第40話 変わらない(変わりたい)

 球技大会のサッカーに参加すると決めてから、数日。

 俺は、完全に絶望していた。


「どうしよう……」


 昼休み、俺は自分の席で、頭を抱える。


「ま、まぁ、まだ負けた訳じゃないじゃん?」


 赤坂は俺を慰めるように肩に手を置いた。


 何故、こんなにも俺が絶望しているかと言うと、名取と白石が行った敵情視察の結果を聞いたからだ。

 何だか「敵情視察」というと大仰に聞こえるが、やったことは単に他クラスのサッカーに参加する面子を確認したというだけである。


 まぁとにかく、二人がそれぞれの人脈を使って調査したところ、今年の球技大会のサッカーは、既に殆ど勝つクラスが決まっていることが判明してしまった。


「クラブチームのヤツが二人も居るとか、フツーにずるくね?」


 柴田が不満げに唇を尖らせる。


 そう。問題は、クラブチームなのだ。

 球技大会のルールには『その競技の部に入っている人間は、参加禁止です』という文が明記されている。そりゃあ、現役バリバリの選手が素人をボコボコにする試合なんて面白くないだろうから、当然のルールだ。


 しかし、そのルールに抵触しない奴らが居る。

 それが、クラブチームでサッカーをやっている奴だ。簡単な言い方をすると、部活ではなく習い事のような形式で、きちんとしたサッカーチームに所属している奴ら。うちの学校に数人居るサッカークラブ勢は、元プロの有名選手がやっているかなりガチなクラブでプレイをしているらしかった。


 そして、クラブチームに入っている人間はルール上、サッカー部の公式戦でのプレイを禁止されているので、サッカー部には入らない。大抵は帰宅部で、真っ直ぐに家に帰ってクラブでの練習に行っているのである。

 サッカー部に入っていないので、クラブチームの奴らは「帰宅部」として球技大会のサッカーに出場可能。そして、話によると二年三組では二人のクラブチーム勢がサッカーに参加するらしいのだ。


「クラブでやってる奴なんて、きっと、サッカー部の奴らよりずっと強いだろ……」


 角田ががっくりと肩を落とす。現役のサッカー部でさえ歯がたたないのだから、サッカー経験者である俺が居たところで、大したことはないだろう。


 しかも、一人ならばまだ対策が立てられるかも知れないが、二人である。余程のことが無い限り、優勝は二年三組だろう。


「「はぁ……」」


 名取と白石の二人がため息をつく。

 優勝を目指すと話していたのが嘘みたいに、チームの雰囲気は落ち込んでいた。


「まぁ、勝ち負けが全てって訳じゃねぇよな」


 柴田がそう言うと、他のメンバーも「確かにな」「しゃあねぇよなぁ」と同意し始める。俺も心のなかで「そうだよな」と思ってしまった。

 本当に、そう言われてしまうと、俺としては全く否定できない。球技大会という皆で楽しむべき学校行事で、勝利だけを求めることが正しいなんて口が裂けても言えないことだ。


 そして確かに俺の目的も、優勝ではなかった。曖昧な表現になるが、トラウマを克服して、球技大会を頑張ることが出来れば、俺はそれで良いのだ。


 しかし、強い相手を見て何もせず諦めて、それで「自分は頑張った」と胸を張って言えるかと問われれば、俺は答えに窮してしまうだろう。


「……どうしたもんかなぁ」






 放課後。


 俺と落合以外のメンバーは全員運動部に所属しているので、勿論サッカーの練習をするのは不可能である。


 そして、落合が参加してくれるはずもなく。


 俺は取り敢えず、一人でサッカーの練習をしていた。サッカーボールを未練がましく捨てていなかったのは幸いするとは、本当に人生何があるか分からない。


「はぁっ、はぁっ……」


 やり慣れていたはずの練習メニューをこなすと、かなり息が切れる。当然だが、かなり体力が落ちているらしい。


 へとへとになって、ベンチに座る。

 空を見上げると、紫色の空がやけに懐かしく見えた。


 前とは、状況は全然違う。味方も居るし、今の俺は夢に追い詰められて自己中心的になっている訳でもない。

 だけど……。


「せーんぱい!」


 空を見ていた視界に、逆さになった宮町の顔が見える。


「うわぁ!?」


「私がいくら美少女だからって、驚きすぎじゃないですか?」


「美少女だったことに驚いた訳じゃない」


 俺がつっこむと、宮町は口元に手を当てクスクスと笑う。


「いやぁ、先輩に言われたのでここ数日部活に参加していたんですが、疲れちゃいましたよ」


 宮町は俺の隣に座り、ベンチの背もたれに体を預ける。


「……どうして俺がここで練習してるって分かったんだ?」


「それは、本当に偶然です。この先にある河川敷で写真部が撮影をしてるんですけど、それに参加しようかなぁと思って来てみたら、先輩が居たのでびっくりしちゃいましたよ」


 そう言って、宮町は俺をじっと見つめる。何か、観察されているような視線。


「髪、随分、すっきりしましたね」


 自分の頭を指差す宮町。俺はそれにつられるようにして、自分の短くなった髪の毛に触れる。


 そうだ。宮町にも、ちゃんと話さなければならないと思っていたのだ。俺が、変わろうと決めたことを。


「なぁ、宮町。俺、これからさ。お前が好きなタイプの人間じゃなくなろうって決めたんだ。駄目人間から……もっとちゃんとした奴になろうって、そう、決めたんだ」


 俺は、頑張って宮町の目を見たまま話すよう努めた。俺の話を聞いた宮町はというと、ぱちぱちと瞬きをする。


「……もしかして今、私、振られました?」


 真顔のまま首を傾げる宮町。


「まぁ、そういう風にとってもらって良い。だって俺は、これから宮町の好みじゃなくなっていく……予定、だから。これ以上俺に付き纏っても、無駄だと思う」


 無駄、と、俺は敢えて厳し目の表現を使う。

 俺が態度を明確にせず好意に甘えてきたという意味では、俺は彼女と向き合うことを逃げてきたと言える。


 でも、小夜ちゃんを一人にしないと誓ったのだから、けじめとして、俺は宮町の好意に対してきちんとした返事をするべきだ。


「もしかして、幼馴染さんと付き合ってるんですか?」


 宮町は顎に手を当て、考えるような仕草を見せる。その芝居臭い仕草は、とても好きな人から振られた人間の態度とは思えなかった。


 小夜ちゃんと、付き合っているか。

 そう言われると俺は「違う」としか言うことが出来ない。小夜ちゃんと仲直りしたあの日は、そんな浮ついたことを言う雰囲気でもなかったし、以降も、俺と小夜ちゃんは曖昧な関係のままだ。単なる幼馴染でも、友達でも恋人でもない関係。そうした関係に付ける名前を、俺たちは知らない。


「付き合っては、ないけど」


「じゃあ、私がちぃ先輩を奪っても略奪愛ではないと。まぁ、そんなことを気にする私ではありませんが」


 腕組みして、うんうんと頷く宮町。


 何を言ってるんだコイツは……と困惑していると、宮町はベンチから立ち上がり、俺の足元にあったサッカーボールを手に取る。


「私の好みじゃなくなるとか何とか言ってますけど、そんなの、実際になってから教えて下さいよ。本当にちぃ先輩が変わったのを見て、それが好みと違ったら、幾ら私でも自然に諦めますって」


 宮町が尤もなことを言うので、俺は言葉に詰まってしまう。確かに、そうだ。現時点で、特に宮町の視点から、俺が自らの望み通りに変れるという根拠などない。それなのに、「俺は変わるから諦めろ」というのは、取らぬ狸の皮算用というものだ。


「それに……」


 宮町は手に持ったサッカーボールをじっと見た後、辺りを見回す。


「それに、なんだよ」


「私には先輩が、中学校の時と同じことをしているように見えるんですけど」


「それは……」


 痛いところをつかれてしまった。


 チームメンバーのやる気の低下。そして仕方なく、一人で練習する。

 中学の時と今ではあらゆる状況や俺の心情すらも違っているが、しかし、究極的な悩みは同じなのだ。


 幾ら一人よがりな形で頑張ったところで、意味なんて無い。そのことを、俺は嫌というほど理解している。


 我儘かもしれないが、俺は誰かの為に頑張ってみたい。そして、出来れば、皆と一緒に、頑張りたい。

 その為にどうすれば良いかは、分からないけれど。


「人って、そう簡単に変わりませんよ」


 宮町はサッカーボールをふわっとこっちに投げてくる。中学の頃から使っているそれを受け取り、俺はその黒と白の模様をじっと見つめた。


「それでも、変わりたいんだ。どうすれば良いのか分からなくても、考えるのを止めたくない。もう、逃げるのは懲り懲りなんだよ。だから俺は、きっと変われるって、信じることにした」


「……随分、意志が堅いんですね」


「約束、したからな」


 俺がボールを地面に置き、正面に立つ宮町を見上げると、彼女はすっと目を細める。その表情は曖昧で、俺は、宮町の感情を読み取ることが出来ない。。

 夕暮れ時の風が、妙に冷たく感じた。


「まぁ、駄目だった時は、いつでも言って下さい。慰めて甘やかして、抱きしめてあげますから。……どうせ、駄目でしょうけど」


 それだけ言い残して、宮町は去っていった。


 公園を後にする彼女の後ろ姿を見ていたら、何だか自分がここで一人ぼっちなのが今までよりも強く感じられる。


 言い知れぬ不安。

 でも、変わるんだ、俺は。

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