第33話 エルラン軍の陽動作戦

 太陽が空の真南に登りきろうとしていた頃

、エルラン国の王城の一室では女達の称賛の声が漏れていた。


「······変えれば変わる物ね。まるで別人ね。シャンヌ」


 質素な旅装着に着替えていた紫色の髪のシースンは、赤いカツラを被ったシャンヌを見て嘆息するように呟く。


「あら。元の素材がいいのよね。シャンヌはきっと将来化ける類の娘よ」


 王妃リリーカが櫛でシャンヌの髪をとかしながら明るい声で返答する。当の本人は、豪華に装飾された三面鏡に映る自分の顔を不思議そうに眺めていた。


「······自分じゃないみたい」


 シャンヌは鏡の中のもう一人の自分に囁く。腰まで伸びた艷やかな赤い髪。付けまつ毛により瞳は数歳大人びた。


 唇には薄く紅を引き、頬には白い粉をほんのり添えられたャンヌは、そばかすが残る田舎娘から貴族令嬢へ変貌を遂げた。


「街を歩けば男性は十人中、八人は振り向きますね」


「そうかな。精々五、六人位じゃないですか?」


 美人メイドのカラミィの絶賛の声に、赤毛の魔法使いクレアが褒め過ぎだと言わんばかりに辛口の批評をする。


 あの深夜の誕生日会から一週間が経過し、いよいよ四つ目一族の救出作戦が行われようとしていた。


 カリブ国の砦に潜入する人選は困難を極めた。作戦の肝である砦の兵士達を酔わせる為に、酒に強い事が大前提であった。


 そして兵士達を誘惑出来る容姿の持ち主であり、不測の事態に対応する為に剣を扱える必要があった。


 結局、紫色の髪の美人戦士シースンが単独で潜入する事になったが、シャンヌが自らも同行すると頑として譲らなかった。


 十五歳のシャンヌは酒に免疫が無かったが、シースンは微笑してシャンヌの申し出を受け入れた。


 同行の条件としてシャンヌが言い渡されのが、年齢を誤魔化す為の化粧だった。


「······いやあ。驚きましたなあ。少女のシャンヌ殿が二十歳前後に見えます」


「化粧とはよく言ったもんだね。本当に化けたな。お前」


 化粧を終え旅装に着替えたシャンヌの姿に、白髪のリケイが眼鏡を持ち直しながら嘆息し、イバトが目を丸くしながら称揚する。


 腰が曲がったジオリは孫を見るように破顔し、青い髪のカイトはそっぽを向いていた。


 晩春のよく晴れた日、エルラン国の王都に集結した一万二千の軍が行軍を開始する。率いるのはエルラン国最強の戦士ザンカル。


 カリブ軍をおびき寄せる為の陽動作戦だったが、兵士達には気の緩みは一切無かった。エルラン国の軍隊は実戦から遠ざかる事久しかったが、その分ザンカルやシースンが行う普段の訓練は実戦さながらの激しい物だった。


 ザンカル達が出立したのを見送った後、シースン。シャンヌ。首長女ことチャシャの三人は用意された馬車に乗り込む。


 ニ台目の馬車にはイバト。クレア。カイト。ジオリが分乗する。城門から正に出発しようとした時、国王タイラントと王妃リリーカが姿を現した。


「皆。気をつけてね」


 リリーカがニ台の馬車に乗った者達を心配そうに声をかける。シャンヌはタイラントと目を合わせる。


「国王陛下。一つお願いがあります。四つ目一族を保護育成した後、彼等一族を戦争に利用しないで頂けますか?」


 田舎娘から令嬢に華麗に変身したシャンヌの真剣な言葉に、タイラントは暫く考え込むように沈黙する。


「······私が国王である限り国是は不変だ。戦争は決して起こさぬ」


 タイラントの言葉に安心したシャンヌは、心置きなく王都を出発した。赤毛の少女達を見送ったタイラントが妻に質問する。


「······リリーカ。私に質問したあの赤毛の娘は誰だ? そう言えばシャンヌなる者が見当たらなかったが」


 寝癖がついた夫の問いかけに、懐妊中の妻は絶句した。そして自分のお腹を擦りながらため息混じりに呟く。


「······貴方のお父さん。色んな意味で教育がまだまだ必要なの。貴方も私に協力してね」


 まだ見ぬ我が子に懇願するリリーカに、お腹の中に宿る小さ過ぎる命は、まだ見ぬ両親に対して沈黙を守っていた。


 エルラン軍、王都から出立す。カリブ国がエルラン国に潜入させている間者の情報により、その報は直ぐ様国にもたらされた。


「エルラン軍一万五千だと!? それは奴等のほぼ全兵力ではないか!」


「軍事演習などと公言しているが信じられん! 報告の進路を考えても公路を直進している。これは我が王都に向かって進軍していると考えるべきだ!」


「直ちにわが軍も兵力を国境に集めよ! 周辺の砦からもだ!!」


 騒然としたカリブ軍内部で、エルラン軍に対しての対抗処置が行われようとしていた。実際のエルラン軍は騎兵二千、歩兵一万だったが、軍を指揮するザンカルが水増しした兵力を派手に宣伝していた為、実際より多い兵力がカリブ国に伝わっていた。


「いい機会と捉えよう。これだけの規模の演習は滅多に実行出来んからな」


 黒い鎧に身を包んだザンカルは、愛馬を操りながら実戦と変わらぬ迫力で部下達を叱咤激励する。


 普段の訓練が実を結んだのか、エルラン軍一万二千は整然と公路を進軍していった。そして王都を出て二日後、ザンカル達はカリブ国との国境線の手前で布陣する。


 国境線から半日の距離にカリブ軍が猛然とこちらに進軍しているとの偵察隊からの情報を聞くと、ザンカルは満足そうに頷いた。


「これが実戦なら我が軍は既にカリブ国領内に侵入していた。我がエルラン軍の統制は及第点と言った所だな」


 ザンカルは頭を直ぐに切り替えた。ここからはエルラン軍とカリブ軍が国境線を挟んで睨み合う事になる。


 その緊張感に兵士達が暴走しないよう、指揮官のザンカルは敵と味方、両方に気を配らなくてはならなかった。


「さて。あの娘シャンヌと言ったな。後はお前達次第だぞ」


 ザンカルは国境線両軍が顔を突き合わせる軍事的緊張を長くは続ける事は危険な為、ザンカルはその期限を二日と定めた。


 シャンヌ達はザンカルがカリブ軍を引きつけるその期限迄にカリブ国の砦から四つ目一族を救出しなくてはならなかった。


 そのシャンヌ達ニ台の馬車は、順調に砦まで距離を詰めて行った。だが、王都を出発して三日目の夕暮れ、見晴らしのいい平野でシャンヌ達は魔物と遭遇した。


「五体! いえ、六体いるわ!!」


 馬の手綱を握りながらシャンヌは魔物達の数を叫ぶ。その魔物は厚い甲羅に十本の足を生やし素早く移動していた。目や口は無く、甲羅の先端から伸びた長い刃が伸びていた。


 銀貨級魔物「甲羅百足」は、ニ台の馬車を遥かに凌ぐ速度でシャンヌ達に迫ってきた。老人ジオリは意を決したように、脇に抱えてい細長い形状をした物を元奴隷男カイトに差し出す。


 それはジオリがエルラン国の王都で購入した物だった。包装を剥がしたその中身は魔法の杖だった。


「さあ。カイト殿。魔法の杖です! これを使ってロッドメン一族の力を見せて下され!」


 鼻息荒くジオリはカイトを期待の眼差しで見つめる。カイトは魔法の杖が無いと魔法が使えない。


 それを聞いたジオリは、いざと言う時の為にその杖を用意していたのだった。だが、カイトは荷台の橋で頬杖をつきながらジオリを一瞥すらしなかった。


「無理だね」


「······は?」


 カイトの素っ気ない一言を、ジオリは瞬時に理解出来なかった。


「そんな安物の杖じゃ魔法は使えないって事さ。そうだね。世界一の魔法使いが愛用している杖。そのクラスじゃないと僕の魔法は使えない」


 カイトの冷たい口調に、ジオリは無用の長物と化した杖を握りながら呆然としていた。シャンヌは魔物と戦う為に馬車を停止させようとしたが、イバトがそれを制止する。


「シャンヌ! 時間が無い! ここは俺とクレアが引き受ける! 先に行け!!」


 イバトは叫びながら馬車から飛び降り、クレアもそれに続く。判断に迷うシャンヌに、後ろの荷台に座るシースンが頷く。それを見て赤毛の少女は決断する。


「イバトさん! クレアさん! お願いします! どうか後無事で!!」


 イバトはシャンヌに背を向けながら片手を上げ、俊足を飛ばし六体の甲羅百足に突進して行く。


 魔物の一体が、その鋭利な刃を走る勢いそのままにイバトに突き刺そうとする。


「俺は勇者になる! それを邪魔する奴等は、片っ端からぶっ潰す!!」


 甲羅百足の刃がイバトの頬を掠める。勇者志望の少年は両手に握った剣を加速した体重を乗せて甲羅に振り下ろす。


 バキッ。


 鈍い音と共に一体の甲羅百足の背中がイバトの一撃によって砕かれた。だが、残り五体の甲羅百足はそれに構わずシャンヌ達の馬車を追う。それを見てイバトは叫ぶ。


「クレア! 行ったぞ!!」


 五体の甲羅百足が一例に並びニ台の馬車を猛追する。その間に立つのはリリーカ、シャンヌと同じ赤毛のクレアだった。


「ここは通さないわよ!」


 クレアは爆裂の呪文を詠唱し杖を振りかざす。五体の甲羅百足の足元が爆発し、甲羅百足達は吹き飛ばされ地面にひっくり返る。


 イバトが踵を返し魔物達に向かって走り、クレアは更に火炎の呪文を唱えようとしていた。


 その戦いの音を微かに聞きながら、シャンヌは馬に鞭を与え速度を上げて馬車を走らせて行った。



 ······シャンヌ達がエルラン国王都を出発した頃、カリブ軍に襲われた四つ目一族の村でシャンヌ達の帰りを待つ者達がいた。


 褐色の肌をした暗殺者アサシルは、家主不在の家の中にあった書籍のページを開き静かに時を過ごしていた。


 波打つ髪と髭を蓄えたブレッドは、家に置かれた酒の品質に文句をつけながら昼間から飲んで時間を潰していた。


 酒瓶を空けた時、ブレッドは馬のいななきを耳にした。愛馬の餌をやり忘れたかとブレッドは酔った足取りで外に出た。


 そして、家の裏庭に繋いでいた自分の愛馬の姿が消えている事に気付く。


「······まさか」


 ブレッドは急いで家に戻りメルアが寝ている部屋のドアを開いた。そのベッドには、誰も寝ていなかった。

 

「あのガキ!!」


 ブレッドが剣を握り再び外に駆け出すと、そこには既に馬に跨ったアサシルが待ち構えていた。


 選択の余地無くブレッドは不本意ながらアサシルの後ろに飛び乗る。褐色の肌の暗殺者は直ぐ様馬を走らせる。


「あのメルアとか言うガキ! 一体どう言うつもりで飛び出したんだ!?」


 ブレッドは愛馬を奪った四つ目一族の少年に怒りを滲ませて怒鳴った。メルアの目的はシャンヌだと疑う余地は無かったが、その行き先などメルアが知りようも無かった筈だった。


「······追跡能力」


 アサシルは馬を走らせてながらそう静かに呟いた。シャンヌの話によると、額の目が開いた時、小柄なメルアは二メートルを超える大男に変貌したと言う。


 四つ目一族には離れた相手を追跡出来る何らかの能力が備わっている。褐色の肌の暗殺者はそう推測した。


 そうで無ければ、このメルアの行動が説明出来なかった。メルアより倍の速度で馬を走らせたアサシルは、直に前方の馬に追い付き並走する。


 ブレッドは酔いの影響か、若干覚束ない呂律でメルアの行動を怒鳴りつける。するとあの気弱な筈の少年のメルアが、鋭い目つきでブレッドを睨みつけて来た。その光景にブレッドはメルアを二度見する。


「メルア。シャンヌ達の行き先に心当たりでもあるのか?」


 アサシルは冷静な口調で好戦的な表情を見せるメルアに話しかける。四つ目一族の少年の返答は意外な物だった。


「······匂いだよ」


「匂い?」


「村から連れ去られた四つ目一族達の匂いが道に残っている。それを辿れば、その先にシャンヌ姉ちゃんはきっといる!」


 シャンヌが四つ目一族の救出に向かった。それをベッドで寝ていたメルアが知る筈も無かったが、少年は赤毛の少女がそう行動すると信じて疑わなかった。


「······四つ目一族は同族の匂いを嗅ぎ分ける能力に秀でているのか。そしてメルアのあの変わり様は何だ。大男に変身すると、四つ目一族は攻撃性が増すのか?」


 アサシルは独り言の様に小さく呟き考え込む。メルアは迷わず馬を北西に走らせる。それは、四つ目一族達が軟禁されているカリブ軍の砦がある方角だった。



「······見えた。あれがカリブ軍の砦!」


 シャンヌがそう叫び手にした手綱を緩める。厳しい扱いを受けたニ台の馬車馬が激しく息を切らせて丘の上で停止する


 エルラン国の王都を出て三日目の夕刻。赤毛の少女は中規模の砦を眼下に見下ろす。シャンヌ達潜入部隊は、ついにカリブ軍の砦に辿り着いた。


 同時刻。シャンヌ達とは逆の丘の上からカリブ軍の砦を眺める者達がいた。馬に乗り武装していたが、その統一席の無い装備と柄の悪い人相は彼等を野盗だと証明していた。


「あれか。今をときめく四つ目一族が捕らわれているカリブ軍の砦は」


「ああ。奴等一族は今奴隷市場で桁違いの高値で取引されているらしいぜ」


「情報屋のロカポカによると、今あの砦の警備は手薄らしい。エルラン軍とカリブ軍が国境線を挟んで睨み合っているらしいからな」


「決まりだ。あの砦にはお宝が眠っている。頂きに行こうぜ」


 チロル率いる無頼組織「猫の手も借りたい」に属するロカポカは、普段は情報屋を生業としていた。


 ロカポカはブレッドとアサシルを探す為に四つ目一族の情報を調べた。その過程の副産物として、村から連れ去られた四つ目一族の居場所。


 そしてエルラン軍とカリブ軍の動きも察知していた。ロカポカは武装勢力に求められるがままに報酬の対価にその情報を流した。


 そのロカポカの情報により、カリブ軍の砦には招かざる客が押し寄せようとしていた。

 


 


 


 


 


 


 




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