第41話 六大一族の当主達

 柔らかい日射しが注がれる庭園の中に、その屋敷は建っていた。古びた屋根や壁は所々は痛みがあったが、長い建築年数を補って余りある気品がこの屋敷にはあった。


 この屋敷は古来より六大一族と呼ばれる精霊使い達が正式会合を行う場所として使用されて来た歴史があった。


 メルセラムに伴われその屋敷を訪れたラストルは、屋敷の庭に置かれたある石像に目を奪われた。


 小鳥が羽を休めていた石像の顔は単眼であり、両手を腰の後ろで縛られ、両膝を地に着け全身を鎖で拘束されていた。


 その異様な石像の顔に、ラストルは見覚えがあった。否。単眼のその顔は、一度見た者の記憶から消し去る事は困難だった。


 二年前、精霊の神ラバートラを復活させようとした精霊使い達の手によって、黄泉の国から死んだ筈の者達が甦った。


 その内の一人が、単眼の悪魔と呼ばれたジャミラスだった。ラストルはジャミラスと直接戦っていないが、後に仲間からジャミラスの話を聞いていた。


 ジャミラスはかつて天界に単身攻め込み、天界に甚大な損害を与えたと言う。天界はこの単眼の悪魔の所業を後世に伝える為に、ジャミラスの石像を造り残した。


 天界人であれば、ジャミラスの伝説は親から必ず聞かされる昔話だとラストルはメルセラムから説明された。


「······あの剣は?」


 ジャミラスの石像の前に、抜き身の一本の剣が石台に刺さっていた。その剣も鎖が厳重に巻かれており、剣の柄には三つの丸い穴が空いていた。 


「ああ。あれはかつて私達天界人の天敵と言われた四つ目一族が使用していた剣よ。数百年前、地上に降り立った天界人が偶然見つけて持ち帰ったの。でも不思議なの。その剣、誰もその石台から抜けないのよ」


 メルセラムは単眼の悪魔の石像と剣にさほど興味が無いらしく、早足で屋敷に向かって歩いて行く。


 ラストルは歩きながらもその鎖に巻かれた剣を振り返り見つめていた。二人は屋敷に入り、赤い絨毯が敷き詰められた広間から長い廊下を歩いた。


 そして一際大きい扉を開くと、広い部屋の中央に絹のテーブルクロスがかけられた長いテーブルが置かれていた。


 そのテーブルには、六つの椅子が存在し、四つの椅子には既に誰かが座っていた。


「······遅刻だ。メルセラム。時間は遵守すべき物だ」


 水色の髪の端正な顔立ちの男が、椅子に座りながら乾いた声でメルセラムを叱責する。その声の主の名をラストルは知っていた。


 水の精霊一族当主、カセンドラと言う名の男だった。


「ごめんなさい。皆さん。この会合に着ていく服を迷っていたらいつの間にか時間が過ぎちゃって」


 メルセラムはピンクのドレスを悪びれず着席者達に見せるが、席に座る四人が全員黒の礼服を着ている事に気付く。


「リフレイドの死を悼み、まだ喪に服すべきじゃないの? メルセラム」


 長い金髪の髪を後ろで結い上げた若い女が、喪服を着ていないメルセラムを強い口調で非難する。


 年齢は十八歳のメルセラムと同じであり、美人といって差し支え無かったが、表情に勝ち気な性格を隠しきれなかった。


「ごめんなさい。アルフレッツ。うっかりしていたわ」


 光の精霊一族当主の名を呼び、メルセラムは表面上は反省している様に表情を曇らせた。


「で。その後ろの紺色の髪の彼かい? メルセラムが地上で一目惚れしたって相手は」


 丸い両目と波打つ土色の髪が特徴的な青年が、明るい声でメルセラムに質問する。年齢は二十代半ばに見えた。


「そうよ。ジャリラ。彼はラストル。私と結ばれる運命の人なの」


 メルセラムは嬉しそうにラストルの腕にしがみつく。土の精霊一族当主ジャリラは、陽気に口笛を吹きおどけてみせた。


「······会合を始める。席に座れ。メルセラム」


 低く重苦しい声が部屋の中に響いた。それは黒髪の長髪の男だった。長い前髪で両目は隠れ、その表情は伺えなかった。年齢は四十代前後に見える。


「はい。ヘルミド。ラストルにはこの会合を見学して貰うけどいいかしら?」


 闇の精霊一族当主ヘルミドは、メルセラムの質問に静かに頷いた。風の精霊一族当主がヘルミドと呼ばれた男に許可を取った。


 その光景に、ラストルはヘルミドがこの六大一族と呼ばれる当主の中でも中心的な存在だと察した。


 ラストルは部屋の壁に移動し、静かに六大一族当主達の会合を見学する。六つある椅子の内、唯一空席の椅子をヘルミドは一瞥する。


「······先ずは火の精霊一族当主リフレイドの死を悼もう。全員黙とうを」


 ヘルミドが低い声でそう言うと、当主達は一斉に両目を閉じた。静寂がこの部屋を包み込み、ラストルの耳には窓の外から小鳥がさえずる声が聞こえた。


「······では会合を開こう。議題は既に周知の通り、軍部の我々への協力要請だ」


 ヘルミドが一時の静謐を破り、六大一族の会合の開催を宣言する。この議題の概要は、ラストルはメルセラムから事前に聞いていた。

 

 古来より、この天界は精霊を信仰し、精霊と共に共生する世界だった。だが、時の流れと共に精霊への信仰は失われ、信仰を維持していた六大一族と民衆との間にずれが生じた。


 民衆は六大一族達を古びた伝統を守る事に固執する時代遅れの集団だと呆れ、六大一族達は民衆達を精霊の加護を忘れ捨て去った罰当たりな輩だと非難した。


 両者の対立は長く続いたが、今回の天界軍の地上侵攻を契機に、その流れが変わりつつあった。


 その大きな要因は火の精霊一族当主、リフレイドの戦死だった。リフレイドはカリフェースの王都から退却する天界軍をその身を犠牲にして守った。 


 リフレイドの葬式には最高議会代表のアメリフェス。カーサントは勿論、天界軍上層部が全員出席した。


「······私達は詫びねばならない。我々を救ってくれた火の精霊一族当主リフレイドへ。そして永きに渡り対立していた六大一族達へ。どうか願いたい。私達のこの謝罪と後悔を受け入れてくれる事を」


 政治家と軍人を代表してアメリフェスがそう弔事を述べた時、民衆と六大一族との対立の歴史の流れが分岐点を迎えた。


「······議論を重ね結論を詰めたい。我々六大一族が軍部に協力するか。否か」


 闇の精霊一族当主ヘルミドは、今日集まった他の当主達に議題を提起し議論を促す。


「今まで散々敵意を顕にして置いて随分勝手な言い草ね」


 アメリフェス達は六大一族に対して正式に協力を求めて来た。光の精霊一族当主アルフレッツは、倹がある声色で政治家と軍部のその態度を非難した。


「でもまあ、お互い歩み寄るのにいい機会じゃないの? リフレイドは常日頃から言っていた。我々は対立すべきじゃないってね。彼も望んでいるんじゃないかな。今回の事態は」


 土の精霊一族当主ジャリラは、愛嬌のある丸い両目を空席の椅子に向けた。その椅子には本来、火の精霊一族当主が座る筈だった。


「······軍部に協力し政府と和解する事は悪い事では無い。だが、彼等の真意を見誤ると我々は痛い目に合うかもしれん」


 水の精霊一族当主カセンドラは、乾いた声で今回の議題に対して警鐘を鳴らした。

 

「真意って何? カセンドラ」


 風の精霊一族当主メルセラムは、首を傾げてカセンドラに質問する。


「軍部はこらからも地上の世界へ侵攻するだろう。彼等に協力すると言う事は、我々も戦場へ出向くと言う事だ。見方を変えれば戦いに利用される恐れがある」


 水の精霊一族当主の返答に、メルセラムは納得した様に何度も頷いた。


「カセンドラの言う通りよ。軍部は今回の地上侵攻に失敗した。次は私達を最前線に立たせて戦うつもりよ。その為の協力要請。あのアメリフェス議員の謝罪も見え透いた形ばかりの薄っぺらい物よ」


 光の精霊一族当主アルフレッツは、強い口調で政治家達を痛烈に批判した。


「でもさあ。それでも今回の協力要請を断ったら、また僕達六大一族と政府は対立を続けて行く事になる。それは僕等がこの天界の世界で孤立し続けるって事だよ」


 土の精霊一族当主ジャリラの困った様な声色に、アルフレッツは拗ねた表情を見せ黙り込む。


 ジャリラの言う通りこの広い天界の世界で孤立して行く事は、六大一族達にとって孤独な日々だった。


「地上への侵攻を止めさせる。その選択肢は無いのかい?」


 部屋の壁に立っていたラストルが、突然六大一族当主達に向けて発言した。敵意を露骨に浮かべる者。虚を突かれた表情をする者。無表情な者。


 六大一族当主達は、それぞれの表情で地上の民を見た。


「戦争になれば多くの血が流れる。元々今回の地上への侵攻は大義名分の無い一方的な侵略だ。最初に議論すべきはその侵略の是非じゃないのかい?」


 審問会で発言した時々同様、ラストルは毅然として天界の地上侵略行為の非を鳴らした。


「侵略では無いわ! 元々天界と地上は抗争状態にあった。休戦期間が長かっただけよ!」


 アルフレッツが両手を机に叩きつける立ち上がった。


「アルフレッツ。それは君が生まれる遥か以前の話だ。前の世代が行った間違った事を正す。それが今を生きる者達の務めじゃないのか?」


 ラストルは澄んだ瞳で真っ直ぐアルフレッツを見つめる。光の精霊一族当主は、何故か自分の心が見透かされた気分になる。


「き、気安く人の名前を呼ばないで! 地上の民の癖に!!」


 そのラストルの瞳から目を逸し、アルフレッツは乱暴に席に座った。


「······地上の民よ。聞けば地上の世界は争いが絶えない殺伐とした世界らしいな。その上で我々に説教を垂れるつもりか?」


 カセンドラの鋭い指摘に、ラストルは痛い所を突かれた思いだった。だが、それでも今回の紺色の髪の勇者は怯まなかった。


「カセンドラ。君の言う通りだ。地上の世界は争いばかりだ。でも。それでも。その世界を正そうとする人達がいる。僕もその一人として仲間達と組織を作った」


 ラストルの雄弁に、メルセラムは何かを思い出した様に口を開く。


「ラストル。それってチロルが言っていた「猫の手も借りたい」って名の組織かしら?」


 メルセラムの質問に、ラストルは苦笑して頷いた。


「僕は戦いたくない。君達六大一族とも。天界軍ともだ。戦いは何も生み出さない。あるのは悲しみだけだ。精霊は本来穏やかな存在だと聞いている。精霊と共に在る君達は平和と共に在るべきだ」


 紺色の髪の勇者は迷いの無い表情で思いを口にした。その時、ラストルの脳裏にチロルの顔が浮かんだ。


 ラストルにとって最も平和に。そして安寧な人生を生きて欲しいと思う相手はチロルだった。


 そのチロルがラストルを奪還すべく、否。天界を滅ぼす為に準備している事など、紺色の髪の勇者は知る由もなかった。


 ラストルの思考を中断する様に、ヘルミドは重々しく口を開く。


「······採決を取る。政府に協力する事に賛成の者は挙手を」


 多数決によって六大一族は政府に協力する事が決せされた。その光景を、ラストルは両目を閉じ見守るしかなかった。


 ······他の当主達が解散したのを見送ったヘルミドは、屋敷の奥にある客人用の部屋に入った。


 その部屋の中には、窓を眺める男が立っていた。ヘルミドに背中を向けたまま男が口を開く。


「会合の結果は?」


「······多数決により政府に。いや。軍部に我々六大一族は協力する事が決まった」


 ヘルミドの返答に、男は振り返り満足そうに笑みを浮かべる。


「······全ては君の思惑通りか? アメリフェス」


 闇の精霊一族当主は、長い前髪に隠れた両目を男に向け、最高議会代表の名を呼んだ。


「君達精霊使いは巨大な力を持ちながらそれを発揮する場を長く失っていた。地上の民との戦いは君達六大一族の威厳を復活させる絶好の機会となるだろう」


 アメリフェスは大仰にそう言いながら、ヘルミドに歩み寄り肩に手を置く。そして闇の精霊一族当主の耳元でそっと囁く。


「······ヘルミド。君達闇の精霊一族はその力故に他の同族からも疎まれ、長い間末席に追いやられて来た。その雪辱を晴らす時が来たのだ。君達闇の精霊一族の力を地上の民。そして他の同族達に見せてやるんだ」


 アメリフェスはそう言い残すと、客人用の部屋から出ていった。前髪に隠れたヘルミドの表情は、誰にも伺い知れなかった。



 ······地上の大陸のある場所で、今まさに戦端が開かれようとしていた。小国同士の領土を巡った小競り合いであり、両国は自国の軍隊に加え傭兵団も雇い戦列に加えていた。


「おい。坊主。お前戦いは初めてだってな。あんまり無茶して前に出すぎるなよ」


 四十代半ばの歴戦の傭兵が、後ろに立つ白髪の少年に声をかける。少年は曖昧に頷き、緊張から乱れる自分の心臓を必死に落ち着かせていた。


 今は亡きカリフェース聖騎士団長ヨハスの息子アキラスは、カリフェース王都を出て百人規模の傭兵団に所属していた。


 目的は実戦を経験する為であり、自分の剣の腕を磨く為であった。アキラスは誰にも聞こえない大きさで古代呪文「乾土水吸」を唱えた。


 この古代呪文の効き目がある内は、アキラスは受ける傷が何倍にもなる代償に、経験値も数倍になる筈だった。


「······待っていろ。天界人共」


 亡き父と母を奪った復讐の対象者の名を呼び、アキラスは全方の敵軍を睨みつける。白髪の少年にとって眼前に広がる戦場は、全て己が強くなる為の踏み台だった。




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