第35話 決死の脱出行

 元センブルク軍の歩哨は、眠り薬入りの酒を僅かに舐めたのが幸いし、辛うじて意識を保っていた。


 頼りない意識の中で、元センブルクの歩哨は同僚の兵士と赤毛の少女が激しく剣を重ねる光景を目にしていた。


「······壁上の見張り役は不運でしたね。姉上の舞を見れなかったんですから」


 シャンヌは息を整えながら砂色の髪の兵士から距離を取る。この兵士の剣技は、シャンヌの想像を遥かに超えていた。


「違うな。俺は見張り役をわざわざ買って出たのさ。俺は女などに興味が無い。まるでな」


 砂色の髪の兵士は悠然と言い放った。その言葉の意味を、シャンヌは直ぐに理解出来なかった。


「お前の様な小娘には理解出来んか。この世には女に興味が無い男もいるのさ」


 砂色の髪の兵士は不敵に笑うとシャンヌに強烈な斬撃を浴びせる。赤毛の少女はそれを必死に受け流す。


「陽炎!!」


 シャンヌが叫んだ瞬間、砂色の髪の兵士は赤毛の少女の姿を見失った。否。目の前からシャンヌの姿が消え去った。


「······馬鹿な!?」


 驚愕する砂色の髪の兵士の背後に現れたシャンヌは、剣の柄で兵士の後頭部を強打する。


 自分が倒れる理由も分からないまま、女に一切の興味を抱かない兵士は崩れ落ち昏倒した。 


 シャンヌは息を整える暇も無く壁上から階段を駆け下り、広場で行われている酒飲み比べの様子を確認しに行く。


 そこでシャンヌが目にしたのは、二百人の兵士達全員が酔い潰れ倒れている光景だった。


 ただ一人床に座りながら最後の一杯を飲み干した紫色の髪の美女は、頬を紅く染めながら吐息を吐いた。


「······度数がやたら高く雑味の強い安酒ね。でも、嫌いじゃないわ。こう言う粗野な味」


 シースンは視線を落とし、酔い潰れた兵士達の姿を見て心の中で嘆息する。この中に自分より酒が強い者が居なかった事に紫色の髪の美女は僅かに落胆していた。


『······残念。私が添い遂げる相手はまだ現れない様ね』


 酔った様子も無く優雅に立ち上がったシースンに、シャンヌは準備が整ったと頷く。二人の美人姉妹は直ちに行動に移る。


 地下牢から四つ目一族達を砦の門に誘導し、ジオリ達が潜む森に一気に駆け抜けようとした時だった。無数の馬蹄の音をシャンヌは耳にする。


「······あれは何の集団なの!?」


 シャンヌは困惑してその集団を眺める。明らかだったのは、奇声と雄叫びを高らかに上げるその集団はまともに話が通じそうに無い事だった。


「シャンヌ殿! シースン殿!」


 その時、一台の馬車がシャンヌ達に近づいて来る。馬車にはジオリ。カイト。チャシャが乗っていた。シャンヌはジオリに叫ぶ。


「ジオリさん! シースンさんと一緒に四つ目一族の人達を森に誘導して下さい! ここは私が引受けます!!」


 こちらに向かってくる謎の集団が迫る中、ジオリは老いた自分は出来る事たけに専念すると決めた。


 馬車で百人弱の四つ目一族達を先導し、宮廷魔術師達が待機する森に向かって行く。事はエルラン国とカリブ国の軍事が絡んでいる為、エルラン国の宮廷魔術師達は公に姿を見せる訳には行かなかった。


 剣を構えた時、シャンヌは自分が一人では無い事に気付く。紫色の髪の美女シースン。首長女ことチャシャ。そして元奴隷男カイトが立っていた。


「酔い冷ましの運動よ。シャンヌ。私達は旅芸人の姉妹。最後まで付き合うわ」


 元の旅装に着替えていたシースンは、腰から愛用の長剣を抜き微笑む。


「······シャンヌ。が裁く。者を。私は殺す」


 首長女ことチャシャが何時もより滑らかな口調で静かに呟く。


「······勘違いしないでくれる? 僕は馬車酔いで一旦降りただけだ。そうしたら爺さんがさっさと行ってしまっただけだ」


 元奴隷男カイトは、どこか不機嫌な物言いでシャンヌからそっぽを向く。そして謎の集団が目の前に迫る光景を見ながら呆れた様に口を開く。


「······で? 君達はたった三人であの集団と戦う気かい? 断言するけど間違い無く君達は死ぬよ? 奴等はどう少なく見積もっても数百人いる」


「······でも。それでも! 四つ目一族の人達を逃がす時間を稼ぎます!」


 シャンヌの返答にカイトは冷たい表情で失笑する。


「君さあ。少しは頭を働かせたらどう? このカリブ軍の砦に何故武装集団が現れたと思う? 正規軍に正面から戦いを挑む野盗なんて存在しない。四つ目一族さ。奴等は僕達と同じく四つ目一族の情報を嗅ぎ付け、四つ目一族を奪いに来たのさ。だから君達三人は奴等に殺され、今逃げている四つ目一族も捕まり連れ去られる! 君達のこれ迄の行動は無駄になるってことさ!!」


 言い終えた後、カイトは自分自身で驚いていた。万事無気力な筈の自分が、何故声を荒げているのか。


 理由は明確だった。カイトにとってこの世は一片の希望すら持つに値しない灰色の世界だった。


 だが、この赤毛の少女はその灰色の世界に絶望では無く、希望と言う名の松明を高く掲げていた。


 それがカイトをどう仕様も無く苛立たせていた。


 カイトの珍しく感情が高ぶった荒々しい言葉に、シャンヌは野党の目的を知り動揺するが、直ぐ様迷いの無い表情に戻る。


「カイトさん。無駄ではありません。まだ何も終わってはいません。私は例え自分が死ぬ事になっても、一人でも多くの四つ目一族達を救います」


 シャンヌのその言葉は、カイトの不安定な心を更に揺れさせた。


「······大層な自己犠牲論だよ。シャンヌ。君は一体何が目的なんだい? 自分の墓標に四つ目一族達が感謝しながら末代まで花を添える事か? それとも歴史書の片隅に自分の名を書かれる事か?」


 感情を剥き出しにして来るカイトに対して、シャンヌは淀みの無い瞳で答える。


「······心です。カイトさん」

 

「······心?」


「はい。以前、私はカイトさんに言いました。心は自由だと。私は自分の心に素直に従っているだけです。私は四つ目一族達を必ず救います。そしてカイトさん。貴方もこの場から守って見せます」


 静かに。だが侵し難く揺るぎない眼差しをシャンヌはカイトに向ける。


「······何を馬鹿な事を」


 この赤毛の少女を論破する言葉を並べる事はカイトにとって容易な筈だった。だが、元奴隷男は何故かそれ以上の言葉を失っていた。


 武装勢力はカリブ軍の砦に迫った時、砦の門が開かれている事に気付く。荒くれ者の彼等も流石に警戒し、門の前で進軍を停止した。


 その光景を砦の壁上から見下ろす兵士が二人いた。


「お、おい! イソッフ! 奴等野盗だ! 何でこの砦に来た? まさか攻めて来たのか?正気かアイツ等!?」


 元センブルク軍の歩哨は、女に一切の興味を持たない男の名を呼んだ。イソッフと呼ばれる男はシャンヌに昏倒させられたが、意識を取り戻し四つ目一族脱出の事実を元歩哨の男から聞いていた。


『さて。厄介だな。野盗共は数百人はいる。対してこちらは全員酔い潰れている有様だ』


 イソッフはこの窮地に際して大した恐れを見せず足元の荒くれ者達に叫ぶ。


「ここはカリブ軍の砦だ! 貴様等何を目的で攻めて来た!?」


 イソッフの質問に対し、野盗の群れの前列から首領と思われる一人の巨漢の男が馬に乗りながら進み出る。


「お宝を頂きに来た。奴隷市場で高値で売れる四つ目一族と言う名のお宝をな」


 巨漢の男の不敵な物言いに、イソッフは両腕を組んで両目を細める。


「ほう? どこでそれを知ったか知らんが、宝欲しさに我々正規軍と戦う覚悟はあるのか?」


「強がりは止せ。情報屋からネタは仕入れている。今、国境線を挟んでお前等カリブ軍とエルラン軍が対峙している。この砦はがら空きの筈だろう?」


 首領の薄ら笑いに、イソッフは表情を変えずに内心で舌打ちをする。


「情報屋からネタを買ったのは貴様等だけだと思うなよ? お前達が来る事は予測していた。そら。目の前の開かれた門を潜るがいい。完全武装の兵士達が手厚く歓迎するぞ」


 元センブルク軍の歩哨は目を丸くしてイソッフを見る。この砂色の髪の優男が吐いた言葉は完全に虚言だった。


 首領の顔から薄ら笑いが消え、開かれた砦の門を注視する。それを見たイソッフは相手を扇動するように虚言を続ける。


「野盗共。俺達は四つ目一族を今しがた開放した所だ。嘘では無いぞ。貴様等の直ぐ後ろで四つ目一族は今必死にここから離れようとしている。ほれ、求めていた宝が時間と共に遠ざかっていくぞ」


 イソッフの虚言に首領は背後を見る。暗闇の中でそれを確かめる術は無かった。そして首領は後方を調査する為に百人を割き向かわせた。


『チッ。中々慎重な奴だな。さて。多少の時間は稼げてもこの砦の危機はなんらかの変わらんな』


 イソッフは苦々しくため息をつき、これ以上の手立ては無い事を認めざるを得なかった。


「······来る!!」


 その百人の野党がシャンヌ達に猛然と迫って来た。シャンヌは剣を構えて先陣を切る様に駆け出した。


「何だあ!? 何で女がここにいる!?」


 野盗の一人が馬上からシャンヌを視認する。暗闇の中で赤毛の少女の顔は良く見えなかったが、その化粧を施した顔を見ればその美少女振りに口笛一つも吹いたかもしれなかった。


 だが、野盗の男が口笛を吹く機会は永遠に失われた。シャンヌは馬上の男に下から剣を振り上げ男の左脇を切り裂く。


 男は苦痛の声と共に落馬し頭を地面に打ち付けた。シースンもシャンヌに続き、槍を持った男の間合いに素早く侵入し胸の中央に剣先を叩き込む。


「使わせて貰うわよ」


 シースンは倒した男から槍を奪い、シャンヌの背中を守る様に二人目の野盗の首を槍で突き刺す。


「この野郎!! 殺っちまえ!!」


 四つ目一族の追跡を強制的に中断させられた野盗達は、怒りの矛先をシャンヌ達に向ける。


「チャシャ! カイトさんをお願い!!」


 死地にも関わらず人形の様に立ち尽くすカイトに、二人の野党が襲いかかる。だが、その二人は首を長く伸ばしたチャシャに驚愕し、叫び終える前に首を噛み切られた。


 シャンヌ達は善戦したが、野盗達が数に任せて三人と一体の魔物を半包囲しようと試みた。


「······まずい! 包囲されたら終わりだわ!」


 激しく息を切らせながら、シャンヌは決断する。後は陽炎を多様し、野盗達を撹乱させるしか術は残されていなかった。


「シャンヌ! 危ない!!」


 手にした槍を野党の血で染めたシースンが叫ぶ。集中力を一瞬欠いたシャンヌに野盗の白刃が迫っていた。


「貰ったぜ! この小娘が!!」


 必殺の一撃を確信しながら、野党はシャンヌの頭部に剣を振り下ろす。その瞬間、野盗の頬に拳程の大きさの石がめり込んだ。


「ぐはっ!!」


 野盗は口から血を吐き均衡を崩し倒れた。シャンヌは石が投じられた方角を見た。赤毛の少女はそれを見て自分の目を疑う。


「シャンヌお姉ちゃん!!」


 石が入った袋を手綱と一緒に握り、馬上から震える叫び声を上げたのは四つ目一族の村に居る筈のメルアだった。そしてメルアは一人では無かった。


「アサシルさん! ブレッドさんも!」


 褐色の肌の暗殺者は懐から取り出したナイフを目で追えない速さで投じる。風を切ったナイフはシャンヌの近くに迫る野盗の眉間に吸い込まれた。


 ブレッドは愛用のサーベルを抜き放ち、シャンヌと野盗達の間に割って入り左右の野党を一瞬で斬って捨てた。


「この直情リスが!! 今度は何をやらかしたんだ!!」


 ブレッドは波打つ髪を振り乱し、会う度に問題を起こす赤毛の少女を怒鳴りつけた。そしてブレッドはシャンヌの顔を見て息を飲む。


 赤毛の長い髪と化粧がまだ残っているその可憐な顔立ちに、ブレッドは言葉を続ける事が出来なかった。


「くそっ! てめえ等一体何者だ!!」


 宝である四つ目一族の追跡を妨害するシャンヌ達に対して、野盗は堪らずその正体を質した。


「私達は「銀髪の君」が率いる無頼組織! その名も······」


 素直に組織名を名乗ろうとするシャンヌに対して、一瞬の放心から我を取り戻したブレッドが血相を掻いて絶叫する。


「止めろ! リス! その組織名を口にするんじゃない!!」


「猫の手も借りたい!!」


 闇夜の荒野に、シャンヌの声が轟いた。ブレッドは片手で顔を覆い天を仰いでいた。


 


 

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