第31話 独白④(約束破りの場合)

 サッカー部に復帰した俺は、一人で練習し続けた甲斐あって、部の誰よりもサッカーが上手かった。それも、圧倒的に。本当に、何をさせても俺は一番だった。

 そして、これなら流石に皆、俺を尊敬してくれるだろうと、俺はまだそんな甘い幻想に縋っていた。だから、のこのこと部に戻ってきてしまったのだ。


 俺が戻ってきてから二週間後。最後の公式大会のオーダーが発表された。


「フォワードは溝口、草間……」


 顧問の先生がレギュラーメンバーの名前を読み上げるあの時の感覚を、俺は忘れることが出来ない。


 一人、また一人と名前が呼ばれていき、そして、俺の名前はいつまでも呼ばれなかった。


「ベンチは坂上、城田、幸村、中村、白崎……以上だ」


「あ……」


 ベンチのメンバーにも自分の名前が無いことを理解して、俺は呆然とした。自分の足元がぐにゃりと歪むような感覚。


「先生、どうして……どうしてですか」


 俺は先生の足元に縋るようにして、彼の顔を見上げた。

 先生は眉間に深い皺を作って、重々しく口を開く。


「川内。あのな。サッカーっていうのは、一人でやるスポーツじゃないんだ」


 それだけ言って先生は、部室を後にした。


 俺はふと、後ろに居る大勢の部員たちの顔を見る。


「……はは」


 部員たちは、俺への嫌悪の表情を、隠そうともしなかった。

 そして俺はようやく、自分が何もかもを間違えたのだということに気付いたのだ。自分の愚かさに乾いた笑いが出てしまう程に、俺は打ちのめされた。


 俺はサッカーを、単に自分の力を示す道具として扱っていた。小夜ちゃんとの約束を、自分を正当化するための道具として扱っていた。


 どこまでいっても自己中心的で、救いようのない馬鹿だ。


 そうだ。


 俺はきっと、才能が無かった。


 サッカーの才能だとか、そういう話じゃない。


 人と共に生きる才能が、俺には欠如していた。いや、俺はどこかで、その才能を落としてきてしまったのかもしれない。


「なんか、レギュラーにはなれなかったわ」


 家に帰って、俺は明るい表情を必死に作って、母さんに結果を報告した。毎日汚れた運動着を洗って、大盛りの夕飯を用意してくれていた母親に対し、それだけは最低限の礼儀だと思ったのだ。


「そうなの?」


 少し意外そうな声色だった。


 当然である。

 毎日のように遅くまで練習して、休日にもサッカーのことばかりだった俺が、レギュラーも取れないのだ。それも、ただの弱小サッカー部で。


「でも、途中出場はあるかもしれないでしょ?」


 母さんは困り笑いをしながらも、俺を慰めるような言葉を放つ。


「……うん。そう、だね」


 残念ながら、俺はベンチにも居ない。会場に行っても、観客席で見下してきた彼らの試合を見るだけだ。


 そして、その日は、案外すぐにやってきた。


 試合当日、俺は本来のサッカー部の予定と同じように早起きをした。すると、母さんは俺より早起きしており、カツサンド弁当を拵えていた。

 でも、残念ながら、俺は「勝つ」どころか負ける権利すらないのだ。


 俺は怪しまれぬよう弁当やユニフォームを持って家を出た。行くところは無かった。亡霊のようにふらふらと歩き、気付いた時には隣町の踏切の前で立っていた。


「……線路」


 踏切の真ん中。線路の上で、ふと止まってみる。

 辺りには誰もおらず、やけに青い空が俺を責め立てるように輝いていた。


「このまま……」


 このまま止まったら、死ねる。


 俺は、その時全く冷静ではなかった。死というものが、とても楽で、魅力的なものに見えたのだ。

 電車に轢かれた後、どうなるとか、俺が死んだら悲しむ人が居るかもしれないとか、そんな当然のことを考える力を、俺は無くしていた。


 俺に残っているものなど、殆ど無かった。


 小学校の頃には当たり前のように持っていた友達も、自信も、プライドも、全部無くなってしまった。

 俺なんて、何をやっても上手くいかないんだ。今まで強がってきた反動がきたのか、未来の全てが真っ暗闇に思えた。

 昔は良かった。俺は本当に幸せだった。過去のあの幸せな時間を取り戻すことは出来ない。俺は何もかもを失くして……。


「……何も、かも」


 その時、ふと、机の引き出しにしまったままの、指輪のシールを思い出した。


 そうだ、一つだけ、残っていた。


 もう決して果たされることのない、そんな約束だけど。相手はとっくに忘れてしまっているであろう、ちっぽけな約束だけど。


 踏切の信号が赤く光り、警告音が鋭く響く。


 そして俺は、線路の上から頼りない足取りで離れた。


 自分でも、何故足が動いたのか分からなかった。さっきまで、本当に死んでしまいたいとばかり思っていたのに、どうして、俺は生きようとしたのだろう。

 希望なんて全く見えず、今も最低な気分なのに、どうして死ねなかったのだろう。


 過ぎ去っていく電車を見ながら、俺は泣き叫んだ。拳をコンクリートに叩きつけ、言葉にならない言葉を口にした。


 自業自得なのだ。

 俺はあまりにも自己中心的で、皆に不快な思いをさせて、それに気付きもしなかった。そのことを分かりながら、拗ねて、一人でこんなところで泣いている。


 どうして、俺は死んでない?


 結局、俺が死ななかったのは、心のどこかで死ぬのが怖かったからかもしれない。しかし、最後の一押しは、間違いなくあの約束だった。


「どうして死なせてくれないんだよ、小夜ちゃん……」


 自分で破った約束が、忘れられない。


 俺は、そんな理由で生き残って、そして、高校二年生になるまで生きながらえてしまった。


 毎日、毎日「小夜ちゃんが俺との約束を忘れて、幸せに暮らしていますように。そして、もう二度と俺と出会うことがありませんように」と、そう願っていた。


 でも、考えてみれば、神様が俺のような奴の願いを叶えてくれるはずがないのだ。

 全ては、逆だった。


「はい。私は、三条 小夜と言います。よろしくお願いします」


 小夜ちゃんは俺との約束を守り続けていて、幸せとは言い難く、俺たちは再び出会ってしまったのだ。


 なんて、救いのない話だろうか。

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