第20話 サッカー少年(弟)

 最近、宮町に誘われたり、赤坂と仲良くなったりした俺だが、勘違いしてはいけないのは、結局のところこうした事態は俺の人生において非常に特殊だということだ。


 普段の俺というのは、話すとしても落合くらいのもので、後は特に誰とも関わることがないのだ。そして、俺はそういった一人で過ごす時間が、決して嫌いではない。


 人と話すことが増えて、より一人の時間の素晴らしさが際立っているような気さえする。


 土曜日の午後二時。俺は何となく近所のコンビニに立ち寄った。突然「アイスでも食べようかなぁ」という気分になったからだ。宮町と赤坂のことを思い出したせいかもしれない。


「ありがとうございましたー」


 100円のソーダ味アイスを購入。


 すぐに食べたい気分だったので、コンビニ内のイートインスペースへ行こうとする。しかし、そこでは元気なおば様方が大きな声で歓談していた。

 席が空いていない訳ではないが、あそこに行くのは憚られるな……。

 とはいえ、家に帰って食べるのもなぁ。


 コンビニを出て少し歩くと、広々とした公園が目に入った。どうやら人は居ないようだ。それに、おあつらえ向きに綺麗なベンチがある。


「こんなとこにベンチあったっけ……?」


 普段からこの公園の前はよく通るのだが、全然気が付かなかった。どうやら、最近設置されたものらしい。


 ベンチに座って、アイスを齧る。

 しゃくっ。

 涼やかな甘さだった。さっぱりとしていて、胸のつかえが下りるような、そんな味がする。


 よく見ると、遊具も色が塗り替えられて、公園は大分様変わりしていた。俺と小夜ちゃんがここで遊んでいた頃とは、全然違っている。

 そうやって若者らしからぬノスタルジーに浸っていると、ゴムボールが跳ねる時の、特徴的な音が聞こえた。妙に響く、高い音。


「ん?」


 見れば、小さな子どもが必死にボールを蹴っていた。多分あれは、サッカーの練習……だと思う。何故断定できないのかと言えば、明らかにその少年は、球技が下手くそなのだ。動きとしてはボールを蹴ろうとして失敗しているので、サッカーのはずである。


 他に足とボールを使うスポーツとなれば、もうセパタクローくらいしか思いつかないが、それだったらせめてボールを浮かせようとするだろう。


 ……それにしても、見ててハラハラする動きだ。この少年、どうやらかなり運動神経が悪いらしい。


「えいっ!」


 シュートのつもりか、ゴムボールを力強く蹴る少年。


 恐らく偶然だろうが、彼のキックはボールの中心を捉え、かなりの勢いでシュートが放たれる。

 そして放たれたボールはブランコの柱部分に当って跳ね、勢いそのままに、少年の顔面へ直撃した。


「うわぁ!?」


 そのまま少年はばたんと倒れ、動かなくなってしまった。


「おいおい……」


 なんか、妙な場面に出くわしてしまった。ちょっと転ぶくらいだったら放置していたかも知れないが、倒れてしまうとなると、話は別だ。

 アイスを食べ終えた俺は、荷物をベンチに置いて少年のところへ行く。


「えっと……大丈夫か?」


 倒れたままの少年の顔を覗き込むと、彼は空を見上げて泣いていた。取り敢えず見てすぐに分かるような怪我は無いようだが、その表情には、何かのっぴきならないものを感じる。


「……」


 少年は俺が居ることに気付くと、ゆっくりと上体を起こす。


「怪我とか、無い?」


 子どもへの対応には慣れていないが、とにかく優しい口調を心がける。俺の方を向いてから、少年は首を横に振った。どうやら怪我は無いらしい。取り敢えず安心だ。


 少年は立ち上がって、遠くに転がってしまったボールをじっと見つめる。拾いに行くような気配は無かった。


「……サッカー、好きなの?」


 まぁ、休日に一人で練習をするくらいなのだから、恐らく好きなのだろう。過去、サッカーが大好きな少年だった俺は、軽い共感を持ってそう問いかける。


「すきじゃない」


 即答だった。

 俺はすっかり、この少年のことが分からなくなってしまった。普通、好きでもないのにあんなに練習するか? 


 きっと、何か特別な事情があるのだろう。全く想像もつかないが、何か理由がなければ、こんなことにはならないはずだ。


「……ぼく、サッカーせんしゅになるんだ」


「サッカーが好きじゃないのに? どうして?」


「おねーちゃんと、けっこんしたいから」


 少し照れがあるのか、少年はぽしょりと呟く。


 結婚のために、サッカーねぇ……。

 何だか、どこかで聞いたような話である。


「ほんとうは、サッカーなんてきらいだけど、やらなきゃ」


 少年は駆け出して、ボールを拾う。

 なんだか他人の話とは思えなくて、俺はその少年が気になって仕方が無くなってしまった。


「どうして、お姉ちゃんと結婚するのにサッカー選手になる必要があるの?」


「だって、おねーちゃんは、サッカーせんしゅが好きなんだもん」


「でも、別にサッカー選手なら誰でも良いって訳じゃないだろ? 君にサッカーの他に得意なことがあるなら、それを頑張ってる姿を見せても、お姉ちゃんは喜ぶと思うけど」


 話しながら、俺はどうしてこんな言葉が俺の口から出てくるのだろうかと驚いた。

 もしかしたら俺は、この少年に話しているのではなく、過去の自分に話しているのかも知れなかった。


「だって……」


 少年は俯き、太陽光で照ったゴムボールを見つめる。

 しまった。辺に感情移入しすぎたせいで、初対面だっていうのに妙に説教じみたことを言ってしまった。それも、こんな小さな子に……。


「だって、おねーちゃん、げんきないんだもん。いっつもげんきなふりしてるけど、おれにはわかるんだ」


 そして、少年は顔を上げて、俺を真っ直ぐと見た。


「おれが、『ちーくん』のかわりに、おねーちゃんのおむこさんになるんだ! そうすればきっと……」


「ちょ、ちょっと待って」


「どうして?」


 俺の慌てように、少年は首を傾げる。「どうして?」と聞きたいのはこちらの方だ。こんな偶然があってたまるか。


「その、君の名前、聞いても良い?」


「さんじょう あさひ」


 少年は胸ポケットから名札を取り出す。そこには『一年三組 三条 朝日』と書かれていた。


「……お姉ちゃんの名前は?」


「もしかして、おにーさんって、さよねーちゃんのともだち?」


 俺の反応にきょとんとする朝日君。

 これまでの情報から考えて、朝日君が小夜ちゃんの弟であることは、確定と言っていいだろう。


「えっと、同じ学校なんだ」


 思わず目を逸らしながら、嘘ではないけれど事実を全部話していない、政治家のような返答をする。


「そうなんだ!」


 純粋な朝日君はそれで納得したようで「がっこうでおねーちゃんってどんなかんじ?」と聞いてくる。


 罪悪感。


「うん……とっても人気者だよ」


「さっすが、さよねーちゃん!」


 ヒーローの活躍でも聞いたような反応だ。どうやら朝日君は、随分と小夜ちゃんに心酔しているらしい。まぁ、それなりに年の離れた姉弟だから、上が憧れの対象になることも、無い訳じゃないのかも知れない。


 それにしても「おねーちゃん、げんきないんだもん」か……。


「それで、どうしてお姉ちゃんは元気が無いのかな?」


「よくはなしてた『ちーくん』のことを、ぜんぜんはなさなくなってー。ひとりでいると、ためいきばっかり」


 家族であり、しかも小夜ちゃんが大好きな朝日君が言うのなら、彼女にそうした変化があったというのは間違いないのだろう。


 朝日君はきっと、小さい頃から『ちーくん』の話を聞かされてきた。その話がぱたっと止んだことから、彼なりに小夜ちゃんが落ち込んだ理由は『ちーくん』にあるのではないかと推測したのだ。


 そして、自分が『ちーくん』の代わりに小夜ちゃんを幸せにする男になろうと決意し、手始めにサッカーの練習を始めたということか。


 ……小夜ちゃん、落ち込んでるのか。

 彼女の元気を失わせた原因である『ちーくん』としては、責任を感じずにはいられない事態だ。

 朝日君が嫌いなサッカーを無理にする原因だって、元を辿れば俺である。何とかしてやりたい……。


「あの、朝日君」


「なに?」


「その、サッカー選手になるのも良いアイデアだと思うけど、時間がかかるでしょ? だから、今すぐお姉ちゃんに元気になって欲しいなら、別の方法もアリなのかなぁ、と思って」


 まず、小夜ちゃんは、朝日君が無理にサッカーをやっている姿を見ても、別に喜ばないだろう。俺という名の嫌なことを思い出すだけだし、しかも朝日君が自分で望んでいないので応援するのもおかしい。


 まぁ、これをストレートに言うのも良くないので、理由はぼかした。それでも、実は本人もおかしいと思っていたのか、朝日君はうーむと考え込む。


「たしかにそうかも……」


「だから例えば……えっと、手紙を送るとか、プレゼントを渡すとか、そういうのは、どう?」


 そこで、俺は朝日君に提案する。かなり安直な考えだ。


 しかし、姉弟仲は悪く無さそうだし、可愛い弟からの贈り物なら、きっと小夜ちゃんは喜んでくれるだろうという確信があった。


「じゃあ、てがみも、プレゼントも、どっちもわたす! サプライズにする!」


 俺の提案に目を輝かせる朝日君。

 こんなことでは罪滅ぼしにならないのは分かっているが、きっとこれで少しは小夜ちゃんも元気になってくれるんじゃないか。


 いやぁ一件落着と歩き出そうとすると、朝日君が俺の袖を掴んできた。


「おにーさん、一緒に手紙とプレゼント考えて!」


 首を横に振ることが不可能な、あまりにも無邪気な笑顔。その笑い方には、どこか幼い頃の小夜ちゃんの面影がある。


「……うん」


 こうして小夜ちゃんが元気を無くした原因である俺は、朝日君のお姉ちゃんが元気を取り戻すためのお手伝いをすることになったのだった。


 マッチポンプかな?

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