第38話 トラウマ払拭(サッカー)

 月曜の朝。俺は、早めに学校へ行った。


 小夜ちゃんと赤坂が、クラスでどんな風に扱われるかが、心配だったからだ。俺が居て何か役立つかと言われれば微妙だが、それでも、その場に居てやりたい。


 すると、小夜ちゃんが教室に入ってきた。

 教室がわずかに色めき立つ。俺はスマホをいじるフリをしながら教室の様子を観察した。


「おはよう」


 小夜ちゃんは普段と変わらない様子でクラスの皆に挨拶をする。


「お、おはよう……」


 なにか言いたげな雰囲気で挨拶を返す女子。クラス全体が、その女子に「告白について聞け!」というような視線を向けていた。


「あ、あのさ」


 そして、その視線に押されて彼女は小夜ちゃんに話しかける。


「どうしたの?」


 小夜ちゃんは笑みを崩さないまま、綺麗に首を傾げる。しかし俺には、小夜ちゃんが密かに緊張をしていることが分かった。よく見ると、机の下にある拳が、ぷるぷると震えている。


 そして、女子の口が開く。


「先週の金曜のさ、こくは……」


「おーっす!」


 すると、勢いよく教室の引き戸が開けられる。ガラガラガラという大きな音ともに、そちらの方へクラスの視線が向けられた。


 教室に入ってきたのは、赤坂だった。

 またも教室は色めき立つ。女子は赤坂が入ってきたことによって小夜ちゃんに何か質問をするのを中断した。


「おはよう!」


 赤坂がクラスの男子たちに挨拶すると男子はそれぞれ「おー、おはよう」とか「おっはー」とか適当な返事をする。


 いつも通りのノリ。


「千尋ちゃんも、おはよう!」


「あ……おはよう」


 その挨拶が俺の方にも向けられたので、俺は軽く手を上げて挨拶を返す。すると、赤坂は俺に向けてウインクをした。


「?」


 何だろうな、と思ったのもつかの間、赤坂は仲の良い女子グループにも「おはよう」と挨拶をする。


 何か、おかしい。


 赤坂は友達が多いから、そりゃあ挨拶をする機会も回数も多いだろう。しかし、教室に入ってからここまで丁寧に挨拶をするなんて、妙としか言いようが無い。


「おはよう。何か元気じゃん」


 赤坂の女友達は少し安心したような笑みを見せる。彼女らなりに、赤坂を心配していたりもしたのだろう。


 そして、赤坂の視線はとうとう、ある一箇所に向けられた。


「三条さんも、おはよう!」


 あまりにも意外な挨拶に、振り返った小夜ちゃんは大きく目を見開いていた。赤坂は小夜ちゃんの顔を見ると、爽やかに笑う。


 小夜ちゃんは赤坂の笑顔を見て、少し潤んだ目で微笑んだ。


「うん、おはよう、赤坂君」


 教室の面々は、その光景を不思議そうに、でも少し安心したような様子で観察していた。やや緊張気味だった教室の雰囲気が、柔らかいものに変わっていく感覚。


 もしかしたら、皆、思っていることはそう変わらないのかもしれない。


 面白がって茶化していたのは、教室内が気不味くなるんじゃないかという不安の裏返しで。本当は皆、早くこの告白が終わって、何とか丸く収まって欲しいと、そう思っていたんじゃないだろうか。

 小夜ちゃんを好きになった赤坂も、告白を断りたい小夜ちゃんも、騒ぎ立てた皆も、きっと全員、悪気があった訳ではないのだろう。


 良かった、と、俺は心からそう思った。





 

「それでは、球技大会の種目希望を聞きたいと思います」


 朝のホームルームで、球技大会実行委員の生徒が壇上に上がる。


「取り敢えず希望聞いて、具体的に誰がどれやるとかは五時間目に詰めていくから」


 もうひとりの実行委員は黒板に『参加種目』とチョークで書いた。


 俺は、深呼吸をして、心を落ち着ける。


 球技大会は、クラスごとに人数が限られているから、必然、参加出来る競技も限られる。例えば、女子が二十人だとして、ソフトボールで七人、卓球で五人、バレーで八人(控え含む)で20人となれば、バスケットボールには参加出来ない。


 だから、今の話し合いにおいて、どの競技を提案するかというのは、クラスにとって非常に重要なことなのだ。


 まぁ大抵、こういう話し合いっていうのは赤坂みたいな明るい奴らのグループが出す提案で何となく決まってしまうものなのだが……。


「じゃあ、希望ある人―」


 実行委員がそう言った瞬間、俺はビシッと手を上げた。


「お、おぉ。じゃあ、川内。どうぞ」


 実行委員の男子が、ちょっと意外そうな顔で俺を見る。そりゃそうだ。今まで俺は、こんな話し合いとかで意見を言うようなタイプでは無かった。でも、変わると決めたから、今ここで、手を上げたのだ。


 ちらと教室の様子を見ると、落合と小夜ちゃんが、驚いた顔でこちらを見ているのが分かった。何だか愉快になって、勝手に口から笑みが溢れる。


「サッカーを、希望します」


 俺は、はっきりとそう宣言した。


 言ってやった!

 俺は心のなかでガッツポーズし、ハイテンションで雄叫びを上げる。俺がサッカーを希望することの意味を分かっている人は殆ど居ないが、それでも良い。とにかく、一歩踏み出せたことが、嬉しくてたまらない。


「俺も俺も! サッカーやりまーす!」


 すると、赤坂が立ち上がり、周りにアピールする。


 実は、昨日遊園地へ行った帰りに、俺は赤坂へこのことを相談していた。理由があって、サッカーをやりたいと。そして、サッカーで優勝して、昔のトラウマを払拭したいと。


 赤坂は「千尋ちゃんとサッカーかぁ。面白そ―じゃん?」と二つ返事で俺の提案を聞き入れてくれた。本当にもう、赤坂には頭が上がらない。赤坂様様である。


「えっ、えっ……」


 すると、頬を赤くした小夜ちゃんが、俺と赤坂を交互に見る。


「え、私も、私もサッカーやりたい。そう、その、隠してたけど私……三度の飯よりサッカーが好きなの」


 若干素が見え始めている小夜ちゃん。目にぼんやりハートが浮かんでいる……気がする。多分、俺の選択を喜んでくれているのだろう。


 とはいえ、言ってることは結構滅茶苦茶だ。前々から何となく思っていたが、小夜ちゃんって何ていうか、感情が昂ぶるとちょっとおかしくなるタイプの人間らしい。


「えっと……ごめん三条さん。例年サッカーは女子の希望者が殆ど居ないから男子専用の競技になってて」


 実行委員は戸惑った様子で頬をぽりぽりとかく。


「あ……そうだよね。うん。ごめん。忘れて」


 そして、正気を取り戻し小夜ちゃんは頭を抱える。


「三条さんってそんなにサッカー好きだったんだ」


「ちょっと意外だよねー」


 クラスの奴らから、そんな話が聞こえてくる。まぁ確かに、今の話だけ聞くと小夜ちゃんが物凄く熱狂的なサッカーファンみたいだ。


 そして、その後種目希望の話し合いは普通に行われた。ただ、クラスの中心人物である赤坂が早々にサッカーへの参加を決めたことから、何となくうちのクラスがサッカーをやることは決定路線になったようだった。


 ただ、記憶を呼び起こすと、サッカーは面倒だとか言ってる男子が多かったような。……人が集まると良いんだが。

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