第38話 別れと旅立ち
「······そう。やはり行くのね。残念ね」
「はい。リリーカ様。本当にお世話になりました」
エルラン国の国王と王妃の私室で、シャンヌはリリーカに心から感謝の言葉を伝えていた。
リリーカはシャンヌ達にこのままエルラン国に留まらないなと誘った。それは赤毛の少女の心を温かくする善意ある誘いだった。
カリフェースを出てから今日迄、シャンヌはメルア達四つ目一族を救う事で頭が一杯だった。
だがその難事が終わると、シャンヌは本来の自分の人生の指針を思い返した。それは自分の運命を変えた銀髪の君ことチロルの元で強くなるという願いだった。
「シャンヌよ。そなたはまだ若い。失敗する事も多々あるだろう。その全てを糧にするといい」
相変わらずつむじに寝癖がついた国王タイラントは、リリーカの隣に座りながら赤子の世話に関する本を熟読しながらシャンヌに激励の言葉を送った。
その気の早い国王の姿に、リリーカとシャンヌは目を合わせ同時に苦笑した。赤毛の少女はエルラン国の臣下達にも別れの挨拶を忘れなかった。
「そうか。旅立つか。シャンヌ。お前は大した娘だ。だが命は一つだ。余り無茶をするなよ」
「シャンヌ殿。今度はゆっくりと時間がある時にこのエルラン国に来て下さい。また一緒に食卓を囲みましょう」
「元気でね。シャンヌ。旅の途中で酒に強く、そしていい男がいたら紹介してね」
ザンカル。リケイ。そして一緒に死線を潜り抜けたシースンが穏やかに赤毛の少女との別れを惜しんでくれた。
城の料理人であるカーゼル。コルカ。シャンフ。そしてカラミィ達メイドの美人三姉妹にも別れを告げた。
「そっか。行くのか。俺もこの国で修行を終えたら旅に出る予定だ。勇者イバトってその内に有名になるからな。知り合いだって自慢していいぞ」
「実現するか怪しいから自慢は止めた方がいいわよ。元気でね。シャンヌ」
イバトとクレアも笑顔でシャンヌを送り出す。そしてシャンヌは四つ目一族達と最後の挨拶を交わす。
「シャンヌ。私達四つ目一族は君への恩義を生涯忘れない。私達を救ってくれてありがとう」
カリブ軍の砦の地下牢でシャンヌと会話をした四つ目一族の男が赤毛の少女と握手をする。百人の四つ目一族達は全員揃ってシャンヌの旅立ちを見送った。
四つ目一族達は今後エルラン国に留まり、その内に秘められた能力を引き出す訓練を重ねて行く。
それは穏やかに暮らしていた一族には大きな負担になるが、一族の存亡の為に彼等は覚悟を決めていた。
「······ジオリさん。お元気で」
シャンヌは腰の曲がった老人と抱擁を交わす。ジオリはエルラン国に残り、四つ目一族達と共に暮らす事を選択した。
ジオリは孫程に歳が離れた赤毛の少女を抱き締め、涙を流し別れを惜しんだ。
「······シャンヌ殿。いや。赤帝の姫君よ。身体に気をつけて。何時までも元気で」
ジオリは餞別に手製の軍旗をジャンヌに渡した。その旗には、凛々しいシャンヌの絵が描かれていた。
赤毛の少女は自分が描かれている軍旗を見て赤面し、ジオリが絵画の名人だと同時に知ったのだった。
城門の前に停車していた馬車には、既にアサシル。ブレッド。首長女ことチャシャ。元カリブ軍兵士イソッフ。そして元奴隷男カイトが乗り込んでいた。
イソッフはシャンヌ達と同行する条件で牢から解放された。赤毛の少女はチャシャの時と同様、自分の側でこの砂色の髪の優男を監視するつもりだった。
カイトにはシースンの推薦でエルラン国の宮廷魔術師の仕官の誘いがあった。だが、カイトは今更宮仕えは嫌だとその話を断っていた。
「僕は必ず君に証明して見せるよ。この世は希望を持つに値しない闇夜の世界だとね。それ迄君には僕を養ってもらう」
仕官の話を袖にした時、カイトはシャンヌにそう宣言した。シャンヌは見送りに参列しれくれた者達の中に、メルアの姿が無い事に気持ちが沈む。
シャンヌと同行すると言って聞かないメルアに対して、赤毛の少女は半ば強引に説得する形で押し切った。
全てはメルアの身の安全の為であり、仲違いしたまま別れる事にシャンヌは後ろ髪を引かれる思いだった。
「では皆さん。お元気で!」
馬車の荷台の上からシャンヌは精一杯の笑顔をエルラン国で出会った者達に向けた。六月の青い空の下、城門が遠ざかるまでシャンヌの名を呼ぶ多くの声が赤毛の少女の耳に届いていた。
その日の夜。背の高い大木の下で野営をしようとした時、荷台の荷袋の中から突然人影が現れた。
「メ、メルア!?」
エルラン国に残して来た筈の少年が目の前に姿を見せた光景に、シャンヌは驚きの声を上げる。
「シャンヌお姉ちゃん。僕はお姉ちゃんとずっと一緒にいる。お姉ちゃんは僕が必ず守るから!!」
十二歳の少年は、真剣な顔つきで赤毛の少女を見つめ勇ましく宣言する。守るべき弟の様な存在に逆の事を言われたシャンヌは、見違えたメルアのその姿に何も言えなかった。
「······おい。アサシル。この子供が荷袋に潜んでいた事をお前知っていたな?」
酒の支度は率先して行っていたブレッドが、両目を細めて褐色の肌の暗殺者を睨む。
「さて。まるで気付かなかったが?」
飄々とブレッドの視線を受け流すアサシルの隣で、砂色の髪のイソッフが嬉しそうに身を乗り出す。
「俺は気づいていたぜ。ブレッド。俺は観察力も優れているんだぜ?」
だったら何故黙っていたのかと問い正す事もせずに、イソッフの謎のアピールを無視してブレッドは舌打ちをする。
「いいんじゃないの。一人くらいカリフェースに四つ目一族を連れて行った方が王達も助かるんじゃない? 何しろカリフェースは天界軍に攻められたって話だし。なら、その天界人の天敵と言われた四つ目一族の存在はカリフェースにとって貴重な人材だよ」
カイトは夕食の支度を手伝う素振りを一切見せず、荷台に座ったままそう言った。この時、ブレッドはカリフェースの状況をシャンヌ達に明かしていた。
「······分かったわ。メルア。一緒に行きましょう」
聞き分けの無い我儘な弟を見る様な眼差しで、シャンヌはメルアに右手を伸ばした。四つ目一族の少年は破顔しその手を掴んだ。
こうして四人の人間。二人の魔族。一体の魔物の奇妙な集団は、平穏ならざるカリフェースの王都に一路向かう事となった。
······大理石が敷き詰められた長い廊下を歩く一人の男がいた。腰まで届く黒い髪。細身の長身。銀糸で刺繍された白い長衣の背中には、たたまれた二つの白い羽根があった。
自信と覇気が溢れる精悍な顔つきは、三十代後半に見えた。男は二人の衛兵から敬礼を受け長い階段を下りていく。
そこは地下牢だった。男は迷う様子も無く幾つもの牢部屋を通り過ぎ一際大きい牢部屋の前に立った。
「地上の民。いや。名をウラフと言ったな? 牢から出よ。またお主に色々聞きたい事がある」
男から声をかけられた者は、緩慢な動きで地べたから起き上がった。ボサボサに伸びきった黒い髪。巨漢の身体には、無数の戦傷が刻まれていた。
恰幅のいいその顔は、見る者に行商人かと思わせる雰囲気があった。かつて地上の世界で武装勢力の首領として暴れていた巨漢の男は、淀んだ両目を天界人に向けていた。
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