を出る。俺はそれを、止めることが出来なかった。


 赤坂側の人間。


 俺は全くそんなつもりは無かった。確かに赤坂とは色々あって、今は胸を張って友達と言える仲だが、だからといって、俺は赤坂の派閥(そもそもそんなものが存在するのか分からないが)に参加したつもりはない。赤坂だって、そんなこと考えてもいないだろう。……でも、他の人からすれば、そう見えるのだろうか。


「赤坂側になっちまった、か……。俺側から、赤坂側に」


 俺は誰も居なくなった教室で、落合が言った言葉を繰り返す。


 きっと落合は、俺に対して不思議な共感を覚えていたのだろう。何を隠そう、俺もそうだった。教室の隅で縮こまっている者同士の、奇妙な連帯感が俺たちを繋ぎ止めるものだったのだ。

 なら、俺が変わりつつあって、その連帯感が無くなった今。俺たちを繋げてくれるものは、もう何も残っていないのだろうか。


 俺と落合は、単にそういった関係だったのだろうか。


「……失敗、しちゃいましたね」


 すると、教卓の下から栗原がにゅっと顔を出してきた。


「え。栗原、いつからそこに居たんだ?」


 姿が全く見えないから、てっきり廊下から覗き見でもしているのかと思ったが、よもやそんなところに隠れていようとは。

 俺はホームルームが終わってからずっと教室に居たはずなのに、全然気が付かなかった。


「私の鍛え上げられたステルス能力を舐めないでいただきたいです」


 栗原はふんすと鼻息を荒くして、両手を腰に当て胸を張る。なるほど。これ程の腕前ならば、落合を追いかけるのなんてわけないだろう。

 ……ステルス能力を鍛えるよりも、話しかける努力をした方が良かったのでは?


「その……すいませんでした。私が余計なことを言ったせいで、何だか、こじれちゃったみたいで」


 栗原は自慢げな顔を引っ込めて、落合が出ていった扉の方を見つめる。


「栗原は別に、悪くないだろ。ストーカー行為以外は」


「いや、そこは純愛ですから」


 謝罪しながらも、そこだけはツッコミを入れる栗原。

 そう。

 純愛なのだ。

 栗原が俺に頼み事をしたのは、偏に落合の隠された願いを叶えてあげたいという善意だ。結果がどうであれ、そこは否定しちゃいけない。


「誰が悪いとかそういう話は良いとして……どうするかなぁ」


 俺は落合の机の上に座って、うーむと唸る。


「あ、あのですね。落合先輩の言ってることは、多分、本心じゃないというか、いや、本心なんでしょうけれど、違うというか。本気で参加したくない人が、あんな過剰に怒ったり不安な顔をしたりしないと思うんです。だって、一言断るだけで良いじゃないですか。だから……」


 俺が諦めようとしていると思ったのか、栗原は随分と慌てた様子で捲し立てる。動揺のせいか何とも意味が通りにくい文章になっていたが、概ね共感できる話だ。


「……俺も、そう思う。それにしても、栗原って、本当に落合のことをよく見てるんだな」


「寧ろ、それだけが取り柄まであります」


 栗原は、そんな自虐的な台詞を誇らしげに言い放った。とにかくこの子は、落合のことが好きで好きでたまらないらしい。


「どうして栗原は、そこまで落合のことを好きなんだ?」


「……そうですね、きっかけは、助けてもらったことでしょうか」


 それは、俺にとってかなり意外な話だった。別に落合は悪いやつじゃないが、積極的に人を助けるような奴ではない。まさか街で不良に絡まれたところを助けられた、なんてことではないだろうし……。


「多分、落合先輩は、私を助けただなんて、これっぽっちも思っていないでしょうけれど」


 俺が妙な顔をしているのに気付き、栗原は苦笑する。


「どういうことだ?」


「私、中学の時に、この見た目通り、度が過ぎる程の真面目ちゃんだったんですよ。それで、ルールを破る人にいちいち注意をして、嫌われて……しまいには、虐められていたんです。何ていうか、あの時の私は、常に真面目でいなければならないっていう強迫観念に囚われていました」


 栗原は自分の三編みの先を弄び「あはは」と感情を誤魔化すように笑う。その笑い方で、彼女が中学時代、どれほど苦しんでいたのかが、感覚的に理解できた。


 周りに注意して、正論を振りかざして……嫌われる。俺にとっては、これ以上無いってくらい共感できる話だ。


「それを、落合に助けてもらったのか?」


「はい。その日は教科書を窓から捨てられちゃって……それで、落合先輩が私のノートを偶然踏んでしまったんです。そうしたら先輩は『悪い』と言って拾うのを手伝ってくれて」


「まさか、それで一目惚れ?」


「いえ、その、私の土だらけのノートとか教科書を見て、先輩が『虐められてんのか?』って、聞いてきたんです」


 その言葉を選ばない感じがいかにも落合らしくて、俺は軽く笑ってしまう。


「失礼な奴だな」


「私も、そう思いました」


 言いながら、クスクスと俺たちは笑い合う。そもそも友達が少ない関係上、俺は世間話というものの面白さを全く知らずに生きてきたが、こうして落合の話を聞いていると、不思議なほど面白い。

 いや、面白いって言ってる場合じゃないのは分かってるけど。


「えっと、それで?」


「はい。それで、私が返事をせずに黙っていると、先輩は言ったんです。『もっと適当に、楽に生きろよ』って」


 適当に、楽に。

 これまた、落合らしい言葉だ。


「私は、その言葉に救われました。何だか、急に視界が開けて、世界が広く見えたんです。そう、例えるなら、自転車に初めて乗れた時のような、そんな感覚でした。それからは、学校が嫌なときは休んだり、必要以上に真面目になるのは、止めたんです。立ち向かうだけが勇気じゃないんだって、教えられた気がして、それで……」


 栗原はここには居ない落合を想って、柔らかな微笑みをたたえる。


「そうやって、好きになっちゃったんですよね」


「……そうか」


 立ち向かうだけが勇気じゃないっていうのは、確かに、その通りだ。無理やりにでも完璧を演じて、自分を傷つけてしまう幼馴染を、俺は知っている。間違った努力を続けていた中学の頃の自分にも教えてやりたい言葉だった。


 楽に生きようとする落合が、サッカーの練習を断る。筋は通っているし、何もおかしなところのない話だ。練習は強制ではないから、落合には断る権利がある。そして、サッカーをするのに意味を感じないというのも、別段、妙なことではない。


 俺が落合を誘おうとする根拠は、栗原の証言と、さっきの落合から勝手に感じ取った印象だけだった。


「どうすれば、良いんだろうな」


「そうですね……」


 口元に手を当て考え込む栗原の横顔を見ながら、俺もまた、落合の行動に思いを巡らせる。


 俺に隠れて練習を見に行き、俺に誘われて怒り出す。さっきの落合の話だって、変わりつつある俺への感情を語ったものだった。


 落合が、どうしても俺に素直になれないというのなら。


 俺以外だったら、どうだろうか。

 例えば、自分のことを大好きな女の子なら、素直な気持ちを話してくれるんじゃないだろうか。


「なぁ、栗原」


「はい?」


「練習に落合を誘うの……一緒に、やってくれないか?」


 俺は単なる思いつきを栗原に語った。


 話を聞くと、栗原は「いや、いやいやいや」と言いながら青ざめる。


「私には、無理ですよ。絶対無理です。そもそも、落合先輩とロクに話したことすら無いんですから」


「でも、そのままじゃ、ずっとストーカーのままだ」


「別にそれで良いんです。愛されなくても、私が愛していれば、それで構いません。あくまであわよくば仲良くなりたいだけで、積極的に何かしたいわけじゃないですし、その、め、迷惑かもしれないですし……」


 首をふるふると横に振る栗原。落合と話すところを想像したのか、唇が微かに震えている。


「でも、ただ落合を見ているだけなのは、楽なことなのか?」


「……え?」


「例えば落合に恋人が出来たとして、アイツが幸せなら大丈夫って、本気でそう言えるか?」


「それは、その、い、言えます、よ」


 しどろもどろになりながらも、栗原は眉にしわを寄せてそう言った。


「平気な奴はそんな顔しないし、仮に本気で平気なら、それって多分、落合のこと好きじゃないと思う」


 俺は栗原に向けて、きっぱりと言い放つ。出会ったばかりの後輩女子に対して踏み込み過ぎかとも思ったが、俺は彼女のような人間をよく知っていた。


 いかにも自己犠牲をしているような態度で、その実逃げてばかりで、しかも楽になることすら出来なかった、そんな大馬鹿者を、俺は知っているのだ。


「……私は本気です」


 今度は、声が震えていなかった。栗原は自分手元をじっと見つめて、何かを確かめているようだった。


「……本気です」


 そして、繰り返す。栗原は、言葉通りの瞳をしていた。


「それならやっぱり、手伝って欲しい。落合に教えてやりたいんだ。お前のことが好きで、心配している奴が、少なくとも二人、ここに居るって」


 俺と落合の関係がどんなものだったか。


 そんなの、考えるまでもなく、分かりきっていることだった。俺と落合は、ちゃんと、友達だった。それもきっと、随分前から、そうだったのだ。互いに、自覚が無かっただけで。

 誰側の人間だとか、どっちが下とか上とか、そんなの関係ない。落合が俺を見て辛いのなら、なんとかしてやりたい。


 だって、友達だから。


「……私、やってみます。このまま、辛そうな先輩を見ているのは、嫌だから。そんなのは、楽でも何でも無いから」


 栗原が拳を握りしめ、俺の前に改めて立つ。


「ありがとう、栗原!」


 俺は栗原の決心に感動し、思わず彼女の手を握る。手伝ってくれることがありがたいのもそうだが、栗原と自分をちょっと重ねて見ていたから、彼女が自分からやると決めてくれたのが、嬉しかったのだ。


「頑張りましょう! 先輩!」


 栗原も重大なことを決心したせいでテンションが上っているのか、ぎゅっと手を握り帰してくる。


 そうやって互いを激励していると、教室の扉が急に開かれた。


「えっと……ちぃ先輩?」


 そこには、呆然とした顔で立ち尽くしている、宮町の姿があった。

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