約束を破ったのに幼馴染と再会してしまったんだが

かどの かゆた

第1話 望まぬ再会(お互いに)

  リビングに母さんの本があったので、何となく開いてみた。それは、あまりにも怪しげな占いの本だった。

 俺は占いの類は信じていない。ただ、パラパラと捲ったページの一つに、良いことが書いてあった。


「人生には、絶頂期というものがある……」


 思わず、口に出して、読み上げてしまう。

 どんな人にでも、人生で最も幸せになる時期というのがある。機会は平等、一回きりだ。


 俺はその重大な機会を、小学校の頃に消費してしまった。

 小学校二年生のあの時、多分、世界は俺を中心に回っていた。

 過去を誇ることしか出来ない老人の如く、俺はその記憶を美化して、そして何とか、クソみたいな今日を生きている。


 恐らく。

 俺の人生を線グラフにするならば、これから先、あの時間を上回るようなことは、決して無いのだろう。






 風が、妙に温かい。

 伸びすぎた自分の前髪が揺れるのを見て、俺は何となく春を感じた。


 もう、二年生なのか。

 すっかり慣れてしまった通学路を歩きつつ、俺は時が流れる早さに驚く。今日から高校二年生だというのに、俺はまるで成長していなかった。多少の学力のほか、何も得られない高校生活。


 空を見上げると、雲ひとつ無い青空だった。まるで、どこまでもコピペしたみたいに同じ景色が広がっているような空だ。

 退屈な空。


「千尋」


 後ろから名前を呼ばれて、振り返る。

 そこには、偏屈そうな男の顔があった。分厚いレンズの眼鏡の奥には、ぼーっとした光のない瞳がある。


「おぉ、落合」


 俺が男の名を呼ぶと、落合はフッと鼻だけで笑った。これはコイツの癖で、本気で面白いと思っているときすら、馬鹿にしたように笑うのだ。


「……今学期もよろしくな」


 落合はどうでもよさそうに、言葉を放つ。


「あぁ、まぁ、こちらこそ」


 俺も心底どうでもいいといった風に返事をした。友達の居ない俺と落合は、授業などで自由に二人組みを作る時に組むようにしている。

 友達と言うには微妙に距離がある、名前の無い関係。とはいえ落合は数少ない緊張せずに話せる人間なので、今年もクラスが一緒で良かった。


 それから俺と落合は、大した会話もなく教室まで歩いた。二年五組と書かれた教室は、既にかなり騒々しい状態だ。きっとコミュニケーション能力の高い奴らは、朝早くから学校に来て、早々に人間関係を構築しようと画策しているのだろう。

 そう考えれば、普段通り遅刻ギリギリで教室に来た俺たちが爪弾き者となるのは必然のことのように思う。


 教室の扉を開けると、一瞬、視線が俺達に集まる。しかし、その視線はすぐに各々の話し相手に向けられた。


「おー、千尋ちゃん! おはよう!」


 しかし、一人だけ、俺を見てこちらに向かってくる人物が居る。

 筋肉質なその男は、からかうような調子で俺をちゃん付けで呼んできた。表情はにこやかで、少し明るい髪色をしている。


「おー、おはよう、赤坂……」


 俺が曖昧に笑うと、赤坂は「千尋ちゃんと同じクラスで良かったわ!」と表情を緩ませた。

 すると、赤坂の周りに居たテニス部の連中がこちらに注目し始める。


「千尋ちゃん?」


「なに、赤坂、何でちゃん付けなん?」


 人がぞろぞろとやってきて、俺はすっかり萎縮してしまう。どうしたら良いのか分からず横を見ると、落合は居なくなっていた。逃げやがったなアイツ……。


「いや、俺が一年の時さぁ。委員会決める話し合い、あるじゃん? あれで……数学係? 国語係だったかもしんないけど、とにかく係の欄に『ちひろ』って書かれてて

さぁ。思わず『あれ、こんな女子居たっけ?』って言っちゃってさぁ」


 赤坂が俺をちゃん付けで呼ぶ経緯を説明すると、テニス部の面々は「赤坂ってやっぱ馬鹿だなー」とか「千尋ちゃん可哀想じゃん」とか口々に感想を言い放つ。


 俺は楽しそうな赤坂達を見て、苦笑した。


 赤坂は全く悪気があって俺をいじっているのではない。寧ろ、多くの人と関わる機会を与えてくれているくらいだ。コイツみたいな友達が多くて明るい人物が話しかけてくれることが、嬉しくない訳じゃないのだ。

 ただ、なんか、やっぱり……。


「今年もよろしくな! 千尋ちゃん!」


 やっぱり、苦手だなぁ、赤坂。

 






 赤坂率いるテニス部軍団に絡まれた後、俺はようやく席につくことが出来た。

 どっと疲れた感覚。


 ただ、久しぶりにまともに声を出して人と話したので、少しだけ真人間に近づいたような気がした。


「みなさん、全員席についてー」


 すると、担任の先生が教室に入ってくる。ゆったりとした口調のお爺さん先生。この人のやる英語の授業は眠くなるので、正直担任になって欲しくなかった。


「ホームルームの前に話があります」


 教壇に立つなり、先生は何やら話を始める。雰囲気から察するに、これから始まる始業式関係の業務連絡、という訳では無さそうだ。


「実は、今日から転校生が一人、二年五組に転入することになりました」


 先生が淡々と言うと、教室は一気にざわついた。ソワソワしていないのは俺と落合くらいだ。


 高校にもなって転校とは珍しいが、別にどんな転校生が来ようと、俺の人生には何も関係がない。転校生によって生活が一変なんて物語じゃよく聞く話だが、現実にはそんなことありえないのだ。


「それでは、入ってきて下さい」


「はい」


 先生が扉の向こうへそう促すと、転校生がその姿を現した。

 転校生は、女子だった。恐らく前の高校の制服なのだろう。ブレザーとスカートのうちの制服とは違い、セーラー服を着ている。

 ボブカットの髪は見るからにサラサラで、肌は絹のようにきめ細かい。緊張してはにかむ表情は、見る者全てをドキッとさせてしまうこと請け合いである。


「え! めっちゃ可愛いじゃん!」


「超美人……」


 あまりに美人な転校生の登場で、教室は大騒ぎ。まぁ別に俺はあんな美人とお近づきになることなんて一生ないだろうし、どうでもいいや。

 そう思ってぼーっと転校生の顔を眺めていたら、何だか、背筋に冷たいものを感じた。分からないけど、とにかく嫌な予感がする。


「それじゃあ、自己紹介をよろしくお願いします」


「はい。私は、三条 小夜と言います。よろしくお願いします」


 そう言いながら、三条 小夜は自分の名前を黒板に書く。


「よろしくな、さよっち!」


 赤坂が決め顔で返事をすると、「調子乗んなよ赤坂!」とサッカー部員の一人からツッコミが飛んだ。教室で軽く笑いが起きる。三条 小夜も、クスクスと上品に笑っていた。


「ごめんごめん。三条さん、よろしく!」


「ううん。こちらこそ、よろしくね」


 そんな二人のやりとりで教室は早くもこの転校生がクラスの一員として受け入れられたような、そんな微笑ましいムードに包まれる。 


 しかし、俺は笑ってなどいられなかった。自分の顔がさーっと青ざめているのを感じる。最初は何かの間違いかと思ったが、これは間違いない。

 逃げなければ。


「それで、みんなに聞きたいことがあるんだけど……」


 三条 小夜が何かを言いかけるのを遮って、俺は立ち上がった。


「先生! お腹が痛いのでトイレに行ってきていいですか!」


 クラスメイト達の視線が突き刺さる。きっと去年同じクラスだった人すら、俺がこんなに声を張っているのを聞くのは初めてだろう。三条 小夜も、俺をちょっと不思議そうな顔で見てきた。


「何だ、真っ青になって具合が悪そうじゃないか。早く行ってきなさい」


 先生は俺の表情を見て、すぐにトイレに行くよう促してくれる。俺は腹が痛い演技をしながら教室を出ようと……。


「みんな、川内 千尋っていう名前に心当たりはない?」


 三条 小夜は、仄かに頬を紅潮させて、俺の名前を呼んだ。呼んでしまった。


「ずっと、ずっと、会いたかった人なの。この学校に居るらしくて……。どこのクラスとか、教えてほしい」


 その瞬間、今までとは比べ物にならないくらいの興味が注がれた視線が、俺に向けられた。

 三条 小夜……『小夜ちゃん』は、クラスメイト達の視線を辿り、そして遂に、俺の方を見る。


「もしかして、貴方がちーくんの知り合いだったりするの?」


「え、あ……」


 俺は頭が真っ白になって、何も言うことが出来なかった。教室が『ちーくん』という呼び方でざわついているのが、遠くのことのように感じる。


「彼が川内 千尋ですが……それがどうかしましたか?」


 先生が当然のように言い放って、首を傾げる。


「へ? この人が……川内 千尋?」


 小夜ちゃんは改めて俺をじっと観察する。

 幼馴染との、数年ぶりの再会。

 彼女はきっと、俺の予想通りの表情を浮かべるだろう。


 俺は小夜ちゃんを正面から見つめる。こうなった以上、逃げるのは無意味だった。

 小夜ちゃんは過去に永遠の愛を誓い会った幼馴染の、成長したその顔を見て……。


「嘘だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 頭を抱えその場に崩れ落ちた。

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