第2話 悲しい誤魔化し(先延ばし)
「絶対嘘! 信じない! 私、信じないから!」
さっきまでの上品そうな雰囲気はどこへやら。小夜ちゃんは恥も外部もなく叫ぶ。
余程ショックだったのだろう。
気持ちはよく分かる。
結婚の約束までした幼馴染が、再会してみたら見るからに陰キャな男になっているのだから、がっかりするのは当然だ。
とはいえ、膝から崩れ落ちるほどの反応があるとは思わなかった。引っ越しであの時離れ離れになった『小夜ちゃん』は、きっと俺のことなんて忘れてどこかで彼氏と一緒に幸せに暮らしているとばかり思っていたのに。
或いは、俺がそう思いたかっただけなのかもしれなかった。自分に約束を果たす能力が無いから、相手も約束を忘れたのだと思いたかったのだ。
「ずっと……ずっと、ちーくんと結婚するために頑張ってきたのに」
小夜ちゃんは両手で顔を覆って、今にも泣きそうな声を上げた。クラスメイトも先生も、あまりのことにオロオロしている。
ただ、全員の共通意識としてあったのは、彼女は川内 千尋のせいで悲しんでいるということだ。
「ずっと会いたかった幼馴染が見るからに地味で頼り無さそうな男子になってたぁぁぁぁぁ!」
そして、また叫ぶ小夜ちゃん。彼女が泣きそうなら、俺もまた泣きそうだった。何でこんなに言われなきゃならないんだ……。
そりゃ、自覚はしてるけども。
とにかく、この教室のしんとした雰囲気は辛い。段々「なんとかしろよ」といった視線が俺に向けられ始めている。
俺が、何とかするしか無いのか……?
「あ、あの……三条、さん?」
俺が声をかけると、小夜ちゃんは一応、こちらを見てくれた。
「俺は確かに、川内 千尋って名前だけど……。でも、多分、人違いだと思う」
「……え?」
俺の発言に、小夜ちゃんは顔を上げ、目を真ん丸にした。
「その、結婚とか何とかよく知らないけど、川内って名字も、千尋って名前も、別に珍しいもんじゃないだろ? きっと、単にその人と俺が同姓同名だっただけだって」
「……言われて、みれば」
小夜ちゃんの目に光が戻り始める。
嘘を付くのは心苦しいが、これが一番無難な解決策だろう。結婚の約束は、二人だけの秘密だった。ならば、俺が明かさなければこの嘘はバレない。
「ごめんなさい。私、取り乱しちゃって……貴方にも酷いこと言っちゃった」
「いや、事実だし、別に……」
俺はとにかく会話を止めたい一心で、小夜ちゃんに気にしていない旨を伝える。
「あ、それじゃあ、トイレ、行ってきます!」
そして、俺は取り敢えずトイレに逃げることにした。
「はぁ……」
誰も居ない男子トイレに入って、俺は大きなため息をつく。
これから、どうしようか。
俺の頭の中は、それで一杯だった。
普段人と話さない割には、上手く誤魔化せた方だと思う。多分このまま小夜ちゃんと話さずにいれば、バレることもないだろう。
というのに、俺の心は全く穏やかではなかった。
小夜ちゃんが、今までずっと『ちーくん』との約束を胸に生きていたという事実。そして、俺がそれを裏切り、ぼっちとして無為な生活を送ってきたという事実。
「あー……死にてぇ」
ふと見た鏡には、酷い顔色の自分が映っている。
俺は高校一年生の生活を、何の代わり映えもしない、退屈な日々だと心のどこかで思っていた。でも、今なら分かる。本当は、そういった平穏な日々こそが、本当に幸せな日々だったんだ……。
とにかく、俺は絶対に、自分が『ちーくん』であることを小夜ちゃんに知られてはいけない。
幸いにも、俺は人と関わらずにいるのが得意だ。
隠し通してやる。絶対に!
「千尋、ちょっと良いか?」
昼休み。いつも通り一人で弁当を食べようとしていたら、落合に声を掛けられた。
「……どうした?」
「お前、何で嘘をついたんだ?」
教室のど真ん中で、落合が突然そんなことを言い出す。
俺は慌てて落合の口を手で塞いだ。
どこで小夜ちゃんが聞いているか分からない。俺は辺りを見回す。
そういえば、小夜ちゃんはクラスの中心グループに学食へ行かないかと誘われていた。自己紹介も明るい感じだったし、きっと彼女は沢山の友達に囲まれた高校生活を過ごすのだろう。
「別に、俺は何も嘘なんてついてない。正直に生きる、がモットーだからな」
小夜ちゃんが居ないことに安心して、俺は落合を適当にあしらった。落合は俺の返事を鼻で笑う。
「いや、お前、卓球の授業の時、言ってただろうが。結婚の約束をした幼馴染が居たって」
落合はそう言い放つと、紙パックのココアを飲んだ。こいつはいつもココアを飲ん
でいる。
「……ああ」
そういえば、そうだった。
一年生の時。体育館の隅で卓球をしながら、落合とずっと話している授業があった。あまりに暇で、うっかり昔のことを話してしまった記憶がある。
……完全にやらかしたな! 何やってんだ俺。
「あれはな、落合。モテない男の妄想だ。まず女子の幼馴染が居るという時点でダウト。その上結婚の約束までしたなんて、今時ライトノベルでも陳腐すぎて敬遠されるほどの設定だろ? 別に俺は特殊なことを言ったわけじゃない。誰もが考えうるような妄想を語っただけだ。それと三条さんの状況が偶然マッチしただけでそれ以上でも以下でもない」
俺は長々と言い訳を述べた。
落合はそんな俺を、ちょっと呆れた風に見ている。
「まぁ、俺はどうでもいいんだけどさ」
短い息を吐いて、落合は窓の外へ視線を移す。
俺の言うことを全く信じていないといった様子だ。
「どうでもいいなら、わざわざ聞かないでくれ……」
「いや、仮に……一条だっけ? とにかく、あの転校生が言ってる幼馴染がお前ならさ、可哀想だなって思っただけだよ」
「名字も覚えてない人間に同情してんじゃねぇよ。三条な、三条」
「あぁ、そうか。そう。その三条が可哀想だろ。ずっと居ない人物を探し続けるなんて、馬鹿みたいだ」
俺は落合の話を聞きながら、弁当の蓋を開けた。しかし意識は全く弁当の方に向いておらず、それどころか、落合の話を聞けば聞くほど食欲は減退した。
可哀想、か……。
「そうは言っても、あの反応を見ただろ? 俺が『ちーくん』って確定したら、どうにかなりそうな勢いだったぞ」
耳の奥に残っていた小夜ちゃんの叫び声が、また響く。
あんな風になるくらいなら、真実を知らないままの方がまだマシだろう。
「いや、もしかしたら、正々堂々と正体を明かせば、ワンチャンあるかもしれないぜ?」
口だけでニヤリと笑う落合。こいつ、絶対この状況を面白がってやがるな……。
「ワンチャンもネコチャンもねぇよ。何言ってんだお前」
「そうか? さっき自分であまりにも陳腐な状況って言っただろ? こういう話は大体、なんやかんやあって、幼馴染同士はくっつく」
「なんやかんやって何だよ」
「勝手に女の方が昔と変わらない部分を見つけてときめいてくれる」
「良いかよく聞け。お前はアニメの見過ぎで、創作物と現実の区別がつかなくなっている。近所の精神科を紹介してやるから、安心してくれ」
「じゃあ一体こんな陳腐な状況が現実に起きたら、どうなるっていうんだ?」
落合は腕組みして、口元に手を当てる。眼鏡が太陽光で妙な光り方をした。
「知らん。俺は何とか死ぬまでこの事実を隠し続けて、それで、おしまいだ。何もドラマチックなことはないし、およそ話としての盛り上がりもねぇよ」
「それはお前の願望だろ? どこからバレるかなんて分かったもんじゃないぞ。例えば、俺とか」
「確かに、お前が女子に話しかけられる度胸のある人間なら、その心配もしたかもしれないな」
俺が嘲笑してやると、落合は少しむっとする。
「それくらい、訳ないっつーの」
そう言って落合が学食の方へ行こうとするので、俺は慌てて肩を掴んだ。
「悪かった。悪かったから勘弁してくれ」
「許してやろう」
俺の謝罪を聞くなり、落合はすぐ戻ってきてくれた。どうやら俺は落合に弱みを握られてしまったらしい。最悪の気分である。
「……まぁ、真面目な話、あれだけ再会を望んでるのに、嘘をついて隠れるのは、どうかと思うが」
落合は普段より少しだけ声の調子を落として、俺の方をちらと見た。
「仮に、お前の言う通り、『ワンチャン』なんてものが合ったとして、そんなものは、全て小学校の頃の俺のお陰で、過去の栄光に頼っただけに過ぎない。昔の俺と今の俺は別人だ。思い出で小夜ちゃんを縛るような行為だけは、絶対にしたくない」
落合がちょっと真面目な様子だったので、俺も思わず真面目に答えてしまった。
「……小夜ちゃん、ねぇ」
落合がそう言って鼻で笑ってからようやく、俺は自分の失言に気が付く。
「いや、今のはっ……」
何か弁明をしなければと、俺は口を開こうとする。
「三条さんマジすげーよな!」
しかし、俺が発そうとした言葉は、教室に戻ってきた赤坂の大声でかき消されてしまった。
赤坂はクラスでも特に明るそうな人種に囲まれて、楽しいお喋りに興じていた。その輪の中には、小夜ちゃんの姿もある。
「そ、そんな事無いよ」
何やら謙遜している様子の小夜ちゃん。
「あのお弁当、めっちゃスゴかったって。料理、全部自分で作ったんでしょ?」
小夜ちゃんの隣にいる女子は興奮した様子だった。どうやら小夜ちゃんは自分の弁当を持ってきていたらしい。別に学食で弁当を食べるのは禁止されていないから、きっと、弁当を持参した人も学食で注文をした人も、それぞれ入り混じって食事をしたのだろう。
「料理は、まぁ、沢山練習したから」
小夜ちゃんは少し顔を赤くしながら、えへへと可愛らしく笑う。その笑い方は、いつか小学校で見た時のそれと、全く同じだった。
「もしかしてそれって、例の幼馴染のためだったりするの?」
すると、ギャルっぽい女子が小夜ちゃんに余計なことを聞く。
耳を塞ぎたくなる衝動に駆られたが、変なことをして注目されたり怪しまれたりするのは良くないので、何も出来なかった。
「……うん。別に女の子が料理をするべきなんて、私は思わないけど、それでも、結婚するなら、料理とか、家事全般は出来たほうが良いでしょ? だから、沢山練習したんだ」
小夜ちゃんが本当に楽しそうに話すので、俺は胃が痛くなり始めた。
気不味くなって窓の方を見ようとすると、正面に居た落合と目が合う。
「なんか、お前の方も可哀想に思えてきたわ、俺」
落合は呆れ半分同情半分といった目でこちらを見てきた。
「……そうかよ」
俺が可哀想かどうかは、ちょっとよく分からない。客観的に見て、小夜ちゃんの方が可哀想な状況なのは明らかだ。
だからって、俺は何もしてやれない。
自分の無力さをまざまざと見せつけられているような気がして、ストレスは募るばかりだ。
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