第45話 天空の民の捕虜生活
天界軍がカリフェースの王都を強襲してから二週間が経過した頃、王都では破壊された街を修復する為に人々が忙しく汗を流していた。
カリフェース軍もそんな民衆達と同様に休み返上で勤勉に働いていた。激しい戦闘の結果、王都には天界軍の乗り捨てられた軍船が多数残された。
そして数十人の天界兵が捕虜として拘束された。軍本部の建物にある牢屋に捕虜達は集められた。
その牢屋の一つに、細目の天界兵はリラックスした様子で寝転がっていた。先の戦いで銀髪の美しい娘に昏倒させられ捕虜となった天界人ヘンメルは、一日二回運ばれてくる地上の民の食事を心待ちしていた。
地上の小麦や野菜は天界より滋味深く、捕虜となったこの天界兵の味覚を虜にしていた。この上は酒も口にしたかったが、捕虜の身ではそれは望めなかった。
だが、その願望も近いうちに叶う事をこの男は知っていた。そんな細目の天界兵の視界に鉄格子越しに誰かの足が見えた。
「ヘンメルさん。決心はつきましたか?」
銀髪の美しい娘に名を呼ばれた天界兵は、視線を上げて不敵に笑った。
「ああ。腹を括ったよ。チロル。いや。銀髪の君よ」
ヘンメルがそう言うと、天界軍七等兵は即牢屋から釈放された。チロルは時間を無駄にせず、ヘンメルを直ちに会議室に連れて行く。
「何だ。誰も居ないじゃないか」
広い会議室の中央にある円卓を囲む椅子はどれも無人だった。ヘンメルは遠慮する素振りも見せず勝手に空いてる椅子に座る。
椅子の背もたれに預けた背の羽が痛まないのかとチロルには不思議だった。
「貴方達天界軍のおかけでウェンデル兄さん達は忙しいんです。ヘンメルさん。皆が集まる前に個人的に聞きたい事があります」
「俺に恋人がいるかどうか。かな?」
チロルの質問に対しヘンメルはおどけて見せる。だが、銀髪の君の目が笑っていない事を細目の天界兵は察知していた。
「ヘンメルさん。天界には九つの大陸があるそうですね。ラストルが居るとすればどの大陸ですか?」
「間違いなく一番上に位置する一等区の大陸だろう。風の精霊一族当主が御執着だった様子だったしな。彼女の屋敷が一番確率が高いな」
ヘンメルは惜しげも無く自分達の情報をチロルに話す。細目の天界兵は決断していた。天界軍を裏切り、地上の民に協力する事を。
ヘンメルはチロルと戦っていた際、銀髪の君から驚くべき事実を耳にした。地上の世界では、才覚次第で農民が皇帝になる事も可能だと。
天界の厳格な身分制度の中で生まれ育ったヘンメルにとって、それは衝撃的な事実だった。
元々己の力量に自信があったヘンメルは、地上と天界全てを利用して成り上がる事を決心した。
生来冒険心の強いこの天界人は、これから激動するであろう自分の運命に心を踊らせていた。
直にウェンデル王を筆頭に重臣達も集まり、仰ぐ旗を変えた天界人から情報を聞き出す会議が始まった。
「······天空石。その石であの軍船が空を浮いていたのか?」
紅茶色の髪の王は、天界軍の空を飛ぶ軍船の仕組みに改めて驚かされた。元々ウェンデル達は天界軍が残して行った軍船を念入りに調査していた。
そして船底に敷き詰められた淡い水色の石を発見し調査したが、それが何の石か全く分からなかった。
ヘンメルの情報によると、その天空石と呼ばれる石は天界のある場所でしか採掘出来ない鉱物であり、その石は精霊の力を増幅させる力を持っていると言う。
軍船の船底に敷き詰められた石の側には、非戦闘民と思われる数人の天界人がカリフェース兵に発見され怯えた様子で震えていた。
「その者達は精霊使いだ。最もその力は微々たる物だかな」
ヘンメルは説明を続ける。天界はその昔、精霊と共に共生する民だった。だが、いつしか人々は精霊を忘れ、現在では六大一族と呼ばれる者達のみが精霊を扱えた。
だが、力は僅かだが一般の天界人の中にも精霊を扱える者達がいた。その者達を軍に徴用し、天空石の増幅機能を使い軍船を空に浮かべていた。
「つまりだ。軍船は風の精霊の力を使い飛んでいる訳だ」
天界人の空を飛ぶ軍船の種明かしに、ウェンデルは本質的な危機感を感じていた。
「その天空石。利用の仕方次第では恐ろしい兵器になりそうだな」
ウェンデルの鋭い指摘に、ヘンメルはこのカリフェースの王を内心で見直していた。
「その通りだ。カリフェースの王よ。その昔、天界軍には様々な兵器が存在した。事実、数千年前に地上と交戦した時はその兵器を駆使し地上を全滅寸前まで追い詰めたらしい。だが、長い平和の経過と共にその兵器類も失われた」
ヘンメルは付け加える。再び地上と天界が戦争を始めれば、天界軍も兵器の再開発に本腰を入れると。
現存する天界軍の兵器は軍船の舳先から放たれる閃光のみであり、しかもそれは一度しか使えない使い捨ての兵器だと言う。
舳先の兵器は雷の精霊の力を使用しているとヘンメルは付け加える。
「······これは難事な事になりましたな。天界軍が数多の兵器を完成させれば、我々は成すすべ無く敗北する事になるでしょう」
宰相のテンショウが差し迫った深刻な事態を先頭を切って言語化する。カリフェースの王都を襲った天界軍の軍船の兵器の恐ろしさは、既に充分過ぎる程実証されていた。
「短期決戦。地上に残された勝機はそれしか無い。だが、天界に攻め込むにはこちらの足が足りん」
短髪の魔族ボネットが珍しく酒も要求せず、真面目な顔つきで発言する。
先の戦いで天界軍が地上に残して行った軍船は二十隻。全ての軍船を補修しても、百人乗りの舟では最大二千人の兵力しか天界に送れなかった。
「しかもです。ヘンメル殿の話では地上と天界を繋ぐ「門」は月に一度新月の日しか開かないと。しかも開く時間は丸一日。仮に天界に攻め込んだとしても「門」が閉じられてしまったら次に地上に帰れるのは一ヶ月後。その間、我々は天界と言う敵中に孤立する事になります」
モンブラが更に天界に攻め込む困難さを付け加える。カリフェースが誇る猛将、ブリツアード。ラルフロットの二人も厳しい表情で黙り込む。
補給線の無い戦いなど、自殺行為だと二人の若き猛将は知悉していた。亡きヨハスの代わりに聖騎士団長となった元副団長のワトランは、昨日から行方不明になっていたヨハスの息子アキラスの事で頭が一杯だった。
この重要な会議でも集中力を欠き、後に宰相のテンショウに厳しく叱責される事となった。
「ウェンデル兄さん。天界軍の二十隻の軍船を私に貸して下さい。二週間後の新月には間に合いまんせんが、その次の新月に私は仲間達と天界に攻め込みます」
どんな状況でも淡々とした表情で話すチロルが、珍しく感情を込めた口調でウェンデルに提案をする。
「ラストルの事か。チロル」
紅茶色の髪の王は、妹分がラストルの奪還を最優先に考えている事を痛い程分かっていた。チロルは頷く。
「もう一つは天界軍の中枢を叩く事です。ヘンメルさんの話では、天界を統べるのは最高議会代表達との事。その人達を黙らせれば、天界の政治中枢は混乱し、時間を稼げます」
チロルの大胆は発言に、ブリツアードが直ぐ様反論する。
「銀髪の君よ。時間を稼いでどうする? 政治家達を排除しても、いずれその跡を継ぐ者達が現れるのでは無いか?」
「天界にあると言う天空石を奪います。その石を使い私達も空を飛ぶ軍船を大量生産します。その為の時間稼ぎです。軍船が完成した時、私達地上の最大限の兵力を持って天界に攻め入り、天界を滅ぼします」
チロルが明かした戦略に、ブリツアードは内心で舌を巻いていた。そこに黒髪魔族のラルフロットが更に反論して来た。
「だが銀髪の君よ。軍船を飛ばすには精霊使いが必要なのだろう? その精霊使いはどうやって集めるのだ?」
ラルフロットの質問には、チロルでは無く挙手したヘンメルが答えた。
「天界には便利な道具がある。天空石を使用した「精霊秤」という名の道具だ。その道具を使えば、精霊を使える力があるかどうか判別出来る。天界軍はその「精霊秤」を使い一般の民衆から力を持つ者を強制徴用している」
チロルはヘンメルの後に説明を続ける。軍船は風の精霊の力を使い飛ばしている。天空石によってその力は増幅される為に、精霊を扱える力は微力な物でいいと。
「全ては天空石を奪えるかどうかに懸かっています。一ヶ月半後、私達無頼組織「猫の手も借りたい」がその役目を必ず果たします」
チロルの宣言に、重臣達は一斉に紅茶色の髪の王に注目する。ウェンデルは頷き、チロルの作戦を是とした。
カリフェースの王都は急激に慌ただしく動き出した。
「これからは時間との戦いになる」
ウェンデルは重臣達にそう宣言すると、直ちに軍船建造に着手する。重責を命じられたのはカタオ技術大臣だった。
カリフェースは陸の大国であり、海戦は勿論、船の建造など行った事など無かった。カタオは半壊した天界軍の軍船を解体し、その建造方法の仕組みを理解する事から始めなければならなかった。
「全く。何で天界人はわざわざ別の世界に攻め込むんだ?」
カタオ技術大臣はこの年五十ニ歳。白と黒の混じった癖毛を掻きながら、突然国の命運を担う大仕事に愚痴をこぼしながらも幾つもの指示を部下に素早く出して行った。
······天界の世界に於いて最下層である九等区の大陸で、ある集会が開かれようとしていた。
この貧しい大陸で最大の都市である中央公園広場には、実に十万を超す民衆達が集まっていた。
民衆の目当ては豊かで富める一等区の大陸に住む者であり、最高議会代表議員アメリフェスと言う名の男だった。
最高議会代表が最下層の大陸に足を運ぶ事など初めての事であり、九等区の民衆達は何事かと我を競って中央公園広場に駆け付けた。
臨時に設置された壇上に上がったアメリフェスは、視界に広がる十万の貧しい民衆達を眺めながら満足していた。
事前にこの日の演説を憲兵達を使い周知していたが、ここまで民衆達が集まる事はアメリフェスの想像を超えていた。
「九等区に住む者達よ。私の名はアメリフェス最高議会代表だ。本日はこの場を借り皆に伝えるべき重大な事がある」
アメリフェスの側には僅かに精霊の力が使える天界兵が立っていた。その天界兵は天空石を使用し、音の精霊の力を増幅して使いアメリフェスの声を拡声していた。
よく通るアメリフェス声に、十万の群衆達はざわめき出す。その反応を楽しむ様に最高議会好戦派代表は両手を広げた。
「······この天界には九つの大陸がある。二等区以下の大陸には空に霧がかかり、それは下層の大陸になる程濃くなって行く。最下層の諸君達のこの大陸は満足に太陽の日射しも届かない極寒の地だ」
アメリフェスの長い黒髪を、冷たい風が揺らす。この厚い毛皮のコートを着た最高議会代表に言われるまでもなく、九等区の貧しい民衆達はその事を骨の髄まで分かっていた。
「さて。九等区の民よ。何故ここ迄濃い霧がこの大陸を覆っていると思う?」
アメリフェスの余りにも分かりきった問いかけに、群衆達は神経を逆なでされる。それは天界が始まって以来の固定された気象現象であり、貧しい大陸に生まれた者はそこで貧しく生き死んでゆくしかない。
貧しい大陸の民衆はそれを運命として受け入れて来た。不満など口にしよう物なら我が物顔で街を闊歩する憲兵達に痛めつけられるのを知っていたからだ。
憲兵達は民衆達の組織的蜂起を未然に防ぐ為に、民衆同士の密告を賞金付きで奨励した。
貧しい者達は賞金欲しさにあやふやな情報を憲兵兵舎に持ち込んだ。憲兵達はろくにその情報の裏付け調査もせず、容疑者達を投獄した。
全ては民衆達を恐れさせる為の見せしめのだった。貧しい民は疑心暗鬼に陥り、大人数で集まる事を避けた。
こうして憲兵達は実に巧妙に民衆達を大人しい羊の様に飼い慣らした。その十万の羊達が見守る中、アメリフェスは驚くべき事を口にした。
「この霧は人為的に作られた物だ。霧を発生させている者は特権区に住む六大一族。その一族の中でも闇の精霊一族と呼ばれる者達だ」
アメリフェスのこの言葉に、十万の貧しい民衆は一瞬思考が停止した。最高議会好戦代表はその民衆達の顔を眺めながら、後戻り出来ない道を躊躇無く進もうとしていた。
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