私は王太子の婚約者です。

椿 千

私は王太子の婚約者です。

「ローズマリー・アルシェ‼私はお前との婚約を破棄する!!」


普段であれば専属の庭師により丹念に手入れされた庭園には季節ごとの花が美しく咲き誇り、穏やかな時間が流れているはずだった。だが今はピリピリとした空気が漂い、先程まで暖かな光と楽しげな声で満たされた空間はすっかり消え去って突如現れた異物により何とも言えない空気が流れている。

その場にいた生徒の中には不愉快さを隠すことなく顔を歪めて訪問者を眺めている者や、先程の宣言を聞いて静かに移動を始めている者までいる。それでも不敬を口にしないのは、その相手の身分が誰よりも高い者だからだ。

そうでなければ招待されていない者の登場に、即座に警備の者により外へと放り出されている。

昼下がりの庭園にて、学院で定期開催されるお茶会の場でそう宣言したのはこの国の王太子であり、ローズマリーの婚約者である第1王子のべルフレッドだ。・・・・・・いや、元婚約者だと言うべきかもしれないが。

一応先程婚約破棄された側であるアルシェ公爵の娘であるローズマリーは口をつけていたカップを優雅にソーサーに戻すと、顔色一つ変えることなく予定外の訪問者に微笑みを向けた。

その完璧な笑みは先程婚約破棄を言い渡されたとはとても思えないものであった。

「ベルフレッド殿下、急な訪問であったため十分な準備も出来ず申し訳ありません。それで?今なんとおっしゃいましたか?」

「聞こえなかったのか?お前との婚約を破棄すると言ったんだ」

ざわめく周囲とは違い、動揺も悲観すら欠片も見せない完璧すぎる令嬢の姿にベルフレッドは苛立ちを隠すことなくそう告げるが、婚約破棄を言い渡されたローズマリーは微笑みを浮かべたままだ。

「聞いているのかローズマリー!!」

「はい。そんなに大きな声を出さずとも聞こえております。ですが、それがどういう意味なのかベルフレッド殿下はきちんとご理解しておりますか?」

「理解しているに決まっているだろう!!そもそもお前こそ自分が何をしたのか理解しているのか?!」

「・・・・・・私が何をしたというのでしょうか」


ねぇ、みなさん?


そう問えばこれまでローズマリーとベルフレッドのやり取りを黙って静かに見ていた生徒たちが頷く。

それにようやくここが定期開催されているお茶会の場で、ローズマリー以外にも招待された生徒たちがいることを思い出したのか、ベルフレッドは顔を忌々し気に歪めた。

「お前たちもなぜこんな女と一緒にいる?!この女は卑劣な手を使いルルナをいじめていた張本人だぞ!」

「ルルナ……?あぁ、オータン男爵令嬢ですね」

そこでようやくベルフレッドの後ろに一人の女生徒がいることにローズマリーは気が付いた。

ピンク色の髪に緑の目をした可愛らしい印象を受ける子は確か1学年下の生徒で最近噂にもなっていた人物だ。もちろんその噂というのは悪い意味で、だ。

なんでも婚約者のいる男性に近付き親しくし、友達の範囲を超えたそれに、同性からは距離を取られ、先生方にも何度も注意されているとか。

「白々しい!!お前がルルナをいじめていたことは既に把握している!」

「そう言われましても・・・・・・」

「わ、私っ、ずっと怖くて…っ!ローズマリー様と本当は仲良くしたかったけど、話しかけるなと言われてしまって……っ。そのうえ殿下に近付くなと……っ」

「あぁ、可哀そうにルルナ。こんなに脅えて・・・この姿を見てもお前は何も思わないのか?!」

「いじめるも何も、私はその方と二人きりでお話したことはありません」

事実を述べてみたが、聞く気がないのかローズマリーの言葉はベルフレッドには届かないらしい。

そんな二人の姿にローズマリーの背後に控える護衛騎士と侍女が冷たい目を注いでるのにさえ気付かないのだから、オメでたい頭でなによりだ。

まるで怯えるように涙をにじませてベルフレッドを縋るように見上げるルルナは、傍目に見れば庇護欲をそそる可愛らしい女性なのだろう。実際目の前にいるベルフレッドもそれに頬を緩ませデロデロとした顔を見せているし、まるで悪者から守るように抱きしめているのだから。

しかし、婚約破棄を告げたからと言って一応はまだ婚約者であるローズマリーの前でそんなことをするのは常識的にどうかと思うのだ。

むしろその姿を大勢の生徒の前で見せること自体が婚約者がいながら他の女性に目を移し、自分が不義を働いたと言っているようなものにしかならないのだが、分かっているのだろうか。

そのうえで自分勝手に一方的にローズマリーに婚約破棄を言い渡していることを理解しているのか。元々思い込みの激しいところがあり、かなり自尊心の高い人間ではあったが、学院生活の間にその性格は改善されることがなかったようだ。その証拠というべきか、入学当初にはたくさんいたベルフレッドの取り巻きはほとんど残っていない。

そして今も1人、2人、とこの場からどこかへ移動している生徒がいることにすら気付いていないのだろう。

目の前で繰り広げられる茶番にため息を吐きたいのをこらえながら、ローズマリーはそれで?と話を促した。

「それで?だと。お前は自分の罪が分かっているのか?!」

「罪、と言われても身に覚えが全くありませんので」

「よくもそんなことを……っ!!」

怒りで顔を赤くしたベルフレッドに睨まれるが、身に覚えがないことをどう認めろと言うのか。

むしろこれまで婚約者としてそばにいたローズマリーの言葉をなぜ聞いてはくれないのか。

「お前はルルナを何度も呼び出し、罵声を浴びせていたそうではないか!それに加えて物を隠し、私に近付くなと言いルルナの挨拶を無視したと!!この茶会も参加を拒否されたと聞いているぞ!」

ベルフレッドがこれまでルルナが受けたのであろう仕打ちを声を大にして主張するが、それまで庭の木々として大人しく邪魔にならないように勤めていた生徒たちからざわめきが広がる。それにベルフレッドは我が意を得たりと得意げな顔をしてローズマリーを見ているが、返ってきたのは堪え切れなかったため息だった。

「それを、私が、彼女にした、とベルフレッド様はおっしゃるのですね」

「事実だろう!!」

「まず先に言わせていただきますが、私は公爵家の娘として、王太子の婚約者として恥ずべきこと何もしていないと宣言します」

「この期に及んでまだ俺の婚約者として縋る気か!!」

「いいえ、そんな気は毛頭ございません。ただ言わせていただきますと、私は間違ったことをしておりません」

「お前……っ!」

今にも怒りで殴り掛かってきそうなベルフレッドに再びため息を吐くとローズマリーは先程からベルフレッドに守られるように背後に控えているルルナに視線を合わせた。

「あなたは、先程言ったことはすべて私にされたことだと?」

「先程からそうだと言っているだろう!!」

「私は彼女に聞いているのです」

どうなのか、と再び問いかけるが返ってくるのは頷きだけだ。だがそれだけで十分だ。頷いたのは大勢の生徒が見ているのだから。

「言わせていただきますが、私が一人で誰かに話しかけることはまずありません。そもそも私には常に護衛と侍女がついておりますし、一人になる時間がありません。またベルフレッドさまに対しての態度を改めた方がいいと、注意はしました。それも彼女の礼儀作法があまりにも目に余ったがためです」

それにうんうん、と令嬢たちが大きく頷くのがローズマリーの視界に映るが、残念なことにベルフレッドには見えていないらしい。

「ルルナは素晴らしい令嬢だ!彼女こそ私の婚約者に相応しい!」

「ベルフレッド様・・・・・・っ!」

「ルルナ、私は君に出会えたことで真実の愛を知ったんだ。君こそ私に相応しい、運命の人だ」

「そう言われるのはベルフレッド様の勝手ですが、私は未来の国母です。王太子の婚約者です。貴族を取りまとめるのも仕事の一つなのです」

将来この国を導く者として想像したことがないのだろうか?もし国賓がいらっしゃった時に礼儀作法が未熟なものがいれば、この国をどう思われるのかを。無作法な者が機嫌を損なった際に誰が後始末をするのかを。

この国の品位を自分自身が貶めてる事になる可能性に。

しかし、そんな国を思ってのローズマリーの言葉もベルフレッドには婚約破棄された者の言い訳でしかないらしい。

「ふんっ、いつまでも私の婚約者面しないでほしいものだな。私の婚約者はルルナなのだから。そして私はルルナと結婚するのだからな!」

「私の話を聞いておりましたか?私は事実を述べているだけです。また挨拶に関しても基本的には身分の高いものが低いものに声を掛けるのが常識です。私はそれに従ったまでです」

ルルナは男爵家、ローズマリーは公爵家だ。下位の者が高位の者に自ら話しかけるなんて、普通ではありえない。もちろん親しい関係にあれば例外となる場合もあるが、彼女はこれに当てはまらない。

「ベルフレッド様が、名も知らない下位の貴族に話しかけられて応えますか?応えませんよね。それと同じです」

「っ!な、ならなぜルルナを茶会に参加させない?!すべて断られたと聞いているぞ?!」

「それこそ知ってるはずです。このお茶会はすべて王妃様が管理し、招待制であると」

「っ!!」

身分など関係なく、このお茶会は王妃様による招待制だ。学業で一定の成績を収めた者や何か成果をあげた者が選ばれる。

学業の成績だけではなく、それぞれの得意分野で結果を出した者、医学薬学、農業生産学、工芸、芸術、武芸など。それに加えて日頃の生活態度、学院外での振る舞いも考慮された上で選ばれるのだ。

忙しい王妃様が参加されることは少ないが、年に数回は顔を出し、王妃様自らが生徒の話に耳を傾けられる。王妃様自身も学生の頃は勉強や研究に熱心な方であったからこそ、生徒の研究結果を聞くのを楽しみにされていると知っている。だからこそ生徒たちはより一層勉学に励み、このお茶会に招待されるように努力するのだ。もちろんそれは王族も例外ではない。

そして王妃様主催であるお茶会のことを、息子であり王太子であるベルフレッドが知らないなんて、言えるはずがないだろう。

それに少し付け加えるならば、基本的には忙しい王妃様に代わりこのお茶会を仕切っているのが次期王妃のローズマリーだ。もちろん生徒たちの定期考査の結果や実績、先生方にも話を聞いたうえで公平に招待状は送っているし、生徒から不満を聞いたこともない。

それを参加させてください!と何の努力も成果も出していない相手からいきなり言われたところで、断るのは当たり前だろう。おまけにルルナという名前を前回の定期考査の順位で見た覚えはない。

そう説明すればベルフレッドにギリギリと悔しそうに睨みつけられたが、それくらいで怯むような性格ではないので微笑み返しておいた。

「もしまだ私をお疑いなのであれば他の方にも聞いてみてはいかがですか?」

きっと誰に聞いても返ってくるのは同じだろうとローズマリーが告げれば何も言い返せないのか憎々しいと言わんばかりの目を向けられた。そんなベルフレッドにローズマリーは笑みを深めると言葉を続ける。

「それでも私と婚約破棄されますか?」

ルルナを虐めていたという証拠もなく、婚約者としての務めをきちんと果たしていたローズマリーに落ち度は何もない。それなのに一方的にローズマリーを非難し婚約破棄すると言うならば、それはベルフレッド側の理由で身勝手なものでしかない。

そもそも、この婚約破棄がどれほどの影響を与えるのか、今後どうなるのかきちんと考え理解しているのかという意味を込めて、ローズマリーはもう一度問いかけた。

それはローズマリーからベルフレッドに向けた最後の情でもあった。


「本当に、私と婚約破棄されますか?」


だが返ってきたのは、そんなローズマリーの想いを理解していないものだった。

「っ!当たり前だ!!こんな可愛げのない性悪女と結婚が出来るものか!」

「まぁ、酷い言われようですわね」

「大体お前は昔からもっと王太子と相応しい振る舞いをしろと、もっと周りを見ろと口煩くお前といて癒されたことなどなかった!いつもお前と比べられて私がどれだけ惨めな気持ちだったと・・・っ!」


アルシェ公爵家の娘、ローズマリーは幼少の頃からとても優秀な令嬢だった。一度読んだ本の内容は忘れず、屋敷の図書室にある本を全て憶え、知識をどんどん吸収していった。それでは飽き足らず自分の目で見て知りたいという気持ちから、兄や父について領地をまわり多くのことを学んでいった。

その優秀さに王族から是非未来の王太子妃に、と望まれるほどには周囲よりも頭一つ、いや二つ以上秀でていた。

また両親に似た顔立ちは愛らしく、成長した今は美しいと讃えられることが増えたが金色の髪と瞳はまるで光を集めたようだと言われており、その姿から妖精姫だと称され男女ともに多くのファンがいるほど彼女は人気が高かった。

そんな彼女とベルフレッドが婚約者となったのは彼の両親、陛下と王妃の願いでもありお茶会に参加していた彼女に一目惚れしたベルフレッドがどうしても、と望んだからだ。

その時にローズマリーは王太子の婚約者なら、と了承したのだ。

「私は王妃になります」

「あぁ、もちろん!私が国王でローズマリーが王妃だ!」

そうして彼らは10歳の時に婚約者となった。

そしてその時に告げた言葉はそれは何があっても変わらないものであり、ローズマリーの誓いであった。

そんな経緯で結ばれた婚約だったからこそ、今更過ぎるベルフレッドの発言にどんどん周囲の温度が下がっているのだが本人は気付いていない。


「それと違ってルルナは優しく私に寄り添い励ましてくれた。今のままでいいのだと、ありのままの私を受け入れてくれたのだ!」

「ベルフレッド様・・・・・・っ」

「ルルナ・・・・・・愛している」

「はい、私もです。ベルフレッド様・・・・・・」

ローズマリーを放って熱い眼差しで見つめ合う二人にそろそろいいだろうかと控えていた侍女に視線を向ければ、心得たとばかりに書類とペンを差し出された。

そこには婚約破棄に必要な書類があり、あとはローズマリーとベルフレッドがサインをするだけとなっていた。

なぜそんなものが用意されているかと言うと、ここ最近のベルフレッドの様子からいつかはこうなるのではないかと予想をし、保険として用意しておいたからだ。

本来であれば国王陛下や両親に説明してから正式に婚約破棄するべきなのだろうが、そちらには今頃外へと出た生徒が伝えているはずだ。

それに余計な邪魔が入る前に済ませてしまった方が良いだろう。

「ベルフレッド様、婚約破棄の件。了承致しました」

さらさらっと侍女から受け取った書類にサインをし、ベルフレッドにも同じようにサインをするよう促す。そうすればなぜお前が仕切るのだと不満気な顔はされたが、自分から婚約破棄を言い出したことでありそれを望んでいたから何かを言われることはなかった。

「ふんっ、これでもうお前とはもう婚約者でも何でもない!」

「はい、もちろんです」

「私、ベルフレッド様の婚約者になれるのですね!」

「もちろんだ、これからはルルナが私の婚約者だ」

「サインしたのでしたら、早く国王陛下に提出してくださいな」

「お前に言われるまでもない!!行くぞルルナ!」

「はいっ」

サインし終わると二度と私に関わるな!と捨て台詞のようなことを吐きながらルルナの腰を抱いて、庭園を出ていく姿を完全に受けれているが、これからの事を本当に理解しているのか。

まぁ、それももうローズマリーには関係のないことなので気にすることではないが。

それよりもここまで静かに茶番劇に付き合ってくれていた生徒たちに謝罪する方が大事だと、話が終わるのを待っていてくれた生徒たちへと向き直る。

「みなさん、面倒事に付き合わせて申し訳ありませんでした。この穴埋めは後日必ず致しますので」

「ローズマリー様が謝罪することではありませんわ」

「そうですよ。それよりもあの方、これからの事をきちんとわかっているのかしら?」

「前々から考えの足りないところがあるとは思っていたが・・・・・・」

「ローズマリー嬢、大丈夫ですか?」

「えぇ、私は大丈夫よ」

友人たちの温かい言葉をローズマリーは有難く受け取りながら、せっかくのお茶会をダメにしてしまったことが申し訳なくなる。だが彼らは皆気にする必要はないと、むしろローズマリーに落ち度はないと言ってくれたので、今はその優しい言葉に甘えさせて頂くことにした。

「それぞれやるべき事や報告すべきことがあると思いますので、どうぞ私のことは気にせずに動いてください」

その言葉に慌ただしく移動を始める生徒、友人と真剣に話し合いながら場を去るもの、この場に残るものと別れる。

残っているのはローズマリーの友人がほとんどだが、中にはローズマリーのことを気にかけその場に留まる者もいた。

そんな優しい人たちに囲まれて幸せだな、と改めて思いながら侍女に新しく入れ直して貰ったお茶を楽しんだ。

ようやく訪れた平穏な時間にこれで静かに過ごせるとローズマリーは柔らかな笑み浮かべる。

「ふふっ、男爵令嬢とお幸せに」

そんなローズマリーの本心に、彼女の想いを知るものたちも嬉しそうに微笑んだ。





ローズマリーがベルフレッドと婚約破棄をした翌日。

この日は友人と共に来月に行われる城での舞踏会に着ていくドレスの相談を温室で行っていた。とは言ってもローズマリーが着るドレスはすでに決まっており、話のほとんどが友人たちの着るドレスで何色がいいか、形はどんなものにするかという内容だったのだが。ローズマリーに相談するのは色や形が被らないようにするという意味と共に、新しい流行を生み出すのが彼女だからおしゃれに敏感なお年頃の女性からすれば彼女のアドバイスは何よりも得難いものなのだ。

そして話も終盤に差し掛かり、そろそろお開きにしようかという頃にバタバタと騒がしい足音がこちらへと近づいてくるのに気が付き思わず眉を顰める。

「騒がしいですね」

「ローズマリー様、誰か訪問の予定が?」

「いいえ、なにもないはずよ」

念の為に確認するよう視線を向けた侍女は肯定するように首を横に振っているし、護衛騎士の顔も険しい。

何事かと出入り口を見つめていれば、その騒がしさの原因がどんどんこちらへと近づいてきている事に気付く。さらにその声の主が昨日婚約破棄を言い渡してきた相手であることも。

「・・・ズ・・・リー!ここにいるんだろう!ローズマリー!!」

婚約者でもない女性の名前を呼び捨てにし、許可もなくズカズカと温室に入り込んでくる相手に令嬢たちが嫌悪で顔を歪め、護衛が殺気立ったのが分かるがベルフレッドは気付いていないらしい。

「・・・・・・ローズマリー様」

そっと様子を伺うように問いかけてくる侍女に下がるように言い渡し、ローズマリーはその原因を見つめた。

「なんでしょうか、ベルフレッド様」

「こんな所にいたのかローズマリー!!」

自分が呼んでいるのだから応えるのが当たり前だと言いたげな態度に、昨日自分が何をしたのか忘れたのかと言いたくなりながらもぐっと耐えて微笑みを浮かべた。

「それで?ご要件は?」

「要件だと?分かっているだろう?!」

「なんのことでしょうか」

ローズマリーはベルフレッドと婚約破棄をしており、すでに赤の他人となっている。

こんなふうに怒鳴りこまれたり、失礼な態度を取られたりする理由もないはずだ。

それなのにベルフレッドはお前のせいだ!と言わんばかりに叫び散らかす。

「なんの事だと?ふざけるな!!なぜ私が廃嫡されねばならないのだ!!」

「あなたが望まれたことでしょう」

ローズマリーと婚約を破棄し、ルルナと婚約するのだと言っていたではないか。

サラリと事実を言えば、理解できなかったのか赤い顔をして何故そうなる!と言い返してくる。

「なぜ、と言われましてもベルフレッド様はオータン男爵令嬢とご結婚されるのでしょう?」

「だからなぜそうなる?!」

「あなたこそなぜ理解されないのですか?」

ローズマリーは何度も言っていたはずだ。それこそ婚約者となることを了承した時にも、繰り返し伝えていたはずだ。なのに何故理解していないのか。

「理解、だと・・・・・・?」

「私は王太子の婚約者だと申し上げたのをお忘れですか?」

「だからそれは解消したはずだ!!」

解消したのだからルルナが婚約者となるのは分かるが、廃嫡される理由が分からない!と言うが答えは既に出ている。

「えぇ、私とベルフレッド様との婚約は解消されました」

「ならっ・・・・!」

「ですからリチャード様との婚約が決まりました」

「は・・・・・・・・・?」

意味が分からない、という顔をするベルフレッドとは違い、それを聞いた令嬢たちはまぁ!と嬉しそうに口々に祝福の言葉をローズマリーに贈っている。

「おめでとうございます!!」

「リチャード様とご婚約を?!」

「いつお決まりになったんですか?!」

「昨日、ベルフレッド様との婚約破棄後に屋敷にリチャード様が来てくださって・・・・・・」

リチャードは、ベルフレッドの弟だ。普段は二つ年が離れている為、学院などで会うことは少ないが城に出向く時や公的な行事では仕事をサボるベルフレッドに代わって、よくローズマリーをエスコートしてくれる気遣いのできる優しい青年だ。そんな彼はベルフレッドとは違い常に柔和な笑みを浮かべ控えめな印象を受けるが、昨日屋敷に帰った時にすでにローズマリーのことを応接間で待っており、抱えきれない程の白い薔薇を差し出して情熱的に愛を告げると同時に婚約を申し込んでくれたのだ。

赤ではなく、白というところがリチャードらしい、と昨日の出来事を思い出しながら告げれば令嬢達は皆自分の事のように喜んでくれる。

「ではドレスはリチャード様が・・・?」

「えぇ、彼が選んでくださって、実は彼の瞳の色とお揃いなんです」

「まぁ!素敵!!」

「熱烈ですわね!」

「ですからドレスの色がアイスブルーなのですね」

「そういうことなのよ」

ふふふっ、とこれまで知らなかった意外と独占欲の強い婚約者のことを思い浮かべながら話せば令嬢たちの顔が赤く染まる。

新しく婚約者となったリチャードとは幼少の頃から何度も顔を合わせていたが、婚約者となってからの彼はただの幼なじみであった頃よりもとても紳士でありながら情熱的で今朝も愛を囁くだけではなく、手を取り教室までエスコートしてくれたばかりだ。

ベルフレッドの婚約者であった時にはそんな些細な触れ合いさえなく、義務のようなものではあったがリチャードの自分に対する視線や態度には優しさと愛が溢れており、昨日婚約者になったばかりだというのに彼に会う度に胸がぽおっと温かくなるのだ。

そんな幸せな気持ちに浸っていたローズマリーを呼び起こしたのは、癇癪を起こしたベルフレッドの声だった。

「なぜだ!なぜリチャードと!いや、その前にそれと何が関係あるのだ?!」

「ですから何度も申し上げていますが、私は王太子の婚約者なのです」

何度同じことを繰り返せば理解してくれるのか。

ため息混じりに告げた何度目になるのか分からない説明で、ようやく言いたいことが伝わったのかベルフレッドの顔が赤から青へと変わっていく。

「そ、れは、つまり・・・」

「言葉の通りですわ。私の婚約者となる方が、王太子になるのです」

「そ、んな・・・そんなはずが・・・・・・っ!」

「事実ですわ」

もちろん廃嫡すると決めたのは国王陛下なので、他にもいろいろと陛下には考えがあるのだろうがそれはローズマリーが知ることではない。

ローズマリーがベルフレッドの婚約者になる時に国王夫妻と交わした約束は、自分が王妃となり未来の陛下を支え続けることだ。

その為ベルフレッドに婚約を破棄されようが、国王夫妻が望むのだからローズマリーが王太子妃になることは変わりがない。だからこそ婚約破棄後にすぐに第二王子であるリチャードとの婚約が決まったとも言える。


ローズマリーが王太子妃になることは、国王陛下と王妃様が望まれたことなのだ。

その優秀な才を、国のために使って欲しい、と。

その為に王太子妃になって欲しい、と。

だからこそ、それは何があっても揺るがない。


そしてそれはこの国の上位貴族であれば、ほとんどが知っていることであり、知らないのは余程田舎に引っ込んでいて噂などに疎い貴族か、周りの見えていない頭がお花畑な人間くらいだ。

「そ、そんな、そんなはずがないっ、私は王太子で、次期国王でっ」

ローズマリーとの婚約破棄は自ら王太子を降りると宣言しているのと同意義なことにようやく気付いたのだろうが、もう遅い。すでに婚約破棄は成立しているうえに国王陛下がそう宣言したのなら撤回はないだろう。

それにルルナと婚約し、将来的に結婚したいと言っていたのだから男爵家に婿入りするのなら王太子でなくとも問題はないだろう。むしろそのために婚約破棄したのだから、身分など関係ないはずだ。

「ちがっ、ちがうっ、違う違う違う違う違う違う違う!こんな、こんなことを望んだのではないっ、俺は・・・・・っ!」

ようやく自分が何をしたのかきちんと理解が出来たのだろうが、もう遅い。

未だにブツブツと自分は王太子だと繰り返すベルフレッドにこれ以上話すことは何もないと思い、ローズマリーは立ち上がる。

「では、男爵令嬢とお幸せに」

それに倣うように令嬢たちも席をたち、温室を離れた。残されたベルフレッドの喚き声が聞こえてきたが、もうただの平民となり会うことも無い相手なのでローズマリーは振り返ることは無かった。





「ローザ」

「リチャード様」

蜂蜜よりも甘く優しい声で自分の名を呼ぶ相手にローズマリーは振り返る。

そこには数日前に王太子となったリチャードがおり、そっと手を差し出された。それに応えるようにローズマリーが手を重ねればこちらが見ていて恥ずかくなるほどの甘い笑みを浮かべて見つめ返された。

「やっとだ、やっと君の隣に堂々と立てる」

「ふふふっ、おめでとうございます」

「ありがとう。この日をどれほど待ち焦がれたことか」


俺の愛おしい婚約者、ローズマリー。


そう言って繊細な手付きで壊れ物を扱うかのように頬に触れてくる手にそっとローズマリーは擦り寄った。そうすれば更に甘い空気が二人の間には漂い護衛のために控えていた騎士がそっと目を逸らすほどだ。


リチャードはずっとローズマリーが好きだった。


だが兄の婚約者という立場のために行動を起こすことは出来なかった。かわりにローズマリーが王太子の婚約者であることをきちんと理解していたから、もしも自分にチャンスが訪れた際には逃さないように常に自分を鍛え磨いていた。

そんなリチャードに女神が微笑んだのは数日前。

兄であるベルフレッドがローズマリーと婚約破棄をするという噂を聞いてからすぐに行動に移したのだ。

そしてずっと恋焦がれていたローズマリーの婚約者という立場と共に王太子としての隣に立つ権利も得ることが出来たのだ。

美しく聡明な彼女が隣にいて何が不満であったのか、兄の考えは理解出来ないがこの時ばかりは神に感謝した。

「ローザ、ローズマリー。これから先もずっと俺のそばにいてくれ」

「もちろんあなたが王太子である限りは私はあなたの婚約者です」

「あぁ、君に認めて貰えるように頑張るよ」

そして王太子だからではなく、ただのリチャードを愛して貰えるように努力し続けるよ、と指先にキスを落として誓いを立てるリチャードにローズマリーはふわりと微笑んだ。

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私は王太子の婚約者です。 椿 千 @wagajyo

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