第9話 三名様のご案内(二名様)
「三名様ですか?」
受付に行くと、にこやかな女性店員はそんなことを聞いてきた。
俺と宮町は顔を見合わせる。
「二名ですけど……?」
宮町が首を傾げる。
すると、俺達の後から、ずいっと人が割って入ってきた。
「いえ、三名です。遅れちゃってごめんね」
そこには、気味が悪いくらい綺麗な笑みを貼り付けた小夜ちゃんが居た。当然のように現れた彼女に、俺は肝が冷える。
宮町は小夜ちゃんを見て、何度かしぱしぱと瞬きをした。
「……え、あんた誰」
眉にしわを寄せる宮町。
「そっちこそ誰よ」
やや身長が高いのを活かし、上から凄む小夜ちゃん。
店員は二人の様子を見て困惑している。本当にすいません。でも、俺達もどうしてこうなったのか分からないんです。
「あの、それで、三名様ということでよろしいでしょうか……?」
そして結局、俺と宮町、そして小夜ちゃんは、一つのカラオケボックスで歌うことになった。
いや、もう既に室内は、歌うような雰囲気ではなかった。この狭さも、防音性も、全ては二人の戦いのために用意されたかのようである。というか、何で戦うんだよ宮町と小夜ちゃんが。
「もしかして貴方が、件の幼馴染さんですか」
宮町は曲を入れる用のタブレット端末を眺めながら、小夜ちゃんに質問する。途端に、小夜ちゃんがこちらを睨んできた。
「いや、別に俺から話したわけじゃ……」
「いやー、先輩、簡単にバラしてくれましたよねぇ」
俺の言葉に重ねるようにして、マイクで話す宮町。確かに俺の態度はバレバレだったかもしれないが、その言い方だと言いふらしてるみたいだろ!
「ぼっちの癖に口が軽いとか、生きてて恥ずかしくないの?」
小夜ちゃんはゴミを見るような目でこちらを見てくる。
「えっと……」
「別に幼馴染だからといって、デートを邪魔する権利なんて無いでしょう? 帰ってください」
俺が何を言おうか考えているうちに、宮町が小夜ちゃんを刺激するような発言をする。いや、まぁ、正論ではあるんだけど。でも、俺達の場合、事態はそう単純じゃないというか……。
「んぐぐ……」
聞いたことのないような声で唸る小夜ちゃん。
ど、どうすれば……。
「先輩は好きな人、居ないんですよね」
すると、宮町が突然こちらに話を振ってくる。
「え、あ、まぁ、うん」
反射的に頷く俺。
「それで、幼馴染さんは、先輩が好きなんですか?」
「そんなわけ、ないでしょ」
小夜ちゃんはこちらを一瞬だけ見て、その後、即座に否定をする。
そりゃそうだ。小夜ちゃんが今の俺を好きになるなんて、あり得ない。
「私は、許せないだけ。ずっとこっちは、約束を守って、想い続けてきたのに。そっちは私を無視して幸せになるなんて、そんなこと、絶対許さない」
「……三条、あの」
「何よ三条って。他人みたいな呼び方しないで。全部、無かったことになんてしてやらないんだから」
静かに拳を握る小夜ちゃん。その表情は静かな怒りに満ちていた。誤解とはいえ、俺がそうとられてもおかしくない行動をとってしまったのは事実だ。どう返事をしたものか、俺はこんがらがる頭で必死に考える。
「だったら」
すると、宮町は立ち上がり、また、マイクを通じて話し始めた。そのせいで、俺と小夜ちゃんの会話は中断されてしまう。
「だったら、何?」
「だったら、そっちだって勝手に幸せになれば良いじゃないですか。美人さんですし、貴方の方が先輩よりずっとモテるでしょ? こんな駄目な人のことなんて、そっちから無かったことにすれば良いんです」
「……っ! それは」
「それは?」
宮町との言い合いの後、小夜ちゃんは俯いて、すっかり黙り込んでしまった。
「でも、だって、だって……でも!」
それでも、小夜ちゃんはまだ何かを言おうとする。しかし、それは最早ちゃんとした文章になっていなかった。
「ちーくんの馬鹿!」
そしてとうとう、小夜ちゃんは部屋を出ていった。物凄い勢いで扉が閉められ、俺は呆然とする。
しばし、沈黙。
「じゃ、歌いますか」
すると、唐突に宮町がタブレット端末を操作し始める。
「え、歌うの? この雰囲気で?」
「折角カラオケ来たのに、歌わなかったら損でしょう?」
「いや、まぁ……そうか?」
何かが間違っている気がする。
「そうですよ」
宮町が自信たっぷりに画面をタップすると、流行りに疎い俺ですら知っているような有名曲のイントロが流れてくる。
確か、何かのドラマの主題歌だったはず。記憶が正しければ、想い続けても叶わない悲恋の歌だ。
……わざとだろ、絶対。
「私、この歌、あんまり好きじゃないんですよね」
歌う前に、宮町はそんなことを言い出す。
「じゃあなんで選んだんだよ……」
本当に掴みどころが無いやつだ。
「先輩にちょっと同情しました。あの人、やばいですね」
「……」
お前が言うなよ。とは言えなかった。
「なんですかその間は。あ、始まっちゃってた」
既にイントロが終わっており、Aメロの途中から歌い出す宮町。
「……結構、上手いな」
ぽろっと出た純粋な感想は、思ったよりずっと大人っぽかった宮町の歌声にかき消された。
それから俺は、宮町の歌を聞きながら、ドリンクバーのジュースを全種類制覇するという謎の企画を達成した。
別に宮町は俺に歌うことを強制しなかった。そして、彼女は幾ら聞いても気にならない程度には歌が上手かった。
楽しいか楽しくないかで言われれば、多分楽しい方だったのだが、とにかく俺は小夜ちゃんのことが気掛かりだった。とはいえ、俺に出来ることは何もないのだが。
「ちぃ先輩」
カラオケを出た後、宮町は店の前で、慣れないあだ名を使って俺を呼ぶ。
「ん?」
「今の所、先輩は、結構評価高いですよ。あたし的に」
「何でだよ……」
別に好きになる要素なんて、何も無かったはずだが。いや、でも宮町的には、駄目人間っぽいところを見せれば良いのか。そう考えれば、評価が高いのも頷けるかもしれない。
「なんていうか、先輩って多分、滅茶苦茶まじめで、誠実なんですよね」
「はぁ?」
俺が宮町に見せた一面なんて、幼馴染を裏切ったくらいだが、それで何故その結論に至る?
「しかも結構賢い。やるべきことも分かってるし、他人の感情の機微にも結構聡い。コミュニケーション能力も別に低くない上に、美少女と二人きりでも紳士的」
「いやいやいや。誰だよそれ」
褒められ慣れてないせいか、鳥肌が立ってきた。これなら駄目人間と言われて笑われた方が余程マシだ。
「だけど、何もしない。行動を起こせない。微妙に賢いから、色々なリスクが中途半端に分かっていて、何をするのも怖い」
「……何もしない、か」
宮町の言うことは、なんとなく分かる気がした。
小夜ちゃんに嘘をついて、それがバレて。俺は彼女に向き合おうとせずに逃げている。いや、別に小夜ちゃんのことだけじゃない。約束、夢、人間関係。全部俺は、逃げて、受動的でいようとしている。
俯いて考え込む俺の顔を覗いて、宮町は母が子を見るような目をして、ほんのり笑った。
「あたし、やっぱり、先輩のこと好きですね、これは」
不完全なものほど、美しい。
宮町と別れ、帰路につく俺は、彼女の言っていたことをもう一度考えてみた。
未完成なものに憧れる気持ちというのは、確かにある。何もかも完成されたらつまらないだろうという思いも、理解できる。大人なんてその典型で、若い頃の単なる過ちを、青春と呼んで美化する。
なんだか嫌だなぁ、と思った。
こんな自分を肯定されても、ただ困惑するだけだ。「君は君のままで良い」言われても、本当に良いのかと思わずにはいられない。
「何もしない、何もしない……」
じゃあ、どうすりゃ良いんだ。
別に宮町は俺を責める意味で言った訳じゃない。でも、俺の中にいる俺は、その言葉を借りて延々と責め立ててくる。
「あれ?」
既に日が落ちた街。帰り道にある小さな公園のブランコに、人影が見えた。
物憂げな表情で揺れる、髪の長い女性。
「あれって、小夜ちゃんだよな……」
俺は立ち止まり、呟く。
小夜ちゃんがこうして落ち込んでいるのは、俺が約束を破ったせいだ。そのことを考えると、とてもじゃないが、このまま放置する気にはなれなかった。
きっと、こういうところが中途半端なのだろう。
そうは思いつつも、俺は公園の方へ歩を進めていった。
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