天界人達の政争

第39話 天界の審問室

 地上の世界で紺色の髪の勇者と呼ばれた若者は、座り心地の良くない硬い椅子に座っていた。部屋の椅子や机に使用されている木の匂いが若者の嗅覚を刺激する。


 この木の匂いは、若者の生きる地上では嗅いだ覚えの無い種類の類だった。腰程の高さの板を挟み、向かいには自分と同じ様に椅子に腰掛けている者がいた。


 均整の取れた紺色の髪の若者の身体とは異なり、向かいに座る巨漢の男は身体に合わない椅子に窮屈そうに顔をしかめていた。


 若者が巨漢の男に対面するのは今日が初めてでは無かった。この天界と呼ばれる世界に来てから、幾度となく繰り返された光景だったからだ。


 何しろこの天界に於いて、地上の民と呼ばれる人種はこの若者と巨漢の男の二名のみだった。


「では審問会議を始める。審問される者は素直に。そして正直に真実を述べる様に。地上の民よ。そちらから名乗りなさい」


 部屋の北側には、黒い法衣の様な服を来た三人の老人達が長い机の前に座り若者に指示を出した。


「名はラストル。歳は十九。生業は冒険者です」


 席を立ち若者は自分の素性を淡々と名乗る。これ迄開かれた審問会の回数と同じ分だけ名乗らなければならず、ラストルは内心で煩わしさを覚えていた。


 続いて黒い法衣の老人が巨漢の男に名乗る様に促す。


「······名はウラフ。歳は四十三。元野盗の首領だ」


 生気の欠けた抑揚の無いウラフのその声にも、ラストルはもう慣れていた。ウラフの名はラストルも知っていた。


 二年前、精霊の神ラバートラの復活を巡る戦いの中に於いて、ウラフは武装勢力の中でも有数の勢力を誇っていた。


 その野盗の首領が何故この天界で。しかも自分と同じ立場で天界人から審問されている理由をラストルは未だに知り得なかった。


 この審問会の目的はただ一つ。地上の民であるラストルとウラフから、有益な情報を聞き出す為だった。


 この審問会の傍聴席に、二人の男が並んで腰を下ろしていた。ラストルはこの二人の男の名を覚えていた。


 銀糸の刺繍が入った白い長衣を着た黒い長髪の男はアメリフェス。同じく白い長衣を纏った灰色の髪の男はカーサント。


 天界には厳格な身分制度が敷かれており、最下層の九等区から頂点の一等区まである。アメリフェスとカーサントは共に一等区出身しであり。三十九歳の同い歳であり。この天界の政治中枢の代表者達だった。


 天界の議会は一等区出身者達で構成されており、その議会は二つの勢力に二分されていた。


 一つは平和と安寧を是とするカーサント率いる穏健派勢力。もう一つはアメリフェス率いる対外戦争に積極的な強硬派勢力。


 一ヶ月前に行われた天界軍による地上の侵攻は、このアメリフェス達強硬派による提案による物だった。


 天界の政治は三百人による代表者達の多数決によって議案が採決される。その可決に必要な票数は過半数。


 強硬派アメリフェス達は議会の過半数の勢力を持っている為に、今回の軍事作戦が行われた。


「では、今回の我々天界軍の侵攻は大義名分の無い無名の師。君はそう断言するのだな?」


 審問官の老人の一人が、心外だと言わんばかりに不愉快そうな声色でラストルに問い正す。


「はい。僕。いえ。私は貴方達天界人と地上の世界の歴史を多少学びました。天界と地上が争ったのは何千年も前の事。何故今更異なる世界にまで出兵する必要があるのか」


 ラストルは澄んだ瞳で三人の審問官に毅然と異を唱えた。この審問会に際して、ラストルは一つの要求をした。


 それは、自分が地上の世界の情報を話す代わりに天界の情報を知る事だった。それが叶わないなら一言も喋らないと断言し、ラストルはこの審問会で天界に関して様々な事柄を知り得た。


 それは、ラストルが仲間の為に地上に持ち帰る重要な情報だった。一方、元武装勢力の首領ウラフが話す内容は審問官達を度々閉口させた。


 ウラフが口にするのは殆どが下世話な話ばかりだった。北の女は身持ちが堅く口説きにくい。南の女は陽気で酒が入れば十中八、九落とせる。


 果ては奴隷商人から買った魔族の女との夜の営みに話が及ぶと、審問官が声を荒げてウラフの話を遮った。


 穏健派代表のカーサントはウラフの下品な話に不愉快を隠さず、反対に強硬派代表のアメリフェスは楽しげに聞いていた。


 一通りの審問を終えると、三人の審問官は退出した。アメリフェスは衛兵と書記官も下がらせ、審問室には二人の天界人と二人の地上の民が残った。


「さて。書記官も去りここからの話は記録に残らない。遠慮なく語ろうじゃないか。ラストル。そしてウラフよ」


 アメリフェスは椅子に背を預け、不敵な笑みを地上の民に向けた。すると、元野盗の首領の淀んだ両目が鋭い物に変化する。


「······いいか。よく聞けアメリフェス。魔族は人間に対して人口が少ない上に小国が乱立している。魔族の国々は問題では無い。注視すべきは人間の国々だ。その中にでも三つの国。大国カリフェースとサラント。そして······」


 ウラフの言葉は途中で途切れる。それは、この巨漢の男が悔しそうに歯ぎしりしていたからだった。


「残り一国はテリンヌ。身分制度を無くすなどと世迷言をほざいているトウリュウの糞野郎だ!!」 


 ウラフは絶叫すると大きな拳を椅子の肘掛けに叩きつける。この元野盗の首領はテリンヌ国の建国者トウリュウに個人的な恨みを抱いている。


 ウラフの言動からラストルにはそうとしか思えなかった。アメリフェスは表情を変えずに頷く。


「ウラフよ。君の証言を信じ、一ヶ月前に我ら天界軍はその三ヶ国に軍を送った。結果は全敗と言う散々たる物だったがな」


「······当たり前だ。地上は永遠に続くか如く争いを今の今でも続けている。そんな戦慣れした相手に平和に慣れきった惰弱なお前等か勝てる物か」


 吐き捨てる様にウラフは浮かしかけた腰を再び椅子に下ろす。その発言に、穏健派代表カーサントが生真面目そうな両目を元野党の首領に向ける。


「ではウラフよ。お主は我ら天界軍が敗れる事を予測していた。つまり我々に損害を与える為にその情報を伝えたのか?」


 カーサントの詰問に、ウラフは大きく太い手のひらを面倒臭そうに振る。


「そう急くな。今回の出兵の最大の目的は経験だ。お前等天界軍はカリフェース。サラント。そしてテリンヌに敗北した。だが、生き残った兵達は何千年振りの実戦という経験を積んだ。実戦経験がある兵と無いとでは天と地の差もある。それを得たのだ。今回の出兵は大成功だろうよ」


 薄ら笑いを浮かべ、ウラフはカーサントにそう断言した。穏健派代表は、我慢出来ないと言わんばかりに席から立ち上がる。


「······アメリフェスよ。やはり私は容認出来ん。実戦を積んで天界軍を強くして何になる? その力で地上を征服して何の実りがあると言うのだ!?」


 穏健派代表の厳しい口振りに、強硬派代表アメリフェスは長い足を組んだままカーサントを見上げた。


「実りはあるぞ。カーサント。それは堕落からの脱却だ」


「······堕落だと? アメリフェス。我ら天界が堕落している。お前はそう言うのか?」


「そうだ。カーサント。今の天界は身分を問わず全てが堕落しきっている。原因は余りにも長すぎた平和だ」


 強硬派代表アメリフェスは鋭い眼光を穏健派代表カーサントに向けその理由を説明していく。


 天界と地上が争ったのはラストルが発言した通り何千年も前の話だった。それ以降、天界は一度も戦いを経験する事は無かった。


 対外戦争は勿論、内戦もただの一度も発生しなかった。その事実が今の天界の悲劇を生んだとアメリフェスは断言する。


 この天界の治安と安全を守るべき天界軍は名ばかりの脆弱な集団に成り下がった。そして民衆は争い無き太平の世の中で緊張感を失い、ただ漫然と日々を無駄に過ごしている。


 そして天界人達は余り余った時間を思索に耽り、刹那主義と言う名の退廃的な思想が蔓延した。


 拝金主義が幅を利かせ、今を生きるこの一瞬を愉しめばいい。そんな思想が若者達を支配し、酒や暴力。果ては薬物汚染がこの天界で深刻な問題になっていた。


 そして怪しい宗教団体が乱立し、見えない未来に不安を抱く者達を耳心地の良い言葉で洗脳して行く。


 かつての天界の人々は、精霊と共に自然と調和する民族だった。だが、今や精霊を信仰している者は僅かになり、六大一族と呼ばれる精霊使い達だけがその信仰を守っていた。


「この腐敗しきった天界の問題を一掃する。その方法と手段が戦争だ。カーサントよ」


 アメリフェスは自信を持って穏健派代表にそう言い切った。事実、天界の数千年振りの対外戦争に民族達は騒然としている。


 乱立している宗教団体の一つは、天界軍の敗北を声高に叫び、地上の民が報復に天界に攻めてくると民衆を不安にさせていた。


 天界の深刻な社会問題になっている犯罪や薬物問題の摘発件数はここ一ヶ月激減していた。


 それは、天界軍が地上に侵攻した時期からだった。


「カーサントよ。これが何よりの証拠だ。この戦争は天界に清新な風を吹かせる。そして流す血の量が多い程、天界人の血は浄化されていくのだ」


 アメリフェスは沈黙するカーサントに対して微笑み、この場の解散を告げた。ウラフとラストルはそれぞれの部屋に戻るよう命令される。


 審問室を出る際、ウラフは右足を引きずっていた。ラストルは元武装勢力の首領の姿を目で追う。


 過去の戦いで負ったその傷。文字通りウラフには再起が叶わない事を証明していた。穏健派代表と強硬派代表も審問室の前で目も合わさず別れた。


 長い廊下を歩きながら、穏健派代表カーサントはアメリフェスの話を反芻していた。


『······仮に地上を征服してどうなる? その後はまた平和が続き、今ある問題が再び起こるだけでは無いか。アメリフェス。奴の思想は危険だ。この天界を危機に陥れる』


 カーサントはアメリフェスに危機感を抱いていた。十年前、天界の最高議会に新星の様に現れたアメリフェスは、瞬く間にその勢力を拡大していった。


 最高議会の代表議員は一等区の天界人達の投票によって選出される。当時無名の新人立候補者のアメリフェスを支持する勢力は皆無だった。


 代表議員になる為には、選挙を勝ち抜く為に莫大な資金が必要だった。必然的に立候補する者達は一等区の中でも裕福な出の者達が殆どを占めていた。


 アメリフェスは武器商人達に資金の援助を申し出た。この平和な天界に於いて、軍事物資の需要は底辺を彷徨っていた。


 アメリフェスは武器商人達に将来の需要とその独占的利益を約束した。武器商人達は斜陽産業に陥っていた自分達の未来をこの新人立候補者に賭けた。


 選挙資金を手に入れたアメリフェスは、その巧みな弁舌で見事最高議会議員に当選した。


 だがその強引な手法には黒い噂が絶えず、またアメリフェス自身の出生にも疑惑があった。その本人は、カーサントと対照的に満足そうな表情で廊下を颯爽と歩いていた。


『天界の社会問題? この世界を浄化する? 下らん。そんな事はどうでも良い。どうでも良いのだ』


 先刻カーサントに熱く語った自身の演説内容を、アメリフェスは侮蔑するように吐き捨てていた。


『······滅びてしまえ。いや。滅びるがいい。この腐りきった天界など』


 若き強硬派代表は、口の端を吊り上げ薄日が射し込む長い廊下を歩いて行った。

 

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