第36話 天変地異

「何だあ? 「猫の手も借りたい」? 何だそのふざけた組織名は!」


「······ちょっと待て。組織名はともかく、その「銀髪の君」は聞いた事があるぞ」


「あ、ああ。俺もあるぞ。あの生ける伝説勇者ソレットとタメを張る冒険者の名前だろ」


 シャンヌの明かした組織名は、意外な効果を生んだ。野盗達に動揺が走り、シャンヌ達は体制を立て直す時間を得られた。


「シャンヌ。今の状況は?」


 褐色の肌の暗殺者は今の状況を把握する為に赤毛の少女に問う。シャンヌもアサシルが効率の良い回答を求めている事を分かっていた。


「今私達の後方で四つ目一族達が避難しています。カリブ軍の砦にいる兵士達は酒に酔わせ無力化しています。目の前の野盗達の狙いは四つ目一族。エルラン国の宮廷魔術師達が四つ目一族を運び出すまで時間を稼ぐ必要があります」


 シャンヌの返答に及第点を与える様に、アサシルは頷いた。組織名を野盗に聞かれ不機嫌なブレッドは舌打ちをする。


「結構な状況だ。目の前の連中が突撃して来たら一巻の終わりだな。おい。直情リス。どうやってこの危機を回避するつもりだ?」


 ブレッドの厳しい詰問に、シャンヌは力なく首を横に振る。


「······皆さんを巻き込んで申し訳ありません。この上は私一人が時間を稼ぎます。どうか皆さんは逃げて下さい」


 シャンヌの弱々しい声に、メルアが直ぐに反応する。


「シャンヌお姉ちゃん! 僕も戦うよ! だから落ち込まないで!」


 石が入った袋を握り締めながら自分を励ますメルアに、シャンヌは目を見張った。そこには、万事気弱な少年の面影は残っていなかった。


「そうよ。シャンヌ。貴方は一人じゃない。一緒に戦い。そして生き残りましょう」


 赤毛の少女にシースンは優しく微笑む。見知らぬ謎の美女を間近に見たブレッドは、見違えたシャンヌを見た時とは異なる意味で言葉を失う。


 その時、四つ目一族達が避難している方角から二つの人影がシャンヌ達に近づいて来たま。


 一人は短髪の少年。もう一人は赤いローブを纏った少女だった。


「······イバトさん! クレアさん!」


 シャンヌが驚きの声を上げる。このカリブ軍の砦に向かう途中、襲って来た魔物を引受けてくれた二人がついに合流を果たした。


「イバト! クレア! 四つ目一族の状況は?」


 先輩であるシースンが、二人の少年少女に後方の現状を問いただす。


「シースンの姉ちゃん! 今、宮廷魔術師達が風の呪文で運び出しているよ!」


「一度じゃ無理だから、もう少し時間が必要よ!!」


 百人の四つ目一族に対し、宮廷魔術師達は二十人だった。腕の良い魔法使いでも一度に風の呪文で運べるのはニ、三人だった。


 宮廷魔術師達は直接エルラン国の王都に戻るのでは無く、この砦から少し離れた位置に一旦四つ目一族達を運ぶ事を決断した。


 今エルラン国の宮廷魔術師達は、必死に往復作業を繰り返し四つ目一族達を運んでいる。そうイバトとクレアは説明した。


 戦場の中で生まれた僅かな時間の中でシャンヌ達は情報を共有した。だが、それは野盗も同じだった。


 アサシルやブレッド。新たな手練の登場に状況不利と見た野盗は、カリブ軍の砦を包囲している本体に援軍を求めていた。


 そしてシャンヌ達の耳に無数の馬蹄の音が聞こえてくるのにそう時間は要しなかった。


「······野盗は一体何人いるの?」


 シャンヌは血の気が引いた表情でその光景を見る。シャンヌ達と交戦した百人の野盗達は、後方の本体と合流する為に一旦後退していく。


「五百はいるな。チッ。勝負にならんぞ」


 ブレッドは鋭く舌打ちをする。シャンヌ達は八人と一体の魔物。対して野党は五百。シャンヌ達が個々に幾ら武勇を誇っても勝ち目は無かった。


 その時、シャンヌの後ろで乾いた笑い声が聞こえた。


「だから言っただろう? 全ては無駄なのさ。これはいい機会さ。ここで死ねば、生きる上での全ての苦痛から開放される。人間も魔族もはいつか死ぬ。それが早くなっただけの事さ」


 元奴隷男は、まるでこの世を呪うような言葉を吐いた。シャンヌには、カイトが自分自身を侮蔑しているように感じた。


 その時、野盗の群れから一本の矢が飛来した。その鏃は、カイトの胸を捉えていた。


「カイトさん!!」


 その矢を回避する様子を微塵にも見せなかったカイトにシャンヌが抱きつく。矢はシャンヌの左肩に突き刺さった。


「シャンヌお姉ちゃん!」


 メルアが蒼白な顔をしてシャンヌに駆け寄る。シャンヌは肩に矢が刺さったまま気丈にも立ち上がりカイトを見つめる。


「······カイトさん。貴方の言う通り、生きる事は苦痛と同義かもしれません。この世は悲しい事や苦しい事だらけです」


 シャンヌの瞳には影がかかり、悲しそうに俯く。


「······でも。それでも。この世界は生きる価値があると私は信じたいんです。それに、生きていれば素晴らしい事もあります」


「······素晴らしいだって? こんな世界に生きていて一体何がそう思えるんだい?」


 野盗が雄叫びを上げて目の前に迫る中、カイトは冷めきった両目でシャンヌを見返す。


「······出会いです。カイトさん。私はブレッドさんに。アサシルさんに。メルアに。ジオリさんに。そしてエルラン国の皆に出会えた。それは、私の人生に於いて誇れる素晴らしい事です。勿論カイトさん。貴方に出会えた事もです」


 シャンヌのこの言葉に、無気力な元奴隷男

の表情が凍りついたように固まった。シャンヌはそう言い終えると、ふらつく足で片手で剣を握り野盗に向かって走り出す。


「······どこまで馬鹿なんだ。君は」


 カイトは誰にも聞こえない小声で呟いた。それは無謀にも五百人の野盗に立ち向かうシャンヌの行為を指して言ったのか。


 それともシャンヌの世迷言の様な言葉に対して言ったのか。元奴隷男は、自分自身でも分かり兼ねていた。


「アサシル! この直情リスを抱えて逃げろ! 俺が斬り込んで時間を稼ぐ!」


 極限状態の最中、ブレッドは決断を下した。ブレッドが唯一選んだのはいつも苦々しく思っていた赤毛の少女だった。


 アサシルは冷静に頷き、馬をシャンヌに近付ける。褐色の肌の暗殺者は強引でもシャンヌを連れ去るつもりだった。


 メルア。シースン。イバト。クレア。チャシャは野盗に立ち向かう事を選ぶ。絶望的な戦いは、一瞬で決着がつく筈だった。


 カリブ軍の砦の壁上では、砂色の髪のイソッフと元センブルク軍の歩哨がひと心地ついていた。


 砦を包囲していた野盗達が理由は分からないが前方に立ち去った。一先ず危機は去ったと安堵していた時、元センブルク軍の歩哨はその音を聞いた。


 それは、最初は小さな揺れだった。時間と共に砦の壁上。否。砦全体か揺れ始めた。


「······何だ? 地震か?」


 イソッフが姿勢を低くして落下物に備える。そのイソッフが目にしたのは、隣で震えている同僚の姿だった。


 元センブルク軍の歩哨は体の震えが止まらなかった。それは、過去自分が体験した恐怖が甦って来たからだった。


「······ま、まさか。またアレが起こるのか?   またアレが!!」


 元センブルク軍の歩哨は大汗を流しながら絶叫した。地鳴りの様な音は刻一刻と大きくなり、それは起こった。


 野盗達がシャンヌ達に間近に迫った時、両者の間の地面に亀裂が生じた。その亀裂は横に長く広がり、大きく口を開いて行った。それは、見る者に地獄の入り口を連想させた。



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