第47話 穏健派代表と痩せた男

 天界の最高議会議員であり、議会の第二勢力である穏健派代表を務めるカーサントは、自分の執務室でその報告を聞いた。


「九等区大陸から来た憲兵達が私に面会を求めている?」


 カーサントは秘書官の報告に、色白の顔を訝し気に歪めた。彼は感情が直ぐに表情に表れ、それは政治家らしからぬ致命的な欠点だった。


 だが、その実直な性格は他者から誠実だと受け取られ、カーサントは一等区大陸の民衆から人気があり、事実彼は選挙で当選して最高議会代表議員となった。


 カーサントは仕事を中断して面会を許可した。執務室に現れたのは、四人の憲兵と痩せ細った茶色い髪の男だった。


 粗末な衣服を着たその痩せた男は、どう見ても憲兵には見えなかった。緊張した面持ちの憲兵の話を聞き、カーサントは驚愕する。


 九等区の大陸での民衆蜂起。その現場から脱走した憲兵達がカーサントと面会する迄、丸ニ日間が経過していた。


 その間、最高議会には何の報告も成されなかった。九等区大陸の憲兵総指揮者ホルモスは大陸間同士の船の往来を禁止し、事実上大陸を封鎖し情報が漏れない様に画策していた。


「こ、この男は九等区大陸の住民です。暴動現場の証人としてお連れしました。この投書箱に意見書を入れておりました。それがこの男が九等区大陸の住民と言う証拠であります」


 カーサントは憲兵が持つ投書箱の側面に記載されている文字を横目で確認する。憲兵の言う通り、そこには九等区大陸専用と書かれていた。


「その意見書とやらを見せて貰おうか」


 カーサントは椅子に座りながら手を伸ばすと、憲兵は慌てて投書箱を床に置き小走りで意見書を最高議会穏健派代表に手渡す。


 貧しい大陸出身者の窮乏を訴える何時と同じ内容。そう思っていたカーサントはその意見書を流し読みしようとした。


 だが、その文面を読むカーサントの顔色は見る見る内に険しい物に変わって行った。


「······その九等区大陸出身の男は私が事情聴取する。憲兵の諸君等は別室で待機していてくれ」


 カーサントの指示に憲兵達は不満そうな表情を見せたが、秘書官が半ば強引に憲兵達を執務室の外に出した。


 執務室にはカーサントと痩せた男が残された。最高議会穏健派代表は茶色い髪の男を睨みつけるように見る。


「······この意見書にはアメリフェスの危険性が書かれている。余す所無くだ。これは本当に君が書いたのか? まるでアメリフェスの事を良く知る者の書き方だ」


 カーサントの真剣な口調を聞きながら痩せた男は思った。自分に質問するこの男は感情が顔に出る政治家らしからぬ人物だと。


「······はい。それは私が書きました」


 痩せた男の覇気の欠けた返答に、カーサントは今一度意見書に視線を落とす。そこには、アメリフェスがこの天界を滅ぼし兼ねない危険な行為に及んでいる事が詳細に書かれていた。


 アメリフェスは下層の貧しい大陸で民衆を扇動し、その怒りの矛先を精霊六大一族に向けさせた。それは精霊六大一族と天界軍が一枚岩でない事を狙った上での事だった。


 民衆が六大一族と対立し抗争に発展しても、天界軍は本腰を入れて六大一族を救うとは考えにくい。


 だが民衆が六大一族を倒した後、次に狙われるのは天界軍なのは明白だった。このまま事態の推移を傍観すれば、六大一族と天界軍は各個に民衆達に倒される可能性が高い。


 そして天界は力を持つ者達が割拠する無秩序な弱肉強食の世界となる。カーサントはその結末を想像し、背筋に冷たい汗が流れる事を感じていた。


「······だが分からんな。この事態は君の様に下層大陸出身者にとっては望む世界では無いのか?」


 カーサントの僅かに上ずった声に、痩せた男は淡々と答える。


「今の世界より少しでも良くなるなら私はこの意見書を投じませんでした。ですが、このままアメリフェスの意図する通りになれば、この天界は更に弱者に厳しい世界になります」


「だがな。戦い方も知らぬ民衆達が果たして六大一族や軍を倒せると思うか?」


「政治家も軍人も。これ迄天界の歴史に於いて民衆の暴動を体験した事はありません。対処方法を知らぬ者に長きに渡り不満と怒りを溜めてきた民衆達の怒りを止められるとは思えません」


 痩せた男は小さい声で淀み無くカーサントの質問に答える。その時、執務室に大きな腹の音が響いた。


 意表を突かれた様に、最高議会穏健派代表の両目が丸くなる。そして苦笑したカーサントは丁寧な口調で痩せた男の名を聞く。


「フォルダンと申します」


 腹の虫を鎮める様に腹を手で押える痩せた男に、カーサントは笑みを浮かべ頷く。


「フォルダン。今から君は天界軍に入隊して貰う。そして最高議会代表議員の特権で君は私の衛兵兼秘書官となる。その件はひとまず置いて食事に行こう。今君に一番必要なのは肩書では無く食事のようだ」


 カーサントの言葉に、フォルダンは複雑な心境になる。貧しい下層大陸出身者は、その大陸を出る方法が二つあった。


 一つは軍隊に入隊する事。だが、軍隊は厳しい入隊試験があり狭き門だった。もう一つは自分を奴隷として奴隷商人に売る事だった。


 思いがけず九等区大陸を出る権利を得たフォルダンは、自分に軍人など到底務まるとは思えなかった。


 だが、限界を超えた空腹感に負け、フォルダンはカーサントの後を追い、議員専用の食堂に向かうのだった。


 百人が一度に利用出来る議員専用の食堂は昼時を過ぎていた為閑散としていた。最高議会を二分する勢力の代表の一人が訪れた為、休憩しようとしていた料理人達は急いで竈に火を入れる。


 フォルダンとカーサントは長テーブルを挟んで向かい合い座っていた。鹿肉のシチューとチーズとトマトを挟んだパンを、フォルダンは貪る様に夢中に食べた。


 カーサントは珈琲を飲みながら、フォルダンの食事が終わるのを無言で待っていた。追加注文した分も平らげ、食事を終えたフォルダンは暫く放心したように天井を見上げた。


 満腹になる迄食事をした事など、フォルダンには過去に記憶が無かった。初めての贅沢極まりない体験に、痩せた男はただため息をついていた。


「フォルダン。単刀直入に聞こう。君はアメリフェスを以前から知っているな? いや。聞き方が正確では無いな。君はアメリフェスの知人か?」


 贅沢ついでに珈琲を口にしようとしたフォルダンのカップを持つ手が止まった。そしてフォルダンの脳裏に遠い過去の記憶が甦る。


『フォルダン。俺は自分を売る。軍隊は駄目だ。入隊試験官が賄賂ばかり要求する。奴隷になるしかこの大陸から出る方法は無い』


 十五歳の痩せ細った黒髪の少年が、同じ位に痩せたフォルダンに宣言する。黒髪の少年アメリフェスはフォルダンを一緒に行くように誘った。


 二人は幼い頃から親も無く、同じ境遇の子供達と治安の悪い貧困街に住んでいた。だが、仲間達は飢えや病気で死んでいき、残されたのはアメリフェスとフォルダンのみとなっていた。


 だが、フォルダンはアメリフェスの申し出を断った。フォルダンには生きる気力が萎えており、奴隷として再起を図る気概など残っていなかった。


 アメリフェスは奴隷となり九等区大陸を去った。それから二十四年の月日が経過した。幸運にも生き長らえたフォルダンは、アメリフェスが演説を行った今日この日。


 貧しい日々を共に過ごした友が最高議会代表議員になっていた事を知った。そして同時に分かってしまった。


 過去の友は、この天界と言う世界に対して復讐をするつもりだと。


「······アメリフェスの狙いはこの天界を滅ぼす事です。九等区出身者の彼にとって、この厳格な身分制度が存在する天界そのものが許せないのでしょう」


 フォルダンのこの返答に、カーサントはさほど動揺しなかった。元々アメリフェスには多くの黒い疑惑が取り沙汰されていた。


 大富豪令嬢達との複数の関係。武器商人達との癒着。そして経歴の詐称。だが、カーサントはこの時気付いた。


 これらの噂は、アメリフェス自身が流布したのでは無いかと。自分が九等区出身者と言う真実を隠す為に、世間の目を逸らす為に幾つもの疑惑を流した。


 最高議会代表議員は一等区大陸出身者しかなれない。アメリフェスは地方領主の出とカーサントの記憶にあった。


 アメリフェスは何らかの方法でその地方領主の跡継ぎになり仰せた。カーサントはそう確信した。


 そしてアメリフェスが自分の正体が露見する不利な証拠を隠滅している事も穏健派代表は予想した。


 だが、アメリフェスの民衆扇動は明らかに重罪であり、到底放置出来る物では無かった。


「臨時議会を開く。そしてアメリフェスを民衆扇動の罪で裁く。フォルダン。君もその場に同席してくれ。アメリフェスの動揺が誘えるかもしれん」


 組んだ両手をテーブルに置きながら、カーサントはこの機に最大の政敵を葬り去る決意を固めていた。


 フォルダンは満たされた胃袋とは対極に、心中に寒々とした風が吹いた気分だった。二十四年振りの友との再会が、その友を断罪する場になる事に。


 だが、微力ながらもそのきっかけを作った自分にカーサントの申し出を断る権利は無い。フォルダンは俯きながら、穏健派代表に了承の返事を返した。


 天界軍が数千年振りに地上へ侵攻してから二ヶ月が経過しようとした頃、下層の貧しい各大陸では尋常ならざる事態が発生し進行していた。


 「ウラフの乱」後の天界の世に、長く語り継がれる民衆大反乱の幕開けだった。


 


 



 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る