第32話 無力(どうしようもない)

 俺は宮町に、約束を破った過程を殆ど包み隠さずに話した。自分で思っていたより、言葉はすらすら出てきた。


 多分、俺はずっと、このクソみたいな思い出を、誰かに打ち明ける機会を密かに期待していたのだ。親に話せる訳もないし、落合は他人のことにここまで踏み込んでこないから、俺がこの話をするのは、宮町が初めてだった。


「ちぃ先輩の初めてをいただけるなんて、恐悦至極ですね」


 そのことを伝えると、宮町は頬を赤く染め、身体をくねくねさせる。

 暗い話で硬くなった雰囲気が、少し弛緩した。……多分、わざとだろう。


「約束を破った理由は、分かりました。先輩が幼馴染さんに執着する理由も理解できた気がします。……あと、先輩が、どうしてそんな自信が無いのかも」


 俺の話に、宮町はどんな反応をするだろうかと思っていたが、彼女は特に態度や表情を大きく変えはしなかった。「お前は最低だ」と罵られるならまだしも、「可哀想」だとか同情されたらどうしようと思っていたので、その反応は非常に助かる。


「まぁとにかく俺は……自分のせいで約束が滅茶苦茶になったっていう自覚がある。

そういう負い目が行動の理由として大きいっていうのは事実だ。それだけじゃないとしたら、それは……」


「それは?」


 言いあぐねる俺の手に、宮町の手が触れる。


「それは、きっと、小夜ちゃんと同じだ。俺も、過去に囚われてる。あの約束に縛られて……『小夜ちゃん』のことが、忘れられてない」


 思えばずっと、俺は約束のことばかり考えている。

 小夜ちゃんを突き離すのも、忘れてくれと言うのも、結局、俺が約束のことを意識しているからこそだ。


「ちぃ先輩、私、今、本当に嬉しいんです」


 宮町は両手で俺の手を掴んだ。彼女の体温が、じんわりと伝わってくる。


「嬉しい?」


「先輩のことが知れて、そして、もっと好きになれたことが、嬉しいんです」


「今の話に好かれる要素なんて無かっただろ……」


 言ってから、「あ」と思う。

 そうだ。宮町は、駄目人間が好きなんだった。完璧よりも不完全を愛す彼女から見れば、俺は確かに、理想的な人間なのかもしれない。


「先輩は私のこと、全然分かってませんね。ま、言ってないんですから、知らないのも無理は無いんですけど」


 宮町は俺から手を離し、立ち上がった。


「お茶菓子でも、いります?」


「え、いや、別に……」


 俺がそう言ったのを無視して、宮町は棚からクッキーの缶を取り出す。その表情は、俺からは見えなかった。


「……先輩は、幼馴染さんが辛い目に遭う度、助けようとするんですか?」


 すると、宮町はこちらを見ないまま、質問をしてくる。


「それは……」


「例えば今回、赤坂先輩の告白からどうにかして救えたとして、また次も、次の次も、次の次の次も、同じことをするんですか?」


 宮町の指摘は、俺にとって非常に耳が痛いものだった。

 結局俺がやろうとしているのは、問題の先延ばしでしかないのかもしれない。(そもそも可能かは別として)小夜ちゃんを単に問題から遠ざけたりしても、それは彼女の為にはならないだろう。


 俺は単に、約束や小夜ちゃんへの執着心から、自分を納得させるために彼女を助けようとしたのに過ぎないのではないか。


 だとすれば、俺は中学の時と、全く変わっていない。

 どこまでいっても自己中心的で、努力の方向を間違えている。


「出来ることなんて、無いんです。そして、それが悪いなんてことも、ないんですよ。これは、幼馴染さんの問題で、先輩の問題じゃない。そこを履き違えちゃ駄目なんです。幼馴染さんだっていつまでも可愛らしいだけの女の子じゃないんですから、きっと、いつか過去を乗り越えられます」


 何の言葉も出てこない俺に、宮町は取り出したクッキーの缶を差し出す。俺は、それを受け取らず、ただじっと見ていた。


「別々に、幸せになっちゃえば良いんですよ。ちぃ先輩には、私が居るじゃないですか。最初は幼馴染さんの代わりだって、私は全然構わないんです。絶対に後悔させません」


 やっぱり、茶菓子なんて不要だった。

 それは、べっこう飴を口内でゆっくり溶かした時よりも、甘い言葉だった。声が甘くて、考えが甘くて、俺を甘やかしている。


 でも、心のどこかに、宮町の言うことに説得力を感じている自分が居た。そもそも俺は、薄々気付いていたのだ。自分が、小夜ちゃんの問題について、何も出来ないことを。


「やっぱり、どうしようも無いのかな」


 この期に及んで、俺は未練がましい呟きを零す。


 宮町は冷めたハーブティーを飲み干し、髪をサラリとかき上げた。


「……まぁ、私が伝えたいのは、幼馴染さんが駄目でも私が居るというだけの話です。恋の駆け引きですよ」


「宮町は、俺に都合の良いことばかり言うよな。そこまで言われると、逆に本当か疑わしくなってくるぞ」


 本当に、見れば見るほど、知れば知るほど、訳が分からない話だ。お金持ちで、美人で、才能に溢れている彼女が、どうして俺なんかに良くしてくれるのか。言葉で幾ら「駄目人間好き」をアピールされても、信じられない。


「話が逆なんですって。私が先輩にとって都合が良いんじゃなくて、先輩が私にとって都合が良いんです」


 宮町は当然のようにそう言い放ち「分からない人ですねぇ」と首を振る。分からない人、と言われても、本当に宮町のことが分からないのだから当たり前としか言いようがない。






 俺の話が長かったせいで、宮町の家を出る頃には、辺りは暗くなっていた。見れば、携帯に母から『今日は帰るの遅いの?』と連絡が来ている。


「それじゃあ、さようなら、先輩。愛してますよー!」


 宮町は投げキッスをして俺を見送ってくれた。いやにテンションが高かったのは、本人の申告通り俺の過去話が嬉しかったからなのだろうか。好いてくれているのに申し訳ないとは思うが、やっぱり彼女が何を考えているかは分からない。


 そして俺は、ゆっくりと帰路についた。


 長く、しかも濃い内容を話したので、俺はひどく疲れていた。熱くなった頭に、夜風の冷たさが心地良い。


 結局、宮町と話しても、小夜ちゃんを助ける方法なんていうのは見付からなかった。とはいえ、収穫はある。俺はようやく、助ける方法なんて都合の良いものは無いし、助けたところで意味が無いということを理解したのだ。


 涙を流していた小夜ちゃんに対し、思うところが無いと言えば嘘になる。彼女を一人にして良いなんて、そんな訳ない。


 でもやっぱり、俺はあまりにも無力なんだ。


「……ん?」


 制服のポケットで、スマートフォンが震える。

 また母さんからメッセージでも来たのかと思ったら、赤坂からの着信だった。わざわざ電話してくるというだけで、用件について色々と考えてしまう。


「えっと、もしもし」


 取り敢えず道の脇で立ち止まり、赤坂の電話を受ける。


『もしもし、千尋ちゃん、今ちょっと良い?』


「大丈夫だけど」


 言いながら、俺は街灯を見上げる。寿命が近いのか、蛍光灯は不規則に点滅していた。言葉に出来ない不安が、腹の底から湧いてくる感覚。


『あのさぁ。この前も、相談したじゃん? その、三条さんとのこと』


 赤坂の声は落ち着いていた。少なくとも、俺よりはずっと。


「あぁ……うん」


『このまま、中途半端に噂が流れてるのが、一番良くないかなって、そう思ってさ』


 赤坂が何を言わんとしているか、俺はこの段階で何となく察した。鼓動が早くなり、自然とスマートフォンを握りしめてしまう。


『明日、三条さんに告白するわ。それで、さっさと……この噂、終わらせてくる』


 俺はその言葉を聞いて、その場でしゃがみ込んでしまった。


 赤坂は、何もおかしなことを言っていないのだ。噂と言ったって彼が小夜ちゃんを好きなのは事実である。だから、噂が収まるまで待つなんて、そんなことはしていられない。


 しかし、俺はもう、小夜ちゃんが赤坂の告白を断るつもりだということを、知ってしまっている。そして、赤坂が告白するが為に色々な人と気不味くなることも、理解してしまった。


「……そっか」


 俺は赤坂を止めることも、応援することも出来ず、ただ何の意味もない相槌を打った。何が正しいのか、俺には分からない。だから、何も言うことが出来ないのだ。


『結局、何でも、やってみなきゃ分かんねぇじゃん。頑張っても駄目な時とか、そりゃあ、あるけどさぁ。何もしないより、ぜってーマシだから。だから、もう勢いとノリで行くぜ俺は!』


 何もしないよりマシ、か……。

 思えば、サッカーをしなくなってから、俺は何もしていない。やりたいと思えることを見つけられていない。きっと、怖いのだ。


 それに対して、赤坂はなんて勇気があるんだろう。

 何が正しいかなんて俺には分からない。でも、赤坂のこの一歩踏み出す覚悟を否定することだけは、許されないように思う。


「……赤坂。今のお前、本当に格好いいよ」


 それは、今の俺の、素直な感想だった。赤坂はちょっと憧れてしまうくらい格好良くて、だからこそ、告白の結果を思うと、俺の胸は強く締め付けられる。


『ありがとな! ま、振られたら慰めてくれ! 理沙ちゃんと三人でまたどっか行こうぜぃ!』


 赤坂は明るくそう言って、通話は終わった。


 明日、告白のために呼び出される小夜ちゃんは、どんな気持ちでその場所へ行くのだろう。願わくば、赤坂も小夜ちゃんも、必要以上に傷つかないような、そんな結末が待っていますように。


 そんな無責任なことを考えながら、俺は家まで帰った。

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