第26話 噂(赤坂の好きな人)
朝、廊下を歩いていたら「赤坂が……」と女子たちが話しているのが聞こえた。
これで聞こえているのが俺や落合の名前だったら「もしかして陰口でも叩かれているんだろうか」と不安になるところだが、赤坂ならば心配ないだろう。
そんなことを考えながら教室に入ると、赤坂の周りには普段以上の人だかりが出来ていた。その人々は輪になって赤坂を囲んでおり、何やらこそこそと話をしている。
その中心で、赤坂は困り笑いをしていた。
「……へぇ」
友達に囲まれて、赤坂があんな表情を見せるのは、珍しいのではないだろうか。一体何が……。
「なぁ、告白しねぇの?」
「あんまプレッシャーかけんなよー」
試しに聞き耳を立ててみると、隣のクラスの奴と赤坂とのそんな会話が聞こえてくる。どうやら赤坂の困り笑いは、恋愛絡みのからかいを受けてのものだったらしい。
すると、小夜ちゃんが教室に入ってくる。
クラス中の視線が、引き戸の方へ集まった。
その反応で、ようやく俺は事態を理解した。恐らく、赤坂の好きな人がどこからかバレてしまい、周知の事実と化したのだ。
赤坂は友達が多く、目立ちたがり屋だから、俺たちの学年ではちょっとした有名人である。そして、転校生であり超絶美人の小夜ちゃんもまた、学校中で有名だ。そんな二人の惚れた腫れたなんて、観衆垂涎モノのゴシップだろう。
「……?」
小夜ちゃんは不思議そうに辺りを見回す。
「ほら、話しかけてこいよ」
小夜ちゃんの様子を見て、男子たちが赤坂を肘でつつく。赤坂は「止めろよ―」と笑いながらも彼らの動きを止めようとする。
小夜ちゃんはそうした赤坂たちの様子を一瞬だけ見てから、いつも通り、女友達へ話しかけた。
「おはよう」
「あ、うん。おはよう……」
赤坂たちを無視したとも取れる態度に、話しかけられた女子も戸惑いを隠せない様子である。
「ほら、行けよ!」
そして、とうとう男子達に押し出された赤坂は、小夜ちゃんの目の前に立つ。赤坂はため息をつくと、仕方がないとばかりに小夜ちゃんへ話しかける。
「……三条さん、おはよう」
「うん。おはよう」
小夜ちゃんは微笑みを切らさず、赤坂へ挨拶をする。
赤坂は挨拶を終えると、早々に自分の席に戻った。周りの男どもは小夜ちゃんが気付いていないとでも思っているのか、赤坂へ「もっと話せよ」とか適当なアドバイスをする。
……見ていてあまり、気持ちがいいとは言えない光景だった。
「……何か、噂になっちゃってさ」
放課後、赤坂と俺は、屋外プールの入り口にあるコンクリートの階段に腰掛けて、話をしていた。
赤坂の話によると、彼は俺と宮町以外に、カノジョ持ちの友達にも恋愛相談をしていたのだ。そして、その友達がうっかり「赤坂は小夜ちゃんが気になっている」という話を漏らしてしまったのだという。
そして噂は瞬く間に広がり……赤坂の好感度の高さもあって、今では皆が応援をしてくれるようになったそうだ。
……当人の気持ちを無視した、応援を。
「三条さん、ガチで困ってるよなぁ」
赤坂はため息を付き、頭を抱えた。
「まぁ、困るだろうな」
誘いを受けようと断ろうと、騒がれるのは目に見えている。しかも、その結果が周知の事実となるなんて、断りづらいことこの上ない。
「何か俺、傍から見たらさぁ。『外堀を埋めようとしてる小狡い奴』みたいだよな。……もしかしたら三条さんにも、そんな風に思われてたりしてなぁ」
普段の様子からは考えられない程、落ち込んだ声を出す赤坂。
確かに、赤坂本人にそんなつもりが無くとも、小夜ちゃんからすれば、そう見られても仕方がないだろう。
「その、何とか言って、止めさせることは……」
「多分、無理。もう俺の友達には言って聞かせたけどさぁ。噂が広がり過ぎてて、おかしな風に見られるのは止めらんねぇ」
まぁ、俺も本気でそんなことが出来るとは思っていなかった。噂というのは瞬く間に広がり、そして皆が飽きるまで、どんどん苛烈になっていくものだ。
如何に赤坂の交友関係が広いと言えど、完全に止めるのは不可能だろう。
「あ、もう部活始まるわ。千尋ちゃん、付き合ってくれてサンキュ」
携帯の画面を見て、赤坂は立ち上がり、テニスコートの方へ向かう。
その背中は、明らかに元気がなく、足取りも頼りないものだった。
俺にとって非常に希少な友人の悩みを、何とかしてやりたい。しかし、俺に出来ることと言えば、こうして話を聞いてやることくらいだ。
赤坂と別れた後、俺は答えの出ない問題を考えながら帰路についた。
……小夜ちゃんは、赤坂の想像通りのことを考えているのだろうか。小夜ちゃんは赤坂の誘いを断るのだろうか。断ったら、周りはどんな反応をするだろう。小夜ちゃんにどんな目を向けるだろう。
「あ……もう家か」
考え事をし過ぎて、気付いた時には、俺は家のすぐ近くに居た。確か今日は、母さんに用事があって、夜まで誰も居ないはずだ。鞄のポケットから家の鍵を取り出し、俺はドアを開こうと……。
「……ちょっといい?」
すると、ドアの前に小夜ちゃんが立っていた。
「え、小夜ちゃん?」
全く予想していなかった来客に、俺はひどく驚く。
制服のまま家の前にいた小夜ちゃんは、持っていた携帯をポケットに入れた。俺の方を見るその表情は硬い。
「相談が、あるんだけど」
「相談?」
そう言われて、俺が最初に思いついたのは、赤坂との噂のことだった。とはいえ、まさか赤坂のように、俺にただ話を聞いて欲しい、なんて相談ではないだろう。
仮にそうだったら、小夜ちゃんはここまで緊張していないはずだ。
小夜ちゃんは何かを言おうとして、躊躇う。それから目を逸らし、しかしやっぱり再びこちらを見て、深呼吸をした。
「ちーくんと幼馴染だってことを、皆にバラしたいんだけど……良い?」
俺は小夜ちゃんが、何を言っているのか理解が出来なかった。
「俺と幼馴染だってことをバラしたいって……何で?」
あまりに衝撃的な話で、俺は小夜ちゃんが言ったことを復唱した。何度言っても、おかしな話だ。
だって、小夜ちゃんは俺が幼馴染だって判明してから、クラスで幼馴染の話をすることは殆ど無くなった。聞かれた時に答えるくらいだ。だから俺は、小夜ちゃんも俺が幼馴染だということを隠したがっているのだと思っていた。
宮町とカラオケに行ったのだって、その秘密を守るためというのが大きな要因だったのに、それを今更バラそうなんて、どうかしているとしか思えない。
「だって……」
小夜ちゃんは自らの肩を抱き、理由を話すのを躊躇っているようだった。
でもやっぱり、小夜ちゃんが今悩むとすれば、赤坂の件しかないだろう。しかし、俺が幼馴染だとバラして、小夜ちゃんに何の得があるかはまだ分からない。
俺は視線で小夜ちゃんに話すよう促すと、彼女は視線を逸らしながら、ゆっくりと口を開く。
「やっぱり私には『ちーくん』が必要だった。だから、私は、私と『ちーくん』との関係を、取り戻したい」
「え? それは、どういう……」
「もう、どうしたら良いか分からないの。ちーくんが居ないと、私、やっぱり駄目なの!」
縋るように俺へ近付いてくる小夜ちゃん。憔悴しきった表情が、彼女の抱える事情の深刻さを感じさせる。
どうして、ちーくんが居ないと駄目なんてことになるんだ。小夜ちゃんは、俺が居なくても、立派にやってたじゃないか。約束を守ろうと、努力をして、美人で人気者の、凄い人になっているじゃないか。
「ちょっと待てって。どうしてそんな風に考えたのか、ちゃんと説明してくれ」
俺は小夜ちゃんの肩を掴み、正面から彼女の目を見る。
「……ずっと好きだった幼馴染が、現実に、直ぐ側にいれば、きっと、赤坂君は私のことを諦めてくれると思ったから」
小夜ちゃんは観念したように、ぽつりぽつりと本音をこぼす。
つまり小夜ちゃんの目的は、幼馴染が云々ではなく、赤坂に告白を諦めてもらうことだったのだ。
「そんなことしなくても、普通に断れば……」
そこまで言って、俺は今日の教室を思い出す。
「そんな簡単な話じゃないの」
「……今のは、俺が悪かった。でも、あれは周りが悪ノリにしてるのが良くないだけで、赤坂は何もしてない」
「別に私は、赤坂君がどうとか、そういう話はしてないよ。私には、赤坂君を諦めさせる手段と理由がいるの。そのために、手を貸してくれるかどうか。私はそれしか聞いてない」
その時、街に帰りのチャイムが響いた。ノスタルジーを感じる古びた音に、思考が一瞬中断された。
赤坂を、諦めさせる。
川内 千尋が幼馴染で、大好きだからと、そういう嘘をついて、そういう噂を流して、諦めさせる。
俺の脳裏に、赤坂の顔が浮かんだ。ちょっと照れて、恋バナをする横顔。小夜ちゃんとのことを、本気で悩む顔。
「どうして、赤坂じゃ駄目なんだ? アイツ、良い奴だよ。小夜ちゃんのこと、本気で心配してる。スポーツも出来るし、頭だって悪くない。周りが変に噂するから、嘘をついて諦めさせようとするなんて、おかしいだろ? そんなの、赤坂が可哀想だ」
確かに、俺は小夜ちゃんを助けたいと思っていた。しかし、赤坂のことを思うと、俺はどうしても小夜ちゃんの提案に賛同するわけにはいかない。
きっと、俺の言葉が想定外なものだったのだろう。小夜ちゃんは唇を震わせ、目を大きく見開く。
「……ちーくんは、私と赤坂君に、付き合ってほしいの?」
それは、本当に、口からポロッと飛び出してしまったような言葉だった。俺の返事を待って、小夜ちゃんは唾を飲む。
「それは、小夜ちゃん次第だろ。俺は赤坂を良い奴だと思うけど、どうしても嫌だって言うなら、それは仕方ない。ただ、もし断るなら、ちゃんと、正々堂々断って欲しいと思う」
「……そっか」
小夜ちゃんはそう言うと、俺を見つめたまま、少しの間黙った。
そして、彼女は静かに涙を流す。
「あれっ、何でだろ。どうして……」
小夜ちゃんは自分の涙に戸惑っている様子で、止まらない雫を両手で拭っている。
「小夜ちゃん……」
どうして良いか分からず、俺はとにかく小夜ちゃんへ手を伸ばそうとする。
「変なこと言って、ごめん。さよなら!」
しかし、小夜ちゃんは涙を流したまま、その場を立ち去ってしまった。
小夜ちゃんが居なくなった自宅前で、俺はしゃがみ込み、頭を抱える。
「どうすりゃ良いんだ……」
赤坂のことを、応援したい。でも、そうすると、小夜ちゃんは傷ついてしまうかもしれない。
でも、俺には何を変える力も無い。
俺は、なんて無力なんだろう。
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