05.彼女は物語を紡いでいる

「くだらん言い訳だな。見苦しい姿だぞ、ガーナ・ヴァーケル。我が友の妹君、否、帝国を救う英雄の一人である聖女だった貴様が、全ての記憶を忘れるとは想定外だった。」


 聞いたことはある言葉だった。

 だが、それは当然の様に自分を指す言葉ではない。


「愚かなことよ。貴様の罪はその愚かしさにあるのに違いないな。呪われている自覚もない愚かな女だ」

 

 シャーロットは同情するかのような言葉を口にした。


 ……英雄? 聖女様?


 それはライドローズ帝国の前身である神聖ライドローズ帝国が、まだ弱小国家だった頃の話だ。


 皇族の血を継ぐ大予言者により選ばれた七人の英雄、七人の始祖により滅亡の危機を乗り越えるだろう。


 それは千年前に予言された実話だ。


 そして、現在のライドローズ帝国が現存しているのは、予言されていた滅亡を回避することができたから、だと言われている。


 始祖信仰と呼ばれる伝説の数々は、その時代の出来事とされている。


 幾度も訪れた帝国の危機を跳ね除け、帝国の繁栄を支えている七人の始祖。


 彼らは帝国の為ならばどのようなことでもすると言われている。

 四百年から五百年は生きると噂されている異端者たちにより、この国は守られ続けている。


 ……私はそんなすごい人なんかじゃない。千年前から生きていないし、前世の記憶なんてすごいものは持ってないし。


 七人の始祖の中には、帝国民の歩む未来を照らすと信じられている聖女がいた。


 神聖ライドローズ帝国時代から帝国を支え続け、民の傍にあり続けた聖女は百年前に帝国を裏切り、自ら命を絶ったとされている。


「……やっだなぁ。私が神々しい美少女だからって、そーんな冗談、真に受ける程にお子ちゃまじゃないわよ? 聖女様だなんて百年も前に言われたら大喜びだったでしょうけど、今じゃあ、裏切りの代名詞じゃない。私はそんな非道な人間なんかじゃないわ。まったく、失礼しちゃうわね」


 だからこそ、なぜ、聖女と呼ばれたのか理解できなかった。

 いや、理解することを心から拒んでいたのかもしれない。


 下手に名乗れば処罰の対象。

 それを知っていて名乗るのは、理解のない子供くらいであろう。当然、その名で呼ばれることはない。あってはいけないのだ。


「己の立場すら忘れ、帝国を裏切ることで手に入れた平和の中で生きていようとも、同志を見つけたとならば本能が告げるとでもいうのか。くだらないな。それがお前の求めた聖女の在り方だというのならば、そのようなものは敵国にでも投げ捨ててしまえばいい」


 それなのにもかかわらず、シャーロットはそれが当然のことのように話を続ける。

 ガーナの言葉には、なにも意味がないかのようだった。


「あぁ、惨めな姿だな。聖女マリー・ヤヌットともあろうものが、望まぬ転生先で記憶を失うとは」


 幼い子どもが憧れるのも、英雄ごっこで遊ぶのとも違う。

 過度な始祖信仰によるものでもない。


「笑ってしまうのも仕方がないだろう?」 

 

 シャーロットはガーナを嘲笑う。


「貴様が英雄と名乗るのならば、この場で斬り殺さなくてはならないだろう。無論、貴様の愚かな真似が世間に知られる前にしなくてはならないことだ。これも帝国の為だと喜んで受け入れてくれるだろう? 貴様はそういう言葉には弱い正義感だけが取り柄の聖女だったのだから」


 シャーロットは言い切った。

 聖女がどのような人物か、知っているからこその言葉だ多。


 必要ならばシャーロットはガーナを殺してしまうだろう。


 それは始祖同士の争いではない。

 帝国の為には仕方がないことだったのだと簡単に片づけられてしまうのだろう。


 本気で言っているのだと伝わる雰囲気が漂っていた。


 ……私は違うって言っているのに。


 シャーロットは、ガーナが聖女の生まれ変わりかのような話をする。それが当然のことであるかのように話を進めていく。


 そこには違和感はない。

 しかし、簡単に信じられるような話でもない。


 いや、信じてはいけないと、彼女の言葉に騙されてはいけないとなにかに囁かれている気がしてくる。それはガーナを守ろうとしているかのようだった。


 ……なんて嫌な言い方なんだろう。一方的に決めつけられて不愉快な言い方。


 一歩、踏み出れば狂ってしまう世界。

 踏み込んではいけない領域。


 それを知っているのだ。嫌になるほどに見てきた世界の領域だった。


 ……そうだ。この人は、兄さんみたいなことを言うんだね。だから、逃げなきゃいけないってわかっているのに逃げられないんだ。


 兄はガーナの憧れだった。


 誰よりも気高く、誰よりも美しい。

 息を吐くように魔法を扱い、舞うように剣を振るう。

 得意としている弓矢に関しては誰も敵う者はいないだろう。


 ……兄さんだってきっと同じようなことを言うんだろうね。


 兄は厳しい人だった。

 兄は他人に対して興味を抱かない人だった。


 幼少期から年相応ではない言動をしていたらしい兄は魔法だけではなく、古の時代に扱われていた魔術も自由自在に扱う。所有しているはずのない武器を召喚し、村を襲撃してきた魔狼を一撃で仕留めた姿は人々の恐怖を煽るものだったのだろう。


 その話はガーナが両親から聞かされたものだった。


 兄が始祖の一人であることはガーナの誇りだった。

 両親から教えられたその秘密は兄に対する憧れを助長するだけだった。


 ……始祖は、生まれながらに恵まれているんだもの。兄さんみたいにすごい人だけが名乗って良いのよ。だって、パパもママもそう言っていたもん。兄さんは始祖だから、だから、私たちは生きていられるんだって。


 そんな兄に対する家族や親せき、村人の態度を見て育ってきた。


 畏怖、尊敬、敬愛、恐怖、畏れ。

 それは、同じ人間として見ない両親や親族、村人たちから兄へ向けられていた視線だ。


 ガーナは怯えていた。


 あの頃、兄に向けられていた視線の恐ろしさを知っている。それが自分自身に向けられることには耐えられそうにもなかった。


 ……“人間ほどくだらない生き物は存在しない”。だっけ。


 それは兄がよく口にしていた言葉だ。

 その言葉には人間に対する憎しみすらあった。


 まるで自分自身を人間ではないかのように表現した兄の姿と、シャーロットの姿が重なって見えたのは、ただの偶然だろうか。


「本題に入ろう。貴様の兄からの伝言だ」


 シャーロットの言葉に、ガーナが目を見開く。

 理解の出来ないことばかりかと思っていたのだろう。


 ……やっぱし、兄さんを知っているんだ。始祖としてではなくて、兄さんの個人的な知り合いなのかもしれない。


 それに違和感や不快感を覚えなかった。


 それが当たり前であると言う感覚――。いや、知っていたと言うことに安心すら抱いた。ガーナは、それの感覚を振り切る様にシャーロットの腕を掴んだ。


「兄さんがなんて? どうして伝言を預かったの!? 兄さんから直接話を聞かされても良いはずなのにぃ、なんで、アンタが聞いているの!?」


 それ以上に兄からの伝言が聞きたかったのかもしれない。一気に距離を近づけて催促をするガーナに対して、シャーロットは、笑みを浮かべた。


 ……うわ、怖い笑顔。


 シャーロットは、人形のような感情がない眼をしている。

 形だけ作られた笑顔は、仮面のように見える。


 ……兄さんは、この人と一緒に居るのかな。


 距離を取り直す。それから、手にしていた荷物を地面に置いた。


「化け物は所詮、化け物に過ぎない。人とは共にいられぬ存在。共に過ごせばいずれ正体が現れ、全てを不幸に変えるだろう。そして、思い知ることになる。――人間ほどくだらない生き物は、存在しないのだということを」


 それから、告げた内容は残酷なものだった。


 ……兄さん。兄さんは、本当にそう言ったの?


 表情を一つも変えずにそれだけ言い、シャーロットはガーナの手を振り払った。触られることを拒絶したかのようにも見えたのは、気のせいだろうか。


「貴様が忘れているのならば、改めて、名乗ろう。なにも畏れることはない。私は、貴様を同志として迎えることも視野に入れているのだから」


 彼女の瞳は、氷のように冷たい。

 感情を宿さない、冷め切った目で見られたガーナは、思わず身震いする。


 ……簡単に人を殺すような目をしているね、この人は。


 だけども怯えはなかった。


 ……それすら懐かしいよ。どうしてかな?


 懐かしさが込み上げる。

 心を支配する優しい感情はなんだろうか。


 これは本当にガーナが抱いている感情なのだろうか。

 それとも別のなにかが心に忍び込んでいるのだろうか。


 心の中にある優しい感情に対抗するかのように嫌悪感を抱く。その矛盾は心を破壊しようとしているようにも感じられた。


 ……苦しいよ。苦しいのに、怖いよ。


 求めた筈の存在だった。探していたはずだった。

 ライラの呼びかけに応えることもなく、彼女を選んだのはガーナだ。


 ……悲しそうにすら見えるよ、ねぇ、シャーロット。


 まるで、話しかけられることを恐れていたようにも見えた。

 それなのにも関わらず、表情一つ変えずに、嘲笑うかのように話す。その姿すら美しく、人形のようにすら見えた。


「私の名は、シャーロット・シャルル・フリークス。帝国から災いを遠ざける始祖であり、死に魅せられた魔女の名よ。存じておるだろう? あぁ、始祖としてはシャーロット・シャルラハロート・フリークスの名が知られているか。どちらでも構わない。どちらの名も私の名だ」


 この国には、徴兵制はない。


 王族が支配し、貴族が存在する帝国であるのだが、戦争が多発する国でもある。その為、軍部だけは身分関係なしの完全な実力社会なのだ。


 ……やっぱし、そうなんだ。


 自身の名を誇らしげに語る。

 その姿は、学園で何度も目にしてきた貴族の姿と重なって見える。


 ……でも、なんでかなぁ。他の貴族とは違う気がする。


 貴族として生まれ育ったことを誇りに思い、それを自慢している“中身”のない貴族の子どもたちとは、なにかが違って見えた。

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