第11話 後輩と昼食(抽象的会話)

「先輩! 一緒にお昼ごはん食べませんか!」


 二年五組の教室に、その声は響き渡った。


 宮町の快活な声は、よく通る。教室に居る人、特に男子は全員がその声に反応し、入り口の方向を見た。


 自意識過剰でなければ(寧ろそうあってほしいのだが)、宮町が呼んでいるのは、俺だろう。

 呼ぶにしたって、別に、こんな目立つ感じで呼ばなくても良いのに。滅茶苦茶出ていき辛いじゃねぇか。


「……何やってんだ、お前」


 落合がやや引いた視線を向けてくる。


 俺は、奥の席に座る落合の陰に隠れたのだ。教室の隅で、日が当たらないこの場所はまさに俺のような陰キャにぴったりの場所である。


「落合、匿ってくれ」


「嫌だ」


「頼むから」


「何でお前が宮町 理沙と知り合いなんだよ。まさか、告白でもされたか?」


 落合は一瞬だけ、教室の入口へ忌々しげな視線を向ける。


「え、何? もしかしてお前、宮町と知り合いなの?」


「知り合いっつーか、中学が同じだけだ。関わったことは無いし、関わりたいとも思わねぇよ。あんなクソビッチと」


 落合の口が普段の二割増しくらいで悪い。つまりは、宮町は落合によく思われていないのだろう。まぁ、確かに、落合が嫌いそうな人種だ。宮町は。


 というか、宮町ってクソビッチなの? まぁ、少なくとも、男慣れしていそうではあったが。駄目人間が好きとか言ってたけど、考えてみれば駄目なやつなんて巷に溢れているんだから、宮町の気が多いのは寧ろ当然とも言えるかもしれない。


「あれ? 先輩? 二年五組の川内千尋先輩?」


 すると、痺れを切らしたのか、宮町はとうとう具体的に名前を呼び始めた。教室中の視線が、俺と落合の方へ向かう。


「捜し物はこれか?」


 落合は立ち上がり、宮町へ俺の首根っこを掴んでみせた。


「あぁ、どうも」


 宮町は俺の方へ駆け寄ると、右手を掴んで、ぐいぐいと引っ張ってくる。


「ほら、行きますよ。何で隠れてたんですか」


 落合にも梯子を外され、俺は観念して宮町に着いていくことにした。


「いや、出て行きづらいだろ、普通」


「先輩みたいなのが普通を語らないでください」


 不満げな顔の宮町。ふくれっ面が酷くあざとい。


「……じゃあ、宮町も語るなよ、普通」


「どういう意味です?」


 宮町はにこりと笑って、身体から圧のようなものを発する。


「いや、その、別に……」


「まぁ、何でも良いですけど。入ってください」


 話しているうちに、俺と宮町は美術室の前に着いていた。


「え、何? 美術室って昼休みに開放されてんの?」


 そんな記憶は無かったが、宮町は特に鍵の用意も無く、美術室の扉を開ける。


「美術部の特権ですよ。まぁ、でも、普段こんな絵の具の匂いがするところでお昼ごはんを食べる人は居ないですけどね」


「で、一体何の用でしょうか……」


 俺は美術室に入る前に、宮町に用件を聞いておくことにした。


「いや、特に用は無いですよ。ただ、好きな人とお昼食べようってだけで」


 宮町があまりにもあっけらかんと言うので、こっちが動揺してしまう。


「……そ、そうか」


「今照れました?」


「照れてない」


 ポーカーフェイスを意識しながら、淡々と言い放つ。

 宮町は猫のような目で、悪戯っぽくクスクスと笑った。俺は今、どんな顔をしているのだろうか。


「あたしは優しいので、これ以上は追求しないであげます。ほら、どうぞ中へ」


「……お邪魔します」


 美術は選択授業だったので、俺は受けていない。だから、学校の美術室に入るのは初めてだった。中学の時よりかずっと本格的な器具が置かれていた美術室は、机が絵の具で酷く汚れていた。部屋の両端にあるシンクも、妙な色が混ざりあった水が残っており、ちょっと気持ち悪い。


 ただ、そうした汚れは、ここが芸術を生み出す為の場所なのだということを妙に強く意識させてきた。


「先輩」


 宮町が手前のテーブルの座席に座ったので、俺はその向かいに座る。


「ん?」


「この絵、どう思いますか」


  宮町は後ろの絵を指差す。それは、あまりにも抽象的な絵だった。単なる模様のようにも見えるが、こうしてキャンパスに描かれたからには、何か意味があるのだろう。きっと。恐らくは。

 しかし、俺に芸術的素養を求めているのなら、それは間違いだ。俺は絵というものに別段興味が無い。


「全く何がなんだか分からない」


 分かったようなことを言っても怒られそうなので、正直に答える。


「でしょうね。でも、良いでしょう、この絵。私が描いたんです」


「……もしかして、これを見せる為に呼んだのか?」


「まぁ、昼を一緒に食べるついでですよ」


 宮町は持っていた菓子パンの袋を開ける。

 俺もつられて、焼きそばパンの袋を開けた。


 妙な沈黙。


 もしかして、俺は宮町にこれ以上の感想を求められているのだろうか。でも、これ以上気の利いたことを言える気はしないし、そもそも言う必要も無い。


「まぁ、ご覧の通り、あたしは特に絵が上手い訳じゃないんですけど」


 さらっと宮町は自虐めいたことを言う。真顔だったので、何を思ってそんな話をす

るのか、俺には分からなかった。


「そもそも上手いかどうかの判別すらつかなかった。上手くないのか、これ」


「技術的には、大したことないはずですよ」


「へぇ……」


「でも、あたしはこの絵が好きなんです。家にある沢山の絵画より、ずっと、この絵が好きなんですよ」


 家にある沢山の絵画。


 自由奔放で自分に自信がある感じとかから、何となく感じていたが、もしかして宮町の家は、相当なお金持ちだったりするのだろうか。


 俺はなんだか、宮町の全てが羨ましく思えてきた。特に、自分が描いた絵を臆面もなく「好きだ」と言えてしまうところとか。


「家で描いてたやつから選抜した一番お気に入りの絵です。先輩に見せたら、きっと妙な顔をするんだろうなぁと思って、持ってきました」


「……上手い反応が出来ないのは想定済みか」


 なんかその話を聞いたら、ちょっとむかついてきた。


「逆に、先輩が芸術的な視点からこの絵を論じたりしてたら、あたし、キレてたかもしれません」


 理不尽すぎるだろ……。俺は出かかった言葉を、コーヒーミルクで流し込む。


「良いアホ面でしたよ」


 宮町が嬉しそうに言うので、なんだか脱力してしまって、俺は食いかけの焼きそばパンを意味もなく観察した。それから、視線をまたあの絵へ移す。何か言ってやろうという気になったのだ。


「別に、これ以上感想は求めてないですけど」


 宮町の言葉を無視し、俺は絵を見続ける。意味不明な絵の具の集合体。ただ、宮町が描いているという情報が入ると、なんだかちょっと意味合いが出てくるような。


「こうして見てみると、なんか自由というか、天邪鬼というか……宮町っぽい感じが、するようなしないような」


 まぁ、単に適当言っただけなのだが。

 すると、宮町は無言でこちらを見て、何度か瞬きをした。何かに驚いている様子である。

 もしかして、何か不味いことでも言ったのだろうか。


 そう思ったら、宮町はニヤリと笑って


「分かってんじゃないですか」


 とだけ言った。


 いつも騒がしい宮町だったが、それ以降は口数が少なく、菓子パンを黙々と口にしていた。


 よく分からないが、機嫌が悪いといった様子はなかったので、気にするだけ無駄だろう。そもそも宮町は気分屋なようなので、こういうこともある、くらいに考えておけば良いか。


 というかそもそも、どうして俺と宮町は当然のように二人でメシを食っているんだ? もしかしてこれから、毎日のように誘われるのだろうか。それとも、案外すぐに飽きられたりするのだろうか。


「あ」


 昼休み終了五分前のチャイムが鳴り、宮町が小さく声を漏らす。


「それじゃあ、これで」


 立ち上がり、美術室を出ようと扉に手をかける宮町。


「あぁ……」


 俺もそれに続いて立ち上がる。


 その時、ふと思った。もしかして宮町は、今日の放課後も俺の誘うんじゃないだろうか。どうなのか分からないから、聞いておきたい。


 しかし、そんなことを聞くのは自意識過剰な気がして、俺は口をつぐんだ。そもそも連日イベント続きで疲れているのだから、仮に誘われたとしても、断れば良いだけだ。……まぁ、そうは言っても、今のように勢いで押し切られてしまいそうな予感があるが。


「……先輩」


 すると、授業開始の時間が刻一刻と迫っているというのに、宮町がこちらを振り向いた。


「今日は部活行く気分なので、帰って良いですよ」


 囁くような声。

 まるで心の中を透かして見られたような感じがして、俺は後ずさった。


 何だこれ。


 何で、放課後に一緒なのが当然みたいな言い方を……。


「それじゃあ、さようなら」


 そして宮町は一年の教室がある三階へ続く階段を登っていった。取り残された俺は、教室までゆっくり歩く。


 俺はもしかして、宮町に籠絡されかかっているのだろうか。だとしたらちょろすぎるだろ。


 落合が宮町を「クソビッチ」と揶揄していたのを思い出した。別にその噂が本当だろうと嘘だろうと俺には関係のないことだが、なるほど確かに宮町は男に好かれるのが上手いらしい。


 ……そういえば。


 俺が昼休みに宮町に連れて行かれたことを、小夜ちゃんはどう思っているのだろうか。昨日今日で簡単に割り切れる話ではないし、内心、苛ついているかもしれない。そう考えると、宮町の誘いに乗ったのは軽率だっただろうか。

 いや、止めよう。小夜ちゃんのことを考えないと決めたばかりじゃないか。



 



 その日の放課後。俺はちょっと本屋に寄って、漫画を買ってから家に帰った。職員会議の日だったので授業が終わるのが早く、時間に余裕があったのだ。


「ただいま」


 確か母さんは今日仕事が休みだったよな……。そんなことを考えながら、玄関で靴を脱ぐ。


「おかえりなさい」


「おかえり」


 ……ん? 何故今、二人分の声がした?


 嫌な予感がしてリビングへ急ぐと、そこには、母さんと小夜ちゃんが居た。我が家のリビングでお茶をしている二人は、俺の方を見る。


「え?」


 事態が飲み込めず、取り敢えず小夜ちゃんの方へ視線を向けると、彼女はバツが悪そうに目を逸らした。


 ……何だこの状況!?


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