第44話 流刑地の小さな種火

 天界に浮かぶ九つの大陸には、民衆達の治安維持を担う憲兵達が常駐していた。その組織は軍部から独立しており、憲兵達と天界兵達は互いにいがみ合い、両者の仲は良好とは対極の位置にあった。


 その憲兵組織の頂点に君臨するのがバニラス一等区大将。一等区大将は天界の軍階級に於いて最高位であり、バニラスは三人しか存在しない一等区大将の内の一人だった。


 バニラス一等区大将は早朝から不機嫌だった。一等区の大陸にある憲兵総監官舎の執務室でアメリフェス最高議会代表の呼び出しを受けていたからだ。


 理由は新設された十等区の島でウラフが起こした反乱の件だと言う事は、バニラス自身も薄々気付いていた。


「······どこから情報が漏れたのだ」


 バニラスは眉間に深いシワを作り、鉄壁を誇ってきた憲兵組織の情報封鎖に綻びが生じた事に不快感を顕にした。


 バニラスが最下層の島に移送されたウラフの反乱を知ったのは、一ヶ月後の定期輸送船が島を訪れた時だった。


 憲兵兵舎は破壊され、生存していた憲兵は皆無だった。直ちに鳥人一族と移送されてきた筈の囚人ウラフの捜索が作されたが、只の一人も発見されなかった。


 ウラフと鳥人一族達は憲兵達を皆殺しにし、定期輸送船を奪い島から逃走した。その憲兵達の調査結果に異論を挟む者はいなかった。


 その報告を受けた時、バニラス一等大将の背筋に戦慄が走った。この天界の歴史に於いて、憲兵組織は民衆の反乱を一度も起こさせなかった。


 今回のウラフ達の暴挙は、天界の歴史始まって以来の未曾有の事件であり、バニラスは肝を冷やした。


 初めて民衆の反乱を許した憲兵組織の長として不名誉な烙印を押される事に。そして憲兵達の汚れた裏の顔が露呈する事を。


 各大陸の憲兵達はその治安維持を担う職権を利用し、甘い汁を吸ってきた歴史があった。


 民衆の行為に難癖をつけ、刑罰をちらつかせ金品を要求する。その結果、憲兵達は軍部の兵士達より遥かに懐が温かい職業になっていた。


 その全ての事実が白日の元に晒される危険をバニラスは死ぬ程恐れていた。


 バニラスは白髪混じりの頭に軍帽を被り、部下に小型船の用意をさせるように命じる。バニラスは小柄だったが、五十代の年齢と狐の様な鋭い目から発せられる雰囲気は、部下を慄かせるには充分だった。


 執務室を正に出ようとした時、バニラスの足は停止した。扉の前に自分を呼び出した筈のアメリフェスが立っていた。


「アメリフェス最高議会代表? 何故こちらへ?」


 バニラスを最高議会議事堂に呼び出した当の本人が出向いて来た事に、一等区大将は戸惑いの声を出した。


「バニラス一等区大将。新設された十等区の島で反乱が発生したとは真実か?」


 動揺していたバニラスに、アメリフェスは更にそれを拡大させる爆弾を放り込んで来た。


 事は既に全て露呈していた。絶望感に包まれた一等区大将の耳元に、アメリフェスが小声で呟く。


「······噂だ。バニラス一等区大将。この事はまだ私をしか知らない只の噂だよ。仮にだ。仮に反乱が起きたとしても、鎮圧してしまえば何の問題も無い。何の問題もだ」


 アメリフェスの悪魔の様な囁きに、バニラスは幻覚にかかった様な気分になる。


「バニラス一等区大将。君の手腕に期待している。だからこの事は軍部に伝えず、憲兵組織内部で処理しようじゃないか」


「······も、勿論です。アメリフェス最高議会代表。我々憲兵組織は、どんな些細な問題も速やかに処理致します」


 この時、アメリフェスとバニラスの間に暗黙の連携が生まれた。この反乱事件を黙殺する代わりに、バニラスは大きな借りをアメリフェスに作る事になった。


 アメリフェスはバニラス率いる憲兵組織を今後意のままに操れる力を持った瞬間だった。


 元々軍部組織は一等区の大陸に存在し、二等区以下の大陸には憲兵組織の機能しか無い事がバニラスにとって幸いした。


 その大陸で起きた処理し切れない問題や事件は、必ず一つ上の憲兵組織に報告される。つまり、バニラス達は不都合な問題を幾らでも揉み消せる力を持っていた。


 バニラスは一刻も早くその不都合な真実を無かった事にする為に、各大陸の憲兵を総動員して憎き反乱者達を追い詰めるつもりだった。


 職務に戻るバニラス一等区大将を見届けたアメリフェスは、内心でほくそ笑んでいた。アメリフェスは各大陸に独自の密偵を忍ばせていた。


 今回の反乱の情報は、ウラフ達が占拠した定期輸送船の船員からアメリフェスにもたらされていた。


 天界の歴史上、初となる民衆反乱を実現させたウラフに、アメリフェスは称賛を惜しまなかった。


『あの男にまだ牙は残っていたか。精々暴れるがいい。火は勢いが強い程よく燃え広がる』


 アメリフェスは口の端を吊り上げ憲兵官舎の中を歩いていた。それは、天界全てが焼き尽くされる事を望む者の笑みだった。


 


 最下層の島で天界の歴史上初めてとなる反乱を成功させたウラフは時間を無駄にはしなかった。


 ウラフは占拠した輸送船を使い、一つ上に浮遊する九等区の大陸に移動する事を即決する。


 奪った輸送船で地上に帰れないかと鳥人一族から提案があったが、奴隷商人の話によるとこの輸送船では天界と地上を繋ぐ「扉」を通過出来ないと言われ断念した為だった。


 「扉」を通過出来る軍船を奪う。それがウラフ達の当面の目標となった。


 輸送船は百人乗り用だった為、五百人の鳥人一族を何度も往復して運んだ。舟が潜みやすい場所と水源が確保された地形を選び、そこに五百人の鳥人一族を降ろした。


 九等区の大陸も最下層の島に似た環境だった。大地は乾き空は濃い霧に包まれ、薄暗く太陽の光は期待出来なかった。


 だが、憲兵達の為に運ばれて来た食料が豊富にあり、鳥人一族達は当面は飢えずに済みそうだった。


 非戦闘民の鳥人一族達は急いで甘露を凌ぐ場所を作り、乾燥地帯に強い種を植えて行った。


 そしての百人の鳥人一族の男達はウラフと共に九等区大陸で最大の都市に向かった。反乱を起こした際、拘束したテモニトと言う名の奴隷商人の情報と金を使い、ウラフ達はその都市で奴隷市場を開いた。


 憲兵に嗅ぎ付けられないように、その市場は内密の内に開かれた。かつて校舎として使用されていた廃校の倉庫の中に、五十人の奴隷商人が集まっていた。


 目当ては広い壇上に立つ地上の民である鳥人一族とエルフの娘。奴隷商人達は興奮した様子で、より良い奴隷を買う為に一列に並んだ商品達を値踏みしていた。


 その様子を壇上の端から見ていたウラフは、奴隷商人テモニトに話しかける。


「蛇の道は蛇だな。よくこれだけの奴隷商人達を非公式に集めた物だ」


 テモニトは初めてウラフに褒められたが、一向に浮かれる気分になれなかった。自分の財産である金と人脈と情報を利用され、挙げ句の果て集めた奴隷商人はこれから騙されると知っていたテモニトは、もう自分は奴隷市場に居場所が無くなる事を嘆いていた。


 ウラフが合図を出すと、壇上に並んでいた百人の鳥人一族が懐から短剣を出し、自分達を舐める様に見回していた奴隷商人達に掴みかかる。


「な、何をするんだ!!」


「や、止めろ!止めるんだ!!」


 五十人の奴隷商人達は倍の人数の鳥人一族達に首元に短剣を押し付けられ拘束された。

そこに背中に羽を生やしていないウラフがテモニトと共に壇上に姿を現す。


「テ、テモニト! これは一体どう言う事だ!!」


「こ、こいつ羽が生えていない!? ま、まさか地上の民か!?」


 耳を塞ぎたくなるような奴隷商人達の非難の声に、テモニトはひたすら無言で項垂れていた。


 ザンッ。


 鈍い音と共に、拘束された一人の奴隷商人の首が宙を舞った。ウラフの問答無用のその一刀で、テモニトを糾弾していた奴隷商人の首は床に転げ落ちた。


「今から一言でも許可無く口を開いた物は首を斬る。俺の要求を拒否する者も同様だ」


 伸びきった無精髭と髪。そして獰猛な獣の様なウラフの表情と声に、四十九人の奴隷商人達は突然自分達が死刑台に立たされた事に気付き震え上がる。


「今から貴様等の財産の金額をそれぞれ申告して貰う。その財産を今この倉庫の外で待機している貴様等の奴隷を使いここに運ばせろ。その財産が申告した金額と寸分でも違えば首を斬る」


 突然の財産没収の宣言に、我慢に耐え兼ねた一人の奴隷商人が堪らず叫ぶ。


「わ、私達のこれまで苦労して築いた財産をいきなり渡せだと!? 貴様正気か! こんな狼藉を働いて憲兵が黙っていると······」


 その勇気ある奴隷商人は、最後まで言い終える前にウラフに首を切断された。天界人の首を綿毛の様に軽々と斬り落とすウラフの豪腕とその迫力に、四十八人となった奴隷商人は恐怖に打ち負け、ウラフの言いなりとなった。


 三日間をかけて、廃校の倉庫には莫大な財産が運び込まれた。その光景を悔し涙と共に見守っていた奴隷商人達は、当然の権利として自分達の解放を要求した。


「お前達にはもう一つ役割を担って貰う。生身の天界人を斬る練習台だ」


 ウラフの悪魔の様なその最後通告に、奴隷商人達は半ば発狂しながら泣き叫んだ。奴隷商人達からこの事態が口外されない為の口封じだった。


 既に覚悟を決めていたアサンを始めとする百人の鳥人一族は、一斉に四十八人の奴隷商人達を切り刻んだ。


「······ウラフ。これからどうするの?」


 奴隷商人達の死体で血の海となった目の前の凄惨な光景を眺めながら、奴隷商人達から一番人気だった金髪のエルフの娘フェノーアは巨漢の男に問いかけた。


「軍資金は手に入れた。後はこれを使い始めるだけだ」


「何を始めるの?」


 フェノーアの再度の質問に、ウラフは不敵に笑った。


「いつの世も。異界の地でも。少数の富める者が大多数の貧しい者達を支配する構図は変わらん。ならば、貧しい者達の中に眠る火種も同様だ。その火種に油を注ぐだけだ」


 再起は望め無いと言われた地上の元武装勢力の首領は、その獣の様な鋭い両目に全盛期の輝きを取り戻していた。


 

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