06-1.日常は人それぞれである

「ところで、イザトやリカはどんな春の長期休みを過ごしたんだい?」


 呆れたような表情を向けていたイザトやライラに隠れるようにして頷くだけだったリカに問いかける。


 ……ん? なんだろう。


 リカのなにかを疑うような真っ黒な眼と眼が合ったように感じたのは気のせいだろうか。


 まるでガーナの様子を窺うような表情をしているようにも見えるものの、前髪で隠れてしまっている眼はいつも通り隠れている。眼が合ったように感じたのが気のせいなのか、そうではないのか、判断することはできなかった。


 ……リカの眼が私に向いていたような気がしたのだけどねえ。


 顔の半分が前髪で隠されてしまっているリカはその見た目通りの性格をしている。


 桜華人の特徴なのかもしれないが、この国では珍しい見た目をしている彼女は大人しい。おとしやかと表現するのが正しいのかもしれない。


 ……いや、でも、まさかねえ。だってリカだよ? ありえないって。


 ガーナとは正反対の性格をしているのだ。

 決して誰かを疑うような眼を向ける性格ではない。


「ふふふ、なあに、リカ。リカだって休暇はあったでしょ? 学園に通っている生徒が不当労働させられたなんて話は聞いたことがないもの! だからその話をしてほしいって言っているだけよぉ? それとも、それも桜華人特有の秘密主義で話せないのかしらぁ?」


「ち、ちがう、よ。わたし、働かされてなんかないよ」


「そうよねえ。だったらどうしてそんなに怯えているのよ? 私に教えてちょうだいよ。気になって仕方がないのよね」


「ひぃっ……!」


「きゃっ、リカちゃん。急に抱き締めないでくださいませ。まあまあ、震えてしまわれて……。怖かったのですか? ガーナちゃん、リカちゃんは恥ずかしがり屋さんなのですからそのように詰め寄ってはいけませんよ」


 怯えるような要素があったのだろうか。

 リカはライラの後ろに隠れてしまう。その手はしっかりとライラの制服を握り締めている。


 ……失礼しちゃうわ!


 それが友人に対する態度だろうか。ガーナは休暇中の過ごし方を聞こうとしただけである。友人が交わす会話としてなにもおかしいことはないだろう。


「ちょっと、なによ。リカ! 怯えたような声を出せばいいってもんじゃないのよ!」


 思わず大声を上げてしまった。


 そうするとリカはいじめられたと言わんばかりに身体を揺らして、ライラの後ろから出てこない。


「まあまあ、落ち着いてよ、ヴァーケルさん。彼女はいつだってそういう感じでしょ? そうだね、僕の話を先にしようか。僕はいつもと一緒だったよ。アンジュさん――、育て親の元で医療術を習って、失敗して殺されかけて、あと少しで殺されるってところで、友人に救われるっていうのを繰り返していたかな」


 ガーナがリカに対する不満を口にしようとした時だった。

 当然のようにイザトが間から割り込むように話し始める。それすらもリカを庇っているように感じられ、ガーナは不快に感じてしまう。


「僕みたいにいつもと同じような過ごし方をする人だっているんだよ。ヴァーケルさんが思っているようなおもしろいことはなかったよ。友人と遊ぶような時間もなかったからね」


 仮面のように張り付けられた笑顔を浮かべ、理不尽な日常を当然のように口にする。イザトが過ごしている日常生活を耳にした周囲の人々がどのようにとらえてしまうのかを考えてもいないのだろうか。それともそれにも興味がないのだろうか。


 ……同情はしちゃいけないってわかっているんだけどねえ。


 イザトの育った環境も今の環境も良いものではない。それでも貧困街から抜け出すことができたイザトは幸運だという人もいるだろう。


 飢えを凌ぐ為に物を盗み、人を殺す、そのような生活から抜け出せない人々だって少なくはない。


 ……それでも、なんというか。助けてあげられるだけの力が私にあればいいのに。そしたらイザトだって嘘くさい笑い方をしなくてもいいのに。


「あの、殺されかけるのは日常の範囲外を越えているのではありませんか? それは親のするような行為ではありません。帝国ではどこにあるのか存じ上げませんが、誰かに相談するべきではありませんか? 国が保護をしていることもあるでしょうから、一人で抱え込む必要はありませんのよ」


「平気だよ。こんなことはね、どこにだってあるようなことだよ。ミュースティさんには理解できないかもしれないけど、僕からすればそれでも良い方なんだよね。まあ、帝国には色々あるってことだよ」


「そのようなことが帝国には溢れているのですか!? 今は二一二〇年ですわよ? そのような時代遅れな考えが横行しているとは信じられませんわ」


「時代遅れといえば時代遅れなのかもしれないね。不死国なんて言われても帝国は千年近くも変わっていないんだから。他国との違いなんて数えきれないほどにあると思うよ」


 ……確かに。なんで今まで疑問に思わなかったのかな。


 貧富の格差はどこの国だってあるだろう。

 それでも堂々と奴隷を使っている国は少ない。


 国民の人権を守ろうとする国同士の同盟機関だって設立されているのにもかかわらず、帝国はそのようなものは不要だと払い除けてしまっている。国際社会から切り離されているようなものなのかもしれない。


 ……まあ、大国ってどこもそんなものだと思うけど。


 ライラの暮らしてきた国、アクアライン王国は資源こそは豊富にあるものの、国土面積や人口からみれば小国に部類される。だからこそ国民への対応が寛大なのではないだろうか。


「そういうことには関わらない方が良いよ。僕たちは帝国の在り方を疑わないように育てられているからね。現に僕の言っている言葉なんてリンは理解していないと思うよ?」


「はぁ? なによ、それ。確かにリンはなにも言わずに大人しくしてるけど」


「そういうものなんだよ。ヴァーケルさんもそうあるべきだと思うけど?」


「意味わからないわ。ねえ、ライラはどう思う?」


 ライラならばイザトの言葉の意味がわかるだろうか。

 そのような期待を込めてライラに視線を向けたガーナは言葉を失った。


 ……え? なに。どういうこと?


 一分ほど前までは普通に会話をしていたライラの表情が抜け落ちている。まるで時間が止まっているかのようだ。続いてリン、リカの表情を見るが、同様にぼんやりとしている。


 ……時間停止魔法?


 教科書に載っているものの、そのような魔法を使うことができる者はいないだろうとされている魔法だ。かつては戦場では大規模な魔術として行使されていたものである。知識として名前だけを知っているそれを疑って見たものの、時計は動いている。


 ……違う。そんな魔法じゃないっ!


 窓の外に視線を向ければ、なにも変わった様子はない。風は吹いている。花は散っている。鳥は時間が正常に動いていることを主張するかのように鳴いている。


 なにもかも、いつもと変わっていない。


「なにが起きてるの? どうして私とイザトだけが普通に過ごせるの? ううん、どちらかといえば逆かしら? どうしてみんなの様子がおかしいの?」


「さあ。どうしてだと思う?」


「私が聞いているのよ。こんなの初めてなのに、イザトは知っているみたいじゃないの。だったら教えてよ。私たち友だちでしょ?」


「友人だからこそ教えられないこともあるんだよ。そういえば、君は納得してくれるかい?」


「納得するわけがないわね」


「そうだと思ったよ。それなら僕からヴァーケルさんに教えてあげられることはなにもないよ」


 イザトの言葉を聞いてガーナは確信を抱いた。


 ……これは初めてのことじゃないってことね。


 ガーナにとっては初めて引き起こされた現象である。それは今まではガーナもリンたちと同じ立場にいたということだろう。

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