第10話 君は変わった(お互いに)

「あの、さん、さんよ……ちゃん」


 三条、と呼ぼうとして、そういえば嫌がられていたことを思い出す。そのせいで、誰だか分からない呼称が出来上がってしまった。


「……」


 小夜ちゃんはこちらをジロリと睨む。

 思わず後ずさりしたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて、俺は更に一歩、小夜ちゃんに近付く。


「えっと……」


 しかし、俺は小夜ちゃんに何を言えばいいのか、全く思いつかなかった。すると、小夜ちゃんは俺を睨むのを止めて、空を見上げる。


「おかしい、って、よく言われてた」


「え?」


 小夜ちゃんが小さく声を出したので、俺は思わず顔を上げた。


「友達との遊びを断って料理の練習した時も、格好いい先輩からの告白を断った時も……おかしいって、言われてた」


 公園の照明に照らされて、小夜ちゃんの肌が青白く光る。空を見つめる彼女の瞳は、きっと、過去を見ているのだろう。


 俺の知らない、過去を、見ているのだ。


「自分でも、よく分からないの。今も、そう。わざわざカラオケまで着いていって……私、何がしたいんだろうって、そう思う。でも、でもね。本当に、ずっと好きだったの」


「……小夜ちゃん」


「好きだったんだよ。でも、会ってみたら全然別人で……今でも私、混乱したままなんだと思う」


 声を震わせて、小夜ちゃんはゆっくりと胸の内を明かしてくれた。


 俺のせいで、彼女はこんなにも苦しんでいる。それを思うと、やはりどうしても何とかしてあげたいという気持ちが出てきた。


 でも、時を戻すことは出来ない。

 彼女の好きなちーくんは、残念ながら俺になってしまった。それは変えようのない事実だ。


「あの後輩の子、ムカつくけど……。でも、言ってることは正論だった。私は今のちーくんを好きじゃない。好きじゃないはずだから……本当なら失恋して、それで、新しい人を好きになれば良いんだよね」


「それは……」


「なんか、よく分からなくなって。だから、今、ここに座って考えてた」


 小夜ちゃんが少し身体を動かすと、古いブランコは軋み、不快な音を立てる。きっと、長い時間の間に、歪んでしまったのだ。このブランコは。


「おかしいって言ったのは、謝る。ごめん。俺は、小夜ちゃんの努力を否定したかった訳じゃないんだ。本当に難しいことかもしれないけど、俺は、小夜ちゃんに自分なんかのことは忘れて欲しい。そして、俺のためにしてくれた努力を、小夜ちゃんの幸せのために使ってほしいんだ」


 俺は、正直に自分の気持ちを話した。俺が『ちーくん』だとバレたあの時よりも、ずっと丁寧に。ゆっくりと、願いを語った。


「……裏切ったくせに、そういうこと言うんだ」


 小夜ちゃんは俺の言葉に眉をひそめる。


「えっと、ごめん」


「そうやってしつこく謝られても、絶対許せないし、許さない」


「それも含めて、すいません……」


「おどおどしちゃって、本当に昔とは別人だよね」


「それは、えっと、まぁ」


 そう言われても、俺は数年の時をかけてゆっくり変化してきたわけで。変わったと言われても、困るばかりだ。


「……変わらないのは、私だけか」


 その声には、寂しさが滲んでいた。こんなにも美人に成長して、何でも出来るってもっぱらの評判で、昔と性格が違うのは小夜ちゃんだって同じはずなのに。それでも彼女は、自分が変わっていないと言う。


 でも、俺とのことに折り合いをつけて、前を向くことが「変わる」ということなら、俺はそれを応援するしかない。


「とにかくもう、俺と関わらない方が良い。こんな約束破りと居たって、不幸になるだけだ。すぐに割り切るのは難しくても……きっと、いつか忘れられる」


 俺の提案に、小夜ちゃんは少しの間目を閉じる。


「……そうかもね。だってもう、そっちは忘れちゃったんだもんね」


「……」


 俺が何も言えずにいると、小夜ちゃんはブランコから立ち上がり、俺の家とは反対方向に歩き出した。


「それじゃ」


「あぁ、それじゃあ……」


 俺は中途半端に右手を上げて、降ろした。背中をいつまでも見送っている自分の気持ち悪さに気付いたのだ。


 帰ろう。


 今日は色々なことがあり過ぎた。特に宮町という今までに会ったことのないタイプの人間との遭遇に、俺は、今朝よりも酷い気怠さを感じている。


 とはいえ、やるべきことは決まった。

 俺は小夜ちゃんが自力で過去の呪縛から抜け出し、幸せになるのを見守れば良いのだ。いや、俺には見守る権利すら無い。俺も彼女と一緒に、変わるべきだ。


 もう、小夜ちゃんと関わるのは止めよう。小夜ちゃんのことを考えるのは止めよう。約束を破ってしまったあの時から、俺はずっと、そうやって、彼女のことを忘れようと生きてきたはずだ。


「……はは」


 そこまで考えて、俺の口は勝手に乾いた笑みを浮かべていた。

 別に、戻るだけじゃないか。一年生の時のような、平穏な、何も無い日々に。

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