第12話 お宅訪問(幼馴染による)
「街で小夜ちゃんにばったり会っちゃってね。ほら、小さい頃はよくウチに遊びに来てたじゃない。あんまりに懐かしいから、つい誘っちゃったのよね」
俺が妙な顔をするのを見て、母さんが大体の事情を話してくれた。どうやら、小夜ちゃんが自発的、というよりは、強制的に連れてこられたといった方が正しそうだ。
「はは……」
小夜ちゃんはそんな母さんとテーブルを囲み、力なく笑う。
多分、母さんがグイグイ誘ってくるから、断り辛かったのだろう。俺と小夜ちゃんが結婚の約束をしていたことを、母さんは知らない。だから、今の俺と小夜ちゃんの微妙な関係も、当然知る由はないのである。
「ふーん、それじゃ、ごゆっくり」
俺は努めて平静を装い、自室のある二階へ上がろうとする。家に小夜ちゃんが居るというのは非常事態だが、母さんが誘ったわけだし、特に俺が関わる必要は無い。小夜ちゃんも、その方が嬉しいだろう。
「あ、千尋。ちょっと小夜ちゃんとお喋りしててくれない?」
「え? 何で?」
「私、『ガトーむらた』まで行ってケーキ買ってくるから!」
元気ハツラツといった様子でサムズアップする母さん。この人は俺とは全く真逆の人間で、友達が多く、人間関係を非常に大事にするタイプの人間だ。
学生時代の友達とか、職場の同僚とか、うちには色々な人が来るから、俺は昔からその度に緊張して自室に籠もっていた。そう考えると、実は俺のコミュニケーション下手は、小さい頃から始まっていたのかもしれない。いや、小学校の頃はそんなこと無かったから、それは流石に過言か。
「いえ、そんな。お気になさらず」
小夜ちゃんはちょっと慌てた様子で立ち上がり、母さんを止めようとする。
「私が食べたくなっただけだから、気にしないでよ。ほら、好きだったでしょ? あそこのチョコケーキ」
「それは……好き、でしたけど……!」
藁にもすがる思い、といった感じでこちらに視線が向けられる。しかし、こうなった母さんを止める手段を俺は持ち合わせていなかった。首を横に振ると、小夜ちゃんは観念したようにもう一度椅子に座った。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
その言葉を聞いて、母さんは満足したように頷く。
「うん。じゃあ、行ってくるから。あぁ千尋。確か、あんたの部屋にアルバムとかあったでしょ? 折角だから、そういうの見たら?」
「アルバムって……どこにあったかなぁ」
確かに部屋のどこかにしまった気はするが、定かじゃなかった。母さんが帰ってくるまで小夜ちゃんと話しているのも苦しそうだし、探すふりをして時間をつぶすのもアリかもしれない。
「それじゃ、行ってきます」
そして母さんはエコバックを引っさげて近所のケーキ屋へ向かっていった。
「……」
「……」
母さんが居なくなると、俺達の会話は途切れた。
互いに相手の出方を伺う時間。まるで居合の達人同士のように、向かい合って、動きを待つ。
「その、ごめん」
先に動いたのは小夜ちゃんだった。でも別に、彼女が俺に謝ることなど何も無い。
「どうせ母さんが強引に誘ったんだろ?」
「それはそうだけど。その、それだけじゃなくて」
「それだけじゃない?」
小夜ちゃんが、ウチに用がある。そんなの、全く想定していないことだった。
「ほら、踏ん切りをつけるって言ったでしょ? だから、さっき話に出てたアルバムとかそういうのを見れば、ちーくんが貴方になったって、ちゃんと分かる気がして。そうすれば、諦めがつくかもしれないと思ったの。それで……」
確かに、ウチにあるアルバムには、俺が小夜ちゃんの知っている「ちーくん」から今の俺になる過程が写っている。こういう言い方が正しいかは分からないが、彼女に現実を見せるのにこれほど効果的なものはないだろう。
この前小夜ちゃんと関わらないと決めたばかりだが、ここでアルバムを見つけることで彼女が俺を忘れるきっかけになるのならば、それは協力するべきだ。
「ちょっと、部屋でアルバム探してくる。待っててくれ」
俺は二階に上がり、自室に入る。
「どこだろうな……」
アルバムがありそうな場所は、物置と化したウォークインクローゼットか、ベッドの下にある収納スペースか。取り敢えず近くのベッドから探してみることにしよう。
そうしてしばらく探したが、アルバムなんて普段そう見直すことなんて無いので、なかなか見つからならなかった。昔遊んだ玩具や、中学の時の卒業文集。懐かしいものは幾つか出てきたが、肝心のアルバムが見当たらない。
「見つかった?」
「!?」
急に後ろから声を掛けられて、思わず振り返る。
そこには、ドアを小さく開けて、こちらを覗いている小夜ちゃんの姿があった。
「いや……」
「そっか。ね。私も、探していい?」
下で待つのが退屈だったのだろうか。そこまで長い間探している訳でもなかったのに、小夜ちゃんはそんな提案をしてきた。
「それは、ちょっと」
しかし、部屋を色々探られるのは、ちょっと憚られる。何が見つかるか分からないし、それに、そんな苦労をさせるわけにはいかないだろう。
「見られたら不味いものでもあるの?」
「ある」
あるということにすれば流石に小夜ちゃんもリビングに戻るだろうから、こう答えた。というか実際、あまり見られたくないものは存在している。しかし彼女は何を誤解したのか、顔を少し赤くした。
「もしかして、その、エッチな本、とか?」
一瞬否定しそうになったが、その程度の誤解で部屋に入らないでもらえるなら安いものだろう。
「そうそう。だから、入るのは勘弁してくれ」
「本当に男子ってそういう本持ってるんだ……」
「まぁ、持ってる奴はそう珍しくないんじゃないか?」
嘘である。友達の少ない俺が、他人のそういう事情など知っているわけがない。
「……あのさ」
すると、小夜ちゃんが半目で俺を睨む。
「えっと、なんでしょう」
別に俺がエロ本を持っていようと持ってなかろうと小夜ちゃんにとってはどうでもいいことのはずなのだが、何故怒っているんだ?
「絶対嘘でしょ。返答が適当すぎ」
そう言って、小夜ちゃんは扉を大きく開け、部屋に入ってきた。
「……入るんだ」
「入るわよ。別に、エッチな本があったって、関係ないし」
「そう……」
まぁ、良いんだけどさ。あまり見られたくないだけで、決定的なものは大体、隠してあるし。
「懐かしいなぁ……昔はよく、ここで遊んでたっけ」
小夜ちゃんは部屋をぐるりと見回す。そして、一点でその視線は止まった。上に幾つかのトロフィーや賞状が飾られている本棚を、彼女はまじまじと観察する。
「地区大会優勝……へぇ。結構やってたんだ。サッカー」
その言葉は、独り言なのはこちらに話しかけているのか、判断に迷う声量だった。返事をする勇気が持てず、俺はアルバムを探すふりをして無視する。
小夜ちゃんはそこにあった小さなトロフィーを手に取る。それは、小学校高学年の俺が、チームメイトと一緒に小さな地域の大会での優勝をした時のものだ。
「どうして、ちーくんは、サッカー辞めちゃったの?」
小夜ちゃんはトロフィーに向かって、そう話しかけた。サッカーを純粋に楽しんでいた頃の「ちーくん」に、そう話しかけた。でも、彼は語る口を持たない。俺が変わりに返事をしなければならない。
「才能が、無かったんだよ」
俺がサッカーを止めた理由を、最も簡潔に言うならば、この一言につきる。それ以上の説明は、笑い話にもならないような、ただ俺が恥ずかしいだけの話だ。言う必要はない。
「無かったんだ」
「うん。無かった」
誠に残念ながら。もし、本当に才能があって、俺が今もサッカー選手を目指していれば、小夜ちゃんと付き合っていたのだろうか。
「私は……」
小夜ちゃんは俺の隣に座って、ベッドの下の収納から、アルバムを見つけ出そうとする。
「私は、ちーくんが夢を叶えるって、信じてたけど。でも、サッカー選手になるからちーくんが好きだったわけじゃないよ」
「……そうか」
それは、当たり前の事だった。高校生になっても彼女は俺を好きなままだったのだ。サッカー選手という職業が、ほんの一握りの人間にしかなれないことを、ちゃんと分かっているはずである。
ちーくんが成長して、何らかの変化をしているということは、小夜ちゃんの中でも予想されていた事態だったのだろう。理想のちーくんの姿を何度も語っていたのは、その不安の裏返しだったのかもしれない。
そしてその不安は、最悪の形で的中することとなったわけだ。
「でも、まさか何にもせずに教室の隅で俯いてるとは思わなかっただろ? 髪も伸びっぱなしだし、姿勢も悪い。自分で言うのも何だが、酷いもんだ」
何だか、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。自嘲的な笑みが溢れるのが、自分でも分かる。
「思わなかった。友達も、特に何の印象にも残らないヤツって言ってたし。……昔はもっと明るくて、好奇心旺盛で、楽しそうだったのにね」
こちらを見ずに、小夜ちゃんは懐かしそうに、収納から出てくる玩具を手に取る。
胸が苦しくなって、俺は小夜ちゃんに返す言葉が見つからなかった。何度となくしたはずの後悔が、益々強くなって、背中まで迫っているような感覚だ。
「アルバム、無いなぁ」
小夜ちゃんは別に俺からの返事を期待していたわけではないらしく、ベッド下の捜索を早々に諦めてしまった。
「クローゼットの方かもしれない」
情けない話、俺は話題が逸れたことで酷く安心した。そして、ウォークインクローゼットの中をもう一度探すことにした。
衣類などが入っている場所を探すのは流石に躊躇われるのか、小夜ちゃんは後ろに立っているだけだ。
「全然無いな」
「そうなの? ……案外、机の引き出しとかにあったりして」
背後で小夜ちゃんが机の引き出しを開ける音がする。
「ちょっ」
俺は慌てて振り返り、小夜ちゃんの方へ手を伸ばすが、時既に遅し。引き出しはもう、開かれてしまっていた。
「わっ」
俺の手に驚いた小夜ちゃんは足を滑らせる。
「危なっ!」
咄嗟に小夜ちゃんの身体を支えようとしたが、そのせいで俺までバランスを崩してしまった。
そして結局。
俺は、小夜ちゃんをベッドの上に押し倒すような姿勢になってしまった。
小夜ちゃんの長い髪が、ベッドに広がる。桃のような、甘い香りがした。彼女の大きな瞳に、吸い込まれそうになる。
しかし小夜ちゃんは押し倒されたことにも構わず、自分の手に持っているものを、俺に見せつけようとした。
「なんで、これ、持ってるの? おかしいじゃん。どうして、こんなすぐに手に届くところに……」
俺は小夜ちゃんを部屋に入れたことを心の底から後悔しながら、小夜ちゃんの手元を見る。
小夜ちゃんが俺の机の引き出しから取り出したのは、古びた指輪のシールだった。
____________
「さよちゃん、けっこんしよう」
「うん、いーよ。さよ、ちーくんすき」
「てんこうしても、ぼく、ぜったいぜったいぜったい、やくそくまもるからね」
「さよも、ぜったい、ぜったいぜったいぜっーたい。まもるよ」
「これ、けっこんゆびわ」
「……しーる?」
「ほんものは、おとなになったらあげるね。それまで、おそろいで、もってようよ」
「うんっ!」
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