第41話 無理かも(でも)

 宮町と話した次の日。


「おい」


 教室でサッカーの本を読んでいたら、突然、落合に話しかけられた。


「ん? どうした?」


 俺が本から落合の顔へ視線を移すと、彼は酷く不機嫌そうな表情を浮かべていた。


「もう、良いだろ」


 落合は俺が手に持っているサッカーの本を睨みつける。


「良いって、何がだよ」


「無理すんのは、止めろってことだよ」


 それは、聞き分けのない子どもを諭すような声音だった。


 無理。

 俺は無理をしているのだろうか。


「お前が自分を変えたがってるのは、分かった。でも、だからって無理やりサッカーをやって、赤坂たちみたいな明るい奴らとつるもうとして、正直、見ててキツいんだよ。無駄な努力をしてる奴を見ると、胸が苦しくなってくる」


 黙ってしまった俺に、落合が捲し立てる。


「無駄な努力なんかじゃない。俺は、本当に変わりたくて」


「無理に決まってるだろ。俺たちみたいなのはずっと教室の隅に居るのがお似合いだ。社会に出たって、教室の隅が社会の隅になるだけで、永遠に変わらない。そして、それで良いんだ。無理する必要なんてない。もっと、楽に生きて良いんだよ!」


 落合の顔は、真剣そのものだった。


 きっと、落合なりに俺のことを心配してくれているのだろう。しかし、それにしても、ここまで落合が熱くなって自分の意見を言うのは意外なことだった。


 とはいえ、俺も意見を曲げるわけにはいかない。


「駄目かもしれなくても、やってみたいんだ。このままの自分じゃ、嫌だから。だから、やりたいんだ」


「……勝手にしろ」


 落合は昨日の宮町のように、俺の前から立ち去ってしまった。


 少なくとも、宮町と落合からすると、俺は身の丈に合わない無駄な挑戦に、無理をして挑んでいるように見えるらしい。

 実際、現状をどうすれば良いのか、俺には分からなかった。


「はぁ……」


 今更ながら「人は簡単に変わらない」という言葉が肩に重くのしかかる。


 人が変わるのが、簡単なはずもない。難しいのだ。本当に、どうして良いか分からない程に、難しい。






 結局、俺はその日も一人、公園で練習をすることにした。家でじっとしていると、どうしても宮町や落合の言葉を思い出してしまいそうだったからだ。


  でも、結局俺がここで幾ら練習しようと、チームの指揮が上がるわけではない。そもそも現実的な問題として、部活があるから皆は練習が出来ないし、あんな雰囲気で休日練習に誘うのも気が引ける。


「はぁ……」


 どうにも集中できず、俺はまたベンチに座った。


「お疲れさま」


 すると、後ろから声がする。頬に冷たいものが当たる感覚。


「うわっ!?」


 振り返ると、そこにはスポーツドリンクを持ってコロコロと笑う小夜ちゃんが居た。


「何かベンチでしょんぼりしてたから、しゃきっとさせようと思って。でも、びっくりし過ぎじゃない?」


「いや、驚くって……」


 昨日は宮町、今日は小夜ちゃん。このベンチに座ると、必ず急な来訪者が現れる気がする。


「……大丈夫?」

 小夜ちゃんは明るい表情のまま、自然と問いかけてきた。


 やっぱり、たった一人で練習を続けている姿は、周りを心配させるらしい。「出来るわけがない」と言ってきた宮町や落合も、決して俺に悪意があるという訳ではなく、心配してくれているのだろう。


「いや、俺は……」


 小夜ちゃんを安心させようと「大丈夫だよ」と言おうとして、俺は言葉を止める。小夜ちゃんが、酷く優しげな瞳でこちらを見ていたからだ。


「大丈夫では、無いかもしれない」


 俺は正直に小夜ちゃんへ自分の気持ちを打ち明けた。


「……そっか」


 小夜ちゃんは特に驚いた様子もなく、スポーツドリンクを渡してくれる。俺はそれを受け取って「ありがとう」と言い、キャップを開けてゴクゴクとそれを飲んだ。


 それから俺は、小夜ちゃんに今までの事情をぽつりぽつりと話した。優勝するのが難しそうなこと。皆で練習をすることは出来なさそうだということ。このままで良いのか、悩んでいること。


「本当に、どうすれば良いのか分からなくて……やっぱり、変わるなんて無理なのかなって、ちょっと弱気になってた」


 俺はスポーツドリンクの成分表示を意味もなく見つめた。文字の意味が頭に入って来ず、何かの記号のように見えてくる。


「難しいね」


 すると、小夜ちゃんが俺の手をぎゅっと握った。彼女の体温に触れて、縄で縛られていたような心が、少し楽になる。


「でもさ。不謹慎かもしれないけど、私、嬉しいな」


「嬉しい?」


「ちゃんと話してくれたでしょ? 大丈夫じゃないって」


 小夜ちゃんがはにかむのを見て、俺は自分の言動が正しかったのだということを知った。


「言わなくても伝わる関係っていうのも、憧れるけど。でも、言ってくれなきゃ、やっぱり、何も分からないじゃない? 出来れば、悩みとかは共有したいから。解決するのが難しくても、少しは楽になるでしょ」


 小夜ちゃんは俺の手を強く、且つ優しく握ったまま、話を続けた。


 話さなければ分からない。これは、俺と小夜ちゃんとのすれ違いを象徴するような言葉だった。正面から向き合わず、逃げて、肝心なことを話さない。そんなことでは、いつまでも分かり合うことは出来ないだろう。


「ちーくんの場合、さ。もうちょっと、自分の気持ちを口に出しても良いんじゃない? 私も人のこと言えないけど、きっと、抱え込み過ぎなんだよ」


「それは……本当に、人のことが言えないな」


 照れくさくなって冗談を言うと、小夜ちゃんはこちらを睨んでくる。


「茶化さないでよ!」


「はは、ごめん」


 そんなやり取りをしながらも、俺たちはずっと手を繋いだままだった。


 随分、気が楽になった気がする。


 取り敢えず、まだ諦めず、やってみよう。どうすれば良いのか、考え続けていこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る