第42話 最下層の島で

 一等区の大陸にある最高議会の代表議員執務室で、アメリフェスは机の上で大量の書類を決済していた。


 書類に不備があると鋭い口調で秘書官に修正を命じる。五人の秘書官は全神経を稼働させアメリフェスの指示に必死に対応していた。


 一人の秘書官が決済された一枚の書類を手にして両目を丸くした。それは、地上の世界から天界に密航してきた男に関する物だった。


「······ウラフなる地上の民は新設された十等区の島に幽閉。ア、アメリフェス代表議員。よろしいのですか?」


 ウラフ幽閉の書類には、アメリフェスのサインが記されていた。


「何がだ?」


 秘書官の質問に、黒髪長髪の好戦派代表議員はペンを持つ手を止めずに聞き返す。


「い、いえ。あのウラフなる男にはアメリフェス代表議員が強い興味を持たれていたのでは」


「確かに興味はあった。いや。好奇心と言うべきかな。だが、彼から役に立つ情報はもう無い。必然的に用も無い」


 無慈悲な口調でアメリフェスは次々と書類を精査しサインして行く。不備があった書類を差し出された秘書官は、地上の民の事などに構っている暇など無かった。


 肉体的より精神的に疲労した秘書官達が退出した後、アメリフェスは処理済の書類を一枚手に持ち眺めていた。


 それは、先程秘書官が質問してきたウラフに関する書類だった。


「······元武装勢力の首領か。最大の武器は良くも悪くも人を集めるその魅力だな。さて。地上では散々に敗北を重ねたらしいが、まだその牙は残っているかな」


 アメリフェスはウラフを新設され最下層の十等区の島に意図的に送った。その島は地上の世界から移住してきた鳥人一族が住む島であり、この天界に於いて最悪の環境と言える場所だった。


 底辺の底に住む民衆達。その不満と怒りは計り知れない程大きい筈だった。アメリフェスはそこにウラフと言う火種を落とした。


 その火種がくすぶって消えるか。燎原の火となるか。好戦派代表議員は、その過程を文字通り高みの見物を決め込む気だった。


「さて。この天界の世の終わりの始まりになるか否か」


 好戦派代表議員は自分以外無人となった執務室で、不気味な笑みを浮かべ一人独語していた。


 

 この天界の世界は空に九つの大陸が縦に直線に並び浮いている。これ迄の最下層だった九等区の大陸の下に浮かぶ島が十等区に新設された。


 そこに地上の世界から騙されて移住してきた鳥人一族を住まわせた。十等区の島は通年濃い霧に覆われて、太陽の日射しが殆ど届かない暗黒の島だった。


 草木は枯れ果て、乾いた大地に寒風が吹き荒れる極寒の地に放り出された鳥人一族達は、正に地獄の日々だった。


 居住用の建物など用意されている筈も無く、鳥人一族達は寒さを凌ぐ為に必死に洞穴を見つけそこに逃げ込んだ。


 農地用の整備された場所は皆無で、鳥人一族達はこの島で唯一天界人が常駐する憲兵兵舎に食料の供給を頼み込んだ。


「この芋の種を植えろ。この品種はどんな乾いた土地でも育つ。この流刑地でもな。空も飛べない半端者のお前等鳥人一族にはお似合いの食料だ」


 兵舎から出て来た憲兵は鳥人一族達に冷然と言い放ち、種が入った袋を投げ捨てる様に放り投げた。


 鳥人一族達は愕然とした。食料を貰えなかった事は勿論だったが、天界人である憲兵がはっきりとこの島を流刑地と口にした事を。


 そして天界人が自分達鳥人一族を差別の目で見ていた事を。


「······この芋の種を飢えても、収穫出来るのは二ヶ月後らしいぞ」


「地上から持ってきた僅かな保存食だけではとても保たない」


「何が奴隷商人から狙われない新天地だ! 何もかもが嘘じゃないか!!」


 地上に住む鳥人一族に、天界人は甘い言葉を巧みに囁き移住を強く勧めた。それは、天界の下層に住む貧しい民衆の不満を分散させる為の政略だった。


 確かにこの島には奴隷商人は居なかった。だが、地上に住んでいた頃の様に太陽の日射しも。森の木々も。大地の恵みも。この流刑地には何一つ存在していなかった。


「······この島には月に一度、定期便の船が上の大陸から来るそうだ」


 一人の鳥人一族が力なくそう呟く。その船には、島の治安を維持する憲兵部隊への食料が積まれて来る。


 そして奴隷商人もその船に同乗する。それは、下層の大陸に住む貧しい人々が自らを奴隷として売る機会でもあった。


「······このままでは芋の収穫まで食料が保たない。俺は奴隷商人に自分を売る。その金で何とか食料を手に入れる」


 寒々しい洞穴の中で、一人の鳥人一族が決意を決めた様に立ち上がった。他の同族達は悲痛な表情を浮かべる。


 誰かが犠牲になり、身売りをしなければ全員飢え死にする事は明らかだった。


「アサン! お前だけを犠牲にしないぞ! 俺も自分を売る!!」


 同族達が次々とアサンと呼ばれた男に倣い立ち上がる。だが、アサンは声を荒げその者達を叱責する。


「逸るな! 最初は俺一人でいい。重要なのは俺が幾らで売れるかだ。俺一人で済めばそれに越したことは無い」


 アサンは逞しい腕を振り男達を制する。その時、一人の男が壁面に拳を叩きつけ叫ぶ。


「······なんで俺達がこんな目に合うんだ? いっその事戦わないか!? 俺達全員で憲兵の兵舎を襲えば!」


 だが、その同族の提案にアサンは両目を閉じ首を横に振る。鳥人一族は老若男女合わせて五百人。


 戦える者は精々百人程度だった。この島の憲兵兵舎には三百人の完全武装の憲兵が詰めており、武器は愚か農具すら保たない彼等に勝ち目が無い事は明白だった。


 洞窟の中は悲壮な空気に包まれた。一人の子供がアサンの膝の衣服を小さな手で掴む。


「······父さん。やだよ。奴隷になんてならないで」


 十歳前後に見える子供が、白い息を吐き涙を流しながら父親を見上げる。アサンは冷え切った身体の我が子を抱きしめる。


「サンテ。これは皆が助かる為に仕方の無い事なんだ。父さんは居なくなる。だが、お前は辛くても生きていくんだ。お前はウラフ殿に救われた命を大事にする義務がある」


 父の言葉にサンテは脳裏に巨漢の男の姿を思い出していた。少年が地上で平和に暮らしていた頃、奴隷商人に誘拐されそうになった所を救ってくれたウラルなる名の男を。 


 ······そして半月後、鳥人一族達の食料が尽きようとした頃、定期便の船が上の階層である大陸から飛行して来た。


 船は憲兵兵舎の近くに着陸し、大きな扉になっている船の側面が開き、梯子が地面にかけられる。


 船の倉庫から次々と木箱に入った生活物資が運び出される。憲兵兵舎から出て来た十人の憲兵がそれを受け取り、馬車の荷台に積んで行く。


 アサンを先頭に百人近くの鳥人一族は、その光景を暗い表情で見ていた。奴隷商人の目に止まらないように、女や子供はアサンの見送りに来る事は禁じられていた。


「······出て来た。あれが恐らく奴隷商人だ」


 アサンが危なかっしい足取りで梯子を降りる者を見て呟く。小柄で肥満した四十代前後に見えるその男は、高価そうな毛皮のコートを着込み、後ろには奴隷と思われる男を二人従えていた。


 アサンが覚悟を決め、周辺を見回している奴隷商人の側に歩み寄る。


「······あんたが奴隷商人か? 俺を売りたい」


 アサンの言葉に、奴隷商人は値踏みする様な目つきでアサンの全身を見る。アサンは三十歳であり、体格にも恵まれ健康体その物だった。


「歯を見せろ。身体もだ」


 奴隷商人の無慈悲な言葉に、アサンは屈辱に耐え言われた通り衣服を脱いだ。アサンを念入りに観察した奴隷商人はその値段を口にする。


「五十万カルーラだな」


 アサンは聞き慣れない単語を耳にする。それは、この天界の通貨単位と思われた。


「その金額で五百人の一ヶ月半の食料が買えるか?」


「五百人? 馬鹿を言うな。買えるのは精々一週間分だ」


 奴隷商人の返答にアサンは愕然とする。アサン以外にも身売りを出さなければならない事実を、後ろに控える同族達に伝えなくてはならなくなった。


 奴隷商人は内心で冷酷な計算をしていた。最下層に住む貧しい者達と対等に交渉するつもりは鼻から無かった。


 奴隷商人は最初から圧倒的優位な立場にあり、身売りを申し出る者達を安く買い叩く事など造作も無かった。


 天界人より羽が短い鳥人一族。その珍しい商品を、奴隷商人は上客にアサンに提示した二十倍の値段で売るつもりだった。


 絶望感に項垂れるアサンの目に、船の中から連行される一人の囚人の姿が映った。両手を縄で縛られたその男の顔に、アサンは見覚えがあった。


「おい。この囚人、鎖で拘束していないじゃないか。規則違反だぞ」


 食料を受け取っていた憲兵の一人が、囚人を連行する船員に抗議する。


「大丈夫ですよ。この地上の人間は足を悪くしています。まともに走る事も出来ませんから」


 船員が言った通り、囚人は右足を引きずり歩くのも辛そうだった。


「ウラフ殿! 何故ここに!?」


 アサンは囚人の元へ駆け付け、息子の命の恩人の名を叫んだ。


「······アサンか。ここに囚人として送られて来た。それだけだ。お前こそここで何をしている?」


 ウラフの質問に、アサンは歯を食い縛りながら事情を説明した。それを聞いたウラフの表情が鋭い物に一変する。  


「······アサンよ。お前が息子に見せる姿はそんな惨めな物か?」


 ウラフの叱責に、アサンは苦しそうに顔を歪める。


「······仕方が無いのだ。私達は身を売るしか生き延びる方法が」


 その時、アサンの耳に何かがちぎれる音が聞こえた。鳥人一族の目の前で、ウラフが両手に巻かれた縄を力まかせに引きちぎった。


「き、貴様何を!?」


 ウラフの暴挙に憲兵が腰の剣に手をかけた時、元武装勢力の首領は俊敏に動きその太く大きい手で憲兵の首を掴む。


 ゴキッ。


 アサンは再び鈍い音を聞いた。ウラフは片手だけで憲兵の首をへし折った。


「そ、そんな馬鹿な! お前は右足が使えない筈じゃ!!」


 驚愕の声を上げる船員を一瞥し、ウラフは首が不自然な角度に曲がった憲兵の腰から剣を奪う。


「足を引きずっていたのは演技だ。お前達天界人を油断させる為にな。鎖の枷だったらこうは行かなかったぞ」


 ウラフはそう言うと、太い腕を振り船員の首を一閃して刎ねる。


 ウラフ達から距離を置いていた三人の憲兵が仲間の異変に気付き、剣を抜きながら走って来る。ウラフは叫ぶ。


「アサン。選べ! 家畜の様に自分を売るか。自由の為に戦って死ぬか!!」


 三人の憲兵は一斉にウラフに斬りかかった。アサンが見たのは、草を刈るように憲兵達を切り伏せるウラフの剣技だった。


「······ば、馬鹿な。俺達憲兵をこんなにも呆気なく。この天界で一度も民衆の反乱を起こさせた事の無い俺達が!」


 腹部に致命傷を負った憲兵が、傷を手で押さえながらウラフを信じられないと言った表情で見る。


「民衆? 反乱? 無抵抗な羊の様な連中を抑えつけて来た事が自慢なのか? 憲兵よ。お前はこれ迄何人斬ってきた? 俺の人数を教えてやろうか?」


 憲兵は頸動脈をウラフ裂かれ後頭部から地に倒れた。最後にこの憲兵が耳にしたのは「千人以上だ」と言う言葉だった。


 ウラフの突然の行動に、荷馬車に乗り込んでいた残りの六人の憲兵が気付き引き返して来る。


「ウ、ウラフ殿。こんな事をして一体どうするつもりなんだ? あの兵舎には、三百人の憲兵が詰めているのだぞ」


 アサンは憲兵兵舎を指差し、ウラフの取り返しのつかない行為の意味を問い質す。


「それがどうした? アサン! お前は家畜を選ぶのか!? なら好きにしろ! この異界の地で一族全員家畜になるがいい!!」


 ウラフに一喝されたアサンは、自分の心臓が何者かに鷲掴みされる様な感覚に陥った。元武装勢力の首領は奪った剣を両手に一本ずつ持ち、憲兵達に向かって駆けて行く。


 気付いた時、アサンは既に死体となっていた憲兵の腰から剣を抜いていた。


 

 


 

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