ガーナ・ヴァーケルは聖女になりたくない

佐倉海斗

第0話 少女は聖女に仕立て上げられる

01-1.裏切り聖女の独白

 少女、ガーナ・ヴァーケルの故郷は凍り付いた森に囲まれている田舎にある。


 フリアグネット魔法学園の長期休みを利用して故郷に戻っていたガーナは自室の整理整頓をしていた。その日暮らしの田舎生活をしていたとはいえ、ガーナの自室には物が溢れている。その多くは首都で暮らしている兄から貰った物であり、兄を恐れる両親が金銭価値を理解していながらも手を出さなかった為、部屋に取り残されたのだろう。


「……あれ? こんな本、あったかなぁ」


 立て付けの悪い本棚の奥に隠されていた古びた本を手に取る。


 題名は掠れてしまっており読めない。中を見てみるが、現代では使われない古代語で書かれているようだ。古代語は学園で習うことはあるものの、今年、高等部に進級をするガーナはまだ簡単な単語しか読むことはできなかった。


「兄さんの忘れ物かなぁ」


 ガーナが帰省する時期に合わせて帰ってきていた兄は先に出発をしている。

 仕事柄、長期休みは貰えないのだと笑っていた兄を思い出す。


 ……古代語の予習に役立つかも。


 本棚に戻そうとしていた手が止まる。


 首都ヴァーミリオンに行く機会があれば会うこともあるだろう。その時に本を返せばいいのではないかという誘惑が頭を過り、無意識のうちに本を荷物の中にいれていた。


 ……リンなら読めるかもしれないし。


 行動を共にしている友人ならば古代語を習得しているかもしれない。

 貴族の中では今でも秘密の話をする時には古代語を口にする文化が残っているのだと聞いたことがあった。


「ガーナ! 準備はできたのー!?」


 躊躇なく扉が開けられた。

 端切れを繋ぎ合わせたエプロンを身に着けた体格のいい女性、ココア・ヴァーケルは広がっている部屋の状況を目の当たりにし、大きなため息を零した。


「ガーナ、自分でできるって言ったじゃないの」


「えへへ、ママ、私もできると思っていたのよ」


「アンタが来る前よりも広げてどうするの」


「だってぇ、見たことがない本があったんだもん! これ! 兄さんが置いていったんでしょ!? 兄さん、なんか言っていなかったの?」


 荷物の中から先ほどの古びた本を取り出す。

 それに対してココアは眉を潜めた。


「……ママ?」


 何も言わないココアに対し、ガーナは不安そうな声をあげる。

 ガーナは兄を慕っている。しかし、両親たちは兄のことを良く思っていなかった。


「片づけは後にしな。ご飯が冷めちまうよ」


「はーい」


 部屋から立ち去ったココアの後を追いかける為、ガーナは立ち上がる。その際、本を荷物の中に仕舞うことを忘れなかった。それから力加減によっては軋んだ音が鳴る床に穴が開かないように気をつけながら扉に向かう。


 扉を片手で閉めたガーナは気づいていなかった。


 荷物の中に紛れ込ませたはずの本から虹色の妖しい光が放たれ、その光はガーナの部屋の中を包み込んでいた。そして僅かに扉の内側から漏れる光に気付くこともなく、ガーナは早々とリビングに向かってしまった。


 眩い光が収まった後、本は消えていた。

 そして、ガーナはその本の存在を思い出すことはなかった。



 その日の夜、ガーナは妙な夢を見た。

 目の前で捲られる古びた本を眺めているだけの夢だ。


 その本には様々な出来事が描かれている。帝国を守護する七人の始祖の話や聖女の話、革命の危機を乗り越えた話など一度では理解をすることが難しい内容だけではなく、家族愛を語ったものや悲劇の恋等、様々な内容が書かれていた。


 ガーナはそれを眺めている。

 それだけなのにもかかわらず、それは哀しい物語の開幕なのだと悟っていた。



* * *



 ライドローズ帝国には神様がいる。


 それは千年以上も前、帝国の危機を救う為だけに異質な力を与えられた少年少女たちの成れの果ての姿である。かつて帝国の為だけに命を捧げた少年少女たちは帝国の始祖として崇められ、この国を永久に守る守護神として祀られる。



 そこには彼女たちの意思は必要なかったのだろう。

 そこには彼女たちの大切なものはなくなってしまっただろう。



 ただ帝国の繁栄を永久に願ってしまった者たちに呪われてしまった彼女たちは役目を果たすことだけが生きることになっていた。帝国全土に広がっている呪詛【物語の台本(シナリオ)】を維持することにより、都合の良い展開を生み出し続けている。それに疑問に思う人が現れたのは、僅か、百年前のことだった。



* * *



「……失望したと怒るかしら」


 かつて、誰よりもライドローズ帝国を愛した男性がいた。

 帝国の為ならばなんでも手に掛けてしまう恐ろしい男性だった。


 彼の名は、ミカエラ・レイチェル。

 神聖ライドローズ帝国の四代皇帝として君臨し、帝国を愛するからこその悪行の数々に手を染めた男性だ。死後、帝国史上最悪の犯罪者と厭われ続けることになった彼は誰よりも帝国を愛していた。


 彼が生み出した帝国全土に広がっている呪詛【物語の台本(シナリオ)】の根源が保存されている誓約の塔に忍び込んだ女性、マリー・ヤヌットは、四代皇帝を愛していた。


 愛する人の為にならば喜んで命を捧げるくらいには愛していた。


「陛下は、ただの村娘だった私の手を取ってくださったのに。陛下の理想郷を壊そうとするなんて、なんて、罰当たりなんだと怒ってくださるかしら」


 ミカエラは、生まれ育った帝国を愛し、帝国の為に生きた人だった。


 ミカエラが頂点に君臨していた時代を生きた人たちは、皆、彼こそが神様だと崇め慕っていた。それ故に、彼の最期には誰もが嘆き哀しんだ。しかし、神に等しき存在である彼が望んだ未来を刻む為なのだと、更なる忠誠と帝国の発展を誓ったものだ。


 当時の人々の思いとは掛け離れてしまった現代を生きるのには、彼を愛しているマリーには苦痛でしかなかった。変わることの許されない身に落ち果てたマリーは彼のいない九百年以上の年月を生きてきた。苦楽を共にした仲間が帝国の為に果てる姿も何度も見送ってきた。数十年以内には誰もが望まない転生を果たし、再会をする事になるだろうと知っているからこそ、その死を見送り続けることができた。



 仲間の穏やかな死すらも願うことが許されない。

 かといって愛しい人が蘇ることもない。



 帝国の為だけに生き続けなければいけない日々はマリーの心を壊していった。


「それでも、私は愛していたの。いいえ、今も、愛しているの」


 マリーは彼のことを愛していた。


 彼の愛する帝国の為ならば、この身を捧げても構わないと、むしろ、それは光栄なことだと喜んで贄になると口にした。彼の愛する帝国の礎となるのならば、なんて誇らしい役目だろうと微笑んで見せたのだ。


 彼のことを愛し、“彼”から愛されることを望んだ。望んでしまったのだ。


 なにも知らない他人は、マリーを彼に仕える聖女だと崇めた。

 帝国の為だけに身を捧げた聖女だと崇める国民にはなにも罪はない。それを分かっているからこそ、マリーは望まれるままに聖女であり続ける道を選んでしまった。



 それすらもマリーの心は痛みを訴えていた。

 本人すらも気付けない痛みを訴え続けていた。



 なにも取り柄のない村娘として生まれ、彼に見初められたことにより彼の側室となったマリーのことを、聖女と崇めて、施しを乞う民に手を差し出すことも、彼の聖女である女性には許されなかったのだ。


 マリーには誰も救うことができなかった。

 それでも民は聖女を崇めた。


 聖女の導きにより帝国を守護する始祖たちが降臨したのだと嘘偽りの伝承を心の底から信じ、数え切れない人々が戦地で散っていた。それでもマリーは聖女として見送り続けた。愛おしい彼が愛する国民が心穏やかに過ごせる日々を願い続けた。


「なんでも、よかったの。陛下と共にいられるのなら。私は、陛下から与えられた聖女として振る舞えたわ。全部、全部、陛下の望まれたことだと信じて、九百年も生きてきたのよ」


 民の苦悩を知っていた。

 民の悲劇を知っていた。


 村娘として苦悩の日々を過ごしてきた過去は消えない。その日々の間で知ることとなった上流階級により搾取の苦痛も知っている。忘れることはできない。


 それすらもどうでも良いと思えるほどに彼を愛していた。


 帝国の民からも慕われた偉大なる皇帝として君臨した彼は、彼を愛するマリーの嘘の予言を信じてしまったことにより、その名声を地に落とすこととなった。殺戮皇帝、帝国史上最悪の犯罪者。様々な悪名高い皇帝として後世に名を遺すこととなった彼は、それすらも構わないと思っていたのかもしれない。


 皇帝ミカエラ・レイチェルは、帝国が永久に繁栄することを理想としていた。


 その理想は、数年後、帝国の滅亡という形で壊されることを女性は告げた。それはその当時の大予言者がした予言と似たような内容だった。その危機に陥っているとミカエラに嘘を吹き込んだのは、マリーだった。


 マリーは大予言者の真似をしてでもミカエラを振り向かせたかったのだろう。


 それが正しい予言か、偽りの予言か。


 それを審議する余裕もなく、彼は、帝国から災いを遠ざける為に開発していた禁忌に手を出してしまった。もしかしたら禁忌に手を出す理由を探していたのかもしれない。


「でも、陛下がいない。陛下がいない日々を、耐えるなんて、私には無理だったのよ。九百年もの間、耐えてきたわ。全ては私の嘘のせいだったの。その所為で、みんな、みんな、呪いの中で苦しんでいるなんて、もう耐えられないわ」


 あの時、マリーが口にした偽りの予言だった。

 数十年後の未来を予知することは、女性には出来なかった。


「最低だって分かっているわ。陛下の理想郷を壊そうとするなんて、許されることではないもの。わかっているの。わかっているのよ」


 それは、偶然だったのだろう。


 マリーが口にした予言は的中してしまった。

 数年後、反旗を翻した同盟国に囲まれ、帝国は滅亡の危機に陥った。


 しかし、それを回避してしまった。


 帝国を愛した彼が生み出した禁忌により、帝国は不死の兵を得た。彼は、大予言者の呪いにより異質な力を持つ少年少女たちを不死の兵へと作り変えた。


 呪われた少年少女たちの力は恐ろしいものだった。


 絶望的な危機を簡単に引っ繰り返し、帝国に繁栄をもたらした。それは彼の理想郷そのものだったのだろう。罪深い不死の兵となった七人の少年少女たちは帝国の守護神、帝国の始祖であると大々的に謳ったのはその理想郷を維持したい支配者の欲だった。その欲を知っていながらもマリーは笑ってみせた。


 何度も死しても蘇る。

 姿形を変えながらも、記憶も人格も才能も引き継いで転生を果たす。


 それは始祖として崇められるのには充分すぎるほどの呪いだった。


「私だけは、帝国の為に生きる価値もないと判断されたのかしら。穢れなき聖女なんて名ばかりのお飾りとして、罪を背負わせてもくれないなんて。……本当は、わかってるの。私は大予言者に選ばれた始祖ではなかったから。本当の選ばれた英雄は私じゃなかったから。それを私が奪ったのだから」


 彼が生み出した禁忌は、死すらも許されない存在として生きるのだ。


 大予言者による呪いを生まれながらに背負わされ、死しても、穢れた存在として生かされる。穢れを背負い、罪を犯した咎人は引き継がれた記憶と自我に導かれるようにして、再び帝国の為に心身を捧げる。そして、それを守護神と崇める帝国の異常な姿は、異常として見られず、理想的な帝国の在り方として各国に広まっていった。その恐ろしい連鎖も彼の望みだったのかもしれない。


「本当に、なんて、残酷な人なのかしら。――私の思いを知っていながらも、陛下は、九百年もの間、一度も降り立ってくれはしないなんて。一人で満足をしているの? 陛下、ここは貴方が望んだ理想郷じゃないの。それを保っている限り、陛下に会えないというのならば、私はその理想郷を聖女として否定するわ。だから、お願いよ。陛下。もう一度、貴方に会いたいの」


 犠牲の上に成り立つ理想郷。

 古の魔法文明を保つ驚異の国家。


 それは帝国を愛した彼により描かれた理想郷だった。

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