06-2.知っているのに知らない。それは恐れである。

 追いかけるべきではなかった。


 ライラの呼びかけに従い、止まるべきだった。

 振り返って戻るべきだった。


 そうすればガーナには変わらない日常が待っていたことだろう。


 魔法学園の生徒として、日々精進する日常に戻ることができただろう。友人たちと楽しい日々をすることだってできただろう。


 それを手放してしまったのはガーナだ。

 導かれるままに突き進んでしまったガーナの浅はかな考えが、全てを台無しにしてしまったのだ。


 そう思わなくては息をすることも苦しかった。


 今更、後悔しても仕方がないことを思い、笑みを零した。頬を引きつらせた笑みが強がりであることなど、シャーロットにも伝わっているだろう。


「なぁにを言っているのか、わからないね! ふふっ。妄想もいい加減にした方がいいよー? 私は、私のやりたいように生きてるだけだし?」


「あぁ、そうだな。これは私からの細やかな忠告だ。愚かな真似は止めておけ。貴様も早々に命を終わらせたくはないであろう?」


 ――いつでも殺すことが出来るのだから。


 そう小さく呟いた彼女の表情からは、なにも読み取れなかった。


 ……怖い。


 軽口を叩いてその場を凌ごうとしても無理があるだろう。


 ……怖いよ。ライラ。


 引き留めようとして、大声を上げていたライラは、ガーナが戻ることを待っていてくれるのだろうか。

 それとも、諦めて立ち去ってしまっただろうか。

 もしかしたら、教師や警備員を呼びに行っているかもしれない。


 その希望に頼るわけにはいかない。


 ライラとシャーロットを引き合わせてはいけない。


 今はまだ関わらせるべきではない。

 隣国の第二王女であるライラを危険に遭わせるわけにはいかない。


 それでも頼ってしまうのは、いつも傍にいる親友だからだろうか。


 ……ライラ。ごめんね。私、戻れないかもしれない。


 ライラのことを強く思う。


 それは、せめて一言だけでも言っておくべきだったという後悔かもしれない。


「冷たっ! ……え、嘘。雨? 今日は晴れるって天気予報で言っていたのに」


 先ほどまでは青天であった空からは、雨が降ってくる。

 通り雨だとわかっていても雨に打たれ、濡れ始める二人も嫌悪感は隠せないようだ。


 ……雨とか、最悪。


 天気予報を確認してこなかった。

 今日は、一日中晴天なのだと思っていた。


 ……でも、助かったわ。


「貴様は名だけの化け物よ。力の持たない聖女にはなにも守ることはできない。――これだけは忘れるな。貴様には、人間を守ることなど出来やしない。さっさと貴様の使命を思い出すといい」


 シャーロットは雨を毛嫌いしている。


 なぜ、そのようなことを知っているのかわからない。


 ただシャーロットから向けられてきた殺意は、一瞬で消えた。

 戦闘を交えなくても、この場から生きたまま離脱することができる。それを感じたガーナは思わず息を零す。


「これは忠告だ。大切な者を失いたくなければ早々に手を引け。使命を果たせないのならば学園を去れ。それが今の貴様に出来る最善策だ」


 それで話は終わりだと言うように、シャーロットは一歩、踏み出した。


 雨に濡れて紅色の髪は、黒色を帯びてくる。


 染めていたのではないかと思うほどに、髪の色は変化していく。


 だからこそ、雨を嫌っているのだろう。

 彼女は、血に濡れたような髪色を誇りに思っているのだから。


 ……意味が分かんないわ。


 攻撃を加えようものならば容赦のない反撃をされたことだろう。


 それなのにもかかわらず、ガーナの為に忠告をしていくなどと、シャーロットは命を狙おうとしたガーナに対して親切すぎるのだ。


 彼女がなにを考えているのか、理解することができない。


 ……なんなのよ。


 化け物と呼ばれてもなにも表情を変えなかった。


 それなのに、忠告をする時には、僅かに優しそうな眼を向けてきたのだ。まるで友の安否を心配するかのような眼だった。


「使命ねえ? アンタが好きそうな言葉だわ。私は大嫌いだけど」


 心当たりのない言葉だった。

 けれども、その言葉を口にすれば言い慣れた言葉であった気さえした。


 なぜだろう。嫌な予感がする。

 それを知ってしまえば、なにもかもが手遅れになってしまうだろう。


「よくわからないけど。――シャーロット!」


 高らかとシャーロットの名を叫ぶ。


 それに対してなにも反応もしないシャーロットの姿を見て、ガーナは魔力を込めていたナイフをポケットの中にしまう。攻撃をする必要はない。


 安全が確保されているのならば恐れることはない。


 恐怖心は、一瞬で消えた。代わりにあるのは、安心感だった。


 ……良かった。


 始祖の話になった途端に感じた恐怖心。

 それは、死を怯えている人と同じだ。


 油断していることがばれてしまえば、殺されてしまうのではないか。否、生かされる可能性は低く、殺されてしまう理由ならある。


 ……シャーロットは、やっぱし、味方でいてくれるのね。


 もっとも、その理由は思い出せない。

 しかし、始祖から命を狙われるのには、充分すぎる理由であった筈だ。不思議なことにそれだけは覚えていた。


 心が揺らぐ。気持ちが簡単に変わってしまう。


 その矛盾に気付くことができなければ、ガーナはなにも乗り越えることができないだろう。


「また、会おうねぇ。私、シャーロットのことが嫌いじゃないみたいだから!」


 楽しげに笑みを零しながら、ガーナは置いてあった荷物を腕に掛ける。そして、スキップをしながら立ち去る。


 ……大丈夫、大丈夫よ。だって神様は私を見ていたのだから!


 なぜだろう。天気雨とは思えない。


 有名な魔法使いによる天気予報が外れるとは思えない。

 

 朝食時、寮の食堂で流されている天気予報が外れたことはなかった。

 それならば、これは偶然ではないのだろう。


 ……きっと、私を救ってくれたんだわ。


 それは夢物語を語るかのような気分だった。


 身体も買い物をしていた時よりもずっと軽い。

 楽しい友人と過ごす時間と同じくらいに心身とも軽くなっている。さきほどのことが噓のようである。


 けれども、背負ってきたものを降ろしたような感覚に襲われる。


 それがなにかわからない。

 それがいいことなのかもわからない。


 思わず、良く耳にする歌を口ずさみながら歩く。


 向かう先は、先ほどライラを置いて来てしまった場所だ。店と店に挟まれたただの道路。


 そこへと楽しげに向かうガーナの姿を見た人は、誰もが目を逸らしていた。


 異常な姿だったのだろう。

 

 雨の中、軽い足取りで歩いているのは他人から理解されるようなことではない。そのようなことを気にするガーナではなかったが、今は、いつも以上に他人の目に気付いていないのだろう。


 ……また、会える。そしたら、今度はシャーロットから逃げないから。


 確信がない言葉が躍る。

 なぜ、ここまで嬉しいのかはわからない。


 戦闘になることも覚悟をしていた。

 返り討ちに遭えば死ぬ可能性も理解していた。


 それでも、また逢えるかもしれないということが嬉しくて仕方がないのだ。また話せるということが嬉しくて仕方がないのだ。


 ずっと望んでいたことのように思えていた。

 そんな不思議な感覚に胸を躍らせる。


「ふふっ」


 笑い声を漏らす。


 ……そうだ、ライラと彼女を会わせてみよう。きっと、仲良くなれるわ!


 頭の中で実現できるのかわからない計画を練る。



 ――それが、日常の終わりとも知らずに。

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