第29話 理由(あなたのことを聞かせて)

 取り敢えず、インターホンを鳴らす。


『はーい』


 すると、スピーカーから宮町の声が聞こえた。


「えっと……川内です」


 やや緊張しながら自分の名前を告げる。


『知ってますよ』


 すると、宮町は通話口でクスクスと笑う。


「へ?」


『カメラ、ついてますから』


「あぁ……」


 インターホンのところにあるレンズが、キラリと光る。そうか、つまり、俺の間抜け面もあっちには丸見えということか。


『今行きます』


 そして、宮町が両開きの立派な扉を開き、姿を現す。もこもことした焦げ茶色のパーカーに、体操着よりも短いハーフパンツ。非常にラフな格好だが、服に詳しくない俺でも、一目で質の良いものだということが分かった。


「急でごめん。あぁ、そうだ。プリントを預かってて……」


 門を開く宮町に俺は話しかける。彼女は俺の話を聞かず、自分の家を指差した。


「まぁ話は後で。取り敢えず、上がってください」


「へ?」


 俺としては家の前から近くのどこかで軽く話せればよかったのだが。というか、家に上がって良いのか?


「パジャマで外に立たせ続けるつもりですか?」


 なかなか動かない俺に、宮町はパッと腕を広げ、自らの格好をアピールする。それ、部屋着じゃなくてパジャマなのか……。


「そもそも、なんでパジャマなんだ? もう寝る時間なのか?」


「いえ、朝から着替えてないからです」


 当然のように言い放つ宮町。まぁ、学校に来てないなら、そういうこともあるか。別に他人のサボりにどうのこうの言う程俺は真面目ではないが、とはいえこうも堂々とされると、大丈夫なのかコイツ、と思ってしまうな。


「……まぁ、何でも良いか。お邪魔します」


 とにかく話すには家に上がるのが一番早そうなので、俺は宮町の言う通りにすることにした。


「どうぞどうぞ」


 宮町の家は、内装も非常に豪華だった。花とか絵とか壺が飾られているのが、『いかにも』って感じである。

 萎縮しながら宮町の後に続くと、リビングに着いた。ソファ、テレビ、テーブル、ダイニングキッチン。全てが高級そうで、且つモデルルームのように綺麗な状態だった。何ていうか、生活感の無い家だな……。


「お茶、飲みますか」


 宮町はキッチンの方へ歩き、食器棚からティーカップを取り出す。見れば、テーブルの上には透明なティーポットがあり、その中には何かの葉と、わずかに色付いた湯が入っている。

 多分、ハーブティーってやつだろう。洒落てるな。


「えっと、それじゃあ……お願いします」


「敬語キャラは私の専売特許なんですけど」


「古今東西どれだけ敬語を使うキャラが居ると思ってるんだお前……」


 まぁ、この家の雰囲気に気圧されて使う必要のない敬語を使ってしまったのは確かだが。


「それで、一体どんな御用で? 愛の告白ならいつでも承りますけれど」


 ハーブティーを二つのティーカップに注ぎ、宮町と俺はテーブルを挟んで対面するように座った。


 さっきから宮町以外の人の気配が全くしないので、宮町の『家には誰も居ない』というメールは冗談ではなかったらしい。


「そういえば、色んな部活の人が、来てくれって言ってたぞ」


「へぇ、そうですか」


 宮町は特に興味がないといった風に窓の外を見る。

 宮町が部活というものをどう考えているかは分からないが、よくサボるにも関わらず来てくれと言われる程切望されているのなら、行ってやれば良いのに、と思う。


 とはいえ、そんな説教臭い話をしに来たのではない。


「そうだ、まず、写真部の子からプリントを預かってた」


 俺は鞄からクリアファイルを取り出し、それを宮町に渡す。


「あぁ、ありがとうございます」


 クリアファイルを受け取った宮町は、それを特に見もせず、テーブルの端に置いて、こちらに向き直る。本題を話せ、ということだろう。


「まぁその……宮町に、相談があってだな」


「幼馴染さんのことですか?」


 宮町は頬杖をつき、見透かしたような瞳でこちらを見つめる。


「……知ってたか」


「まぁ、テニス部でも話題になってましたしね」


「まじかよ」


 別学年の宮町にまで話が流れているとなると、相当だな……。


「それで、ちぃ先輩は、私に何を聞きたいんですか?」


 ハーブティーを一口、宮町は身を乗り出し、俺の話を聞く姿勢を見せた。


「宮町は……告白されて、相手を振る時、どうしてた?」


 俺の質問に、宮町は口元に手を当てて考え込む。


「別に、妙なことは、何も。ごめんなさいって、それだけです」


「……じゃあ、恨まれたりとか、そういうのは無かったか?」


「妬まれるのが怖くて美人ができるか! って話ですよ。どうしてもそういうのは、付き纏うもんです。顔が良いとか、お金があるとか、才能があるとか、そういうのってきっと、良いことばかりでも無いんでしょうね」


 それは、ひどく実感のこもった声色だった。俺が想像した通り、宮町にも、過去に色々なことがあったのだろう。そして宮町はそれを受け入れて、開き直っている。


 どうして、そんなことが出来るのだろう。


「小夜ちゃんは、どうすれば良いと思う?」


 もう前置きなど不要だろうと判断した俺は、迂遠な聞き方を止め、最も知りたかったことをストレートに質問する。この問題に正しい答えなど無いということは重々承知だ。しかし、俺は宮町の答えを知りたかった。


「……普通に、真っ当に断って、その結果気不味くなる人とは、ちゃんと気不味くなるべきだと、私は思います。それが嫌なら、付き合っちゃえば良いんじゃないですかね。私の好みとはかけ離れていますけど、あっきー先輩って割と良い人ですし」


 宮町の答えは、非常に常識的で、反論のしようもないものだった。こういう状況になった以上、小夜ちゃんに全く否がないとしても、彼女が痛みを抱えるのは仕方がない。恐らく告白を断って妬まれたり嫌われたりしてきたであろう宮町が言ったからか、その言葉には強い説得力があった。


 思えば、人の想いを他人がどうこうすることなど、考えるまでもなく無理な話だ。


「……」


「あの、ちぃ先輩」


 黙り込んでしまった俺に、宮町が話しかけてくる。リビングにある大きな掛け時計の秒針が、カチッと鳴った。


「先輩はどうして、あの人にそこまでこだわるんですか?」


 視線をティーカップに落とし、俺の返事を待つ宮町。


 その質問は、小夜ちゃんに聞かれたものとよく似ていた。


 俺が小夜ちゃんを、どう思っているか。


「それは……約束を破った負い目があるから。だから、助けたいんだ」


 何度も小夜ちゃんに言った言葉を、今度は宮町にぶつけてみる。すると宮町は顔を上げ、ビシッと俺の方を指差した。


「そこです」


「……そこ、とは?」


「先輩はどうして、幼馴染さんとの約束を破ったんですか?」


 いつか、聞かれるだろうと思っていた質問だった。


 何と答えようかと悩んでいると、喉が酷く乾いてくる。そこで俺はようやくハーブティーを一口飲んだ。

 爽やかな風味。鼻をすっと抜けるレモンにも似た香り。その全てがとても美味しくて、心を落ち着かせるような効果を持っていたが、しかし、俺の心は全く穏やかさを取り戻すことはない。


「そ、そういえば、時間は大丈夫か? 親御さんが帰ってくるとか、そういうことはない?」


 俺はわざとらしく時計を確認する。

 宮町は俺をちょっと責めるような目つきで、「心配ないです」と言った。


「きっと、私たちがリビングでキスしてても、大した反応しませんよ、あの人たちは。だから、大丈夫」


 宮町の冷たい声色は、俺に『逃げるな』という意味の信号を送っているかのようだった。小夜ちゃんのことを相談しに来たのに、何故か俺の話になってしまっている。もしかしたら、そもそも宮町はこのことについて聞くために俺を家に上げたのかもしれない。


 まぁ、誤魔化すような話でもない。ただ、馬鹿な少年が一人居たという、それだけの話だ。あまりにも馬鹿馬鹿しくて誰にも話したことが無かったが、この際、打ち明けてみるのも良いかもしれない。


「……長くなるけど、それでも良いなら」


「望むところです」


 宮町が興味津々といった風に身を乗り出すので、俺はもう一度ティーカップを手に取る。


 口内を芳しい液体で湿らせてから、俺は話を始めた。

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