07-2.シャーロットの独白

 ……帝国を守ると誓ったのは、貴様だというのに。神に誓ったというのに。


 方法を教えてしまった。

 軽い気持ちだったわけではない。


 ……全く、これでは醜い嘘つき鬼は貴様ではないか。マリーよ。


 嘘を吐き続けると醜い鬼に食べられてしまう。

 食べられた者は鬼になってしまう。


 昔、シャーロットがまだ子どもであった時代から、幼い子どもの嘘を咎める大人たちが話していた童話だ。それを本当のことのように語るかつての友の姿を思い出し、笑ってしまう。


 シャーロットたちが生まれた領地に伝わる民話だった。

 それを信じているのは幼い子どもだけだった。


 童話を本気で信じているような人だった。

 だからこそ、少しでも苦痛が緩和されることを願い、彼女を思った末に与えた方法だった。


 それは、結果としては、不完全な形で発動されてしまった。


「ふふ、なんて愚かな女だ」


 壁に手を当てる。

 再び、少しずつ、亀裂が走る。


「愚かだからこそ愛おしいよ。貴様はどこまでも私の邪魔をしてくれる」


 マリーが施した魔法は、特殊な魔法だった。


 呪詛と呼ばれる世界にすら影響を与えてしまう魔法。

 通常の魔法とは異なり、失敗した場合、それ相応の代償が発生する。


 マリーは代償として自分自身を支払ったのだろう。

 しかし、帝国全土に広がってしまった呪詛を抑えるのには、それだけでは足りなかったのだろう。


「可哀想に。貴様は死なねばならん。それが世界の為だ。己の使命を恨め、恨みの中で死んでいくといい、我らの愛しき娘よ」


 術者の命を喰らいつつも、失敗した呪詛を止める為には、生贄を差し出す必要がある。それを分かっていたのだろうか。


 確かめることすらも出来ないのならば、帝国の永久に続く繁栄の為と正義を掲げ、シャーロットはどのような行為でも手を染めるだろう。


 それは、帝国の為になることだと罪なき命を刈り取ってしまうだろう。


「バカな女だ。貴様も知っていただろう。【物語の台本シナリオ】は無くてはならぬ存在だと。それを狂わせてしまったのだから仕方がない。それを補う為に新たな犠牲を生み出そう。それも聖女の正義によるものだ。皆、喜んで犠牲になるだろう」


 シャーロットは、この場にいない他人に語り掛けるように話を続ける。


 シャーロットの影は、彼女の動きとは異なる動きをしていることに気付く者はいないだろう。

 

 まるで、その中にいる何者かに話しかけているかのようだった。


「なぜ、それを理解した上で失敗をしたのか理解ができんな。お前は聞いていないか? ギルティア。私の影の中に入っているのならば見ていただろう?」


「気付いていながら、ずっと、話してたんだろ。悪趣味な奴」


「影の中に忍び込んでいる奴に悪趣味と言われたくはないな」


 シャーロットの影から男性が現れる。


 青色の髪が印象的な男性は、面倒だと言いたげな眼をシャーロットに向けていた。


「それに今の俺はイクシード・ヴァーケルだ。いい加減に覚えろよ」


「同じだろう。お前がそれに拘る理由が理解できないな」


「お前がそれを名乗れって言ったんだろうがっ。……あー、もういい。その顔は忘れてやがるな。このいい加減女。興味がなくなるとすぐに忘れやがる」


 男性、ギルティアこと、イクシード・ヴァーケルは大きなため息を零した。


 千年近くの付き合いだからだろうか。

 シャーロットの考えが分かるのだろう。


「そのようなことはどうでもいいだろう」


 帝国だけではなく、下手な行動を取れば、世界すらも崩壊へと導く可能性を秘めた【物語の台本シナリオ】と呼ばれる魔導書が存在する。


 正確には、帝国中に広がっている呪詛を収めている本体だ。

 その存在を知っている者は限られている。否、その魔導書を守護する存在こそが始、祖だといっても過言ではないだろう。


 【物語の台本シナリオ】が示す方針通りに歩まなければ、死ぬべき人が生き、生きるべき人が死ぬ。


 それは、神が定めた運命とでもいうべきものかもしれない。

 千年前、それは人間の手によって作り出された。


 七人の人間を犠牲にして作り出されたそれは、聖女の改悪により暴走しつつある。


 ……いや、あれは厄介な呪詛だと知っていたからこそか。


 呪詛により管理された世界を生きるよりも、呪われていない世界を望んだのだろう。それは人間としての歩みなのかもしれない。


 人間が人間であり続ける為の世界を望んだ。

 マリーはそういうものに拘る人間だった。


 それを知っているからこそ、シャーロットの中では、様々な感情が蠢く。


 ……人間であることを望むか。私たちの運命を狂わせておきながらも、貴様だけが自由になるのはおかしいだろう。


「お前はガーナ・ヴァーケルの傍にいただろう。楽しかったか?」


「シャーロットがヴァーケル家に紛れ込めって言ったよな? お前が兄のふりをしろって言ったよな? なあ、俺が人間嫌いなのを忘れたとは言わせねーぞ」


「あぁ、そうだったか。忘れていたよ、ギルティア。しかし、人間の真似をしながら理解のある兄の真似は楽しかっただろう? あの少女がお前を慕う様子をみれば、お前が良き兄であったことはわかったさ」


「本当に最低な女だな、お前。なんで嫌味しか言えねえんだよ。少しは労われよ。お前の為に仕事してきてやったんだぞ!」


「従者が主人の為に働くのは義務だよ、ギルティア」


 文句を言い続けているイクシードに対して、興味がなくなったのだろうか。


 シャーロットは、魔法学園に張り巡らされている魔法陣を自分の都合のいいように作り替えていく。


 作り変えるついでと言わんばかりに、不足しているところは補っていく。作業の片手間でからかわれていることに気付いたのだろう。


 イクシードはシャーロットの頭の上で両腕を組んだ。

 体重をかけても表情を変えないシャーロットに対して、冷たい眼を向けている。


「なあ、ギルティア。あの少女は可哀想なものだな」


 文句の一つでも言ってやれば良かった。


 強引に幸せを崩壊させるような発言でも、もっとしておけばよかった。

 そうすればガーナは希望を抱くこともなかっただろう。


 ……それすら出来ぬとは笑えない。


 それは、シャーロットの心の中にも、僅かに残っている良心からくるものだ。


 幸せそうに笑っていたガーナに忠告をすることはできた。

 それだけで、止まってしまったのは彼女に選択肢を与える為だった。


 その選択肢はないのも同然だ。

 それでも、強制と自分自身の意思で選ぶのでは、気持ちが違うだろう。


 ……マリーの罪は、マリーが片付けるべきものだ。ガーナ・ヴァーケルにとっては無関係なものだ。巻き込まれてしまったことには同情してしまう。


 けれども、使命を知らずに笑顔で生きているガーナを思い出せば、黙ってきたのが、正しいことなのではないかとすら思えてくる。


 ガーナの幸せを壊す資格などは無いのだと知っているのだ。


 ……彼奴の幸せも不幸も望めないとはな。


 それでも、それはあってはいけないことなのだと否定しなくてはならない。


 帝国を護る為ならばどのような手段でも取ってきた。


 姿を変えて何度もこの世界に君臨し続けた存在として、本来の人間として姿がわからなくなっていた。


 ……いっそのこと、殺してやれば良かったのか。


 帝国を守ることだけが存在意義であり、背負う罪への償い。

 そう信じているからこそ、後悔ばかりが心を支配する。


 ……全てが仕組まれたものだというのに。


 奇跡や運命だと笑いながら妄想を吐いたガーナの笑みを思い出す。


 それを否定するべきだったのだろうか。

 希望を持たせることは罪だろうか。


 ……あんな顔をするから、殺せない。殺したくはないと思ってしまう。


 幸せそうに笑っていた。その笑顔を奪えなかった。

 以前は、見ていた筈の笑顔を思い出せなかった。


 かつて共に過ごした日々を思う。


 ガーナを苦しめていくことになるだろう記憶の中では、シャーロットもマリーも笑っていた頃が存在する。


 それは、幸せとは程遠い場所にいながらも、いつか、心から笑える日々が戻って来ると信じていたからこその笑顔だった。


 結局、マリーは全ての記憶を失い、自分自身を犠牲にすることによりそれを叶えた。


 昔から信じていた願いを叶えた彼女は、幸せそうだった。

 願いを知っているからこそ、手を出せなかった。


「私たちの呪いに巻き込むつもりはなかった。ガーナ・ヴァーケルは本来ならば存在しないはずだった。マリーが失敗をしなければ彼女は存在しなかったのに、なんて可哀相なことをしてしまったのだろう。そう思わないか?」


「そう思うならなんとかしてやればいいだろ。同情したってなにも変わんねえんだからよ」


「それは出来ない。私は他人を苦しめることだけしかできないよ。あぁ、残念だ。ギルティアも私と一緒だったな。二人ともあの子を救うことはできない」


「勝手に決めつけんじゃねえよ。ガーナ・ヴァーケルは生きてる。それが本来ないことだろうが、関係ねえ。彼奴は今を生きている。それが事実だろうが」


「そうだな。でも、それはあってはいけないことだ。運命はあの子を狙うだろう。私もそうだった。この身体の本来の持ち主は私が殺したようなものだ。きっと彼女もそうなってしまう。可哀想に」


 記憶の中にはある。


 確かに存在している笑みを浮かべた女性の姿を思い浮かべる。


 姿が変わっても、その笑顔は変わらなかった。


 ……マリー。親愛なる友よ。


 それは、自分の知る彼女と何一つ変わらなかった。

 記憶を失っているのにもかかわらず、なにも変わっていなかった。


 ……貴様は、何故、この醜い世界を愛せるのだ。


 千年近くの間、共に過ごしてきた彼女となにも変わらないのだ。


 記憶がないと言うこと以外はなにも変わらないのだ。


 だからこそ、シャーロットはガーナに同情を寄せるのだろう。


「理解が出来ぬよ。彼女が帝国を愛する理由も、それ故に呪う意味も」


 友である彼女がなにをしたのかは、知っている。


 その術を乞われるがまま教えたのは、シャーロットであった。帝国を愛している彼女には出来ないだろうと、思っていたからの行為だった。


 ……事の発端が貴様にあるのならば、事を治める役割も貴様にあるのだろう。


 心のどこかでは彼女には壊す権利があると思っていたのかもしれない。


 不死国として千年の歴史を異質な形で紡ぐ帝国には、この帝国を愛した“彼”の意思は無くなっている。それどころか、滅びないと高をくくり、贅沢を浴びるように過ごしている堕落した皇族と貴族で溢れている。

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