第34話 美人姉妹の潜入作戦

 カリブ軍の砦では、夕暮れに伴いに壁上の至る箇所に篝火を灯された。松明を握るカリブ軍の兵士は、ため息をつきながら闇に覆い尽くされようとする外の風景を眺めていた。


 その兵士は変わった経歴の持ち主だった。元は大国センブルク軍の歩哨であったが、五年前に勃発した「勝者無き戦争」で戦いに嫌気がさし軍を辞め国元を出た。


 そして紆余曲折を経てこの魔族の国カリブ国に流れつき、食う為に再び兵士となった。カリブ軍は魔族の国では珍しく、人間でも差別せず軍に登用している国だった。


「······相変わらず俺は見張りばかりしているな」


 壁上の篝火全てに灯りがともされ、元センブルク軍の歩哨は二度目のため息をつき、手に持った松明に金属の蓋を被せ火を消した。


 そして、兵士が見張るべき外界に異変が生じたのはその時だった。


「······あれは馬車か?」


 元センブルク軍の歩哨は壁上の外縁部に移動し両目を凝らす。暗がかりの中、この砦に真っ直ぐに向かってくる馬車が見えた。


 そしてその馬車の後方から、四つん這いになり首を長く伸ばす異形の者が迫っていた。


「あれは!? 魔物に追われているのか!」


 元センブルク軍の歩哨は、咄嗟に近くにあった弓を取りその魔物にむかって矢を放った。


 矢は魔物に命中しなかったが、恐れを成した様に魔物は馬車から退散していく。兵士は直ちにこの事を上官に報告する。


 砦の門の前に停車した馬車に乗っていた者と、兵士の上官とで壁上を挟んでやり取りが行われた。


 そして程なくして門が開かれ、馬車は砦の中に入って行った。そして部下から報告を受けたこの砦の指揮官ボワス中佐は、馬車から降りた二人の女を見て驚く。


 一人は長い紫色の髪をした二十代後半に見える美しく妖艶な女。もう一人は赤毛の十代後半に見える美少女だった。


「危ない所を助けて頂き、誠にありがとうございました」


 紫色の髪の女が小太りな中年ボワスの両手を取り、目に涙を浮かべ感謝の念を伝える。ボワスは女の大きく開いた豊かな胸元に視線が釘付けになった。


「う、うむ。報告によると旅の途中魔物に襲われたらしいな。我が国の治安を守るのが我らの仕事だ。当然の事をしたまでだ」


 ボワス中佐は名残惜しそうに女の胸から視線を外し、規則に従い二人の女が乗っていた馬車を部下に改めさせた。


 荷台には酒瓶。楽器。衣装。剣が置かれていた。女達は二人姉妹の旅芸人と申告していたので、護身用の剣だとボワスはさして疑いを持たなかった。


「私の名はシースン。赤毛の娘は妹のシャンヌと申します。命を助けて頂いたお礼に、私達の芸を皆様に披露させて頂きませんか?」


 ボワス中佐の周囲の兵士達は、突然訪れた美人姉妹による余興が見れるとざわつき始めた。


 だが、ボワス中佐は胸を反らし浮足立つ部下達を戒める。


「生憎今我が軍は厳戒態勢でな。お主等の芸を呑気に見ている時では無いのだ」


 そう断言するボワス中佐の胸に、シースンが自分の胸を押し当て懇願するように見つめる。


「······では。せめて指揮官の方だけでもお礼をさせて下さい。私達姉妹で精一杯もてなしますので」


 シースンの甘い吐息に、ボワス中佐は理性のタガが外れそうになる。


「う、うむ。では私が自らお主等姉妹の事情を聞くとしよう。私の執務室に参れ」


 部下達の羨望の眼差しを無視し、ボワスは自分の執務室に美人姉妹を招き入れた。そしてボワスは、シースンが持参した酒を一口飲むと、卒倒するように倒れ眠りに落ちた。


「す、すごい効き目ですね。リケイさんが用意した薬入りのお酒」


 口から涎を流しながら幸せなそうに眠るボワスの顔を覗き込みながら、シャンヌは小声で白髪眼鏡リケイの作った薬を称賛する。


「リケイは相手を前後不覚に陥らせるのが得意なのよ。この薬入りの酒はまだ使えるわ。取っておきましょう」


 シースンとシャンヌはボワスをソファーに寝かし傍から見ても普通に眠っているように見せかけた。


 そしてシースンは乱雑に書類が置かれたボワスの机の上を調べる。すると、四つ目一族に関する報告書があった。


 その報告書によると、四つ目一族を厳しく尋問し調査するも、一族には戦闘能力は全く見られないと言う記述があった。


「······カイトの読み通りね。やはりこの砦に四つ目一族は囚われているわ。恐らく地下の牢獄ね」


 シースンは手元にあった筆を取り、書類に記された筆跡を見事に真似て「四つ目一族に国費をかける価値無し」と書き加えた。


 ボワス中佐の執務室を出たシースンとシャンヌは門の入口に向かう。すると、まだそこには先程集まっていた兵士達が解散せず残っていた。


「皆様。ボワス中佐はお疲れの御様子で休まれました。中佐の伝言をお伝え致します。壁上の見張り以外は、私達共の芸を鑑賞して骨休めをしろ。との事です」


 シースンのこの言葉に、兵士達は色めき立って来た。砦の兵士全員が芸を披露出来る場所が無いとかとシャンヌは兵士に尋ねる。


「外になるが砦の中央に広場がある。そこなら今この砦にいる二百人も容易に鑑賞出来るぞ」


 さり気なくこの砦の兵力を聞き出す事に成功したシャンヌは、シースンと頷き合いその中央広場に移動する事となった。


 美人姉妹による芸鑑賞の知らせは瞬く間に砦の兵士達に伝わり、見張り以外の兵士達が全員広場に集まった。


 そして二つの篝火の中央にシースンが現れる。兵士達がその姿を見て生唾を飲み込んだ。


 シースンは薄く白い衣装を纏っていた。しかもシースンの身体には明らかに採寸が合わず、薄く小さい生地は豊かな肢体をより強調させていた。


 両の胸は半分以上露出し、両腰から足首にかけての生地は大きく分かれており、白く長い足が露わになっていた。


 遠目に見ると、シースンの白い肌と生地が同化し、一糸纏わぬ姿に見える程だった。シースンの後ろで撥弦楽器を手にしたシャンヌが音を奏でると、紫色の髪の美女は妖しく、そして優雅な舞を踊り始めた。


 兵士達からどよめきが起き、最前列の場所を巡って兵士同士の小競り合いが起きる。シャンヌは緊張しながらも単調だが明るい律動の音を奏でる。


 エルラン軍が準備を終える一週間の間、シャンヌは庭師のエドロンから撥弦楽器を習い必死に練習した。


 全ては旅芸人を演じる為だった。シースンに忠告された事を守り、シャンヌはさも余裕があるかの様に笑顔を絶やさなかった。


 永遠とも一瞬とも判断がつかない時間の流れの中、シャンヌはシースンの舞が終わる迄無事に演奏をやり遂げた。


 お辞儀をする美人姉妹に対して、兵士達は惜しみなく拍手を送る。そして、流す汗すら色香を増す要因に見えるシースンが静かに口を開く。


「······お集まりの兵士の皆様。私はある目的を持って妹と共に旅芸人を続けておりました。それは、私の理想の殿方を見つける為です」


 シースンの突然の告白に、二百人の兵士達は聴覚を最大限に働かせる。そして紫色の髪の美女は続ける。


 自分は底無しの酒飲みであり、生涯の伴侶は自分より酒の強い相手しか考えられないと。


 そして、この砦の兵士達の中にその理想の相手がいる事を期待していると。


「······兵士の皆様。もし叶うのなら、私と酒飲み比べをして頂けませんか? 勿論、ボワス中佐から飲酒の許可は出ております。もし私より酒の強い方がいらっしゃるのなら、私は全身全霊でその方に尽くします」


 シースンの懇願するような甘い口調に、兵士達の欲望の興奮は恐ろしい速度で上がって行った。


「よ、よし! 酒飲み比べをやろうじゃないか!」


「俺は酒に強いぞ! 必ず俺が勝つ!!」


「地下から酒樽を持って来い! 全てだ!」


 酒に強い者も弱い者も、二百人の兵士達は大騒ぎで準備を始めた。目的はただ一つ。この紫色の髪の美女を自分の物にする為だった。


「おい。お前は壁上の見張り役だろう。何でここにいる?」


 一人の兵士が見知った男の行動を咎める。


「ああ。それがイソッフの奴が変わってくれたんだ。アイツは酒がからきし駄目だからな。それにあの美人姉妹に興味が無いってよ」


 そんな会話を交わした兵士達は、急いで地下室に酒樽を取りに行く。


 シャンヌは地下から酒樽を運ぶ兵士達を手伝い、地下入口の場所を記憶に刻んだ。広場には無数の酒樽が運び出され、二百人の兵士全員が杯を持つ。


「では皆様。公平に一杯ずつ飲んで行きます。不正が無きよう、両隣の方の杯を確かめて下さいませ」


 にこやかに酒飲み比べを進行するシースンを見ながら、シャンヌは内心で驚嘆していた。


 正面から戦う事しか知らない赤毛の少女は、敵を倒す方法は剣以外にもあるのだと思い知らされていた。


「では始めさせて頂きます」


 シースンが勢い良く酒杯を一飲みすると、二百人の兵士達も一斉に手にした酒を飲み込む。


 こうして、一人の美女を賭けての酒飲み比べが始まった。五杯。十杯。シースンは次々と酒杯を重ねて行く。


 兵士達もシースンのその早さに釣られて、己の酒量を考えずに胃の中に酒を送り込む。十五杯を超えた辺りで、兵士達の中に異変が起り始めた。


 胸を押さえむせる者。酔いが回り酒杯を持つ手が震える者。急激に大量の酒を飲んだ為に意識を失う者もいた。


 だが、シースンはその様子を意に介する事無く淡々と酒を飲み続ける。兵士達も脱落した者達に構う余裕は無く、酔いで歪んだ視覚に映る酒杯を無理やり口に運ぶ。


 篝火に照らされた広場は、異様な雰囲気になってきた。その中で美人姉妹の妹が姿を消した事など、兵士達が気付く筈も無かった。


「お役目御苦労様です。ボワス中佐の許可は出ておりますので一休みして下さい」


 シャンヌは地下牢にいた。二人の門番に天使の微笑みを向け手にした酒瓶を杯に注ぐ。それは、ボワス中佐を眠らせた眠り薬入りの酒だった。


 シースンの芸を鑑賞出来なかった門番は、その鬱憤を晴らすように酒を飲んだ。


「······本当にすごい効き目」


 シャンヌは再び嘆息する。白髪眼鏡リケイの仕込んだ眠り薬入りの酒を飲んだ門番は、崩れ落ちるように眠りに落ちた。


 門番の腰から鍵を外したシャンヌは、スカートの裾を持ち上げながら奥の牢屋に駆けて行く。


 すると、鉄格子の中に額に布を巻き、暗い表情で項垂れている囚人達がシャンヌの目に映る。


 四つ一族達は、五つの広い牢獄に分けられ捕らわれていた。数は百人弱。中には女子供も多くいた。


 薄暗い地下牢で項垂れている四つ目一族に、シャンヌは小声で話しかける。


「四つ目一族の皆さん。私の名はシャンヌ。皆さんを助けに来ました」


 突然現れた赤毛の美少女の言葉に、怯えていた四つ目一族の動揺は更に広がった。その様子を見たシャンヌは、四つ目一族は本来穏やかな種族なのだと改めて思い知った。


 そしてその温厚な種族を戦争に利用しようとする者達に改めて怒りを覚える。シャンヌはゆっくりと。そして丁寧に今回の救出作戦を四つ目一族達に伝える。


「······この砦を出たとしても。その後私達はどうやって逃げるのだ?」


 四つ目一族を代表する様に、一人の男がシャンヌに質問する。シャンヌは門扉の鍵を解錠しながら男に微笑む。


「大丈夫です。砦の近くに連絡役の仲間がいます。そこ迄辿り着けば、エルラン国の宮廷魔術師達が貴方達を風の呪文で脱出させます」


 縁もゆかりもない無いエルラン国に逃げ延びてその後は大丈夫なのか。四つ目一族達の当然の不安にシャンヌは自信を持って答える。


「安心して下さい。エルラン国の国王は貴方方を戦争に利用しないと約束してくれました。私が保証します」


 シャンヌの真剣な眼差しに、四つ目一族の男は暫く考え込む。まだ少女の身でありながら、危険も顧みず自分達一族を助けに来てくれたその勇気を信じ、男は頷いた。


「······分かった。シャンヌと言ったな。その話を信じよう。エルラン国の国王では無い。アンタを信じる」


 嬉しそうにシャンヌも頷く。まだ広場で兵士達が酒盛りをしており、シャンヌが呼びに来るまで地下に待機する様に赤毛の少女が伝えると、四つ目一族達は覚悟を決めたように了解してくれた。


 シャンヌは時間を無駄にせず、その足で今度は城壁に上って行く。そして見張り役の兵達に先程の牢屋の門番と同様に酒を勧める。


 元センブルク軍の歩哨は、酒に弱い為に舐める程度だったが、他の兵士達は喜んで酒を飲む。


 その見張りの兵士達の中に、唯一酒を拒否する者がいた。砂色の髪。年齢は二十代半ば、細身の長身と秀麗な顔立ちのその男は、シャンヌを怪しむ様に眺めながら口を開いた。


「生憎俺は酒は飲まん」


 シャンヌは男の言葉に焦りを感じた。広場では酒を飲めない者もシースンの色香に惑わされ飲酒をさせたが、この場でシャンヌにシースンと同じ魅力を発するのは不可能だった。


 刻一刻と時間が経過し、元センブルク軍の歩哨は頭がぼんやりし片膝を地面に着いた。重くなって来た瞼で周囲を見ると、同僚が何人も倒れている。


「赤毛の娘よ。不思議だな。お前が用意した酒を飲んだ途端に皆が意識を失った。これは一体どう言う訳だ?」


 砂色の髪の兵士は言い終えると同時に腰の剣を抜きシャンヌに斬りかかった。その剣筋は鋭く、シャンヌのカツラの毛先を数十本切り裂いた。


「······早い!!」


 シャンヌはその一撃を回避すると共に倒れている兵士から剣を奪い構える。赤毛の少女は、汗を流しながら砂色の髪の兵士と対峙する。


 ······カリブ軍の砦から少し離れた森に、ニ台の馬車が身を潜めるように停車していた。心配そうな表情の老人ジオリ。無表情の元奴隷男カイト。常時眠そうな首長女ことチャシャは、各々の表情で砦を見ていた。


 ジオリ達の背後には、既にエルラン国の宮廷魔術師達が到着し待機していた。


「······あれは何だ?」


 砦の東側を眺めていたカイトは、両目を細めてそれを見る。それはまるで、暗闇の中で何かが動いている様に見えた。


 そして直に馬蹄の響きが遠くから聞こえてきた。何者かの集団が、カリブ軍の砦に迫ろうとしていた。


 


 

 


 

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