01-2.裏切り聖女の独白
「穢れを知らぬ者には、価値はないと切り捨てたのは、陛下よ。私は陛下の寵愛がほしかっただけなのに。貴方はそれを必要ないと捨てたから。だから、私だって捨ててあげるわ。陛下の大事な物を奪ってあげるわ」
腕を斬り裂き、血を流す。
マリーの眼からは涙が零れ落ちた。
これを望んでいたわけではないと訴えるかのように涙が魔方陣を濡らす。誓約の塔にある呪詛の根源【
【
「あは、あははははっ」
【
青白い光を放ち始めた魔法陣の中央に立つマリーはそう思ったのだろう。一部が狂ってしまっていることに気付かないまま、マリーは笑い始めた。その目には大粒の涙が零れ落ちている。
「あは、はははははははははっ。これで、これでいいのよ。ねえ、陛下。貴方の理想郷を壊してさしあげるわ」
彼女は正気ではなかったのだろう。
マリーも気付かない間に狂ってしまっていたのだろう。
「きっと、私の正義を、認めはしないのでしょうね。いいのよ、いいの。それでもいいのよ。私は私の正義の為に立ったの。陛下。貴方に恨まれて殺される為の正義を選んだの。貴方の大事な物を全部壊してあげるわ」
血文字による魔方陣。
それは、かつて愛した彼の描いた理想郷を壊す為だけに生み出されたもの。
帝国の崩壊を避ける為だけに、歴史が繰り返され続ける。理想通りに物事を進める為だけに生み出された【
それは、きっと、彼女以外は望まない。
誰もが繁栄を望む。
誰もが一時的な幸せに手を伸ばす。
その為ならば、繰り返しの歴史に気付かぬふりをしてきたのだ。
人間は同じ罪を繰り返す。そういうものなのだと、歴史を解釈してきた。
その流れを止める彼女の行為は、正義と言うべきか、自己満足と言うべきか。
……これでいいの。
涙を流しながらも魔方陣の中央に立つマリーの身体から光が抜け出していく。魔力の放出だ。放出された魔力は魔法陣に吸収をされていく。
それを拒みもしないマリーは狂ってしまっているのだろう。
……私は九百年生きても本物の聖女にはなれなかったわ。偽物は偽物でしかなかったのよ。あぁ、これは、彼女から力を奪った罰なのかもしれないわ。
【
それを知っていながらも、マリーにその呪詛の方法を教えた人物がいた。
七人の始祖による帝国の体制維持に疑問を抱き始めたマリーを唆した人物がいる。
真の犯人と呼ぶべきその人は先の大戦にて命を落としている。
そのことがマリーが禁忌と呼ぶべき【
マリーはそれにすら気づいていなかった。
これは帝国の為になると心の底で思っていたのだろう。
「あの時、本物の聖女に選ばれる筈だった貴女なら、きっと、変えてくれるのでしょう? 陛下の理想郷を壊してちょうだい。私の正義を次の世代に繋げてちょうだい。その為に力をあげるわ。私の全てをあげるわ」
彼女には彼女なりの正義はあった。
その正義には、生贄が必要となる。それを嘆く心もあった。
「ごめんなさい、まだ見ぬ愛しい娘。私の正義の為に死んでちょうだい」
青白く輝く魔法陣の中にマリーの身体が取り込まれてしまったのは、彼女が僅かに正気を取り戻したときだった。
新たな呪詛が帝国に広がっていった。
この事件により帝国を愛した聖女は崇められる対象から、裏切り聖女として憎まれることとなる。それはマリーの望んだことではなかったのかもしれない。
* * *
聖女、マリーが帝国を呪ったのと同時刻。
凍り付いた森の中に屋敷を構える変わり者はその気配を察知していた。
厳重な管理が施されている誓約の塔に忍び込んだことも、そこにある呪詛の根源たる【
まだ彼以外は気付いていないだろう。
先の大戦にて命を落とした始祖たちは数十年だけの眠りについている。
生き残っている他の始祖たちは魔術には疎い。生まれ持った特異な力で物事を解決することに長けているからこその弱点だ。魔術の劣化版である簡易魔法を生み出した彼への絶対的な信頼による失敗だ。
「……バカな奴だなァ」
彼だけは知っていた。
知っていたからこそ、凍り付いた森の中に築いた屋敷から出なかったのだ。
「どこまでも利用されてるってのに。ほんとにバカな奴だなァ」
【
マリーにその方法を伝授した仲間から全てを聞かされていた。
「これだから俺はお前が嫌いなんだぜ、可哀想なマリー。いつまでも愛されると思い込んでいる哀れなマリー。お前には裏切りの汚名が相応しい。聖女なんてお綺麗なもんじゃねえだろ、お前は。愛される為ならば、なんだってやってくれるやつだろう。それが聖女なんて名乗ってちゃあいけねえよなァ」
彼は誰よりもマリーのことを理解していた。
だからこそ、マリーは彼には魔方陣を狂わせる計画を打ち明けていなかった。
マリーは彼がこの計画を知れば、止めると思ったのだろう。実際はマリーが禁忌に手を染めるとわかっていながらも、なにもしなかったのだが。
「アァ、可哀想なマリー」
机の上に放置されていた古びた写真立てを手に取る。
古びた写真には少年と少女が写っている。
背の高い少年の服を掴み、少しだけ不安そうな目を向けている少女の姿はまだ幼い。
汚れはないものの質素な服装に身を包む少女こそが幼き頃のマリーだった。まだどこにでもいる村娘だった頃のマリーだ。本来ならば村人として一生を終える普通の少女だった。
「お前が人間として生きていれば、俺はお前のことを可愛い妹だと思えただろうなァ」
彼はマリーの兄だった。
その血は半分しか繋がっていない。
彼にはマリーが持っていない人間族以外の血を持っている。だからこそ帝国の為に役に立つ存在として呪われてしまった。
七人の英雄として呪いの力を与えられてしまった。
それでも、彼はマリーの兄だった。
マリーがどこにでもいる村娘だった頃、彼は妹のことを大切にしていた。それは変えようもない事実である。事実だからこそ彼はマリーを疎むのだ。
「お前が余計なことをしなければ、俺たちはこんな真似をしなくてよかった。恨むぜ、マリー。可哀想なマリー。精々、苦しんで苦しみの中で死んでくれ」
彼の独り言は呪いだった。
魔法陣の中に吸い込まれていったマリーを呪う言葉だ。
彼は言葉の中に魔力を込めることで新しい魔術や呪詛を生み出すことができる。それを知っているのは彼と彼の親友だけだった。
「アァ、俺たちの為に踊ってくれよ、可哀想なマリー。そうすりゃ、兄さんが一つくらいは願いを叶えてやるように頼んでやる」
なにも取り柄のない村娘だったマリーが、なぜ、皇帝の側室になることができたのか。
九百年前の出来事に対して誰もが疑問に抱くことだろう。
答えを知っている始祖たちが口を閉ざしているからこそ、様々な憶測が流れている。
それを知りながらも彼はなにもしなかった。
今だってなにもしない。彼は彼の願いが叶えられたらそれ以外はどうでもいいのだろう。興味を持てないのかもしれない。
古びた写真立てを机に置き、写真を机につけるように倒す。
そして、【
二人の出会いの日、凍らされた森の中で彼は眠りにつく。
こうして彼が黙認をしたことにより帝国中で大騒ぎになってしまうことなど、彼には興味がなかったのだろう。
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