第15話 紙飛行機(進路希望調査)

 放課後。昇降口前の通路からなんとなしに中庭を見ると、宮町が紙飛行機を飛ばしていた。


 ……何やってんだ、アイツ。


 とはいえ、落合に忠告されたばかりである。今日はさっさと帰ろう。


「先輩!」


 そんなことを考えているうちに、宮町がこちらに気付いてしまった。大声で俺を呼び、ブンブンと手をふる宮町。

 一瞬逃げようかとも思ったが、それはそれで何だか追いかけっこをしているみたいで、ちょっと嫌だ。


「何してるんだ?」


 俺は早々に諦めて、宮町と取り敢えず話してみることにした。なるべく早く会話を打ち切って、この場を去ろう。結果的には、それが一番早いはずである。


「青春チックなことをしていました」


「紙飛行機が?」


 俺は宮町の投げた紙飛行機の方へ視線を移す。花壇のそばに落ちているそれは、ちょっと土で汚れているようだ。


「あれ、私の進路希望調査です」


「えぇ……」


 そういえば、一年生って入学してから結構早いうちに、進路希望を聞かれるんだっけ。俺も去年の今頃、何を書いて良いのか迷った記憶がある。

 

 それにしても、進路希望調査を紙飛行機にするって。

 まぁ、ドラマとか漫画とかで、進路に悩んだ奴が取りがちな行動ではあるけども。だからって、本当にやるなよ。汚れてるじゃねぇか。


 宮町が全く紙飛行機を拾おうとする素振りを見せないので、俺は花壇の側まで歩き、それを拾ってやった。


「ほら」


 紙飛行機を開いて宮町に手渡す。


「……」


 しかし、宮町はそれを受け取ろうとはしなかった。何も記入されていない希望調査票を、彼女はじっと見る。


「もしかして、悩んでるのか?」


「なんで意外そうなんですか?」


 心外そうな表情を見せる宮町。


「なんていうか、宮町が悩むような印象があんまり無くて……」


「失礼しちゃいますね。私だって悩み多き思春期の乙女なんですから」


 宮町は希望調査票をスルーして、ベンチに座る。

 口調こそ冗談じみていたが、宮町の雰囲気はいつもと違っていた。もしかして、結構これは本気の悩みなのだろうか。


「……夢とか、無いのか?」


「何ですかその台詞。青春ドラマ気取りですか?」


 ぎょっとした顔でこちらを見る宮町。俺は瞬時に自分の発言を後悔した。くそ、心配して損した。


「帰るわ」


 どうやら俺の杞憂だったらしい。とにかく恥ずかしかったので、俺は直ぐ帰ることにした。


「冗談ですよ冗談!」


 すると、宮町は制服の袖を掴んで俺を引き止めてくる。


「そんな冗談言ってる暇があったら記入しろよ」


 もう一度進路希望調査を手渡そうとすると、やっぱり宮町はそれを受け取らなかった。顔を逸らして拒否する姿は、何だか嫌いなものが食卓に出た子供みたいだ。


「……書くこと、無いんですよね」


 唇を尖らせ、宮町はぽしょりと呟く。初めて、宮町が本気で困っている顔を見た気がする。


「まぁ、夢とか、将来の目標なんて、持ってる奴の方が珍しいんじゃないか?」


「適当な慰め方ですね。他の誰がどうであろうと、私に目標が無いことは何も変わりませんよ」


「それはそうかも知れないけど、そもそも、夢とか目標とか、そういうのって、持ってれば良いって訳じゃないだろ」


 思ったことを言っただけなのだが、宮町は気付けばこちらを大きく開いた瞳で見ていた。


「何だか、妙に含蓄がありますね。先輩は夢とか、あったんですか?」


 どうやら俺の語り口調は、知らず知らずのうちに熱が入ったものになっていたらしかった。まぁ、本当に経験者の話なのだから、当然といえば当然か。


「まぁ、あったよ。今はもう、無いけど」


「へぇ」


 宮町はそう相槌を打って、それから、進路希望調査を奪ってきた。さっきまで散々拒否しておきながら、なんて勝手な奴だ。


「私、生まれてこの方無いんですよ。夢とか、目標ってやつが」


「……そうなのか」


 付き合いは浅いが、俺の知り得る限り、宮町はいつでも自信満々だった。だから、今まで一度も夢を抱いたことが無いというのは、ちょっと意外だ。しかも、それを気にしているなんて、予想だにしない事だった。


「ま、無くても普通に生きてるので、そもそもそーゆーのって、不要なものなのかも知れないですけど」


 宮町は曖昧な笑みを浮かべて、もう一度、進路希望調査を折る。


「夢は無くても、書類は出さなきゃ不味いだろ」


「無いものは書きようが無いです」


「……嘘でも書いとけ。確か、俺が一年の時はそうした」


 進学希望と書いて、近場の大学を三つ並べた記憶がある。大抵のやつは、そうするんじゃないだろうか。


「そんなんで良いんですかね」


 再び完成した紙飛行機を、宮町はしげしげと観察する。


「叶いっこない夢を持って、時間と労力を無駄にするよりは、ずっと良いだろ。先生だって親だって社会だって『宇宙飛行士になりたい』なんて回答は望んじゃいないはずだ」


 そういうのは、最低でも小学生で卒業するべきだ。そうしないと、取り返しのつかないことになる。才能も無いのに夢に狂った奴は、ギャンブラーと同じだ。負債を取り戻そうと、もっと勝てる訳もない勝負に出て、更に絶望の淵に立たされる。

 それだったら、最初から夢が無いほうが絶対に良いはずだ。


「もしかして、先輩の夢って宇宙飛行士だったんですか?」


 俺が適当に出した例をどう解釈したのか、宮町は的外れなことを言う。


「……まぁ、それと同じくらい無理のある夢だよ」


「ふーん。どうして諦めたんですか?」


「才能が無かったから」


「それは、確かにどうしようもないことですね」


「だよな」


 二人して、うんうん頷く。

 負け犬の、傷の舐め合いのような会話。まぁ、負け犬なのは俺の方だけなのだが。


「それじゃあ、新しい紙を貰って、適当に書くことにします」


 流石に土に汚れ、くしゃくしゃになった紙を提出する気は無いようだ。宮町はもう不要とばかりに、再び折られた紙飛行機を投げる。


「……あー」


 一度開かれたことで不格好になっていた紙飛行機は、空中でくるりと一回転して、俺たちの背後へ飛んでいってしまった。まぁ、紙飛行機を作って遊んでいれば、よくあることだ。

 宮町はベンチの上で膝立ちして、背もたれから身を乗り出す。


「後ろにいっちゃいましたね」


 宮町はやっぱり紙飛行機を拾う素振りを見せない。要らないって言ったって、このまま放置する訳にもいかないだろうに。

 俺はゆっくり歩いて、そして、もう一度紙飛行機を拾ってやった。


「自分でちゃんとしたところに捨てろよ」


「……はーい」


 宮町は俺から紙飛行機を受け取ると、職員室の方へ向かう。新しい紙を貰いに行くのだろう。


「それじゃ」


「あぁ、それじゃあ」


 俺は宮町と反対方向の、昇降口へと歩き始める。


「あ、そうだ」


 大きな声で宮町が呼びかけるので、俺は振り返った。

 橙色の空を背景に、宮町は身体全体を使って手を振る。


「先輩って大体いつでも暇ですよねー!」


 通行人のうち幾つかの人が、宮町の方を見る。

 俺はそんな大声を出す度胸は無かったので、取り敢えず頷いておいた。何だか癪だが、暇なのは間違いないことだ。


「じゃあ、今度また、どっか行きましょう!」


 それだけ言って、宮町は走り去っていく。


「……どっかって、どこだ?」


 まぁ、良い気分転換になるかもしれない。

 宮町と居ると小夜ちゃんのことを忘れられるというのは事実だ。……いや、この表現はなんだか良くないな。宮町を利用しているみたいで、良くない。


「それにしても……」


 宮町って、将来のこととかで悩んだりするんだな。何だか少しだけ、あの別次元に生きてるような彼女が、身近に感じられた気がした。


 落合の話も、俺が今日見た宮町の姿も、きっと、そのどちらもが宮町 理沙を構成する要素の一つに過ぎないのだろう。

 そう思うと、やっぱり彼女は、どうにも掴み所がない。

 きっと、誰も掴めるところなんて、見つけられないんじゃないか、と、そんな風に思った。

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