第37話 ロッドメン一族

 五年前、元センブルク軍の歩哨は「勝者無き戦争」と後に呼ばれた大きな戦いに参加した。


 当時彼は、センブルク軍の歩哨として信じられない光景を幾つも目撃していた。その中でも最たる物は、大地が割れる天変地異だった。


 戦争から生き残った歩哨は、仲間から妙な噂話を聞いた。あの天変地異を起こしたのは、世界一の魔法使いと呼ばれる者だったと。


 そしてその天変地異が、今再び歩哨の眼前で起きていた。


「うわああっ!!」


「た、助けてくれぇ!!」


 突然切り裂かれ口を開けた大地の隙間に、野盗達が次々と落ちて行く。迎え討とうとしたシャンヌ達に対し勢い良く突出した事が災いし、野盗達は断末魔の叫び声と共に底の見えない谷底に転落して行く。


 五百を数えた野盗は、一瞬で半数を失った。地震の後のこの異常事態に、誰もが恐怖し言葉を失った。


「こ、これは一体?」


 野盗達との間に生じた巨大な大地の割れ目を覗き込みながら、シャンヌは呆然とする。そして何かを思い出した様にシャンヌはカイトに質問する。


「カ、カイトさん。もしかしてこれは、貴方の魔法ですか?」


 シャンヌの疑問に、この場にいた全員が元奴隷男に注目する。その当人は、愛想のない顔で否定も肯定もしない。シャンヌは何故かこれはカイトの仕業だと感じた。


「でも何故? カイトさん。貴方は魔法の杖が無いと魔法は使えないって」


 魔法の杖は使用者の魔力を増幅させる道具に過ぎず、本来魔法使いは素手でも魔法が使える。


 その道具が無いと魔法は使えないとカイトは妙な事を言っていた。しかも、老人ジオリがその魔法の杖をカイトに渡すと、そんな安物じゃ魔法は使えないとつれなく返した。


「······正確に言うとね。魔法の杖は僕にとって枷なのさ。その枷が無いと制御出来ないんだ。自分の魔力をね」


 カイトはそう言うと、切り裂かれ巨大な穴を指差した。


「あれは地下重力の呪文の応用さ。本来一方に作用する力を相反する二つの方向に振り分け大地を切り離した。野盗が谷底に落ちて君達が落ちなかったのは偶然さ。先刻言った通り、僕は自分の魔力を制御出来ない。地面の割れ目が君達の足元で止まったのは運が良かっただけだ」


 カイトは淡々と自分が起こした天変地異を説明する。ブレッドは直ぐに足元に迫っていた大地の亀裂を一瞥して元奴隷の男を見る。


「······これは魔法なんて呼べる代物じゃない。お前は一体何者だ?」


 ブレッドの警戒する様な口調に、カイトは興味無さそうにそっぽを向く。


「埃が溜まった古臭い一族。その名を持つ単なる怠け者さ」


 錆びたペンダントを指で撫でながらカイトはそう言うと、踵を返し歩き始めた。それは、もう危険が無い事を知った者のゆっくりとした歩みだった。


 仲間の半数が大地の底に転落した野盗達は、巨大な割れ目を飛び越えシャンヌ達を追跡する術も無く、戦意も失い茫然自失としていた。


 その様子を砦の壁上から怯えながら見ていた元センブルク軍の歩哨は、同僚のイソッフが忽然と姿を消した事に暫く気づかなかった。


 そのイソッフは、手早く荷物もまとめ馬に乗り既にカリブ軍の砦を出ていた。女に一切の興味を持たない砂色の髪の美青年は、心の中で興奮を覚えていた。


 その理由は、自分を昏倒させたあの赤毛の少女だった。女の身で。しかもたった二人でカリブ軍の砦に乗り込み、四つ目一族達を脱出させた。


 そして数百人の野盗達を天変地異を起こして足止めさせた。軍隊暮らしで退屈を覚えていたイソッフにとって、それは心踊る痛快な出来事だった。


「······さて。あの少女が通りすがりの正義の味方なら行き先は分からんな。だが、もしカリブ国と対立するエルラン国の手の物だったら、奴等の王都に戻る可能性は十分にある」


 ボワス中佐以下、砦の兵士達は全員酔い潰れて四つ目一族を逃がす失態を犯した。あの砦に残ってもどんな処罰を受けるか容易に想像出来た。


 イソッフは座して処罰を受けるより、自分の好奇心を刺激する少女の元へ向かう事を選んだ。




「······帰りましょう。エルラン国の王都に」


 矢傷を負った方を手で押さえながら、シャンヌは周囲の仲間にそう言った。何故故郷でも無いエルラン国の王都に帰ると言う言葉を使ったのか。


 シャンヌにとってエルラン国は。否。今回自分に協力してくれた全てのエルラン国の者達は、既に赤毛の少女の大切な人になっていた。


「······ロッドメン一族」


 静けさを取り戻した闇夜の中で、褐色の肌の暗殺者は元奴隷男の背中を見ながらそう呟いた。


 それは、この世に魔法を生み出した伝説の一族の名だった。



 


 シャンヌ達は宮廷魔術師達の手を借り、翌日エルラン国の王都に無事帰還した。城門に出迎えてくれた国王タイラントと王妃リリーカに作戦の成功を伝えると、命懸けで救出した四つ目一族達との再開を果たした。


 その三日後、ザンカル率いる一万二千が王都に帰還した。ザンカルはカリブ軍主力を国境線に釘付けにすると言う大役を見事に果たした。


 王妃の提案により、今回の作戦に参加した者達を慰労する為に酒宴が開かれた。城の至る所の広場で兵士達が祝杯を上げる。


 厨房の料理人達は総出で腕を振るい、食欲を刺激する料理を次々と兵士達に振る舞って行く。


 そんな宴の中で、肩に包帯を巻いたシャンヌは意外な訪問者を受けた。それは、酒杯を持ったザンカルから声をかけられた時だった。


「私に面会ですか?」


 ザンカルの話にシャンヌは頭を傾げる。この魔族の国にシャンヌは知り合いなど居ない筈だった。


「怪しい奴でな。今そいつを拘束している。ちょっと来てくれ」


 ザンカルに連れられ、シャンヌは城門の詰所に足を運んだ。そこには、シャンヌが見覚えのある男が両手を縛られ椅子に座っていた。


「······貴方は。カリブ軍の砦にいた兵士」


「やあ。また会えたな。赤毛のお嬢さん」


 イソッフはシャンヌに陽気に笑いかけた。だが、女に興味を抱かない砂色の髪の男は一瞬不審に思った。


 シャンヌは腰までの長い髪から肩までの長さに変わっており、化粧が落ちたその顔はまだあどけなさを残す少女の物だった。


 イソッフはこの少女があれだけの事を成し遂げた事に、改めて驚愕させられた。イソッフ山を張り、直接エルラン国の王都にやって来た。


 そして城の門兵に四つ目一族と赤毛の少女に面会させろと迫った。門兵に拘束された時、イソッフは自分の勘が的中した事を確信していた。


 詰所には既に酔っているブレッドと一切飲酒をしていないアサシルも現れた。ザンカル。ブレッド。そしてアサシル。


 三人の偉丈夫な男達を見回し、イソッフは心の中で口笛を吹いた。


『······この額と頬に刀傷ある男は無骨だが颯爽としている。この褐色の肌の男は冷たい両眼が殺伐とした味のある雰囲気を醸している。だが、一番は······』


 イソッフの怪しい視線を受けたブレッドは、何故か背筋に悪寒を感じた。その波打つ髪と鼻の下に蓄えた髭は、渋みに加え色気を感じさせる。


 イソッフにそう評価されたブレッドは、この砂色の髪の男に警戒心を解かなかった。イソッフはシャンヌに興味を抱きこの王都に会いに来たと素直に伝えた。


「信用出来んな。お前がカリブ軍の密偵では無いとどう証明する?」 


 ブレッドが酒臭い息を吐きながら即座にイソッフの動機を否定する。イソッフは平然と胸を反らし答える。  


「簡単な事さ。赤毛のお嬢さんが俺を常に監視すればいい。後はお嬢さんがこのエルラン国を離れれば尚いい。俺が密偵だとすれば四つ目一族絡みの調査だ。四つ目一族と関係無い場所に俺が同行する。それが俺の潔白を証明する何よりの証拠だ。そうだろう?」


 イソッフの良く回る口振りに、ブレッドは舌打ちを鳴らし、アサシルは無言で感心していた。


 ザンカルはイソッフの処遇が決まるまで勾留する事を決め、砂色の髪の男も素直にそれに従った。


「赤毛のお嬢さん。俺は役に立つ男だ。護衛役なり交渉役なり任せてくれ」


 イソッフはシャンヌに片目を閉じて見せ、衛兵に連れられ牢屋に歩いて言った。その去り際に熱い視線をブレッドに送っていた事に当の本人は気づかなかった。


「チッ。厄介事が一つ終わったと思ったらまたこの有様だ」


 そうぼやき飲み直す為に広場に歩いて行くブレッドの背中に、シャンヌは声をかけた。


「······ブレッドさん。私は貴方が好きではありませんでした。でも。その。あの時は私を助けようとしてくれて、ありがとうございました」


 躊躇いがちにシャンヌはブレッドに感謝を伝える。五百人の野盗が迫った時、ブレッドは我が身を犠牲にしてシャンヌを助けようとした。


「奇遇だな。リス。俺もお前が好かん。それにあれはお前だからじゃない。俺は女子供を決して見捨てないと誓いを立てた。その自分の誓いの為に行動しただけ······」


 ブレッドの乱暴な物言いは途中で途切れた。赤毛の少女はブレッドの胸に細い両手を回し大きな背中に抱きついていた。


「······私の名前はリスではありません。シャンヌです」


 恥入る様に小声でそう囁くと、赤毛の少女はブレッドの背中から身体を離し、顔を真っ赤にして走り去って行った。


 石像の様に固まって動かないブレッドの顔を見てアサシルは思案に耽る。ブレッドの頬を赤く染めた原因は酒か。それともあの不器用な赤毛の少女の感謝の抱擁か。


『······不思議な娘だ。あの少女の周囲には自然と人が集まる。チロルとは異なる魅力があるのか』 


 チロルのその圧倒的な力に魅せられ、多くの無頼達がその組織に集まって来た。だが、今のシャンヌにチロルの様な力は無かった。


 それでも赤毛の少女の元には多様な人種が集まって来る。そう考えた時、アサシルは何かに気付いた様に苦笑する。


「······なんの事は無い。俺もその集められた一人かもしれんな」


 褐色の肌の暗殺者は、チロルのその内に秘める狂気に強く惹かれていた。だが、それとは似て非なる感情を赤毛の少女に抱く様になっていた。





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