05.諦め知らずのガーナは笑う
「バカじゃね?」
真剣に考え、思わず声に出てしまっていた悩みは一瞬で返答をえた。もっとも、それは望んでいた返答とは大いに異なるものであったが、リンは迷うことなく言ってのけたのだ。まるでそのようなことで頭を悩ませていたガーナが理解できないと言いたげな視線を向け、彼はいつも通りに言ってみせた。
……なんと言えばいいんだろう。
リンの様子は普段となにも変わらない。
貴族とは思えない砕けた言葉遣いも方言を隠そうとしない態度も、なに一つ変わってはいないというのにもかかわらず、ガーナは違和感を抱いた。
……まるでこのバカだけが守られているような……。ううん、世界から嫌われているような? なんだろう。よくわからないけど、変な感じがする。
その姿は異質なもののようにも感じるのはなぜだろうか。
まるでリンだけが世界から取り残されているかのようにもみえる。
逃れることを許されない世界の決まりから彼だけが外されてしまっているかのようだと、ガーナは感じていたものの、それを言葉にすることはなかった。
「バカとはなんだい。失礼な落ちこぼれだねぇ!」
「お前の方が失礼だろ!? ――つか、別に、なにか言われたんなら、そうならないようにすれば良いだけの話じゃん。それを気にしてる方がヴァーケルらしくねえじゃんか。なにを言われたのかしらねーけどさ、気になるなら、なんか気にならないように、……あぁ、そうだ。俺らも出来ることあれば、やってやれるわけじゃん? だから、お前はバカなのに考え過ぎなんだよ!」
リンの言葉に、ガーナは口を開いたまま固まる。
……なにを言っているんだい? このアホは。
兄が伝言で告げた内容だ。恐らくは、いや、確実に覆らない。
それを回避する術は今のガーナには持ち合わせていないだろう。それこそ、回避する為の唯一の方法こそが、シャーロットの助言を実行することになってしまう。しかし、この学園から立ち去ることを意味している為、それは理想上の空論に過ぎず、現実的に考えれば不可能だった。
つまりは、ガーナは逃げることが出来ないのだ。
一種の呪いとも言える現実から逃げることは許されない。
受け入れ難い話だと否定していた筈の事柄から、逃げるという手段は、最初から存在していなかった。
「バカじゃないの? いやだわ、リンったら私の話をなにも聞いていなかったのね!!」
ガーナは慌てて演技をする。
大げさに驚いたかのような仕草と表情を作って見せたつもりではあったが、それに対してもリンは冷ややかな視線を送っている。誤魔化そうとしているのが伝わってしまったのだろうか。
「兄さんが言ったのよ。アンタだって知ってるじゃないの。兄さんは、誰もが知っている始祖のギルティア・ヤヌットなのよ? あの人の予言が外れるわけがないじゃない。だから、私はいずれ私じゃなくなってしまうのよ!!」
「始祖の予言だって百発百中とは限らねえじゃん。お前の考えすぎじゃね?」
「なんでリンはそんなに適当なことを言えるわけ!? あぁ、そうね! そうよね! アンタにとったら他人事だもの! 適当にだって言えるわね!」
不意に教室中が静かになった気がした。
ガーナの声だけが響いているのではないかと思ってしまうほどに静かな教室ではあるものの、視線だけは様々な方面から向けられてくる。
「別にそういうわけじゃねえよ」
リンは冷静だった。
普段ならばガーナの大声に対抗するかのように声を荒げているところだ。それなのにもかかわらず、まるで似たような経験をしたかのように冷静だった。
……なんでよ。
それがガーナには理解ができなかった。
……どうしてなのよ。
いずれ人間ではなくなる可能性を否定してほしい。それなのにも関わらず、考え過ぎだと言い切られると無性に苛ついてしまう。それは自分自身の感情だと理解はしているのにもかかわらず、受け入れることができない。
リンに対しての言葉は八つ当たりだということは、ガーナも理解していた。
子どもが癇癪を起したようなものだ。
「ただ、簡単に人は変わんねえよ。そんなもんはな、予言されたとかそういうのでも変わんねえんだよ。そんなことで人が変わるわけねえだろ」
なぜだろうか。
リンの言葉には不思議な説得力があった。それはリンが自分自身にも言い聞かせているかのような言葉だったからなのかもしれない。
……なによ、それ。そういう状況になったことがあるみたいじゃないの。
帝国では才能や自我を保ったまま転生をすることができるのは、始祖だけであるとされている。それは始祖信仰の基礎となっている伝承である。
……私以外にもいるの? いや、でも、兄さんは昔から兄さんだったわね。
イクシードがいつから始祖としての自我を保っているのか、ガーナは聞いたことがなかった。それに触れてはいけないと幼いながらに感じていたのかもしれない。
しかし、ガーナが物心ついた頃には兄は兄としての性格を構成されていたようにも思える。
……なんだろう。なにかを忘れているような……?
頭に靄がかかってしまっているかのようだ。
肝心なところだけが思い出すことができない。
「まあ、ほら、あれだ。諦めるなんてヴァーケルらしくねーじゃん。お前、今までなにを言われても諦めなかったのにさ。なんでそんなに弱気になってんだよ」
恐らくなにも考えずに発言をしているのだろう。
リンの言葉を聞いて、思わず、口角が上がる。
……でも、本当に。ちょっと、バカだったかもしれない。
それと同時に冷静になる。
問いかけておきながらも、その問いの答えは誰にも出せないものだとわかってはいたのだ。
……“らしくない”、ねぇ。
指摘されて実感する。
逃げることが出来ないと決めつけ、向き合おうとせずに、ただその現実を受け入れてしまおうとしていた。今までならば、なにがなんでも、抵抗をして見せただろう。泣き寝入りをするくらいならば、潔く命を絶つとまで大袈裟に話を展開して笑い飛ばして見せただろう。
それがガーナなのだ。
そうすることで彼女は生きてきた。
昔からなにも変わっていない。自分の思うままに、自分が生きたいように生きてきた。それなのにそのことすらも忘れてしまっていた。
……ふふ、指摘されて気づくなんて。
そして、それが自分らしくない行為であったことに気付かなかったのは、ガーナの失態だろう。そして、それすらも気づけないほどに思い悩んでいたことに気付いてしまう。
「ふふっ、バカだねぇ」
愚かな行為だと高笑いでもしてしまいたかった。
けれども、それを押えてガーナはただ笑う。笑いながら、本心を叫ぶ。
「私は一度も諦めたことなんかないねぇ。――いや、違うねぇ。私はお前たちの協力を強引に得てまでも諦めない! そう、だって、私は私だもの! 万が一、普通じゃなくてもそれが私よ!! このガーナ・ヴァーケル様にはなにも心配する必要はなかったの! あーははははっ!」
「心配した俺がバカみてぇじゃん!」
「おやおやぁ、心配していたのかい? やっさしいねえっ!」
「そ、そんなわけねぇし! 本当だからな!」
頬や耳を真っ赤に染め、それでも尚、リンは否定する。
両手を顔の前で大げさに振り、本当は心配していないんだと何度も繰り返す。
貴族が市民階級の人間に対して本気で心配しているということを、他の者にばれるのは、後々面倒なことになる可能性が高い。だから彼は、ここまで否定するのだろう。
……まったく、照れ屋なんだから。
ガーナはそう判断して、まるで分っているとでも言いたげな笑みを浮かべる。
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