第4話 関係の悪化(発覚)

「ん? 千尋のお友達?」


 母さんは小夜ちゃんの姿を見て、軽く首を傾げる。


「ほ、ほら母さん。荷物全部持つから! 早く! 帰ろう!」


 俺は必死になって母さんから荷物を奪い、家の方へ歩き出そうとする。しかし、俺の行動を無視して、母さんと小夜ちゃんは対面し続けた。


「三条 小夜です。……その、覚えてますか?」


 少し強張った表情で母さんに問いかける小夜ちゃん。


「さんじょう さよ……。三条 小夜。あぁ!」


 母さんは少し考えた後、ポンと手を打った。


「懐かしいわね……! こんな美人に成長しちゃってぇ」


「そ、そんなことないですよ」


「いやいや。美人よ、本当に。私、お世辞が何より嫌いだから。本当のことしか言わないことにしてるの」


「は、はぁ……」


 母さんの勢いに少し気圧されている様子の小夜ちゃん。

 俺はもう後のことが怖すぎて、何も考えられなかった。


「そういえば」


 母さんの視線が俺の方へ向かう。それと同時に小夜ちゃんもこちらを見るので、俺は胸が何者かにギュッと掴まれたような感覚を覚えた。


「小学校以来だと、千尋もかなり印象変わったんじゃない? 前髪は伸ばし放題だし、家に閉じこもってばかりだし……小夜ちゃんを見習いなさいよ」


 ちょっとからかうような調子で、母さんは笑う。しかし、俺にとっては、いや、俺と小夜ちゃんにとっては、その変化は決して笑い事ではなかった。


 小夜ちゃんは母さんの話に、曖昧な笑みを浮かべていた。しかし、心から笑っている訳ではない……と、思う。そんな感じがする。


「……もしかして私、邪魔だった?」


 鈍感な母さんも、流石に俺と小夜ちゃんの間に流れる微妙な雰囲気を感じ取ったらしく、俺達の顔を交互に見て、笑いを引っ込める。


「いや、別に邪魔とかじゃなくて、ほら、小夜ちゃんの方は用事があるみたいだからさ。立ち話で引き止めるのも迷惑だろうし。帰ろう。母さん、帰ろう!」


 俺が「小夜ちゃん」と言った瞬間、彼女の肩がびくりと震えた。俺はそれも無視して、とにかく母さんと帰ろうとする。


 最早、俺が「ちーくん」であることを誤魔化すのは不可能。ただ、このまま小夜ちゃんと対面し続けていたらどうなるか分からない。


「すいません、おばさん」


 小夜ちゃんは、あくまで明るく母さんに話しかける。


「どうしたの?」


「その、久々の再会だから、私、ちーくんともう少し話したくて……」


 言いながら、こちらをちらと見てくる小夜ちゃん。その瞳には「逃さない」と書いてあった。きっとその瞳に映っている俺の顔は、酷く青ざめていることだろう。


「そういうことなら、一人で帰るわね。それじゃ、また会いましょう。家はあの頃と変わっていないから、いつでも遊びに来て良いのよ」


 そして、母さんは俺からエコバックを奪うと、帰っていった。場を乱すだけ乱して、去っていく。まるで台風のようだ。


「はい。さようなら」


 小夜ちゃんは軽く手を振って母さんを見送った。


「それじゃあ、俺も帰るわ。じゃあな」


 俺はその流れのまま、母さんに続こうと……。


「は? 絶対帰さないけど?」


 咄嗟に俺の腕を掴み、逃げられないようにする小夜ちゃん。


「え、痛っ! 力強っ!?」


 最悪振りほどいて逃げようかと思ったが、想像以上に小夜ちゃんは力強かった。


「健康体なお嫁さんになるために、軽く鍛えてるの」


「……そうなんだ」


 小夜ちゃんはお嫁さんというものを何か勘違いしてはいやしないだろうか。


「へぇ。このスーパー、フードコートがあるんだ」


 小夜ちゃんはスーパーの二階を見上げた。窓からは、あまり人の居ないフードコートの座席があるのが確認できた。


「それじゃあ、あそこで、ゆっくり話そっか」


「え、家の用事は……良いんでしょうか」


「あのね。今、家の用事なんか気にしてる場合じゃないくらいの事態が起きてるの。私の人生そのものが揺らぎかねない大事件が発生してるの。悠長に買い物とかしてられないの。分かる?」


 すっかり小夜ちゃんの勢いに負けてしまい、俺は引きずられるようにして、フードコートへ行った。






 最悪だ。

 俺はなんだか後頭に銃口でも突きつけられているような心持ちで、安っぽい緑色の椅子に座った。


 小夜ちゃんは俺の対面に座り、腕も足も組んで、不機嫌さを隠そうともしない。その目にはおよそ光のようなものは無く、失望と怒りの色だけが見て取れた。


「……で?」


 席に着くなり、小夜ちゃんは俺にそう言った。

 そう言われても、何について答えれば良いのか、俺には分からない。思い付いたのは謝罪の言葉くらいだったが、それを口にすると、寧ろ小夜ちゃんの神経を逆撫でするような気がする。


「何も、弁明は無いの?」


 小夜ちゃんの目が、少しだけ細められる。


「……弁明も何も、無いだろ。隠してたのは、悪いと思ってる。でも、俺はそっちが思う理想の『ちーくん』にはなってないし、これから変わる予定もない。そもそも……そんなのは、無理な話だ」


 真正面から小夜ちゃんの顔が見れず、俺は俯いて自分の手を意味もなく観察した。


「私はずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずーっと、ちーくんのことを想ってたけど」


 小夜ちゃんが圧をかけるように繰り返すので、俺は思わず顔を上げてしまう。小夜ちゃんは眉に皺を寄せながらも、目が潤んでいた。


「そっちは、そうじゃなかったんだ」


 とうとう小夜ちゃんは足を組むのを止めて、テーブルに突っ伏してしまった。


「何でそこまで……」


 その様子を見て、俺はずっと疑問だったことを口にしてしまった。

 どうして、そこまで小夜ちゃんは『ちーくん』にこだわるのだろう。クラスの奴らの反応からも分かる通り、彼女は美人だ。人当たりも良い。会えるかどうか不確定な幼馴染に期待せずとも、良い男性と巡り合って付き合うことだって出来るはずだ。


「……私はあれからずっと、転校ばかりだった。お父さんだって、別にしたくて転勤してる訳じゃないんだから、仕方ないことだっていうのは分かってる。でも、ずっと私は、寂しかったの。どんどん転校に慣れて、新しい友達を作るのも上手くなったけど、何だか、表面上での付き合いしか出来なくて」

小夜ちゃんは制服の胸のあたりをギュッと掴む。


「それで、寂しくなるたびに、ちーくんの……貴方のことを、思い出してた。馬鹿みたいね」


 肩を震わせ、小夜ちゃんは自嘲的な笑みを浮かべた。


「……」


 俺は掛ける言葉が見つからず、情けないことに、ただただ黙っているばかりだ。胸が張り裂けそうなほどに痛いのを耐えながら、俺は、小夜ちゃんの言葉に耳を傾けていた。


「私、料理がすっごく上手になったの。健康を考えて毎日運動してるから、体育も成績良いんだ。これから夫婦っていうのは共働きが基本だから、就職のために勉強もちゃんとやったし、料理以外の家事もお母さんほどじゃないけど、出来るんだよ」


 それは自分を褒め称えているようでいて、その実、俺を酷く責め立てるような口調だった。


 こんな俺には、小夜ちゃんはあまりに眩しかった。正当に努力をして、成果を出して、あの時の約束を果たそうとする。

 どうして俺は、こうなれなかったのだろう。


「……おかしいだろ。どうしてそんな、小さい頃の約束を誠実に守れるんだよ。漫画やアニメじゃあるまいし、どうかしてる」


 そんなつもりは無かったのに、俺の口調は自然と小夜ちゃんを責めるようなものになった。小夜ちゃんの瞳が潤むのを見て、俺はハッとする。


「サッカー選手になるっていうのも、いつか私を迎えに来るっていうのも、全部、嘘だったんだ」


 小夜ちゃんの声は掠れていた。彼女はゆっくりと瞬きをして、それから、俺の方へ向き直る。


「そう、だな。あの約束は全部、嘘になっちゃったんだ。だから、小夜ちゃん。俺のことは忘れてくれ。頼む」


 俺は小夜ちゃんに頭を下げる。


「そんな簡単に、忘れられるわけ無いでしょ」


 小夜ちゃんは拳を握りしめ、キッと俺を睨みつけた。怒りながらも涙をこらえている表情。俺の胸に、深い後悔が去来する。


「嘘つき」


「……」


「嘘つき嘘つき嘘つき!」


「……」


「……もういい」


 小夜ちゃんは事実だけを言って、その場を去った。

 俺は一気に脱力して顔を上げ、フードコートの窓から薄暗くなった街をぼんやりと見た。


 あぁ、どこかに逃げたい。


 頭の中はそればかりだった。深い後悔だけが胸をちくちくと刺し、その痛みが永遠に続くのではないかと思う。


 そうして、しばらくぼーっとしてから、俺は家に帰った。

 制服から着替えるために自分の部屋に入ると、そこにはいつも通り、サッカー大会のトロフィーが幾つか飾ってある。

 何となく、机にある引き出しを、久々に開けてみる。そこから俺は、古びたシールを取り出した。


「小夜ちゃん、か」


 やや色褪せている指輪の形をしたシールには、未来のことなど何も知らず、恥も外聞もなく互いを好きと言い合える、幸せな二人の思い出が詰まっていた。


 もし俺が今日正直に、小夜ちゃんとの約束を片時も忘れたことは無く、寧ろその約束がためにずっと苦しんでいたなんて言ったら、どうなっただろう。

 落合の言うような『ワンチャン』なんて大仰なものは無いにしろ、きっと今よりもう少しは、小夜ちゃんと良好な関係を築けていたんじゃないか。


 でも、それはやっぱり、過去の自分に頼るような行為で。そんなのは、雛の刷り込みと何ら変わらない。小夜ちゃんと俺はたまたま幼馴染だっただけで、それが俺である必然性など、何も無いのだから。


 彼女が俺のような男の為に色々努力をするなんてこと、あってならないのだから。

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