第25話 幼馴染(あくまで属性)

 そのテーブルは、あまりにも重苦しい雰囲気を漂わせていた。それは、店員が一瞬注文を取りにくるのを躊躇うほどである。


 本屋で小夜ちゃんと出会った後、彼女は俺と宮町を半ば引きずるようにしてこのファミレスに連れてきたのだ。そんな彼女の持つ負のオーラといったらなかった。


 俺たちが座ったテーブル席は最も入り口に近い席である。ソファの側に俺と宮町が隣り合って座り、俺から正面の椅子に小夜ちゃんが項垂れるようにして腰掛けている状態だ。それぞれの席の前には、ドリンクバーでとってきた飲み物がある。


「あの」


 小夜ちゃんが俺たち二人を真っ直ぐと見つめる。

 そして。


「何でもするのでこのことは黙っていて下さい……」


 小夜ちゃんは頭を下げた。


「えぇ……」


 俺も宮町にあの漫画を買うことを隠そうとしたこともあり、小夜ちゃんの気持ちは分かる。大いに分かるが、それにしたって必死すぎやしないだろうか。


「ふっふーん! じゃあ、まずはデラックスいちごパフェを半分しましょうか、ちぃ先輩!」


 機嫌よくメニューを眺める宮町。状況に順応するのが早すぎる。


「奢る程度で済むのなら、幾らでも奢るわ」


 小夜ちゃんは切腹を決めた武士のような表情を浮かべた。


「その、別にそんなに気にしなくても……」


 助け船を出すつもりで、小夜ちゃんへ視線を送る。


「……ちーくんには分かんないんだろうね」


 俺の視線を受けて、小夜ちゃんは俯く。


「へ?」


 分からないって、一体何が?

 そう思ったら、小夜ちゃんは突然立ち上がり、こちらへ詰め寄ってくる。その顔は興奮で真っ赤だった。


「現実で幼馴染ロスになったから心の穴を幼馴染がラブラブする漫画で埋める屈辱も、それでもこの漫画を発売日まで滅茶苦茶楽しみしていた自分への嫌悪感も、それが幼馴染本人にバレる羞恥も、全部全部、ちーくんには分からないんでしょうね!」


 一気に言い切って、涙目で睨みつけてくる小夜ちゃん。


 何で俺が責められてるんだ……。


「……ぷっ」


 隣で宮町が笑いを堪えたのが聞こえる。まぁ、傍から見れば小夜ちゃんのこの剣幕はちょっと面白いかもしれない。

 ただ、当然俺にとっては笑い事でも何でも無い訳で。


「いや、その気持ちは、分かる。分かるんだよ、小夜ちゃん」


「なんで!」


 そう問われて、俺は小夜ちゃんの持つビニール袋を指差す。


「……俺も、同じものを買いに来てたから」


「え」


 立ち上がったまま硬直する小夜ちゃん。


「だからまぁ、言ってしまえばこの件は痛み分けってことで……」


「嘘! だって、ちーくんの部屋の本棚にこの漫画は無かったでしょ。そんな嘘で私は誤魔化されないから」


 ビシッと俺の鼻先を指差し、小夜ちゃんは理路整然と反論を行う。俺の部屋でアルバムを探した時のことを言っているのだろう。


「あの本棚は、手前と奥の二列で本が収納できるようになってる。誰に見せるわけでもないけど、ちょっと恥ずかしかったから奥に入れたっていう、それだけの話だよ。どうしても証明してほしいんなら、持ってる全巻を写真に撮って見せても良い」


 俺は小夜ちゃんへ、全くの事実だけを告げた。

 小夜ちゃんはそれでもまだ低く唸って考え込んでいたが、俺の言い分におかしなところが無いことに気付き、ようやく脱力した。


「まさか、ちーくんがあの漫画のファンだなんて思わなかった」


 俺の方を見て、小夜ちゃんは複雑そうな顔を見せる。


「俺だって、まさか小夜ちゃんがあの漫画を読んでたなんて夢にも思わなかったよ」


 きっと、俺の表情もまた、小夜ちゃんが浮かべるそれと、対して違わないようなものなのだろう。


「……」


 小夜ちゃんが、こちらをじっと見てくる。


「な、なんだよ」


「どうしてこの漫画が好きなの?」


 小夜ちゃんは手元にある書店の袋にそっと触れる。


「……話が面白いから」


 俺は宮町にしたのと同じ説明をする。


「……ふーん」


 すると、小夜ちゃんはどうでも良さそうにストローへ口をつける。グレープフルーツジュースがゆっくりと彼女の口へ届くのを見て、俺は自分の喉が乾いていることに気付いた。


「どうして幼馴染さんが先輩の部屋のことを知ってるんですか?」


 宮町が俺達二人を見て、目を細める。確かに、宮町からすれば訳が分からない話だろう。


「それは、母さんが……」


 俺が説明しようとするのを、宮町の言葉が遮る。


「浮気ですか?」


「いや、浮気も何も付き合ってないだろ……」


「私とのことは遊びだったんですね」


 わざとらしく目を潤ませる宮町。演技だというのは分かっているが、こういう仕草をされるとどうしても弱ってしまう。


「遊びとか、そういう話じゃなくてだな」


「……随分仲が良さそうね」


 小夜ちゃんは頬杖をつき、こちらを観察してきた。


「そりゃあもう、仲良しですよね、先輩。そろそろ私に惚れてくれても良いんじゃないですか?」


 宮町はぐいっと腕を絡ませてくる。突然のことに対応できず、俺と宮町はそのまま密着した。


「眼の前でイチャつかないでくれる? ラブコメ漫画を買って心の穴を埋めてる私の前で、その原因とイチャつかないでくれる?」


 俺たちの姿を見て、小夜ちゃんが唇を噛む。

 俺は「勘弁してくれ」と宮町から離れた。宮町は「つれないですねぇ」と言いながらも、別に抵抗はしない。


 そして宮町は視線を小夜ちゃんへ向ける。


「元はと言えば私たちのデートに水を差してきたのは幼馴染さんの方でしょう? 私たちが貴方の前でイチャイチャしているのではなく、イチャイチャしている私たちの前に貴方が居るだけでのことです」


 まぁ、確かに俺たちをファミレスに連れてきたのは小夜ちゃんだが、その言い分は正直どうかと思う。


 小夜ちゃんは納得いかなさそうに俺を睨みつける。

 ……なんで俺?


「宮町さんは、一体、ちーくんのどこが良いの?」


 小夜ちゃんのその質問は、言外に「普通こんな奴を付き合いたいなんて思わないだろ」という意味を持っていた。この前の昇降口の時とは打って変わって、今日の彼女は敵意丸出しだ。


「……まぁ、私の好みに合うから、としか言いようがありませんけど」


 ここで駄目人間云々の持論を言っても話がややこしくなるだけだと思ったのか、宮町は普通な回答をする。でも、頼むから本人の前でそんな話をしないで欲しい。


「あのね。ちーくんは絶対に釣った魚に餌をやらないタイプだから。どんなに尽くしても無駄だからね」


「それは興味深いお話ですね」


「だってそうでしょ? 私は何年も待たされた挙げ句突き離されたし、宮町さんは好きって言っても曖昧な態度でキープされてるだけ。そんな駄目人間、絶対好きにならない方が良い」


 駄目人間、と聞いて、宮町の口角が上がる。


「そう言われると、私は益々、ちぃ先輩は私の運命の相手なのではないかと思ってしまうのですが」


「ねぇちーくん。この子なんかおかしくない?」


 宮町へドン引きする小夜ちゃん。気持ちは大いに分かる。


「おかしいのは否定しない」


 そう思って頷くと、宮町は心外そうな顔をした。


「別におかしくないですよ。好みは人それぞれです。それとも、幼馴染さんは私がちぃ先輩を好きだと困ることでも?」


「……そ、そんなこと、無いに決まってるでしょ」


 手元のグレープフルーツジュースへ視線を落とす小夜ちゃん。氷が崩れて、カランと涼し気な音がする。


「というか、じゃあ、ちーくんは宮町さんをどう思ってるわけ?」


 小夜ちゃんは声を荒らげて、明らかに話を逸らしにかかった。


「え……」


 女子二人に詰め寄られ、俺は蛇に睨まれた蛙のようになった。冷や汗が止まらず、心臓が鈍い痛みを訴える。


「いや、俺はそもそも、誰とも付き合う気が無いというか……」


「その割には宮町さんと一緒に居るじゃない」


 小夜ちゃんから鋭い突っ込みが飛んでくる。何だか、本気で浮気の疑いでもかけられているような気分だ。

 とはいえ、確かに俺は宮町の好意に甘えて、彼女に失礼な態度をとっていたのかもしれない。やっぱり、付き合う気が無いのなら、それは毅然とした態度で断るべきなのだ。


「えっと、宮町……」


 そう思って俺は宮町の方をちらと見る。

 おでこに鮮烈な痛み。


「痛っ!?」


 どうやら、宮町が俺にデコピンをしたらしかった。そして、宮町は馬鹿を見るような目でこちらを見ている。


「私は、先輩がどう思っていようと、アピールし続けますよ。餌を貰えないなら、貰えるまで動き続けます。それが幸せなのか不幸なのかは、私が決めることで、他の誰が決めることでもないでしょう?」


「……それは」


 そう言われてしまうと、俺としては閉口するしか無い。しかし同時に、どうして彼女は、俺にここまで惚れ込んでいるのだろう、とも思ってしまう。

 駄目人間なんて、幾らでも居るはずだ。幼馴染を裏切ってのうのうと生きているという意味では俺も相当な駄目人間だが、探せば俺以上の奴だってきっと見つかるはずである。


「……なんか、男に都合の良いラブコメヒロインみたいな台詞」


 小夜ちゃんは無意識に自分の荷物の方を見た。


「それは逆ですね。私が先輩に都合が良いんじゃなく、先輩が私にあまりにも都合が良いんです」


「はいはい、ごちそうさま」


 宮町に話に小夜ちゃんはぐったりした様子だった。考え方が違いすぎて、二人の間にはコミュニケーションがままならないのかもしれない。


「ごちそうさまを言うには早いですよ? すいませーん!」


 そして、宮町は疲弊した小夜ちゃんを尻目に店員を呼ぶ。


「ご注文は?」


「デラックスいちごパフェ一つ!」






 帰り道。


 巨大パフェを食べ終え、ちょっと気持ち悪くなったらしい宮町は早々に帰宅してしまい、俺と小夜ちゃんだけが取り残されるような形となった。


 商店街から帰る方向は、俺も小夜ちゃんも同じだ。だから、別々に帰るのも何だか妙な気がする。しかし、一緒に帰るのも、それはそれで気不味いものがあった。


 俺は今日、小夜ちゃんと話して、非常に安心したのだ。

 彼女が、この前の昇降口でのことを、話題に出さないでいてくれたから。だから、俺は小夜ちゃんの前で普通にしていられる。


 しかし、こうして二人きりになったからには、小夜ちゃんがあの話題を蒸し返してくるとも限らない。


「えっと、俺、よく考えたら本屋で何も買わなかったから、ちょっと寄って帰るわ。それじゃあ」


 そこで、俺は先手をうって小夜ちゃんと帰るという事態を避けようとする。


「……」


 小夜ちゃんは話を聞いて、何度か瞬きをした。


「え、なに?」


「着いていく」


「へ?」


 完全に想定外の言葉だった。どうして突然そんなことを言い出したのかと心の中で首を傾げていると、小夜ちゃんはやや早足で歩き出す。


「確認よ。あの漫画を買うって言ってたのが、嘘じゃないかの確認」


「……あぁ、そういうことか」


 ある程度納得できる理由を聞かされて、俺は胸をなでおろした。

 ファミレスから本屋はすぐだった。俺と小夜ちゃんは真っ直ぐ漫画の新刊コーナーへと向かう。そして、小夜ちゃんが買っていたラブコメ漫画を手に取り、俺はレジへ向かおうとした。


「……幼馴染、好きなの?」


 すると、背後から小夜ちゃんに声を掛けられた。俺は驚いて、持っていた漫画を落としてしまいそうになる。


「あ! え、いや、そういう意味じゃなくて!」


 俺の動揺する様を見て、小夜ちゃんは自分の言葉足らなさに気付いたらしかった。

 彼女が言いたかったのは、属性として『幼馴染』というものが好きかどうか、という話なのだろう。


「まぁ、好きだけど……」


 そういう意味ならば、答えないほうが逆に変な感じになりそうだ。俺は素直に自分の好みを話す。


「そ、そうなんだ」


 長い髪をかき分け、落ち着かない様子の小夜ちゃん。

 そっちがそんなだから、何だか俺まで妙なことを口走ったみたいな雰囲気だ。


「でも、結局作品によるよな。この漫画は、伏線とか、すごいし」


 俺が話を変えると、小夜ちゃんは深く頷く。


「それ、すっごいわかる!」


 これは人間ならば誰しもそうだが、好きなものについて語っている人というのは、いい笑顔をするものだ。そして小夜ちゃんは今、そういう顔をしていた。


「この鞄に付いてるキーホルダー、自分で作ったの」


 小夜ちゃんはリュックについている小さなぬいぐるみを見せてくる。それは、漫画に出てくる、タヌキみたいなマスコットのぬいぐるみだった。既製品かと思うほどのクオリティだ。


「へぇ……凄いな」


「良いでしょ」


 俺が褒めると、小夜ちゃんは得意げにまた笑う。


 ……教室でも、そんな笑顔を浮かべていられたら、きっともっと、皆と仲良くなれるのになぁ。

 絶対に口には出さないけれど、そう思う。


 そして俺達は、その漫画の話をしながら、二人で帰った。

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