第13話 誤魔化しに次ぐ誤魔化し(目撃)
「‥‥たまたま、残ってただけじゃないか? 見ての通り、俺は整頓があまり得意じゃないからな。それにしても、何だそのシール?」
小夜ちゃんにシールを見られて、俺がすぐにしたのは、とにかくとぼけるということだった。というか、それ以外に出来ることがなかった。
「本当に?」
小夜ちゃんは、怒りなのか緊張なのか、とにかく感情が昂ぶっているようで、顔がほんのり赤い。真剣な目が、俺に逃げることを躊躇させる。
「……どうして疑うんだよ」
しかし、俺は無理やりにでも真剣な表情を作って、小夜ちゃんから逃げた。だって、仕方がないじゃないか。今更俺が約束を守ろうとしていたなんてことを知ったって、小夜ちゃんはまたショックを受けるだけだ。
「ただいま!」
すると、まるで神様が俺を助けてくれたかのような、そんなタイミングで、母さんが家に帰ってきた。
「あ、あぁ! おかえり!」
俺はすぐに大声で返事をして、一階へ行こうとする。
「アルバムは見つかった?」
「いや! 全く!」
言いながら、俺はその場に留まり続けている小夜ちゃんをちらと見た。どうやら、俺の言葉は信用されていないらしい。でも、それも当然か。再会してから、俺は小夜ちゃんに嘘をついてばかりだ。
「ねぇ、やっぱり、本当は、私との約束、守ろうとしてたんじゃないの? 仕方ない事情があって、結果的に破っただけで、ちーくんは」
小夜ちゃんはシールを改めて手に取り、それをじっと見つめる。
「……仮にそうだったとして、何なんだよ」
俺は自分の声が、思った以上に低いトーンになったことに驚いた。小夜ちゃんはその声を聞いて、目を見開く。しかし、彼女はすぐに真剣な表情を取り戻した。
「私は、本当のことが知りたい。再会が急すぎて、私、冷静じゃなかった。だって私、今のちーくんのこと、本当に何も知らないの。もしかしたら、私たちって、すれ違ってるだけかも知れない」
小夜ちゃんの口からあまりにも未練がましい言葉が出てきて、俺は驚くと同時に、そうした危険な考えを正さなければならないという想いに駆られる。
「やり直したって、俺は破るよ。そういう奴なんだ、俺は。小夜ちゃんは、俺なんかに構うべきじゃない。本来、今日はそのためにこの家に来たはずだ。それに、小夜ちゃんが好きなのはあの時の『ちーくん』であって、今の俺じゃない。分かるだろ?」
「それは……」
俺に責め立てられて、小夜ちゃんは視線を落とす。
「二人とも、どうしたのー?」
すると、下の階から、再び母さんの声がした。
「……ごめん。責めるつもりは、無かったんだ。ただ考え直して欲しいってだけで。ほら、母さんが待ってるから、早く行こう」
俺はドアの方へ歩き、小夜ちゃんに一階へ行くよう促す。
小夜ちゃんは何かを言いかけたが、それを押し殺し、持っていたシールを机の引き出しに戻した。
「分かった。うん。ごめんね」
何に対して謝ったのか、俺には分からない。ただ、小夜ちゃんがこの話を終わらせると決めたことだけは理解できた。
その後、小夜ちゃんはケーキを食べてすぐに「帰ります」と言った。
「もう暗いし、送っていってあげなさい」
母さんが命じるので、俺は仕方なく立ち上がる。
「い、いえ。お構いなく。流石に高校生ですし、大丈夫ですよ」
小夜ちゃんは慌てた様子で俺に送られるのを拒否してきた。さっきの話のせいで妙な雰囲気になっているのに、また二人きりになるのは俺も嫌だった。
「でも、やっぱり心配じゃない? ね、千尋。コンビニで牛乳買ってきなさい。そのついでに送ってきて」
とはいえ、母さんに逆らえるはずもなく。
お使いのついでとなれば、小夜ちゃんも断りづらいだろう。
「えっと、それじゃあ、まぁ、ついでに……」
「わざわざごめんね」
小夜ちゃんは綺麗な笑顔を作って、それを俺に向けた。何だか無機質なコミュニケーション。でも、俺と彼女の関係は、本来、それくらい離れたもののはずなのだ。
そして俺と小夜ちゃんは家を出た。
会話は特に無い。そもそも俺は小夜ちゃんの家を知らないから、どこまで送れば良いのかも分からない。地獄のような時間だった。
数分後。
コンビニの近くで、小夜ちゃんが立ち止まる。紫の空と、青く光る看板は、妙にミスマッチな光景だった。
「ここまでで、良いから」
小夜ちゃんはこちらを見なかった。二人で歩いている間、彼女は一度だって俺の顔を見なかった。
「あ……そっか」
俺もまた、彼女の顔を見ようとはしなかった。対面しようとはしなかった。俺は嘘ばかりで、彼女の知りたいことを何一つ答えなかったのだ。俺から放棄する形で、俺と小夜ちゃんのコミュニケーションは全く意味のないものになったのである。
「じゃあね」
「あぁ、それじゃあ」
別れ際、小夜ちゃんは少しだけこちらを見て、ぽつりと言った。
「……私、どうすればいいのか分かんないよ」
俺が何か言葉を発する前に、小夜ちゃんはその場を走り去っていってしまった。
「……」
俺は、本当に小夜ちゃんの幸せを願っている。心から、願っているんだ。分かってくれないかもしれないけど、君の幸せに、俺は必要ないんだよ。
だから、俺がずっと小夜ちゃんとの約束を守ろうとして、その為に大きな失敗をしたなんて、そんなどうでもいいことを彼女が知る必要は無いのだ。重要なのは、俺が諦めて、小夜ちゃんの隣に立つ資格を失ったという事実である。
そんなことを考えながら、俺はコンビニの前で立ち尽くしていた。
「千尋ちゃん?」
すると、コンビニから出てきた男に、俺は名前を呼ばれた。
そこには、酷く驚いた顔をしている、赤坂が立っている。
「今のって、三条さん、だよな」
「……えっと」
どうして俺は、こんなにも運が悪いのだろうか。
それはもしかしたら、ずっと想い続けてきた幼馴染を裏切った、バチが当たっているからなのかもしれなかった。
もう、辺りはすっかり暗くなってしまっている。コンビニの前、明かりに吸い寄せられるようにそこに居るのは、俺と赤坂と、数匹の蛾くらいだ。
「……そっかぁ。やっぱり、幼馴染だったんだ」
俺の打ち明け話を聞き、赤坂は、大きく息を吐いた。
小夜ちゃんと歩いていたところを目撃された今、もはや赤坂に隠し通すのは不可能だと思う。だから俺は、誰にも言わないという条件で、赤坂に全てを話したのだ。
「隠してたのは、本当に、申し訳ない。でも、噂になったら三条さんが可哀想だから、どうしても打ち明けられなかったんだ」
俺は恐ろしくて、赤坂と目を合わせられなかった。俺は、ちょっとした恋愛相談のような形で、彼が小夜ちゃんを好きなことを知っている。好きな女子に結婚を約束した幼馴染が現れるなんて、きっと最悪の気分だろう。
「まぁ、話は、分かった」
赤坂は落ち着き払った調子で、深く頷く。
そして、俺の両肩を掴んだ。
「へっ? ちょ、ちょっと」
赤坂は無理やり俺の身体の向きを変えて、目と目が合う状況を作り上げた。
「その、二人は今も好き合ってるってわけじゃ、ないんだよな?」
肩を掴んでいる赤坂の手に、ぐっと力が入った。
俺はそれに、軽い笑顔でもって返事をする。
「俺と三条さんが釣り合うと思うか? 俺は全く思わない」
「そういうことを聞いてるんじゃ……」
「俺は、赤坂を応援してる。信じてもらえないかもしれないけど、それは嘘じゃない。本当だ」
これは、俺の紛れもない本心だった。
もし、赤坂が小夜ちゃんのハートを射止めて、幸せな恋人同士になるなら、それはどんなに素晴らしいことだろう。俺へのくだらない未練を捨て、前を向いて歩き出せる。それは小夜ちゃんにとって、最も良い未来のはずだ。
「千尋ちゃん……」
赤坂は俺の肩から手を離し、瞳を潤ませた。
「ありがとう! 俺も、千尋ちゃんと理沙ちゃんのこと、応援してっから」
「えっと……、別に俺は宮町が好きなわけじゃないんだけど」
「別に照れなくていいって!」
「……」
これ以上否定してもウザ絡みされるだけだろう。俺は口をつぐんだ。
「でも、別に好きじゃなかったとしても、仲良いんだな、三条さんと」
「え?」
「いや、だってさぁ。放課後に二人で会ってたんだろ? 仲良くなかったら、無いだろ、そういうの」
確かに、赤坂の視点から見るとそうなるか。
「それはその、母さんが、さ。ほら、幼馴染だと家族単位で知り合いだから。俺が云々っていうより三条さんと母さんが勝手に会ってたんだよ。で、暗いから送っていけって言われて」
「へー、なんか良いなそれ。羨ましいわ」
赤坂は恐らく平和に母親と話す小夜ちゃんや、仲良く談笑しながら歩く帰り道を想像したのだろう。残念ながら、そんな良いものではな絶対にない。
いや、いっそ、小夜ちゃんが約束した相手が俺ではなく赤坂ならば、何も問題はなかったんじゃないだろうか。少なくとも俺でなければ、こんな酷いことにはならなかっただろう。
「じゃあさ、三条さんの好きなものとか、趣味とか、そういうのも知ってんの?」
「……小学校の頃だから、多分、色々変わってると思うぞ」
例えば、俺は小学校の時には生魚が絶対に駄目だったが、今では反対に好物だ。そういうようなことは、小夜ちゃんにも起こっているだろう。
「それでも、何も知らないよりマシだと思うけどな。小さい頃に好きだったものって、結構長いこと好きだったり……」
赤坂の話が途切れる。
そして、俺に意味ありげな視線が向けられた。
「なんだよ」
「例えば、千尋ちゃんにその気が無いとして、三条さんは、どうなん? だって、滅茶苦茶幼馴染のこと好きそうだったし」
「……赤坂。三条さんが転校してきた日の反応忘れたか?」
「あー……。そういえば」
赤坂の脳裏には俺を死ぬほど拒否する小夜ちゃんの姿が浮かんだことだろう。
「まぁ、三条さんが誰を好きでも、関係ないけど」
「関係ない?」
「俺に出来るのは、振り向いてもらえるように頑張ることだけだ。好きな人が居ようと居まいと、それだけは変わらないだろ?」
そこで、諦めるという選択肢が浮かばないところが、俺と赤坂の大きな違いなのだろう。俺はどうやってもコイツのようになれる気がしない。
「話、聞かせてくれよ。まぁ、いつでも良いから」
赤坂はそれだけ言って、コンビニ前を去った。もしかしたら、自分のくさい台詞に、少しだけ照れていたのかもしれない。
「……牛乳、買うかぁ」
意味もなく、呟く。
今度、赤坂と話すタイミングがあったなら、小夜ちゃんが好きなものや、好きなこと、嫌いなものまで、全部話そう。
俺にはもう、不要な知識なのだから、惜しむことは無いはずだ。
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