第22話 三条(さん)
赤坂や朝日君と話をしてからというもの、俺はどうしても、小夜ちゃんのことが気になって仕方なくなってしまった。
小夜ちゃんに片思いをしています……とか、そういう話ではなく。
赤坂の「小夜ちゃんが自分のことをあまり話さない」と言った、あの件である。
その話を聞くまで、俺は本気で小夜ちゃんは何の問題も無く、幸せな日々を過ごしていると思っていた。クラスの中心で笑う小夜ちゃんの姿はあまりに眩しくて、そして、その眩しさで俺の目は眩んでいたのだ。
俺が『ちーくん』であることがバレた時、小夜ちゃんは自分が今まで約束のためにどれだけ努力したかということを話してくれた。
望まぬ再会を果たしたあの時まで、俺の知っている小夜ちゃんというのは、気弱で、臆病で、人付き合いが苦手で、守りたくなるような、そんな女の子だったのだ。
それが、あんなに堂々と、明るく皆と話している。ちょっと遠慮してしまいそうになるくらい、完璧な女性としてそこに居る。
そうしたことを考えると、小夜ちゃんのクラスで見せる顔の全てが嘘という訳ではないにしろ、気持ちが見えづらい部分があるのは寧ろ当然のことかもしれなかった。
「三条さんって、どこで服買うの?」
昼休み、クラスの女子たちが、小夜ちゃんに話しかける。
「えっと、郊外のショッピングモールとか……まぁ、皆とそんなに変わらないと思うけど」
何というか、いかにも当たり障りの無いような回答をする小夜ちゃん。それとも、赤坂の話を聞いたせいで、先入観があるからそう聞こえるだけなのだろうか。
「でも三条さんって絶対オシャレじゃない?」
「そんなことないよー」
小夜ちゃんの私服センスが時間をかけてどうなったかは全く知らないが、しかし『ちーくん』の為に美容にも気を遣っていたらしい彼女である。ファッションにも明るいであろうことは想像に難くない。
「絶対オシャレでしょ。少なくとも、この前遊び行った時に全身ピンクだった亜香里よりはオシャレだって」
そう言った女子は、隣の女子へ「だよね」と確認を取り、にやりとする。その亜香里さんとやらを俺は知らなかったが、何やらそういう内輪ネタがあるらしい。
渾身のジョークに大きな声で笑う女子達。
「ははは……」
しかし小夜ちゃんは、何だかそれに合わせるように、力なく笑っていた。多分、彼女には内輪ネタが伝わらなかったのだろう。
三条さん。
思えば、名字にさん付けとは、随分と他人行儀な呼ばれ方だ。
「なに女子の方ジロジロ見てんだ? 変態」
唐突に、頭の上に何かが置かれる。
それは、俺が注文した焼きそばパンだった。
「おぉ、ありがとう……落合さん」
落合は毎日購買でパンを買うので、俺はたまに落合へついでに自分の分を買ってもらえるよう頼むことがある。
「どういたしまして。川内さん」
言ってから、落合は鼻で笑う。
「やっぱり、ちょっと他人行儀だよなぁ」
自分で言っても、落合に言われても、違和感があった。そういえば赤坂だって、違和感があるといえばそうだ。お調子者で誰とでも簡単に距離を詰める彼が「三条さん」と呼ぶのは、珍しいことではないか。
落合は俺の言葉を聞き、それから、俺が見ていた女子グループの方を見る。
「……ま、仕方ないんじゃねぇの」
「仕方ない?」
「あんまりに美人で、性格も良くて……そんな奴と心の底から仲良く出来る気なん
て、しねぇよ。遠慮しちまうのが普通だろ」
そして、落合は再び視線を女子グループに向ける。俺もつられて、同じ方を見た。
俺は、幼馴染として、小夜ちゃんの過去を知っている。加えて、今の小夜ちゃんが俺のせいで怒ったり、悲しんだりする姿を目の当たりにした。でも、俺以外の皆は、そんな小夜ちゃんを知らない。それどころか、小夜ちゃんが怒ったりするのを、俺は教室で見たことがなかった。
恐らく彼女が皆の前で感情を大きく動かしたのは、転校初日。俺と出会った時のみだ。それを考えれば、赤坂が幼馴染である俺を頼るのは寧ろ当然のことだったのかもしれない。
「完璧な人は近寄りがたい、か……」
確か、宮町も似たようなことを言っていた。
完璧な人間はつまらない。駄目人間こそ面白い……と。
「もうちょっと抜けたところでも見せたら、すげぇ好感度上がりそうだけどな」
落合は紙パックのコーヒーミルクにストローを挿してから「ま、どうでもいいけど」と付け足す。
「……」
俺は、落合の言葉へ上手い返答が見付からなかった。確かに、落合の言う通りだと思う。傍から見て小夜ちゃんとクラスの皆に壁があるように見えるのは、小夜ちゃんが完璧であろうとしていることが原因だ。
美人で優しいから、俺や落合のようにクラスの輪から外れるようなことにはならないが、だからこそかえって、もっと仲良くなりたい周りはもどかしく思ってしまうのだろう。
でも、必死に完璧になろうとしているのは、他ならぬ小夜ちゃん本人である。
「小夜ちゃんは、どう思ってるんだろうな」
俺は口の中だけで小さく呟く。
「ん?」
落合は聞き取れなかったようで、俺の方を見て怪訝な顔をする。
「なんでもない」
俺がそう言うと、落合はそれ以上追求はしてこなかった。
放課後、俺は帰るために昇降口へ向かう。
「あ……」
しかし、靴箱の前に小夜ちゃんが居たので、俺は思わず立ち止まってしまった。
小夜ちゃんは俺の視線に気付かず、靴を上履きからローファーへと履き替える。その一連の動作を行いながら彼女は
「はぁ……」
と、深くため息をついた。
何だか見てはいけないものを見てしまったような気がして、鼓動が早まる。周りを見ると、偶然昇降口に人は居なかった。
靴を履き替えた小夜ちゃんは自然顔を上げる。そういえば、丁度彼女の正面には俺がいるのだ。
「わ……」
小夜ちゃんは急に見えた俺の姿に驚き、わずかに後退する。そして、彼女の足がすのこに引っ掛かった。
「ひゃっ」
小夜ちゃんはそのままバランスを崩し、思い切り尻餅をつく。スカートの中身が丸見えだったので、俺はすぐにそこが見えないような角度で彼女の側へ近付く。
「その……大丈夫?」
そして、一応転んでいる人を目撃したものの礼儀として、手を差し伸べておいた。
「大丈夫」
小夜ちゃんは俺の手を取らず、自分で立ち上がる。顔が微かに赤いのは、転んだのが恥ずかしかったからだろう。
「なら良かった」
俺は小夜ちゃんから視線を外し、自分の靴箱を開ける。
「どうして手を差し伸べてくるの?」
横から、やや緊張した声色で質問が飛んできた。
「……普通、助けるだろ。例え、知り合いじゃなくったって」
「再会してから、私のことは突き放してばかりなのに?」
「……」
とびきりの皮肉を言われて、俺は黙ってしまった。
「私に負い目があるから幸せになって欲しいっていうのは、分かるけど。勝手に私のためだって言って、突き放して、誤魔化して、色々なことを隠して……そんなこと、私は頼んでない」
「でも、だからって、知って何になるんだよ」
余計なことを知って、より一層、気持ちが割り切れなくなって。要らない苦労をするだけだ。
しかし、小夜ちゃんの瞳は、俺を逃がそうとはしなかった。
どうして彼女は今更、そんなことを言い出したのだろう。ここ数日、俺たちは互いに何も関わらず過ごしてきたはずだ。それがどうして……。
「……ちーくんは、指輪の形したキャンディーって、覚えてる?」
それは、思っても見なかった質問だった。
指輪型のキャンディー。俺はこの前の休日に、小夜ちゃんに贈られたはずのそれを、ばっちりと見ている。
もしかして、俺が朝日君に色々と協力したのがバレてるのか?
「……なんのことだ?」
「これ」
小夜ちゃんは制服のポケットから、一枚の紙を取り出す。
「あ……」
薄緑色の、クローバーが描かれた便箋。それは、明らかに俺が書いた一枚の手紙だった。
「バレバレだから」
そう言って、小夜ちゃんは手紙を俺に見せつけてくる。
「……まじかよ」
俺の力ない呟きは、昇降口で妙に反響した。
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