第23話 本当の気持ち(?)

 顔の表面が、じんわりと熱くなった。手こそ動かしてはいるが、作業は全く出来ていない。


 手紙の差出人が俺だということに、どうして小夜ちゃんは気付けたのだろう。一時のテンションに任せて書いた手紙だったから、何か俺と分かるような文面があったのかもしれない。


「……あのね。私があのキャンディーを好きだったって知ってる人なんて、ちーくんしか居ないの」


 動揺する俺に、小夜ちゃんはちょっと呆れたような目を向ける。


「え?」


「朝日があのキャンディーを渡してきた時点で、私が小さい頃あれを好きだったことを知っている人は、お母さんかちーくんしかいなかった。お母さんが朝日に私の好きなものを教えたことを隠す理由は無いでしょ? だから、消去法でこの手紙を書いたのはちーくんってわけ」


 自分の推理を話し終え、得意げな顔を見せる名探偵小夜ちゃん。


 確かに、考えてみれば、ここから引っ越す以前の幼い小夜ちゃんのことを知っている人間というのは、驚くほどに少ない。

 俺の場合は非常に深い付き合いをしていたから覚えていたというだけで、小学二年生で引っ越した話したこともないクラスメイトのことなんて、覚えている方が珍しいはずである。


「好きなお菓子まで覚えてて、こんな手紙まで送ってさ。俺とは関わらないでくれって、どの口が言うのよ」


 小夜ちゃんは少し歩いて、昇降口の太い柱に寄りかかった。


「それは……」


 痛いところを突かれて、俺は何の反論も出来ない。


「私、最初は貴方のこと、約束を破って、一方的に忘れろって言ってきて……なんて酷い人なんだろうって思った」


「それで間違ってない。そのままの認識で良いんだ。別に恨んでくれたって良いから、変に関わるのは止めてくれ」


 小夜ちゃんはそんな俺の姿を見て、拳をギュッと握る。


「もう、嘘はつかないで。私は、本当のことを知りたいの」


 あまりにも真剣な瞳だった。

 思えば、俺は小夜ちゃんに関わらないでくれと言っておきながら、小夜ちゃんのことばかり考えていた。


 本当のこと。


 そんなこと、俺にも分からなかった。俺は本当に、小夜ちゃんに、俺と関わらず幸せになってほしかった。でも、彼女が落ち込んでいるとか、そういう話を聞いて、俺は心配せずにはいられなかった。


「……あのさ。その、はっきりさせておきたいんだけど、ちーくんは、私のことどう思ってるの?」


 その時、一陣の風が吹いた。小夜ちゃんの長い髪が、風に煽られてふわりと広がる。彼女の瞳には、やや緊張の色があった。


 ここで嘘をつくわけにはいかない。そう思うと、俺の身体にも勝手に力が入る。


「俺は小夜ちゃんに幸せになって欲しいと思ってる。前を向いて生きて欲しいって、そう思ってるよ。信用が無いかも知れないけど、これだけは本当だ」


「そうじゃないの!」


 小夜ちゃんが大きな声で俺の話を遮った。


「私が聞きたいのは、ちーくんがどうしたいかって話。だって、ちーくんはずっと、私の話しかしてないじゃない。自分がどう思っているのか、一つも話してない。だから、私はちーくんの考えてることが分からないんだよ」


 その言葉を聞いて、俺は訳が分からなくなる。

 小夜ちゃんは一体、何を言っているんだ?


「俺はずっと、自分のことしか話してないだろ。小夜ちゃんに、俺なんかと関わらず、真っ当に幸せになって欲しい。それが、俺のやりたいことで、俺が持ってる小夜ちゃんに対しての思いだ」


「だから、私のことを突き離すんだ」


「……そうだよ」


 売り言葉に買い言葉で、俺は素直にそれを認めた。小夜ちゃんは話をする俺の顔を、つぶさに観察している。


「じゃあ、どうして私に幸せになって欲しいの?」


「それは、約束を破ったから負い目があって……」


「本当に?」


 桜色の唇が、微かに震える。潤んだ瞳は、俺を捉えて離さなかった。


「何言ってんだよ」


「本当に、それだけ? 破り捨てた約束をした相手を、ずっと覚えていて。好きなお菓子まで暗記してて。部屋に思い出のシールを隠してて。その上こんな……こんな手紙まで書いて」


「それは……」


「全部全部、負い目からの行動なの?」


 小夜ちゃんが詰め寄ってくる。俺は、まるで喉が失われたように声が出ない。自分の身体が、心が、答えを出すことを拒んでいる感覚。


 小夜ちゃんはひどく緊張した様子で俺の返事を待っていた。

 彼女は、俺のことが好きじゃないと言っていたはずだ。

 彼女は今、俺のどんな返事を待っているのだろう。俺がどうすることを、期待しているのだろう。

 俺は、何故答えあぐねているのだろう。

 本当は、俺は……。


「屋内練習いくよー!」


 大きな声に、小夜ちゃんはぱっと俺から距離を取る。


 すると、昇降口に女子テニス部の連中がぞろぞろとやってきた。テニス部は時間を決めて、テニスコートを交互に使っている。だから、男子がテニスコートを使っている間、女子は廊下で筋トレをすることがあるのだ。


「あれ、三条さん、どうしたの?」


 すると、女子テニス部のうち一人、同じクラスの女子が小夜ちゃんに話しかける。


「ああ、ううん。何でも無いの。それじゃあね!」


 小夜ちゃんは慌てて昇降口から走り去っていった。


 俺はぽかんとして彼女の後ろ姿を見る。


「今のって三条 小夜ちゃん?」


 靴箱の辺りで女子テニス部の面々が会話しているのが聞こえる。


「そうそう。本当に美人だよね、あの子」


「でも何か……」


「何か?」


「さっきは、普段よりもっとずっと可愛かったっていうか、なんか、素の表情って感じだった」


 小夜ちゃんに直接話しかけたクラスメイトは、そんなことを言った。


 俺は何だか居ても立っても居られなくなって、走り出す。間違っても小夜ちゃんに追いついたりしないように、わざわざ裏門から。


 少し走ってから、ふと路肩に駐車されていた車の窓を見る。

 そこには、頬を仄かに赤くした、馬鹿みたいな男が立っていた。

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